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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
682/915

       弐


──七月十二日。


三日目の行軍を終え、今は夜営の為に陣を敷いている最中だったりする。

賑やかな話し声が聞こえる事からも兵の士気は高いと言えるだろう。

…まあ、“兵”と呼べる程調練されてはいないがな。

働きもせず遣る気も無く、その癖不満だけは一人前に口にするだけの輩よりかは“使える”だけ増しか。

今の所、問題も起こしてはいないしな。

当初は、これだけ集まると劉備達に対して反旗を翻す可能性も考えていたが。

劉備達は上手く連中の心を掴んでいる様だ。


尤も、連中を集めて調練を遣る事の方が危ういか。

それこそ、一人が少しでも不満を懐き、思慮も無しに口にしようものなら簡単に周囲の連中は同調するし、無駄に結束して刃を向けて襲い掛かってくるだろう。

鎮圧自体は確実だとしても被害は軽微とは言えない。

劉備達の事情を考えたなら兵の練度は低いと判る。

何だかんだでも官軍として調練をしていた兵達にすら劣るだろうからな。

勿論、主力には官軍の兵が置かれているのだろうが。

それでも、だ。

曹魏は勿論、宅や董卓軍、白蓮等諸侯の軍と比べても兵の質は格段に低い。

当然ながら装備的にもな。


まあ、だからこそ劉備達は宅との協力・同盟の関係を必要としたのだがな。

そういった事を加味すれば下手に事前に集めるよりも打付け本番でも出来る方に賭けるべきだろうからな。

ある意味、正解だろう。

ただ、この遣り方は連合で曹操の夫である曹純が話の流れを利用し示したという方針に似ている。

“寄せ集めの戦力”の巧い使い方として、な。

劉備達も、その場に居たのだから知ってはいても何も可笑しくはないしな。


そんな陣の中、本営となる天幕へと向かう。

偵察戦の開始を明日に控え劉備軍の将師達の元へ行き最終確認を行う為だ。


天幕の前、出入り口を隠す様に垂れている幕を前にし足を止め、声を掛ける。

ノックは出来んからな。



「黄公覆じゃ、今入っても良いかのぅ?」


「──あっ、は、はい!

どうぞでしゅっ!」



何処か、懐かしさを感じる噛みっぷりに一瞬の事だが天幕に入る事を躊躇う。

…恐らくだが、間を置けば噛んでしまった事に対する羞恥心と不甲斐無さから、顔を真っ赤にしている姿を拝む事が出来るだろう。

そして、その僅かな時間のズレで生じる気の緩みから凹んでいる所へ踏み込めば慌てる事だろう。


──それを観てみたい。


そんな欲求が沸き上がった為の一瞬の逡巡。

悪戯心が騒いでしまう。


だが、天幕の中に居るのは宅の可愛らしくも頼もしい“あわわ軍師”ではない。

劉備達とは協力・同盟関係ではあるが、それだけだ。

確かに今は敵ではないが、味方でもない。

後々の事は判らない。

ならば、我等将師が下手に慣れ合うのは愚策。

連中に付け入る隙を与える事に為るだけだからな。

その辺りを理解していれば自重する事は容易い。





「失礼するぞ」



小さく息を吐き、切り替え一声掛けてから、垂れ幕を右手で押し開いて、天幕の中へと入る。

其処には顔を真っ赤にして両手で頭を抱えながら踞り頭を左右に振って身悶える諸葛亮の姿が有った。


やはり、と言うべきなのか声の主が記憶していた通りだった事には安堵する。

しかし、不思議に思う。

彼女達の居た私塾は確か、あの水鏡の私塾だった筈。

智謀を研くだけなら判るが噛み癖まで教えたのか?

