玖
“根なし草”と言われて、劉備は視線を落とした。
別に、それ自体が悪い事、という訳ではない。
特に珍しい事でもない。
こういう時代だからな。
そういう生き方を選んだ。
そうせざるを得なかった。
そんな者は少なくない。
劉備達も、そんな多数居る中の数名に過ぎない。
だが、劉備は違う。
劉備は言動の矛盾が有り、民を犠牲としている。
食い物にしている。
それは決して赦せない。
覚悟を持ち贖罪を背負って遣っているならまだしも、民を“欺いて”利用する。
その遣り方に好感を持てる様な者は宅には居ない。
「貴女は“民の為に”って言っていたけど…
本当にそうなのかしら?
故郷を護る訳でもないし、自分が何処かに仕えていて領地の民を護る訳でもなく義勇軍を立ち上げた…
戦功を上げ、名を広めて、自らが伸し上がる為に兵を率いていた…
その何処に“護るべき民”なんて居たのかしら?
貴女は民を騙し、欺いて、その命を自分の私欲の為に使い潰してきただけよね?
だって、その証拠に貴女は平原の民を切り捨てた
自分の為に、捨てたのよ」
「…っ……」
歯を食い縛るのが判る。
しかし、言い訳の出来無い程に正しいが故に、劉備は何も言い返せない。
言い返す資格すら無い。
それを自覚出来ただけでも増しかもしれないな。
…まあ、だからと言って、雪蓮は止めないけどな。
畳み掛ける様に雪蓮は俯き黙ったままの劉備を見詰め笑顔を浮かべている。
笑顔は威嚇だ、と言うけど本当だなって思う。
俯いていても鈍くないなら雪蓮の視線へと込められた憤怒を感じている筈だ。
…劉備だと微妙だけどね。
「劉備、貴女は曹魏と戦う事を望んでいる様だけど、気付いているのかしら?
民はね、戦争なんて物騒で無意味な事は誰も望まない
望む訳が無いのよ
どうしてだか判る?
戦争で犠牲になるのは常に力の無い民(自分達)だって判っているからよ」
そう、戦争の──戦事での犠牲は常に徴兵されている民が筆頭に挙げられる。
主君や将師、部隊長格より最前線に立たされる兵こそ戦争の最大の犠牲者。
それも一人二人という様な数ではない。
何百、何千、何万という、夥しい数の命が、だ。
そして彼等は皆、領民から徴兵されている。
賊徒や罪人等が贖罪として投入される訳ではない。
平凡な、家族と共に笑い、日々を一生懸命生きている何の罪も無い人々だ。
そんな人々が、一部の者の意思により命を道具の様に使い捨てられる。
それが、戦争という物だ。
故に、民が戦争を望む事は基本的には有り得ない。
有るとすれば、餓死するか戦死するかの選択を迫られ侵略を望んだ時。
或いは、侵略を受け防衛の為に戦う時だろう。
それ以外では、報復行為が考えられるが…現実的には可能性は低いだろう。
閉鎖的で排他的で結束して生きている一族の様な人々以外には難しいから。
歯に衣着せぬ雪蓮の言葉に劉備だけでなく諸葛亮達も自然と俯いていた。
油断して視線を向ける様な真似はしないけどな。
それも当然の事だろう。
劉備の理想を、思想を。
肯定(支持)するという事は結局は同じなのだから。
“劉備が望むから”という理由は通用しない。
理想は免罪符ではない。
完璧な正義など存在せず、戦争に正しさなど無い。
「貴女は自分達こそが今の世の中の多くの民の平穏な日常を脅かしている最大の害悪だって判ってる?
曹魏の民も、孫呉の民も、益州の民だってそうよ
誰も戦争なんて望まない
民は知っているのよ
漢王朝時代の末期から今の群雄割拠へと到るまでに、何れだけの民が犠牲となり血が流れ、命が散ったか…
それを引き起こした者達が結局何もしてくれなかったという事を…
益州の民が貴女を受け入れ支持する理由は何?
貴女が大陸を統一し、支配出来るから?
そうではないでしょ?
