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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
676/915

        陸


 諸葛亮side──


──六月三十日。


孫家の領地を出て、私達の領地へと帰ってきた。

それだけの事なのだけれど気持ち的には大きく安堵し肩の力が抜けてゆく感覚を自分でも理解している。

それ程までに今回の会談は重要な事だったのだから。


だから、力が入ってしまう事は仕方が無いと思う。

…好き好んで遣りたいとは思いませんけど。

自分が優位な交渉だから、楽しむ余裕も有るんです。

劣勢な状況を逆転するのは戦場で味わえれば十分。

交渉の席では緊張感なんて要らないです。


まあ、それも取り敢えずは何とか終わりましたしね。

…不安に思う事が無かった訳では有りませんが、今は無事に協力・同盟の関係を締結出来た事を。

素直に喜びましょう。


そんなこんなで時は経ち、成都への帰路。

その途中にある街で、一旦休息を取る様に足を止め、私達は各々に行動する事にしました。


ご主人様が桃香様の御側に付いて下さっているので、私達は街に出ています。

…桃香様達の護衛ですか?

護衛の兵は残っていますし今ならば、ご主人様の手に“アレ”が有りますから。

然程心配はしてしません。

“アレ”は反則ですから。


沙和さんは直ぐ服屋を巡る事を宣言して離れて行き、それに呆れた様にしながら星さんは散歩と称しつつも恐らくは、お酒でも飲みに行ったのでしょうね。

星さんは“程度”を考えて行動してくれますから私も怒る事は少ないです。

…まあ、ご主人様と一緒に揶揄ってくる時だけは話は別なんですけどね。

一種の愛情表現?なのかもしれませんけど、遣られる方は大変なんですから。

其処は考えて欲しいです。

でも、そういう気持ちって理解は出来るんですよね。

ご主人様や桃香様に対して私自身も悪戯心が働く事が無い訳では有りませんし。

勿論、私の場合はきちんと時と場所を選んで遣る様に心掛けていますけどね。


そんな訳で私も久し振りに息抜きをしようと考えて、適当に歩いてみます。

この街は初めてですから、ちょっとわくわくします。


最近は仕事以外で街に出る機会は本当に少ないですし出掛けても馴染みの御店に行く程度ですからね。

こういった風な散策自体も遣る事が随分と久し振りに思います。


成都と比べれば、人の数は少ないけれど活気としては十分に賑わっている。

通りに並んだ店舗の種類や数も少なくはない。

街の規模と比較してみれば栄えていると言える。



「──っ!」



そんな中、不意に視界へと入ってきた一軒の建物に、目が釘付けになる。

少し古びた感じの外観も、自然と周囲に溶け込む様な佇まいから長く続いている事が読み取れる。

それはつまり、店としては常連客が居る事は勿論だし新しいお客さんも幾らかは利用しているとも言える。

何より──騒ぐのだ。

私の“狩人”としての勘が獲物が有る、と。

血と心を滾らせながら私は歩を進めた。





「ふふ〜ん♪、ふ〜ん♪、ふふん♪、ふん〜ふん♪」



思わず鼻唄を歌ってしまう位に気持ちは高揚していて足取りは弾む様に軽い。

とは言うものの、私の場合何も無いのに躓いてしまい持っている“宝物”が宙に舞った結果、衆人環視の下白日に晒される。

なんて事に為り兼ねない為実際には自重し普段よりも慎重な足取りを心掛ける。

ただ、そうだからと言って端から見た時に挙動不審な不審者には映らない様にも気を付けている。


…以前、挙動不審過ぎて、民からの報せを受けて来た兵達に見付かってしまい、ご主人様から注意を受ける失態をしてしまいましたし以降は気を付けています。

…兵達には何をしていたかバレてはいませんよ?

まあ、一応、ご主人様への“秘密の贈り物”を見付け内緒にしようとしていた、なんて言い訳をして上手く誤魔化しましたからね。

ですから、私の収集品とか趣味の事や、ご主人様との“秘密の勉強会”の事等は知られてはいません。

この辺りの事は桃香様にも話してはいませんから。

私とご主人様だけ。

二人だけの秘密なんです。


それは、それとして。

今は、自分の手の中に有る物の方が重要です。

長年の経験から、あの店に掘り出し物が有るだろうと読んではいましたが。

当たりも当たりです。

大当たりだったんですよ。



(嗚呼っ!、今日はなんて素敵な日なんでしょうか!

