捌
鳳統side──
会談を終えた雪蓮様達から事の経緯を聞かされると、驚かずには居られないのが正直な感想でした。
私自身は祐哉さんの指示で公的には名前や存在を他に知られない様にしている為劉備さんの陣営の人達──其処に居る朱里ちゃんにも気付かれてはいません。
そういう訳ですから、直に劉備さんを見た事は無く、姿を見たのは遠目に。
その人柄等は雪蓮様達から聞いた限りの印象でしたが“優しく甘い理想”を掲げ民心を惑わせている。
それこそ“黄巾党”の姿を思い起こさせる様な印象を私は懐いていました。
それだけに“どうして?”という疑問も有りました。
“どうして、朱里ちゃんはそんな人と一緒に居るの?
どうして、気付かないの?
ねえ、どうしてなの?”と思っていました。
ただ、そんな私の疑問には朱里ちゃん自身ではなく、雪蓮様達が答えて下さり、納得する事が出来ました。
“劉備の理想っていうのは具体性が薄いのよ
だから、それを聞いた人が自分の理想を勝手に重ねて共感して支持をする訳よ”
“それにさ、諸葛亮って、結構“思い込み”が激しい印象が有るんだよな
だから、一度“この人こそ私の理想とする方っ!”と思ったら、疑う様な真似は殆んどしない気がする”と言われてみて、思い当たる節が多々有りましたから。
朱里ちゃんって昔から結構頑固だったですしね。
それでも、その劉備さんは朱里ちゃんが認めた人。
だから、本当に民の未来を考えている人なんだろうと信じていた。
実際、反董卓連合前までの市井の評判は其処まで悪い物では有りませんでしたし支持者も居ましたから。
連合で繋迦さんに敗北し、民を捨てて逃げ延びた事で風評は一転しましたが。
“都合の良い(理想的な)”領主として一部では名前が挙がっていましたので。
決して主君に相応しい器が無い訳ではない筈です。
…今は、判りませんが。
「ゴメンな、雛里…
本当なら諸葛亮に会わせて遣りたかったんだけど…」
そう申し訳無さそうに言う祐哉さんに胸が痛む。
そんな顔をさせてしまう、自分の事を気に掛けられて嬉しく思ってしまう。
そんな自分への嫌悪感で。
でも、表には出さない。
知られたくはない。
今は、大事な時だから。
「いえ、祐哉さんに責任は有りません
寧ろ、結果的に見れば私を守ってくれていますから…
ですから祐哉さんの判断は正しかったと思います」
そうです、正しいのです。
もしも、私が早い段階──“黄巾の乱”で接触をして繋がりが出来ていたなら、朱里ちゃんは私達の関係を利用しようとした筈です。
そうではなかったとしても劉備さん達(火種)を内側に抱え込む事に為っていたと思いますから。
雪蓮様達を、孫呉の民を、本当に守ろうとするのなら劉備さん達は邪魔です。
その余計な甘さ(繋がり)は必ずや破滅を招くので。
「…でも、もしかしたら、諸葛亮の事を助けられたのかもしれないだろ?