民は疲れたのよ
権力者達の下らない争いで犠牲になる世の中に…
だから、既存の権力者より“新参者”の貴女を選び、期待したのよ
もう、戦争なんて起きず、民が犠牲になる事の無い
そんな新しい時代にね」
まるで、劉備達に諭す様に語り掛けている雪蓮。
その姿は武勇により世間で“小覇王”と呼ばれている彼女の姿とは違う。
本物の主君としての姿だ。
(…不味いな、ちょっと、今のは泣きそうになる…)
雪蓮の言っている事は勿論間違ってはいない。
だけど、それ以上に雪蓮が大きく成ってる事に。
目頭が熱くなってしまう。
現にほら、祭さんの背中が小さく震えてるし。
決して、笑いを堪えているという訳じゃあない。
“立派に成って…”という心境からだろう。
俺も、そんな感じだもん。
本気で民の事を考えている事には何一つ疑う所なんて無いんだけどさ。
“闘ってみたいから”とか身勝手な理由で戦争しようとしていた、あの自由奔放だった雪蓮が“原作”では考えられない成長をして、目の前に居るんだもん。
感動の一つもするって。
勿論、気取られない様に、抑え込んでるけど。
感慨深い事なんだよ。
そんな俺達の事には雪蓮は全く気付いていない。
だが、そうでなくては。
他の事に気を取られている様では説得力に欠ける。
雪蓮自らが示さなくては。
劉備と同じ、口先だけの、最低な輩に為ってしまう。
「自分達こそが害悪…
もし、その事実が自分達にとっては都合が悪いからと眼を逸らし、口を閉ざし、気付かない振りをしているというのであれば──」
雪蓮が間を置いた。
同時に、視線に込めていた怒気を消した。
劉備からはプレッシャーが消えた様に感じるだろう。
だから、反射的に、劉備は顔を上げてしまった。
そして、雪蓮と目が合う。
笑顔を消し、本気で雪蓮が言葉(刃)を突き付ける。
「私は貴女を赦さないわ」
端から見ているだけでも。
直接視線を向けてはいない俺でさえも。
背中に冷たい汗が流れる。
それ程に強い殺気を込めて雪蓮は劉備を見据える。
今の自身の言葉が、決してその場凌ぎの脅しの類いや試した物ではない、と。
はっきりと示している。
劉備は視線を外せない。
外してしまえば自ら認め、雪蓮の言った様に不都合な事実から目を逸らすという事に為るのだから。
劉備は真っ向から受け止め選択しなくてはならない。
そういう状況を作ったのは雪蓮という訳ではない。
他ならぬ劉備達自身だ。
逃げ場を無くし、徹底的に追い詰めるという遣り方は雪蓮の、だけどね。
本当、自業自得だよな。
「貴女よりも、私よりも、曹操こそが民に真の平穏を与えられるでしょうね
…個人的には悔しいと思う気持ちも有るけれど、真に民の事を考えるのであれば私は喜んで曹操に跪けるわ
私は貴女とは違うもの
民の為に、自分の下らない自尊心なんて容易く捨てる事が出来るわ」
「──っ…」
…本当に容赦無いな。
まあ、劉備に同情する気は微塵も無いんだけどさ。
これで曹魏と戦う気持ちが折れてくれると俺達的には万々歳なんだけどな。
誰が好き好んで恩人に対し刃を向けたいのか。
是非とも御教え願いたい。
「本気で貴女の懐く理想を実現したいと思うのなら、貴女達が自害しなさい
それが理想を実現する上で最も民を犠牲としない方法でしょうからね
と言うか、それ以外なんて無いと思うわよ?
もし、そんな方法が本当に有るなら私が訊きたいわ」
うん、御尤も。
実際問題、劉備達が死ねば世界──と言うのは規模が大き過ぎるんだけど。
旧・漢王朝の領地の範囲は平穏になるだろうな。
曹魏に他に侵攻する意思が見られない以上、此方から仕掛けなければ戦争にまで発展する可能性は限り無く無いに等しいと思う。
話し合いをすれば平和的に貿易関係を築いたりとかも出来るだろうからな。
…ん?、あれ?、これってもしかして、今この場で、劉備達を始末した方が民の為に為るんじゃない?
しかも、宅としても曹魏と良好な関係を築いてく上で良い手土産になるよね?
………よし、殺るか?