そう思ってしまった。

単に、二人だけが似ているというだけなのかもな。

寧ろ、其方の方が納得する理由だと言えるか。


そんな事を考えていると、視線を感じて顔を向けると趙雲と目が合った。

すると、趙雲は肩を竦めて苦笑を浮かべる。



「済まぬな、黄蓋殿

折角、来て貰ったのだが…

我等が“はわわ軍師”殿は少々問題が起きてしまってあの様な状態だ

悪いが暫し待って貰えると此方としては助かる」


「その様じゃな…

まあ、仕方が有るまい」


「忝ない、お気遣い頂いて感謝致す」



そう言っている趙雲。

仲間思いの、気遣いの有る言葉に思えるのだが。

その双眸の奥に垣間見える感情には覚えが有る。

特に策殿が人を揶揄ったり悪戯を仕掛けている時に、同様の感情を覗かせる。



(…此奴め、一見真面目に見えるが曲者じゃな…)



確か以前、祐哉が犯罪者の話をした時に言っておった“愉快犯”なる罪人の事を聞いた覚えが有るのだが…成る程な。

確かに、こういう事を好み繰り返す輩が悪質化すれば間違い無く犯罪者じゃな。

…と言うか、遣られた者が不快に思えば十分に罪には問えるじゃろうがな。

まあ、当事者同士の信頼・理解・友好的な関係か等で許容出来るかどうか変わる事でも有るか。

故に明確な線引きは難しい事でも有る訳か。

面倒な話じゃのぅ。


それは兎も角として。

趙雲から視線を外し、再び諸葛亮へと顔を向ける。

──振りをして。

天幕内に居る、もう一人。

妙に静かにしている人物に視線を向ける。

真桜とは幼馴染みであり、友人であった于禁へと。


天幕を支える柱の一本へと寄り掛かる様に背中を預け立ったまま俯いている。

前髪が邪魔で、表情までは判らないが。

趙雲とは違って、諸葛亮の事には無反応の様だ。

不気味な程に、静かだ。

下手をすれば幽霊だと思う輩が居ても可笑しくはない位に大人し過ぎる。


その様子を視界に映すと、自然と目を細めてしまう。

気付かれない様にする為に直ぐに平静を装うが。



(…妙に大人しいのぅ…

以前の印象では騒がしい娘だと思っておったが…

…まさか、此奴まで劉備と同じ様に為りおったか?)



可能性としては、否定する事は出来無いだろう。

其処まで芯が強そうだとは思えなかったしな。

劉備よりも簡単に挫けて、折れそうな印象だった。

追い詰められて…と考える事は出来るとだろう。




勿論、此奴までがそうだと結論付けるには早計だとは思うがな。

もう少し、観察し──



「………むにゃむにゃ…

…ふへへ〜♪…これで〜…

…沙和がこそが益州で〜…

…ううん…大陸一番の〜…

…お洒落女王なの〜♪…」



──って、何じゃ。

此奴、寝ておったのか。

…流石に想定外じゃな。

まさか、この大事な状況で居眠りが出来るとはな。

これには呆れるべきなのか感心するべきなのか。

悩んでしまう所じゃのぅ。

まあ、平気で居眠り出来る位じゃからな。

胆は据わっておるのぅ。

…いや、極度の緊張による心労から来る眠気に負けた可能性も有るか。

その辺りの事は直に于禁に訊いてみねば判らぬがな。


にしても、“お洒落女王”というのは何なんじゃ。

…どうでもよい事じゃが。

気にはなるからのぅ。

益州から大陸で一番にまで一気に話が拡大しておるし一体此奴は、どの様な夢を見ておるのか。

…まあ、劉備の家臣としてらしいと言えば、らしいのかもしれんがな。

妄執(ゆめ)に拘り狂う主に願望(ゆめ)に浸る家臣。

似合いじゃからな。


とは言うものの、別に夢を見る事を否定はせん。

それ自体に善悪は無いし、基本的に各々の自由であり勝手なのだから。

誰も咎める事は出来ん。



(“夢”と一口に言っても目標や宿願・野望の類いと架空・夢想という類いとに分けられるが…

線引きは難しいしのぅ…)



