19 終への序曲 壱
劉備との会談を無事に終え劉備達を送り出してから、私は祐哉達と一室に集まり大きく息を吐く。
椅子の背凭れに身体を預け少し位なら摺り落ちる事も気にせずに足を投げ出して天井を仰ぎ、呻く。
「あぁー…疲れたぁー…」
誰に遠慮する訳でもなく、自然と漏れ出した本音。
大袈裟でも何でもない。
本当に、疲れたのよ。
流石に私達も余裕で簡単に話が纏まるだなんて風には思ってはいなかったけれど想像以上に疲れた。
その原因は何かと言えば、劉備でしかない。
あんな展開、予想のしようなんて無いもの。
予想出来る者が居るんなら会ってみたいわよ。
……あれ?、なんで曹操達夫妻の姿が浮かぶ訳?
しかも、不敵な笑顔の。
いやまあ、確かに、二人共凄いとは思うけど。
…流石に無いでしょ?
…………無い、わよね?
──なんて、想像を一人で遣っていたら、コトッ…と小さな音が聞こえ、それに引っ張られる様に我に返り上体を起こす。
すると、卓の上に置かれた茶杯が目に入った。
薄らと見える湯気。
熱過ぎず、温過ぎず。
丁度良い感じでしょう。
穏、良い仕事するわね。
「お疲れ様、雪蓮」
そう言いながら右側に立ち肩を軽く叩いてくる祐哉。
労い共に“よく耐えた”と感嘆の意を色濃く滲ませる眼差しを見て──何だか、無性に泣きたくなった。
祐哉の腰に右腕を回して、自分の方に抱き寄せながら有無を言わさぬ内に祐哉のお腹の辺りに顔を埋める。
流石に皆の目が有る場所で本当に泣きはしない。
泣く振りをしながら祐哉に自分の匂いを、しっかりと擦り付けるかの様に。
“私を慰めて♪”と甘える猫の様にスリスリする。
「うんうん、偉い偉い」
そう言いながら右手で私の撫でてくれる祐哉。
思わず“なぁ〜♪”と声を出しながら、お腹も見せて甘えたくなる。
此処が私室ではない事──否、二人きりでさえ有れば思う存分甘えているのに。
残念で仕方が無い。
でも、私は頑張った。
そう胸を張って言えるわ。
談笑しながら会食をしたり劉備に街を案内したりする様な事等は一切無かった。
当然と言えば当然だけど。
遣りたいとも思わないけど元々が劉備から申し込んで此方が応じた形だから特に必要な事ではない。
もしこれが、私達が益州に招かれていた形だったなら断る事は難しかったのかもしれないけれど。
幸いにも、そうではなくて劉備達を歓待する様な事も私達としては不要。
“馴れ合う”つもりは一切無い相手でも有るしね。
そういう意味では予定通り終わらせられたと言える。
尤も、会談の内容としてはギリギリだったわね。
もし、劉備が智謀の方向に才能が伸びていたとしたら私達も幾らか厳しい状況に為っていたでしょうから。
でもまあ、良い勉強(経験)に為った事も確かよね。
二度と味わいたくはない、嫌な緊張感だったけど。
「…んっ、んんっ!」
私が祐哉を堪能していると苛立ちの籠った咳払いが、背後から聞こえてきた。
位置的には勿論だけれど、咳払いって結構、人各々で特徴が有るのよね。
だから、誰のした物なのか相手の事が判ったていれば意外と簡単に判別出来る。
勿論、苛立ちの理由もね。
「──詠も遣る?」
「──なっ!?、ななな何を馬鹿な事言ってんのよ!
こんな人目が有る様な所で遣る訳無いでしょっ!
と言うか、折角なんだから最後まで頑張って真面目にしなさいよねっ!