「…っ…そう、ですね…」
──と、思っていた時だ。
劉備が口を開いた。
思わず、視線を逸らしたい衝動に駆られる殺気を受け逃げずに居られる精神力は大した物だと思う。
その上、声を出したんだ。
やはり、劉備も群雄割拠の時代に選ばれている申し子なんだな。
…けど、あれだよな。
史実や物語の劉備が如何に“脚色”されているのかが実物を目の前にしていると理解出来る。
“歴史”って、権力者達に都合が良い様に改竄された“偽典”なんだって事を、改めて思い知らされる。
真実は歴史の中。
そういう事なんだってな。
雪蓮を見詰めながら劉備は唇を開き──掛けたが止め一度、噛み締めた。
劉備は自分の言葉が如何に“軽い”物なのか。
漸く、理解したのだろう。
だから、考えている。
自分が今、真に口にすべき事は何なのか、を。
1分…3分……10分。
はっきりとは判らない。
飽く迄も、俺の感覚では、という感じなだけだ。
雪蓮と劉備が見合ったまま静寂の中、ただ時間だけが過ぎて行った。
もしも時計が有ったなら、秒針が時を刻む音を聞いて場の雰囲気は1秒経つ毎に緊張感が増していたのかもしれないな。
此方が優位である筈なのに妙に緊張感が高いしな。
…胃が痛くなりそうだ。
そんな中、劉備から小さく息を吸う音が聞こえた。
覚悟を決めたのだろう。
静かに劉備が口を開く。
「…私は…私は曹操さんに勝ちたいから戦います
それが私の身勝手な理由と判っていても、私は止まる事は出来ません
それが、私の全てだから」
「本当に身勝手な理由ね」
呆れた様に言う雪蓮。
別に揚げ足を取ろうという気は無いんだろうな。
純粋に劉備の言葉を聞いて思った感想だと思う。
と言うか、そんな事をする意味が今は無いしな。
それを劉備も判っているのだろうな。
気にする様子は無い。
そのまま話し続ける。
「その上で民を犠牲とする事は否定しません
そして──厭いません
何れだけの民が犠牲となり死んで逝ったとしても…
私が勝てば、犠牲の全てが価値と意味を持ちます
だから、構いません
だから、気にしません
私の理想の為に
私の築く未来の為に
彼等には、尊い犠牲(礎)と為って貰います」
『────っ!!!!!!!!!!』
そう、はっきりと言った。
俺達だけではない。
家臣である諸葛亮達も驚き息を飲んでしまう。
それ程の衝撃発言。
何処ぞの政治家の失言とはレベルが違う。
文字通り、世を震撼させる一言だと言える。
「…貴女、狂ってるわね」
「そうかもしれません」
流石に雪蓮も劉備の発言は予想外だったのか。
声音に動揺が滲む。
勿論、劉備達が気付くとは思えないが。
正直、そんな事は今はもうどうでもいい。
これは完全に異常事態だ。
“藪をつついて蛇を出す”なんて生易しい物じゃない事は確かだろう。
(…開き直ったって言えるレベルじゃないっての…)
今も変わらず劉備達の事は直視しない様にしている。
それなのに、だ。
こうして劉備の姿を視界に入れているだけで、寒気と吐き気が押し寄せる。
だが、動けない。
今現在、此処に居る全員が劉備(蛇)に睨まれている。
そう例えるのが、今は一番しっくりくるだろう。
あの、お人好しで温厚さが最大の売りだった癒し系の劉備は其処には居ない。
吹っ切れた様に微笑む。
何かが壊れた様な不気味な雰囲気を纏った狂人。
それが、今の劉備だ。
(…曹魏に行って戻ったら雪蓮の雰囲気が変わってた事は記憶に新しいけど…
…劉備も、そうなのか?)
“化けた”、と言うのか。
雪蓮に真っ向からの言葉で追い詰められた劉備。
元々、武力の無い人間だし武力に屈しても、本当には堪えないのだろう。
だから、今、此処でだ。
曹操への対抗心が限界突破してしまったのか。
或いは、“キレた”のか。
詳しい事は判らない。
ただ、一つだけ言える。
恐らく、流れは変わった。
この会談は振り出しに──いや、そうじゃない。
俺達が劣勢に為った。
そう言えるだろう。
──side out。




