肆
そんな心配──と言うか、覚悟を無視するかの様に、孫策は“じゃ、二人の事は拾って来た貴男に任せるわ
好きにして頂戴”と言って祐哉に丸投げした。
当事者であった俺達でさえ“……は?”と思わず声を漏らしてしまった位だ。
寧ろ、その反応の方が俺は正しいだろうと思った。
そんな状況で、当の祐哉は“んー…それじゃあ、俺の側近って事で良いかな?”なんて言う始末だ。
だからつい、声が出た。
“助けて貰った身の俺達がこう言うのも何なんだが、お前等馬鹿なのか?”と。
いやな、普通に考えても、可笑しいだろ。
幾ら、身元不明・記憶喪失だって言っても“自称”の域を出ないだろうが。
そんな怪しい連中を懐へと抱え込む事自体可笑しい。
それなのに側近だ?
絶対に此奴馬鹿だろ。
そう思うのが普通だ。
だから、俺は正しい筈だ。
まあ、結局は“そんな事を態々言う刺客は居ないわよ
潜り込むにしても、普通は目立つ事は避けるしね”と正論を返された。
それに反論出来無い時点で決定を覆せなくなったのは言うまでもない。
…別に、俺達の扱いが悪い訳でも無いし、断る理由も特には無かったからな。
ただ、“それなら折角だし近衛隊でも作っちゃう?”なんて事を孫策が言い出し彼や是やと言っている間に俺達は出世していった。
“…何なんだ、此奴等は”というのが、その時の俺の正直な感想だ。
その際、俺達の真名と字の事も議題に上がった。
記憶が無い、とは言っても姓名と年齢は覚えていた。
まあ、記憶喪失という物がどんな物なのか経験が有るという訳ではない。
だから、そういった物だと思うしか無かった訳だが。
“無ければ無いで不便だし貴男達さえ良ければ私達が考えるわよ?、勿論記憶が戻った場合には本来の物に戻してくれたら良いから”とか言われて押し切られて真名と字を貰った。
正直、思い出せそうな気が全くしていなかったから、どの道考える必要は有った訳なんだがな。
…本当にお節介な連中だ。
俺達の真名は祐哉が考え、字は孫策が考えた物だ。
各々の意味等を訊いたりはしていないがな。
孫策の“ねえ?、理由とか訊きたいわよね?、ね?、訊きたいでしょ?”という態度等が鬱陶しかったのも訊いていない理由の一つ。
…于吉は俺を揶揄いながら訊くのかと思っていたが、彼奴にしては珍しい事に、巫山戯たりはしなかった。
…それが逆に不気味だった訳なんだがな。
そんな訳で、俺達は祐哉の近衛隊となった訳だ。
俺達の意の介さないままに決まった処遇だが…まあ、悪くはないな。
給金も仕事に見有っただけ貰えているし、隊の連中も真面目過ぎず、馬鹿過ぎず程好く気安い。
…何故か妙に“懐かしい”感じがするしな。
もしかしたら、以前の俺はそういった環境下に居たのかもしれない。
于吉の奴はそういう感覚は特に無いみたいだが。
…俺と于吉の関係も失った過去と共に謎だ。
祐哉に肩を貸し謁見の間を目指して歩く。
出来る限り早く済ませたい状況ではあるが、その為に祐哉に負担を強いるという事は本末転倒だろう。
俺達にとっては隊長であり要警護対象なんだからな。
「時に、祐哉殿は現状ではどの様に御考えですか?」
「んー…こんなだからな
河川の氾濫や土砂崩れとか直接的な被害だけでも結構大きいとは思う
ただ、それと同じ位に二次被害も少なくはないかな…
農作物等の被害だったり、家屋の倒壊だとかさ
皆も其処は考えるんだとは思うんだけど…
やっぱりさ、民からしたら普段の生活に支障の出易い部分の方が困るし優先して貰いたいって思うんだよ
だから出来れば早め早めに手を打って置きたいかな
はっきり言って自然災害は後手後手だからなぁ…
先に手を打つ、というのが本当に難しい問題だし…」
「…成る程、確かに…
祐哉殿の言う通りですね」
然り気無く于吉に訊かれた質問に対し、大して時間を掛ける事無く祐哉は自分の考えを口にする。
まあ、言った本人は如何に考えが民の事に及んでいる物だとしても、解決策まで達してはいないから意味が無さそうにしているが。