さっきまでの感心していた気持ちが台無しよっ!」
「へぇ〜、詠でも感心してくれてたんだ〜♪」
「──っ!?」
ニヤッ…と、口角を上げて切り返せば詠の顔が一瞬で真っ赤に為った。
自分の失言に気付いたから何でしょうね。
うっかり、といった感じで詠が漏らした本音。
祐哉じゃないけど、此処に居る面々の内、当初の予定通りに退室していた明命と亞莎の二人以外は、劉備の変化を目の当たりにした。
だから、私を労う気持ちや感心する気持ちが有るのは可笑しな事ではない。
私が皆の達だったとしてもそう思うでしょうから。
だけど、本当の詠の失言は其方等の方ではない。
私に反論した二言目。
それを深読みしたならば、“人目が無ければ…”って詠自身が言ったも同然だと私を含め祭達数人は気付き揶揄う様な笑みを見せる。
勿論、実際には揶揄う事は絶対にしないけどね。
それを遣ると意地っ張りな詠が更に意固地に為るのは目に見えているもの。
だから、思わず垣間見えた本音は敢えて聞かなかった事にしてしまう。
その為の、私に対する方の言葉を掴まえて、意図的に意識を傾けさせた訳よ。
詠自身も自覚していないし意識されても何だしね。
この程度で誤魔化せるなら十分だったと言える。
「ね?、ね?、どうなの?
ねぇ、私ってば、偉い?
頑張ってた?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ、あーっ、もうっ!
頑張ってたわよっ!
あんな状況になるだなんて誰にも判らないし!
本当に…良く乗り切ったわ
貴女以外には、あの状況は対処出来無かったと思う…
だから、見直したわ」
半分自棄になりながらも、きちんと誉めてくれた。
そんな詠には悪いんだけど…ちょっと、照れる。
と言うか、あれよね。
私ってば、普段は詠からは叱られてばっかりだから、何て言うか…慣れてなくて擽ったくて仕方が無い。
「あ、うん…その…うん…
ありがとね、詠」
「──え、ええ…って!、其所で素で照れるなっ!
何でか此方まで恥ずかしくなってくるじゃないの!」
何やかんやで誤魔化せたし良いんだけど。
この恥ずかしさは…ね。
素直に嬉しさも有るから、複雑な心境だわ。
──side out
Extra side──
/小野寺
きゃあきゃあ、と。
雪蓮と詠を中心にして皆が騒いでいる見慣れた光景。
それだけで、安堵する。
変わらない日常が。
自分の居場所が。
確か此処に有るのだと。
自分は此処に居るのだと。
そう実感させてくれる。
(本当…よく無事に会談を終えられたよなぁ…)
詠ではないけど、俺自身もヤバいと思っていた。
あの唐突な劉備の変貌には打つ手が無かったし。
──否、そうではない。
“何も出来無かった”、が正しいだろう。
主導権を握る為に劉備達は会談を互いの主君同士での物に為る様に仕向けた。
それに此方は乗った。
雪蓮以外は誰も発言する事自体が許されてはいない。
そういう状況だった。
つまり、もしも雪蓮以外が反射的に発言をしていたら主導権は彼方に渡っていた事だろう。
そういう意味では詠達も、よく堪えたと思う。
思わず異を唱えたくなる。
そういう状況だったしな。
(彼処で逆らわずに懐へと斬り込めるのは雪蓮だから出来た事だよな…)
普通は、退いてしまう。
臆すか、或いは様子を見るという様な理由で。
馬鹿は強気に出て自滅する場面だろうけどな。
雪蓮の凄い所は、劉備からプレッシャーを感じつつも退かず焦らずで、冷静さを保ち続けていた事だ。
並大抵の精神力なら簡単に飲まれていただろう。
それ程に劉備の纏っていた雰囲気は危なかった。
まあ、その劉備の変貌には諸葛亮達ですら驚いていた訳だからな。
誰にも予想の出来ていない事だったのも確かだ。
こういう時、アドリブでの対応力が問われるからな。
そういう点で言えば雪蓮のアドリブ力は高い。
“勘”だけではない。
日々の積み重ねも加わって深みを増している。
それが活かされた訳だ。
(…取り敢えず、予定した最低限の形には出来たし…
一先ずは安心、かな…)
孫呉・劉蜀による対曹魏の協力・同盟の締結。
…まあ、何方等も勢力上の呼称でしかなく、正式には曹魏からの認可を受けずに国とは言えないけどな。
その辺りは面倒な所だ。
けど、理解は出来る。
もし、勝手に独立を叫んで国や王を自称する事を許し認めてしまっていたなら、“黄巾の乱”では黄巾党が国を興せただろう。
それが出来るだけの戦力と勢いは有ったのだから。
そうは出来無いからこそ、反乱軍・国賊という立場で討伐された訳だしな。
それを許さないからこそ、国は揺るがない。
…十分に揺らいでた?
