漆
趙雲side──
“荀”の旗印は軍師である荀或の物だろう。
曹魏の軍師として数少ない存在が明らかな人物。
当然ながら、曹魏の規模で軍師が一人しか居ないなど有り得ない事だろうから、意図的に隠し続けていると推測する事が出来る。
その理由は様々だろうが、表立って顔を出すと行動に支障が出る場合が有る。
それを考慮して可能な限り荀或しか出さないといった方向での事なのかも。
飽く迄も推測の話だがな。
だが、荀或の事は今は一旦置いておこう。
問題なのは、もう一人。
“関”の旗印が我等の思う通りであるなら、ある意味最悪だと言えよう。
いや、純粋な戦力としては曹魏内には上が少なくとも二人は居るのだが。
精神的な影響力で言うなら他とは比較に為らない。
…まあ、我等に対してのみ有効な事ではあるのだが。
他所の事はどうでもいい為考えるまでも無いがな。
厄介な状況には違い無い。
其処に居る人物が彼女──関羽であるならば。
「…そうか、判った
各部隊には予定通りに行う旨を通達しておいてくれ」
「はっ!」
叔至が立ち去ると、小さく一息吐いてから二人の方に向き直った。
此方も予想通りというべきなのだろうな。
顔を伏せ気味にして俯いた朱里の姿と、曹魏の部隊が居る方向を睨み付けている鈴々の姿が有った。
軍師と軍将。
その立場の違いだけでも、懐く感情は異なる。
故に、見せる反応も違う。
(…未だ、傷は癒えぬか)
まあ、当然だろうな。
関羽を引き抜かれたという事実は変わらない。
だが、その経緯が問題だ。
もしも、曹操が何かしらの条件として関羽を所望し、関羽が自らの意思で犠牲と為って曹操の元に行った、というのであれば。
皆の懐く気持ちは全く違う物だったのだろう。
しかし、現実は違う。
桃香様が主因であるのだが主や朱里達には原因が無いという訳ではない。
寧ろ、全員が原因だろう。
その結果、関羽は桃香様を“見限って”、自ら離れて曹操の元へと行ったのだ。
懐く思いに違いは有れど、深く傷付いた事は確か。
何しろ、桃香様が白蓮殿の元に遣って来て客将となる時から居た面子が最古参。
今は、主と鈴々のみ。
その主と出逢う前からでは鈴々だけなのだ。
何より、桃香様にとっては自身の理想を“一番最初に認めてくれた”存在なのが関羽だったのだ。
傷が浅い筈が無いだろう。
ただ、私自身は立場的には複雑だったりする。
白蓮殿には正式に仕えず、放浪した末に桃香様の元に身を寄せた私には、関羽の考えを否定は出来無い。
“己が武と心を、捧げるに相応しい人物に仕える”と考えていた私には、な。
私は桃香様を選んだ。
関羽は曹操を選んだ。
ただそれだけの事。
それだけでしなかない。
何も可笑しな事ではない。
それは個人の自由。
己の意志次第なのだから。
誰にも責められない事だ。
けれど、そう簡単に感情は割り切る事は出来無い。
関羽を“悪”と断じる事は簡単な事だろう。
“裏切り者”としてしまう事で“自分達は悪くない”という意識を持ち、信念や自尊心を保てる。
ある意味、愚かな者程遣る事でもある。
全てを他人の所為にして、自分を絶対的に正当化する自己中心的な思考はな。
その当時の面子で言えば、そういった考えを持つ者は一人として居なかった辺り見込みは有るだろう。
ただ、月日が経つに連れて心の深奥へと積もってゆく感情は有った筈だ。
と言うか、無いと言う方が可笑しいだろう。
それでも、非が自身に有る事を認められるなら、糧に成長してゆける。
だが、鈴々は違う。
基本的に思考が単純であり幼稚(お子様)なのだ。
良い意味では、切り替えも早いのだが、悪い方に出た場合には拙い。
其処に正当性は無い。
ただ、子供の癇癪に近い、身勝手な言い分になる。
勿論、全てが全て、という訳ではないのだが。
(…関羽に対しての感情が特別であるが故、か…)
はっきりと、鈴々本人から聞いた訳ではない。
関羽の話自体、宅の間では禁句になっているのだ。