実際は、そうではない。
その考えには本職ではない俺でも素直に感心する。
俺自身、こういう状況では河川の氾濫と土砂崩れへの対応を第一に考える。
それは被害が一番大きく、後々も大きな影響を及ぼす可能性が高いからだ。
だから、農作物の事だとか家屋の被害なんかは大体が後回しになるし、その都度対処するという傾向が強く為ってしまい勝ちだ。
だが、祐哉が考える最優先事項は民の生活だ。
其処が、普通の官吏等とは大きく異なる点だ。
どうしても官吏等は領地や勢力の事を優先してしまう考え方をするからな。
勿論、それらが悪いという訳ではない。
民も、その恩恵が有るから生活が安定するのだから。
だから、間違いではない。
ただ、民の不安や危機感は確実に存在している。
祐哉は其処に気付ける。
軍師陣が揃って“祐哉には具体的な内容は求めないが私達とは違う視点の意図や意見には感心させられる”と言っているのも頷ける。
普段は活躍の場は少ないが有事の際の“閃き”とでも言うべきなのか。
それが優れているのだと、直に目にしてみて判る。
これも稀有な才能だな。
しかし、この祐哉なんだが此奴は変わっている。
武人としては俺より弱いが孫策達を相手に鍛練を行い努力をしている。
頭抜けてはいないが決して弱くもない。
また命の恩人でもあるが、その事を持ち出し、俺達の事を無理矢理に従わせようともしない。
と言うか、其処には殆んど触れないな。
記憶に関してもだ。
その辺りは孫家の連中には共通して言える事だが。
果たして、懐が深いのか、警戒心が緩いのか。
よく判らない奴等だ。
…だがまあ、こんな生活も悪くはないがな。
──side out。
于吉side──
(──はっ!?、左慈っ!?
今、デレましたね?)
左慈の醸し出す雰囲気の、微妙な変化を察知する。
勿論、左慈を凝視したりは絶対にしません。
左慈は武人としては結構な腕前ですからね。
誰かに視線を向けられると直ぐに気付きますから。
それはもう、あれです。
“貴男は年頃のうら若きに恥じらう乙女ですか?”と言いたくなる位に視線には敏感ですからね。
…まあ、それ位でなければ生きてはいけない状況下に以前の私達は有ったのかもしれませんけれど。
今は判りませんからね。
そんな事は兎も角。
左慈がデレました。
あ、因みに“デレる”とか“ツンデレ”という言葉と意味は此方に来てから私も知った言葉ですよ。
どうやら、祐哉殿の発言が切っ掛けで広まり定着した言葉だそうですが。
正直、左慈を表現するのにこれ程までに適した表現が世の中に有るとは思ってもみませんでした。
ええ、それだけで祐哉殿に私は忠誠を誓えますよ。
…あ、ですが、一つだけ。
如何に祐哉殿であっても、左慈は譲れませんから。
左慈は渡しませんからね。
尤も、祐哉殿には孫策様達奥様方が居られますから、その心配は無いと思ってはいますけど。
左慈は魅力的ですからね。
“腐女子(我が同志)”達の製作している“薄い本”の一部の様に祐哉殿と左慈の組み合わせが、実現しないという保証も有りません。
可能性は、有りますから。
──ああ、因みに。
中には、私と祐哉殿という組み合わせの物だったり、祐哉殿・左慈・私の三人、更には紳殿を加えた物とか色々と有りますね。
私は左慈一筋ですからね。
まあ、作品としては楽しむ事が出来ますけど。
…私が“受け”が多いのは何ででしょうかね。
左慈も同じなんですが。
それは置いておいて。
左慈の気持ちも判ります。
本来なら私達は路頭に迷う所でしたからね。
何処かに仕官しようにも、記憶喪失というのは証明が出来ませんから。
怪しまれて、断られるのが目に見えていましたし。
運良く採用されたとしても使い捨てられるか、後々に裏切り者・厄介者扱いされ排除される可能性が高いと言えましたからね。
今の状況は僥幸です。
どれだけ恩を返せるのかは判りませんが。