まさか、まさかまさかの、まさかのまさかです!

あの幻までと言われていた“極楽千手戯画大全集”が私の手に有るだなんて…

正に夢の様です!

……えっと…もしかして、夢じゃないですよね?)



あまりにも信じられなくて胸中に渦巻く不安を拭う為思わず右手で右頬を抓る。



(──痛っ!、良かった…

これが夢じゃなくて本当に良かったです…)



その痛みに、夢ではなくて現実である事を実感して、安堵の息を吐く。

もしも、これが“夢落ち”だったとしたら、一週間は立ち直れませんよ。

ご主人様を独占出来ても、立ち直るまでには一週間は掛かると思います。

それ程に凄い事なんです。


この極楽千手戯画大全集は秦の始皇帝すらも溺れさせ虜にしたとも謂われている存在したのかどうかすらも不確かである伝説の妓女・華金晴の経験と知識による手練手管を記し纏めた物。

古い物であり、数も少なく先ず出回ってはいない。

加えて、その“超絶”とも称された技巧を恐れたのか権力者達が己の身の危険を感じたのか。

その辺りは今では定かでは有りませんが、存在自体を闇に葬られた、と。

そう謂われています。

一説には、皇宮の宝物庫に一冊だけ保存・保管されて存在しているとか。


まあ、要するに探し求めて手に入る類いの物ではなく文字通り、奇跡な訳です。

それだけに、私の気持ちは物凄く弾み、躍り、嬉しい訳なんですよね。

読むのが楽しみです。




舞い上がり、小躍りしても不思議ではないのだけれど頑張って抑えながら散策を続けて、暫くの間は街中を歩いて回っていた。


丁度、お腹が空いてきたら手近な甘味処を探して入り何品か注文をする。

普段ならば、ちゃんとした食事を摂る所なのだけれど今日は非番と同様に私的な時間なので、気にしないで好きな物を好きに食べる。

ご主人様からすると私達の甘味のみの食事というのは胸焼けがするのだとか。

美味しいんですけどね。


注文をした品が届くと順に食べ始め、味を楽しむ。

こういう一時は余計な事を何も考えなくても済むので気持ちが楽に為ります。

…まあ、本当に一時的に、なんですけどね。


一通り食べ終えると口内の甘味の余韻を楽しみながら御茶を頂き、寛ぐ。

それも、ちょっとした私の楽しみだったりします。


ただ、今は心から楽しめる気分とは言えません。


甘味の甘さを消し去る様に口の中を染めてゆく御茶の渋味と同じ様に。

甘く優しい夢は覚めてゆき辛く厳しい現実へと戻る。

後戻りの出来無い険しく、醜く、穢れ、狂った道。

血に染まり、死が蔓延り、絶望という花が咲く景色。

それしか、今の私には思い描く事が出来無い。


──曹魏に勝つ?

手段を選ばず勝つ事だけを考えるなら可能性としては無いとは言いません。

しかし、それは短期的な物ではなく、超長期的な物で少なくとも桃香様──否、私達の生きている間には、実現させるという事は先ず難しいと言えます。

極端な話、漢王朝と同様に曹魏が内部から腐敗して、衰退する時を待ち、其処に襲い掛かる訳です。

勿論、それまでに此方側は地道に力を付け蓄えてゆく事も必要不可欠ですが。

要は、今の曹操さん達さえ居なくなり、数代が経てば現状よりは勝てる可能性は確実に増す筈ですからね。

勝つ為には、其処を狙おうという訳です。


──では、今の曹魏に──曹操さんに勝てる?