態々、確実に眼前の相手を不快にさせると判っている話題をする馬鹿は居ない。
相手を挑発したりする様な理由や必要性が有るのなら遣らなくもないが。
普通は遣らない事だ。
だから、実際には本音では皆がどの様に思っているか判らないのが正しい。
私個人の皆の印象や性格を基準とした見立て。
その範疇を出ない事だ。
それでも、判る事は有る。
いや、正式に仕えるたのは関羽が去った後では有るが私自身はそれよりも以前に皆とは繋がりを持っていた訳だからな。
特に、桃香様・鈴々・主、そして──関羽。
四人が、どの様にお互いを思っていたのか。
それを多少は知っている。
とは言うものの、今は心を汲んでやる訳にはいかない状況でもある。
切り替えて貰わねばな。
「朱里」
「──っ!?」
ただ呼んだだけで、驚いて肩を跳ねさせた朱里。
意識が逸れていたのだと、察する事が出来る。
考え込み過ぎると、一人で抱え込むのは朱里の悪い癖だとは思うが、この場では言わないでおく。
これ以上落ち込まれても、策や指揮に影響が出るだけだろうからな。
その結果、失敗したなら、更に深い傷が出来てしまう事だろう。
それは避けなければ。
「このまま予定した通りに進めて構わぬな?」
「は、はい!
それで大丈夫です!」
焦りながら言うが、朱里はこういう時には何故なのか噛まないのだ。
噛んでくれれば、揶揄って意識を逸らすのだが。
実に惜し──不思議だ。
「そういう訳だ、鈴々
我等も配置に付くぞ」
「応なのだ!」
朱里とは違い、普段通りに気合いの入った返事をする鈴々だが…微妙だ。
何も無ければ良いがな。
──side out。
張飛side──
関羽──その名を聞く度に胸の奥が鈍く痛む。
忘れた筈の古い傷(記憶)が膿を溢す様にジクジクと。
物心付いた時には、家族と呼べる人は居なかった。
気付いたら一人きり。
一人なのが当たり前。
そういう物だった。
でも、寂しい(寒い)と思う事は無かった。
だって、隣にはいつでも、“坊々(ぼうぼう)”が居たのだから。
一人では有った。
でも、独りではなかった。
生まれた場所かどうかは、判らないけど。
ずっと生きていた場所には村が有って、村人も居た。
同じ位の背丈をした子供も何人か居た。
だけど、いつも大人達から“近寄るな”と言われて、遠ざけられていた。
だから、一緒に遊んだ事は一度も無かった。
それでも気にならないのは“坊々”が居たから。
森で、川で。
“坊々”と食べる物を探し走り回っていた。
生きる為には必要な事。
お腹が空いては生きていく事なんて出来無い。
でも、それだけじゃない。
“坊々”と一緒に居る。
それだけで楽しかった。
村の子供達と遊ばなくても“坊々”と遊んでいる方が全然楽しかった。
ずっとずっと嬉しかった。
ずっとずっと。
“坊々”は傍に居る。
ずっとずっと。
一緒に生きていく。
そう思っていた。
その冬は昔に比べて暖かく雪が少なかった。
降り積もった雪を掻き分け埋もれてしまった食べ物を探さなくても意外と簡単に食べ物を手に入れられた。
こんな事も有るんだ。
そんな風に暢気に考えて、笑っていた。
だけど、そんな笑っていた事が嘘の様に、急に降った大雪は村を、森を、川を、全てを飲み込んでしまう。
昔よりも簡単だった筈が、今までに経験した事が無い程に難しくなった。
積もった雪は触れるだけで痛い程に冷たくて。
掻き分ける指は赤く腫れ、切れて血が滲み、感覚すら無くなっていった。
一日、二日、三日…五日…十日…一ヶ月が経つ。
食べ物が見付からない日が嫌になる程続いていた。
僅かに残していた食べ物を少しずつ“坊々”と分けて食べていた。
でも、食べてしまえば必ず無くなってしまう。
無くならない食べ物なんて存在しないのだから。
そして、それは村人の方も同じだった。
腹を空かせた村人の一人が離れて食べ物を探していた“坊々”を殺した。
“坊々”を食べる為に。