私自身に遣れるだけの事を遣らせて頂きます。
──あ、でも、私の身体は許しませんから。
私は左慈の物ですから。
──side out
Extra side──
/小野寺
康拳に支えられ、どうにか謁見の間に辿り着いた。
一人では正面に歩く事すら出来無い俺を見て、直ぐに事情を察した詠が雪蓮達を睨み付けた。
スッ…と即座に視線を外す雪蓮達(加害者)だったが、詠(捜査官)の培われた目を誤魔化す事は出来無いまま説教(お縄)と為った。
…ちょっとだけ、雪蓮達に“自業自得だからな”って仕返しが出来た気がして、スッキリしたのは内緒だ。
あと、俺を心配してくれる詠の姿にドキが胸々した。
…いや、胸がドキドキだ。
まあ、態々言い直す事でもないんだけどな。
誰が、男の胸ドキシーンを見て喜ぶというのか。
…ああ、腐女子達(彼女等)が居たんだな。
時代も世界も超えてまでも存在しているとは。
“腐力”…恐るべし。
「…ったく…まあいいわ
それよりも、今は遣るべき事を遣りましょう」
「…詠が怒ったのに〜…」
雪蓮達への説教を終わらせ詠が話し合いを始めようと切り替える様に言ったら、ポソッ…と雪蓮が呟く。
今、謁見の間は普段よりも静まり返っている訳で。
普段なら聞こえないままで気付かれもしない呟きも、当然の様に聞こえる訳で。
そんな状況で、普段通りに迂闊に振る舞ってしまった愚者(勇者)が居た訳で。
ビキキッ!!、と今にも頭の血管が切れてしまいそうな幻聴が聞こえてきそうな、そんな怒りを露にした詠がくっきりと、蟀谷に青筋を浮かび上がらせて雪蓮へと向かって歩み寄る。
その瞬間に、雪蓮以外は皆“居ない者(空気)”と化し一切の干渉を止めた。
勿論、俺や康拳達もだ。
「ちょっと来なさい」
「──ひぃっ!?、ちょっ!?
は、話し合いましょっ?!
ね、詠、そうしましょ?
私、話せば判ると思うの」
「ええ、ええ、そうですね
奇遇ですね、“孫策様”
私も貴女と心“逝く”までじっくりと話し合いたいと思いましたから」
「…あ、あれ?、ねえ?
今、貴女の言葉って語感が変じゃなかった?
心“行く”までよね?」
「ええ、“逝く”までです
さあ、時間が惜しいです
──さっさと始めるわよ」
「ゆ、赦し──」
その先を知る者は居ない。
何故なら、その場に我々は存在しなかったのだから。
「…グスンッ…ヒックッ…
…ススンッ……グズッ…」
泣きじゃくる雪蓮。
だが、誰も声を掛ける様な迂闊な真似はしない。
下手をすれば、詠の神経を逆撫でして雪蓮の二の舞に為ってしまうから。
だから、可哀想ではあるが自爆したのは雪蓮である。
故に、余計な事はしない。
問題は詠の方だ。
今もまだ不機嫌さを纏った“私に触れれば殺す”的な威圧感は凄まじい。
はっきり言ってしまうと、今直ぐにでも謁見の間から出て行きたい。
と言うか、出して下さい。
お願いしますから。
土下座で済むなら幾らでも遣りますから。
──という位に、ヤバイ。
しかし、魔王からは逃げる事は出来無い的な状況。
そんな魔王(詠)に向かって俺は挑まなくてはならない状況に為っていた。
嗚呼、神よ!、どうか我が言葉(思い)が彼女の心へと届きます様に。
「…ごほんっ…あー…詠?
この大雨の事なんだけど、宅としては、どうしようと思ってるんだ?」
雪蓮の事は放置で満場一致しているのだが、詠の事は皆が“祐哉、行け”と目で訴えてきた。
その為、覚悟を決めて俺は詠に話し掛けた訳だ。
失敗したら一蓮托生だから覚悟してろよ。
「まあ、その事を話す為に集まってるんだからね…」
そう言うと詠は大きく息を吐いて内に溜め込んでいた怒気を消して行く。
それを見て、詠の視界には入らない角度に居る面々が小さくガッツポーズをして喜んでいた。
その気持ちはよく判る。
ただ、そんな皆の姿を一人恨めしそうに見詰めている雪蓮(怨霊)が居るのだが。
気付いてますか?
…まあ、今だけは言わない様にしておこうか。