いやいや、それは漢王朝が“死に体”だったから。
中身が腐りに腐ってたから脆かったというだけの話。
そうでなかったら、今でも漢王朝は存続していた筈。
多少の問題では揺るがない土台を持っていたんだから何も可笑しくはない。
内から腐る事が国として、組織として、社会として、人としても一番怖い事だと思い知らされるよ。
まあ、群雄割拠となった今曹魏が存在しなくなれば、国の成立は遣った者勝ちな事は否めないけどな。
宅としては、それを遣ろうという気は無い。
劉備達との協力・同盟でも曹魏と対立しようと考えて締結した訳ではない。
“一度は戦う”事が必要と感じているからだ。
その辺りの感覚は、平和な時代と社会に生まれ育った俺には判り難い物だけど。
全く理解が出来無いという訳ではない。
以前、春蘭も言っていた。
“一度で十分だ”と。
恐らく、曹魏に使者を出し謁見を願えば可能だろう。
この間、曹魏に行って来た雪蓮と華佗の話だと直ぐにというのは無理そうだけど可能性は無くはない。
政治的な意味が強い以上は無視はされない……筈。
ま、まあ、それは兎も角。
一見して必要無さそうだが実は必要不可欠だ。
“原作”での曹操の在り方自体がそうだったんだけど“戦う事によって、意志と覚悟を示す”訳だ。
綺麗事だけでは国は成らず政治も社会も経済も回りはしないのだから。
その“穢れ”を背負う事。
それを示す為に。
“志刃”を手にし対峙しなくてはならない。
口先だけではない事を。
己の命を以て臨み、示す。
その為の戦いが。
(…避けては通れないし、通るつもりも無いけど…
大変なのは確かだよな…)
曹魏と戦うという事。
それ自体を考えれば自らの敵対行為と言える。
だから、普通はしない。
そんな立場を悪くする様な不利に為る真似は。
だからこそ、意味が有る。
リスクを冒してでも自らが行動して示す事に。
その過程で、孫家と臣民が一層強く結び付くのなら、十分な利は有るのだし。
まあ、滅亡さえしなければ宅としては曹魏の支配下に入っても構わないしな。
どうしても孫家が、雪蓮が王でなくては為らないとは雪蓮自身も思っていない。
孫呉の民の平穏こそが第一なんだからな。
それはそれとして、だ。
会談中から気になっていた事が一つだけ有る。
劉備の変貌に喰われる形で薄れてはしまったが。
ある意味、劉備の変貌より奇妙だと思える事が。
「…難しい顔だな」
「協力・同盟の締結の件は私から見ても上手く行ったと思いますよ?
此方が予定していた最低限入れたかった三つの条件は了承させられたのですし、他の二つの条件も此方には不利ではないですからね」
「考え過ぎでは?
…まあ、気にする気持ちは判りますけど…」
呆れた様な表情の康拳が、相変わらず胡散臭い笑顔を浮かべている丐志が、最近胃が痛そうな様子を見せる苦笑している紳が。
俺に話し掛けてきた。
今、此処に居る顔触れでは俺達四人だけが男だから、自然と固まってしまうのも仕方が無いと思う。
だって、女性上位だし。
いや、別に“女尊男卑”とまでは行かないけどね。
飽く迄、一部での話だし。
…まあ、何処の御家庭でも女性の方が最終的に権力を握るのは似ているけどさ。
──と、そうじゃなくて。
「いや、それは気にしては無いんだけどな…
別に気にならない訳じゃあないんだけど、条件として特に問題は無いからな
其方は大丈夫だと思う」
嘘は言ってない。
あの五つの条件は飽く迄も此方が応じる為の物だ。
だから、劉備達からは特に条件は出されていない。
当然だけどな。
「なら、何が気になる?
正直、お前が“気になる”という事は笑えん」
「実績も有りますしね」
そう言いながら然り気無く丐志が視線を向けた先には俺に注目している雪蓮達の姿が有った。
…何時から見られていたか気になるんだけど。
まあ、聞かない方が身の為なんだろうな。