現実では苦悩していても、夢の中で切っ掛け等を得て閃いたり、解決したりする事も珍しくはない。

自分にもそういった類いの経験は少なからず有る。

故に一概に否定は出来無いというのが本音。


ただ、浸るのは違うがな。

夢の中だからこそ、自分に都合の良い世界では有り、全ての事象や展開までもが自分の願望を反映した上で全てが可能と為っておるのじゃからな。

“逃げ場所”としては夢は最高と言えるじゃろう。

尤も、悪夢に傾いた際には不思議と全てが不可能へと変わってしまうもの。

一見、自由に見られそうな夢ではあるのじゃが…

その実は、見始めてみねば何方等かは判らんしのぅ。


出来れば良い夢を見たいと思うのが人々の気持ち。

故に、“夢の見方”という根拠の無い方法が噂程度の事ではあっても広まったり信じられたりする。

其処に突け込む悪意の有る輩も少なくはない。


劉備達も同類じゃろうな。

劉備の掲げておった理想は今の時代に心挫けておった民草には自分勝手(自由)に見られる夢と同じ。

具体性を欠いているが故にその理想をどう受け止め、どう考えるのかは、民草に委ねられていた。

そして、人心として自分に不都合・害悪となる考えは持ち難いもの。

それ故に劉備は伸し上がり台頭出来た訳だ。




ある意味、時代の申し子と呼べるのじゃろうな。


理想を語り、正義を騙る。

それが、劉備という時代の流れを活かす才に恵まれた主君となれる器。


一方、我等が呉の主である策殿とは、乱世・群雄割拠といった時代でこそ輝ける覇道を往く主君の器。


そして、自らが主軸となり時代すらも動かし、廻す。

文字通りに天下人と呼べる歴史を紡ぎ、刻む英傑。

天地人(全て)を兼ね備える王の中の王たる器。

曹魏の国王・曹操。


彼女達三人は間違い無く、今の世の中に出るべくして現れた傑物だと言える。


将師の器は少なくはない。

自分を含め、宅の顔触れを見るだけでも判る事。

立場や程度の差は有れど、多い事は確かだろう。

…既に亡くなった者達にも言える事でもあるがな。


だが、主君の──王の器は本当に限られている。

時代が違えば策殿も劉備も世の中に出る事は無かったかもしれない。

まあ、策殿は堅殿が存命で家督を継承しておったなら普通に名を馳せておったと思えはするがのぅ。

そういう意味では袁家にも似た事が言えるじゃろう。

世が乱れねば、あの二人は主権争いこそしておっても当主としては凡庸でも全く構わなかった筈。

あのままで生きて、老いて死んでいっても何等不思議でもなかったじゃろうな。

勿論、白蓮も同様じゃな。


一世代──いや、二世代前の時代の傑物を挙げるなら堅殿を筆頭に馬騰等数名の名が脳裏に浮かぶ。

更に遡るなら、曹騰という稀代の宦官も居る。

あの袁家でさえも当代達が愚か者だったというだけで先代までは確かに優秀だと言っても良いのだ。


それが、此処に来て時代は大きく動いた。

まるで、彼女達の時代だと言わんばかりに、だ。


ならば、時代の申し子だと言わぬ方が可笑しい。

彼女達が舞い躍る為に有る時代(舞台)なのだとな。





「──痛いの〜っ!?」



唐突に響いた悲鳴。

それに引っ張られる様に、意識は現実へと戻る。


顔を声のした方──于禁が立ったまま居眠りしていた方を見れば、地面に座って額を両手で押さえて涙目に為っている于禁の姿が。

どうやら、体勢が崩れて、地面に顔を打付け様だ。

それらしき痕跡(凹み)が、地面にも出来ているしな。


不意だから痛いだろう。

経験が無い訳ではないので痛みは想像出来るしな。



「やれやれ…立ったままで居眠りなどするから転ける事になるのだぞ?

緊張感に欠けているのではないのか?」


「うぅ〜…仕方無いの〜…

流石に、曹魏が相手なのに緊張しないで居る事なんて無理なの〜…」


「それなら居眠りなどする余裕は無いと思うがな?」


「星さん意地悪なの〜…

緊張して眠れてないから、変な時に眠くなるの〜…」


「ならば、就寝する時まで気合いで持たせれば普通に寝るのと同じになる

どうだ、素晴らしい案だと思わないか?」


「それが出来れてば沙和も苦労はしないの〜!

星さん、絶対判ってて態と言ってるの〜!」


「これは酷い言い掛かりを付けられたものだ…

私は至って真面目に考えて答えているのだがな」


「絶対揶揄ってるの〜!」


「はっはっはっ」



その様な二人の遣り取りを観ながら、胸中では思考に浸っていたのが僅かだった事に安堵する。

此処は自領ではない。

孫呉の陣営でもない。

今一時の、条約の上だけの即席の利害関係(なかま)と言うだけなのだから。

小さな油断が後々に自らの──いや、皆の首を絞める事にもなり兼ねない以上、気を引き締めねばな。


そういう意味では彼女達に感謝せねば。

油断と過ちを考え、正せる時間をくれた事を。




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