陸
──七月十七日。
黄蓋side──
諸葛亮・趙雲が“誘い”を掛けに向かったのと同時に残った我等も行動を開始。
諸葛亮の策に従う。
何しろ、場所が場所だけに一万三千人にもなる部隊が十分に展開が出来るだけの開けた場所は無い。
開けた場所自体は有るが、全軍を投入する事は此方の行動を阻害するだろう。
二〜三千人位の部隊ならばギリギリ可能だろうがな。
その辺りは我等より領主の劉備軍の方が詳しい。
故に、諸葛亮達も最初から白壁の門扉周辺で戦う気は無かったらしく、彼女達が“釣り”をしている間に、我等は交戦予定の場所へと移動する事になっていた。
とは言え、一万三千全てが同じ場所にて展開して戦う訳ではない。
諸葛亮達が合流する予定の本隊は五千人の兵。
残る八千人は別動隊として四つに分けられている。
釣り出した曹魏の部隊へと挟撃や横撃、或いは包囲し殲滅する為の布陣。
勿論、一ヶ所で出来るなら最初から遣っているので、作戦対象となる範囲は広く包囲していても脱出される可能性は高まるだろう。
そうなってしまっても別に不都合な事は無いがな。
要は、曹魏に宣戦布告する手間が省けるのだから。
問題が有るとすればだ。
曹魏が劉備達と事を構えて動き出し、白壁の外側へと出て来てくれるまで何れ位時間を要するか、だ。
主導権は曹魏に有る。
我々が準備を整えていても曹魏が応じなければ戦争は成立しないのだから。
そういう意味では応じずに放置するという方法が最も効果的だと言える。
士気を削ぎ、兵糧を無駄に消耗させ、内部分裂を引き起こす事にも繋がる。
そう、何もしない事こそ、今の劉備達にとって何より最悪な事は無いのだ。
当然、そうなる可能性にも諸葛亮は気付いている筈。
だからこそ、此処で確実に曹魏側に被害を与える事が重要になる訳だ。
これまでの曹操の言動から考えれば、兵も民だ。
民の命を重んじる曹魏なら一人でも死者を出したなら動く可能性は出て来る。
…一番嫌な方法で仕返す、という可能性も有るが。
それを言い出すと平行線を辿り続けるだけ。
何も出来無くなる。
だから、考え過ぎない事も時には必要だと言える。
「──っ、来おったか…」
そんな事を考えていると、視界に標的を捉えた。
ある意味で遠目であっても見間違う事は無いだろう。
同色に統一された武具。
翻る“魏”の軍旗。
巨大な蛇──否、龍が地を滑る様に這っている様子を重ねてしまう。
険しい渓谷を身を隠しつつ進んでいく姿は慎重ながら何も恐れてはいない様に、堂々として見える。
その行く先には諸葛亮達の本隊が布陣し、待ち受ける訳なのだが。
果たして、巨龍を前にして矮小な人の群れが何処まで通用するのだろうか。
そんな風に思ってしまう。
…他人事ではないがな。
今は自分の役目を果す事に集中するとしよう。
──side out。
趙雲side──
漸く釣り出す事に成功した曹魏の部隊を更に深くへと引き摺り込む為に。
離れ過ぎない程度の所まで下がって、また“誘い”を行ってから姿を消す。
今度は相手の反応を待たず此方から先に動く。
そうする事で陽動ではない可能性を懐かせる訳だ。
そう遣って、曹魏の部隊を交戦予定の所まで引き込む事に成功していた。
「──朱里っ!、黄蓋から連絡が来たのだっ!