そう思うと、な…」
「…っ……」
そう言う祐哉さんに対して私は息を飲む。
その言葉は狡いです。
頭では判っていても思わず声を出しそうに為ります。
声に出して、楽になる事は簡単に出来ます。
でも、それは嫌です。
絶対にしたく有りません。
だから、声を飲みます。
唇を噛み締めます。
──ですが、心を開いて、意志を伝えます。
「…可能性という意味では有り得たかもしれません
それは多分、否定も肯定も難しい事だと思います」
朱里ちゃんの目を覚まさせ此方に来る様に説得出来る可能性は僅かな物とは言え有ったのかもしれません。
ですが、それは成功すれば最良の結果に為る、という可能性の話です。
失敗してしまった場合には私達の繋がりが孫呉に対し不利に働く要因になる。
その可能性は高いです。
“賭け”をするには利害の比率が釣り合いません。
もしもこれが私個人にのみ及ぶ事だったのだとすれば私は賭けに出ていたのかもしれませんね。
けれど、実際には私以外の沢山の人達に影響します。
その様に為ってしまう事を私は望みません。
ですから、賭けに出る事は有り得なかった筈です。
「ですが、こういう時代に──いえ、世に産まれて、生きている以上は誰しもが“譲れない事(進む道)”の選択は避けられません
私達は各々に違う道を選び別れて行った…
ただそれだけです」
そう、選んだ結果です。
朱里ちゃんは劉備さんを、私は雪蓮様を。
自らが支え、仕えてゆくと決めて、選んだんです。
己の主君として。
その先に、交わる可能性が有る事は判っていました。
良い場合も、悪い場合も。
受け入れ、向き合う。
その覚悟を持って。
私は朱里ちゃんとは違う。
私だけの道を。
私の意思で選んだ。
勿論、“出来る事ならば、朱里ちゃんと一緒に…”と思わなかった訳ではない。
正直に言えば、最初の頃は朱里ちゃんの事を頼る様に心の中では呼び掛けていた事は一度や二度ではない。
けれど、その度に私の中に響く声が有ります。
“私はどうしたいの?”。
祐哉さんに出逢った日から私の中に生まれた意識。
ずっと“誰か”にばっかりくっ付いていただけで。
“お人形さん”みたいだと言われても反論が出来無い人生を送っていた私。
だからこそ、祐哉さんから言われた言葉は凄く重くて──怖い物でした。
でも、其処から逃げているだけでは駄目なんだと。
祐哉さんに出逢ったから、私は知る事が出来ました。
だから、迷いません。
「私の意志は孫呉の皆さんと一緒に歩む事です
他には有りません」
「…ありがと、雛里
大変だけど、頑張ろうな」
「はいっ!」
私は翼を広げます。
この時代(空)に羽撃いて、生き抜く為に。
──side out。
公孫賛side──
会談の内容と結果を聞いて私は驚いていた。
驚くと言うよりは恐らくは信じられないと言った方が正しいんだろうな。
悪い冗談だと思った程だ。
今回の会談にも立ち会い、一応ではあるが桃香の事も知っている紳からも聞き、本当に冗談ではないのだと理解はしたんだが。
すんなりとは納得する事は出来無いんだよな。
…まあ、だからと言って、暢気に現実から目を背けていられる程暇ではない。
協力・同盟関係が締結した以上は遣るが山程有る。
何しろ、あの曹魏を相手に喧嘩を売る訳だからな。
気軽に出来る事ではない。
文字通り、全身全霊を以て臨まなくてはならない。
勿論、宅としても生半可な覚悟で了承してはいない。
…勝てるだなんて楽観視はしてはいないが。
ただ、戦う形だけを整えて諦めるつもりはない。
遣るからには真剣に。
本気で、勝ちに行く。
どんなに可能性が低くても僅かにでも有るのなら。
其処に全てを費やして。
(…あー…でも、なんだ
何て言うか…あれだよな…
私って、こういう勝ち目の薄い戦が多いよな〜…)
黄巾の乱の頃は、そうでも無かったと思う。
戦力的に宅は騎馬が主力の部隊だったからな。
広範囲での活動が売りだが山間部での戦闘には不向きという理由も有って戦場はある程度選んでいた。
そういう事も要因の一つで勝ちを拾えていたな。
反董卓連合の時も結果的に諸侯とは被らなかったから被害は少なかったしな。
まあ、連合では曹魏が全部持って行った様な物だけど悪い気はしなかった。
あれだけの闘いを見られて文句は言えないって。
…言いそうな奴等が脳裏に浮かんだんだけど…うん。
忘れてしまおう。
色々と面倒臭いからな。
それは兎も角としてだ。