“坊々”の悲鳴を聞いて、駆け付けた時には手遅れで雪を溶かし、地を染めて、“坊々”は赫くなったまま倒れていた。
気付いた時には、目の前の村人を殴っていた。
殴って、殴って、殴って、殴り殺していた。
そして──泣いた。
泣いて、叫んで、喚いて、願って、頼んで、哭いて、鳴いて──食べた。
“坊々”を護る為に。
“坊々”を渡さない為に。
これから先も、“坊々”と一緒に生きる為に。
“坊々”を食べた。
その村人を殺したから。
他の村人達は怒った。
だから、言った。
何が悪いのだ?、と。
村人達は言った。
“家族を殺した”、と。
だから、答えた。
“坊々”を殺したから。
家族を奪ったから。
だから殺したんだ、と。
村人達は怒った。
“ただの猪一匹と人の命を一緒にするな!”と。
だから、怒った。
お前達の命よりも、ずっと大切だったんだ、と。
それが悪い事だと言うならお前達も一緒だ、と。
そして、襲い掛かって来た村人達を次々と殴り殺し、悲鳴を上げて逃げ出すまで殴り殺し続けた。
頭の先から足の先まで。
“坊々”の赫よりも穢く、黒く濁った色に染めて。
だから“鬼児”と呼ばれる様になった。
でも、そんな事はどうでも良かった。
“坊々”が居ない。
居なくなった。
初めて感じる、独りという寂しさ(寒さ)に。
身を、心を震わせる。
そして、夜が来る度に空に向かって哭いた。
涙が渇れ果ててしまう程。
哭いて、泣いた、鳴いて。
それでも、生きていく事を身体は望んでいた。
きっと、身体の中に生きる“坊々”が言ってるんだ。
“食べろ(生きろ)!”と。
そう考えると、思う以上にしっくりと填まった。
そして、“坊々”と一緒に“食べる(生きる)”為に。
森を、川を、畑を、家を、場所を問わずに。
食べ物を探し求めた。
恐れられても構わない。
攻撃されても構わない。
怨まれても構わない。
憎まれても構わない。
ただただ、それらの全ては“食べる(生きる)”為に。
求め続けた。
長い長い月日が流れて。
軈て、目の前に現れる。
自分を打ち負かす。
自分の手を握る。
二人の家族(姉)が来る。
孤独が終わる。
その時まで。
──side out
関羽side──
氣を探れば誰が居るのか。
労せず知る事が出来る。
勿論、それが出来るまでの道程は大変ではあるが。
(…張飛が居るのか…)
先程、桂花に言った言葉に嘘偽りは無い。
勿論、強がりや痩せ我慢もしてはいない。
私にとって劉備達は疾うに過去に為っている。
何も思わない訳ではないがそれは未熟な自分に対する戒めの様な物で。
劉備達に対する特別な感情ではない。
ただ、張飛に関して言えば少しだけ思う所は有る。
同情──いや、憐憫と言う方が正しいかもしれない。
それは張飛の生い立ちから始まる環境に起因する。
張飛は孤児だったらしく、親の愛情、家族の温もりを知らずに育った。
家族──血縁者は不明。
両親は愚か、生まれでさえ張飛は不明だという。
それを聞いて、“捨て子”という言葉が真っ先に頭に浮かんだ。
しかし、そう思っても何も可笑しくはないだろう。
珍しくもない。
だが、普通、まだ物心すら付いてはいない様な幼子が一人で生きていくという事など出来はしない。
…雷華様なら同じ年齢でも生きていけそうだが。
それは雷華様だからだ。
一般的な考えに混ぜて良い存在ではない。
ごほん…話を戻して。
そんな状態の張飛が一人で生きていられた理由には、彼女の事を“育てていた”という一頭の雌猪の存在が有った為だろう。
雷華様に聞いた所、種族が異なっていても子供に対し母性を持つという事自体は珍しくはないそうだ。
勿論、必ずしもそうなる、という訳ではない。
乳飲み子だった張飛を守り我が子として愛していた。
その話を聞いて、“歪だ”“可笑しい”等と思う者は少ないだろう。
種族を超えた母娘の愛。
それは正しく美談であり、心を打たれる逸話だ。