曹魏の兵は真っ直ぐ此方に向かってるのだ!」
普段通りに──いや、普段以上に遣る気に満ち溢れる鈴々が本隊を支援する様に布陣している黄蓋の率いる部隊からの報せを受けて、我等に報せてくる。
“早く始めるのだっ!!”と言葉に出さなくても伝わる程に気合い十分な鈴々に、朱里は苦笑を浮かべた。
雨が続き、外で遊べないで退屈していた子供が、漸く晴れたから早く外に出掛け遊びたい時の様に。
あまりにも無邪気過ぎて。
見ている此方が、緊張感や毒気を抜かれてしまう。
“気楽で良いな…”と思いながらも、口元が緩むのは鈴々の明るさに因るのだと経験でも判っている。
自身の右手を見詰め、軽く開閉して確かめる。
適度に肩の力も抜けたし、状態は悪くはない。
十分に遣れるだろう。
顔を上げ朱里の方を見ると視線が重なった。
“大丈夫そうですか?”と心配そうに訊ねてくる瞳に口角を上げて応える。
「朱里よ、我慢させるのは手を焼きそうなのでな…
出来るだけ早く獣(鈴々)は野(戦場)に放つ(出す)様にしてくれるか?」
「してくれなのだっ!」
そう言った私に続く鈴々に朱里は再び苦笑する。
だが、先程の様に心配する雰囲気は感じられない。
…まあ、先程の心配には、猪突猛進な鈴々に対しての不安も有ったのだろうが、“いつも通りだ”と判って安心したのだろうな。
鈴々の様な質の者が空回りをしだすと厄介だしな。
本人の不調だけに留まらず周囲にも波及する。
良い方向に対し影響すれば物凄く効果的なのだが。
悪い方向に影響した場合は簡単に切り替えたり、立て直す事は難しくなる。
それを懸念して、だ。
そういう部分は武人同士の方が感じ易いからな。
まあ、当の鈴々には自身の影響力に対する認識などは全く無いだろうがな。
我等も、鈴々に下手に教え様とは思わないしな。
個人によって異なりはする才能なのは確かだな。
鈴々もまた桃香様と同様に“天然物(自然体)”だから影響力が大きいのだし。
それを失わせる様な真似は我等も遣りはしない。
大事な“戦力”なのだ。
失う事は出来無い。
「仕方有りませんね…
ですが、もう暫く我慢して下さいね?
でないと、彼方に後退され此処まで準備した事が全て無駄に為りますから」
「任せるのだ!
鈴々が全部やっつけてやるから心配無いのだ!」
「鈴々ちゃん!?、ちゃんと私の話を聞いて下さい!」
大丈夫そう──に見えて、少々入れ込み気味ならしく気合いが入り過ぎた鈴々を朱里が宥めている。
鈴々の事は正直面倒だし、朱里が肩の力を抜く為にも丁度良さそうなので任せてしまう事にする。
…朱里が私を呼んでいる?
いやいや、気のせいだ。
朱里は今、その智謀を以て荒々しい闘争心を燃やし、持て余している鈴々という狂戦士の猛りを鎮め様と、懸命に頑張っているのだ。
私を頼る事は無い。
それは幼女(乙女)の役目。
“単なる美女(私)”の出る幕ではないからな。
それは兎も角としてだ。
黄蓋からの報告が予定した通りの物であるなら、その進路は一つしかない。
普通の山とは違い、斜面を部隊で移動する様な真似は先ず出来無いだろう。
聞いた話では、曾て斜面を降る事で急襲を成功させた事実が有るそうだが。
それは移動に関しては可能だったからだろう。
その逆に、斜面を登る事は部隊では困難なのだから。
如何に曹魏の兵が優秀でも地形を変える事は出来る訳無いのだからな。
──と、考えている所へ、兵が駆け寄って来る様子を視界に捉えた。
統一された武具を着ている場合には、余程付き合いの長い兵でなくては見分ける事は難しいのだが、今回は賊徒の様な所属が不明な輩という印象を与える為にも装束はバラバラだ。
それ故に見分け易い。
見覚えの有る服装から兵が誰なのか判った。
姓名は陳到、字は叔至。
今年二十歳になったばかりという青年だ。
主より拳一つ程背が高く、見た目には細身ではあるが実際は意外としっかりした身体付きをしている。
本人が槍の使い手な事と、黒髪・黒眼という主に近い雰囲気も有るからだろう。
個人的な感想を言えば初見でも悪い印象ではなかったというのが正直な所だ。
賊徒や傭兵──黄蓋達には伏せているが更には罪人も混じっていたりする。
そんな中で、比較的正面で能力的にも中々に優秀。
加えて、人柄も悪くない。