此処までは悪くは無い。
寧ろ、順調だと言えた。
自分の器で群雄割拠の世に何処まで通用するのか。
それを試してみたい。
そう思ったのだが。
…それ自体が大きな間違いだったのだろうか。
不相応な望みだったのか。
私には過ぎた──許されぬ意志だったのか。
そんな風に考えてしまった事も一度や二度ではない。
袁紹(馬鹿)に奇襲されて、冷静さを欠いていたのか。
自棄に為っての特攻。
そして、敗れて落ち延び、助けられて今に至る。
今になって考えてみれば、曹魏を相手にしようとして戦力を整えていたとは言え彼奴の主要な将師を此方は返り討ちにしていた。
地の利は此方に有った。
じわじわと削ってやれば、彼奴を丸裸にして遣れたと思わないでもない。
…全ては結果論だからな。
本当に今更の話だよ。
でも、だからこそ思う。
私は見失っていたんだと。
“器”という物を気にして本当に大切な事を、な。
部下に対して指示を出すと急に暇に為る事が有る。
悪い事ではないのだけど、どうしたら良いのかを悩み手持ち無沙汰に陥る。
普通なら趣味を楽しむとかこ、ここ…恋人と一緒に、街に出掛けるとか…だな。
…そういう事が出来るなら暇を持て余さないけどな。
何と無く、城壁への上って遠くを眺める事にする。
特に深い理由は無い。
本当に、何と無くだ。
…凹んでる訳ではない。
紳(彼奴)の超奥手具合いに対して腹を立ててもいない──訳ではないか。
其処はあれだな。
男ならシャキッとしろっ!って言いたいよ。
実際には言えないけどさ。
それは置いておいて。
ぼんやりと景色を眺める。
視線を下方へと向ければ、賑わう街の様子が映る。
これから史上最大級の戦が起きようとしているとは、民は夢にも思っていないんだろうな。
…普通は考えないか。
商人達は別にしてもな。
街から山並み、空と雲へ。
視線を移してゆく。
無意識に向けていた方向は──北だった。
自分の故郷の有る方向。
生まれ育ち、この地で死に骨を埋める事になる。
それが当然だと思っていた今は遠く、懐かしき地を。
自然と見詰めていた。
今は曹魏の一部となって、平穏な日々が訪れている事だろうな。
それは素直に喜ばしい。
ただ、個人的には思う所が全く無い訳ではない。
曹魏に対して、ではない。
自分に対してだ。
正直、曹魏に向かうという選択肢も有った。
それでも、あの時は何故か南へと向かっていた。
まるで、故郷から逃げ出し遠ざかるかの様に。
…まあ、落ち延びたんだし逃げ出した事には間違いは無いんだけどさ。
そういう意味ではなくて。
今は、こう思っている。
私は窮屈だったのだと。
もっと自由に。
もっと身軽に。
私は駆けてみたかった。
そういう想いが胸の奥底に有ったのだろうと。
切り替える様に一息吐き、ゆっくりと振り向いた先は西の彼方──益州。
桃香達の居る方向だ。
「…あの桃香が、なぁ…」
思わず溢れる一言。
そう言ってしまう程度には私の中では意外な事だ。
正直、桃香というのは宛ら“お人好し”が人型をして動いている様な奴だ。
未来を嘱望されていたにも関わらず、金にも名声にも繋がらない人助けをして、何年も放浪していた。
そういう、馬鹿と呼んでも可笑しくはない、底抜けのお人好しな性格だ。
だから、信じ難い事だ。
あの桃香が、自分の野望を叶える為に民を犠牲として使い捨てる様な発言をしたという事は、な。
(…曹操への対抗心、か)
言われてみれば、判る。
それは桃香だけじゃない。
私にも有ったし、雪蓮様も確かに持っている。
当然だが、袁紹達にだって有った筈だと思う。
はっきりと言ってしまうと群雄割拠(この時代)とは、曹操を中心としている。
曹魏が中心に在るんだ。
だから、意識してしまう。
暗闇に浮かぶ篝火の様に。
宙に渦を巻く旋風の様に。
底へと伸びる水流の様に。
周囲に有る全てを引き寄せ巻き込んでゆく。
そういう存在なんだと。
そして、それ故に曹操とは時代の申し子なのだと。
此処に来て理解出来た様な気がする。
「…一歩間違っていたら、私が今の桃香だったのかもしれないなぁ…」
可能性としては、有り得た事かもしれない。
“絶対に無い”とは、私は断言は出来無いな。
ただ、私の場合に限れば、恵まれていた訳だ。
そうは為らない様に、私の過ちを正してくれる。
そういう者が居たから。
だから、私は桃香の様には為らずに済んだんだろう。
でなければ狂ってしまっていたのかもしれないな。