そんな事は不可能です。

はっきりと言ってしまえば孫策さん達を完全に麾下に置いたとしても…恐らくは勝機を見出だすだけでも、数十年は要するでしょう。

それ程までに曹魏の存在は巨大だと言えます。

もっと言えば、曹魏よりも腐敗しきっていた漢王朝を相手に反乱を起こしていた方が勝ち目は有るかと。

…まあ、其処に曹操さんや孫策さんが共に居る時点で現実的には無理ですが。

両者が、その勢力が居ない漢王朝で有ったとしたなら勝てたとは思います。

袁紹さん・袁術さんは勿論ですし、桃香様とは同門でご友人でも有る公孫賛さん辺りも怖くは有りません。

領地という点だけで見れば漢王朝の凡そ半分だけしか手に入られていない曹魏。

しかし、実際には半分しか獲らなかったというだけ。

その実力は漢王朝の物とは比較出来無い程に巨大だと言い切れるでしょう。




今の桃香様の望み。

唯一の原動力。


──打倒、曹操。


曹魏ではなく、曹操さん。

彼女に勝つ事が全て。

しかも正々堂々と正面から打付かって、勝つ。

どんなに優秀な軍師でも、匙を投げる事でしょう。

何なんですか、それは。

本当に、正気の沙汰だとは思えない事です。

もし、その考えに心からの賛同を送り、勝てると信じ策を考える気に為れるなら頭が可笑しいと思います。

と言うか、現実的には何も見えてはいない愚か者だと言ってもいいと思います。

単純に馬鹿でしょう。


間違われては困ります。

不可能を、可能にする事が私達“軍師”という役職の仕事では有りません。

可能を引き上げる事。

或いは、見出だす事。

それが、軍師の仕事です。

無い可能性(もの)は無い。

どうしようも有りません。

見出だす事すら出来無い。

だから、不可能なんです。


…まあ、種類を選ばずに、正々堂々と、という事なら無い訳では有りません。

ある意味、桃香様の最強の武器だとも言える長所。

あの無駄に巨大な脂肪の塊──ゴホンッ…ではなく、豊満な胸を用いる訳です。

ええ、要するに曹操さんの旦那さんである曹純さんを桃香様がその色香で誘い、寝取ってしまう訳です。

それが一度きりの、お酒の勢いによっての情事だったとしても構いません。

多分、桃香様的には十分に満足して貰える筈です。

“王”としては負けても、“女”としては勝った。

あの曹操さんよりも一度は自分の方が魅力的だと彼に思わせたのだ、と。

そういう風に考えられれば必要以上に曹操さんに対し対抗心を持たずに済んだと思います。


…まあ、そう為ったら多少曹操さんの出方が、怖くは有りますけど。

袁紹さん達の様な私情から戦争に発展させる様な事は無いとは思います。

曹操さんですからね。




しかし、それは無理な事と私も理解しています。


曹純さんに関しての情報は当時は意外な物でした。

“黄巾の乱”にて出会った曹操さんに対する私個人の印象は正しく覇者でした。

気高く、誇り高く、厳格で力を用いる事を躊躇わず、己の信念を貫く者。

主君として、王として。

一つの理想だと言える方と素直に思いました。

勿論、それが私の理想とは違っていたからこそ、私は桃香様を選んで、此処まで付いて来ている訳ですが。


あの時、私達と袂を別った関羽さんの理想は、私とは違っていたのでしょう。

その事を今更どうのこうの言おうとは思いませんが。


それだけに驚いた訳です。

曹操さんに対し、夫である曹純さんは真逆の様な人物だったからです。

勿論、男女の関係ですから他人には理解出来無い事は有るのでしょうけど。

そう思っていました。

情報的には曹純さんの方が比較的簡単に得られたので曹操さんに対しての印象も当初は“好き勝手している夫を咎めもしない方なら、独裁的な方なのでしょう”という物でしたからね。


ですが、それさえも巧妙な罠だった訳です。

反董卓連合にて初めて見た曹純さんは優しく温厚な、人の良さそうな印象を持ち警戒心が下がりました。

しかし、袁紹さんと話しをしていた姿を見て、自分の間違いに気付きました。

曹操さんが、伴侶とする。

それに相応しい人物であり恐ろしく“狡猾”だと。


せめて、あの噂通りの人物だったなら出来る可能性は有ったのですが。

…いえ、其処までの贅沢は言いません。

普通の男性──ご主人様と同程度の感じであれば。

そう思ってしまいます。


ですが、抑、その程度なら曹操さんは伴侶に選ぶ事は無いのでしょうけど。




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