寧ろ、何故、こんな連中の中に居るのか。
其方等の方が不思議に思う様な人物だったりする。
興味本意ではあったのだがその辺りの事を雑談序でに訊いてみた。
すると、彼は十五歳ながら下級とは言え、官吏となり中央で働いていたとか。
“成る程な…”とすんなり納得出来たのも彼の能力を知っていたからなのだが。
尚更に彼が此処に居るのが判らなくなった。
そんな考えが顔に出たのか彼は苦笑し、話した。
当時、上に信頼された事を一部の先輩や同期に疎まれ濡れ衣を着せられた事。
その結果、指名手配されて益州に落ち延びた事を。
そして、今回の話を聞き、冤罪から解放されたい為に参加したのだと。
それを聞いた時、胸の奥が鈍く、重く、傷んだ。
「失礼致しますっ!」
私の手前で静止し、跪いて頭を垂れる叔至。
身勝手な官吏達によって、その人生を狂わせられても人としては真っ直ぐな姿は好感を覚える。
出来るなら、他の連中にも見倣わせたい所だ。
…無理な話だろうがな。
「どうした?」
「はっ、敵の進路に対して置いて見張りからの報告で敵将の物だと思しき旗印を確認したとの事です」
相手が曹魏である事は既に兵達も知っている訳だから“魏”ではないだろう。
仮に魏延の様に“魏”姓を持つ者の旗印をならば色が違っているだろうからな。
その区別は付く筈だ。
また、“曹”でも無い事も確かだろうな。
もしも、曹の旗印を見たのならば見張りの兵も報告を受けた彼も落ち着いている状況ではないだろう。
何故ならば、現時点で曹の旗印を掲げる者は二人しか確認されてはいない。
魏国の国王である曹操と、その夫の曹純。
この二人だけなのだ。
二人が、或いは何方等かが此処で動くとは思えない。
…動いたとなれば、我等は此処で終わるだろうな。
「ふむ…して、数は?」
「二つ、との事です」
旗印が二つ、か。
旗印を掲げているのなら、下級官吏ではない。
勿論、曹魏が従来の基準と違う形で旗印を掲げるなら判らないのだが。
少なくとも、官渡で有った袁紹達との戦いの時点では我等の知る基準と変わらぬ遣り方だったらしいが。
それは置いておいて。
普通に考えると将師である人物が二人という事になるだろうな。
ただ、軍将が二人居るか、将師一人ずつか。
それは判らないが。
軍師二人は無いだろうな。
如何に精強だと言われても其処まで相手を侮る真似を曹魏はしない筈だ。
「各々の旗印の字は?」
「“関”と“荀”です」
『──っ!!!???』
その言葉に、私だけでなく朱里達も思わず息を飲む。
同時に緊張が高まった。
──side out
関羽side──
数日前から動き始めている劉備軍と孫策軍。
緜竹の門扉への接近したと一報を受けた。
その上で私達が出向いて、劉備軍の誘導策に此方から乗っかる形での出陣。
率いているのは新兵である千五百人。
つまり、今回は新兵達への実戦経験を積ませる場。
それが表向きの話。
裏向きには、先の決戦への戦力の温存と秘匿。
態々此方から見せる必要は無いのだからな。
「あれで気付かれてないと思うのかしらね…」
「…思うのだろうな」
呆れた様に呟く桂花。
一瞬、独り言である可能性を考えて、返すか悩むが…
無視した・気にしていると受け取られるのも面倒だし嫌なので返しえておく。
「…まあ、そう言う私達も曹魏に居なかったら今回の彼方の策に気付く可能性は低いんでしょうけどね」
「確かにな…」
現在の私達だから。
だから、気付く訳で。
過去の自分では勿論だが、“別の可能性の自分”にも気付ける所まで至れるとは思えない。
判らない、ではない。
勿論、可能性は全く無いと言い切れはしないのだが。
少なくとも曹魏以外の──雷華様以外の元で、自分がこの域に届く姿を想像する事が出来無いからな。
「…一応、訊いておくわ
感傷(躊躇い)は無い?」
此方を見る事無く、普段と同じ口調で訊く桂花。
本当に“一応”らしい。
まあ、あれ程の毒舌なのに仲間思いで面倒見も良い為私を気遣っての事だろうが桂花の不器用さには思わず苦笑してしまいそうになり困ってしまう。
反応は見せないがな。
「心配は無用だ
寧ろ、見届けてくれ」
「そう…程々にね」
「判っている」
確と見てくれ。
我が志の在処を。
──side out。




