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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
663/915

       参


──六月二十五日。


ザアァァ…と、シャワーを出している様な勢いで降る雨の音が、周囲の音を食み飲み込んでゆく。

宛ら、滝に飲まれ、水底に引き摺り込まれ沈んで行くかの様に感じてしまう。

…少々大袈裟だな。


昨夜から降り始めた雨。

“朝には止みそうだな”と思わせる様に、寝る頃には小降りに為っていたのに。

実際には、これである。

まるで閉め忘れた蛇口から水が溢れ出す音で目覚めた時の様な気分になった。

…いや、そんな事は遣った記憶は無いんだけどね。

冬場の凍って出なくなった蛇口を触って閉め忘れて、それが溶けて知らない内に大洪水に──っていう話は聞いた事があるけどさ。

あ、それは学校で起こった事らしいんだけど。

何でも土曜日に遣ってて、日曜日は誰も居なくて。

で、月曜日になって発覚。

開いていた蛇口は一つだけだったらしいんだけど。

その階の床と、下の天井が駄目になったんだって。

本当、水の力って凄いな。


それは兎も角として。

此処最近──特に独立後で考えてみても一番の雨量と思える程だったりする。

幸い、というべきか。

風や雷は無さそうだ。

だが、楽観視は出来無い。

“彼方”の現代社会よりも治水の技術力は低い。

一度、河川が氾濫したならその被害は下手をすれば、数年間にも及ぶだろう。

小さな戦乱よりも質が悪く厄介だと言える。

だからこそ、気にならない訳が無かった。

なので、自室を出ると皆が居ると思われる謁見の間を目指して向かう。



「…くぉおぉ…ぐぬぁぅ…

…ふぉぅぅ…はぐぅぉ…」



自然と口から溢れる奇声。

別に巫山戯てはいないし、遊んでもいない。

…あと、踏ん張っていたりする訳でもない。

その答えは“昨日の今日”だという事だ。

つまりは、久々の筋肉痛に苦悶しながら歩いている、という事だったりする。

…うん、祭さん、ちゃんと手加減して下さい。

もう手遅れだけどね!

次に、ああいう事が有れば絶対に祭さん達に頼むのは止めよう。

そう俺は心に固く誓う。



「…何遣ってんだ?」


「こらこら、駄目ですよ?

折角愉しんで居られる所を邪魔をしては…

こういう時には、見て見ぬ振りをするというのが世の中の“暗黙の了解”という物ですからね」


「愉しんでないって!

と言うか、そんな怪し気な暗黙の了解を持ってる奴は居ない──って、言えない所が尚更に腹が立つな!

──ほぉぬぅぐぅぁっ!?」



筋肉痛に苦しむ俺を見て、眉根を顰める一人の青年と俺をネタに青年を揶揄って遊ぼうとする、抜け目無くブレも無い眼鏡の青年。

思わず、ツッコミを返した事によって、無駄に身体に力が入った為、不意打ちで筋肉痛が襲って来た。

醜態を晒す無様な俺を見て大爆笑する姿を幻視する。

…クソッ…覚えていろよ、この筋肉痛め。

治ったら二度と来ない様に鍛練を再開してやる。




筋肉痛に、身体を小刻みに震わせる俺を見て納得したみたいで、小さく溜め息を吐いた青年。



「何だ、筋肉痛か…

まあ、此奴みたいな変態に為ってなくて良かったが…

情けない姿だな、おい」



くっ…言い返す言葉が無い訳ではないが何を言っても言い訳にしかならない。

そう思うと言われた言葉を受け止めるしかなかった。

…反論はしないけどな。



「おやおや、貴男にしては珍しいですね、左慈

まさか、筋肉痛の祐哉殿を心配をするだなんて」


「おい、表に出ろ、于吉

引導を渡してやる」


「嫌ですよ、こんな大雨の日に表に出るだなんて…

ああでも、閨の中でしたら喜んで濡れる事も構わず、“突き”合いますよ」


「…気の所為か、今の──いや、何でもない

おい、立てるか?」



…今、何が気になったのか俺にも察しが付いた。

俺も“付き合う”ではない様な気がしたからな。

と言うか、此奴の性格だと何故だか其方の意味にしか聞こえなくなるんだよな。



「ああ…悪いな、康拳」


「ふん、そんな所に無様に転がっていられては臣民に示しが付かないからな」



お礼を言いながら、俺へと差し出された右手を掴んでゆっくりと立ち上がる。


康拳(こうけん)は真名で、姓名は左慈、字は元放。

二十二歳と俺とも近いので互いに気楽に出来る相手の一人だったりする。

口は乱暴ではあるが意外と気遣いの出来る奴。

俗に言う、ツンデレだ。

…まあ、後ろに立って居る変態(悪友)に対してだけはツンドラだけどな。

それでも身を案じる辺り、やっぱりツンデレなんだと思ってしまうが。

それは決して言わない。

照れ隠しで殺され掛けたくないからな。



「男同士の友情ですか…

良い物ですよね…

其処でどうですか、左慈?

私とも真名を交換──」


「誰がするか」


「──はぁ…やれやれ…

連れないですね〜」


「本当、お前は全くブレる気配が無いな、丐志」



堂々と、危険な発言をする眼鏡を掛けた青年。

彼の真名は丐志(かいし)、姓名は于吉、字は公需。

俺達より歳上で二十四歳。

ただ、身長は三人の中では一番低いし、細身の体型と中性的な顔立ちをしている事も有り歳下に見られても可笑しくはない。

ただ、彼は康拳に一途だ。

まあ、そのお陰で俺達には変な事はしないが。

康拳の尊い犠牲に、俺達は心から感謝している。


二人に出逢ったのは俺達が反董卓連合から離脱して、自領へと戻っていた時。

行き倒れになっていた所を巡回に出ていた俺と春蘭が見付けて、保護した。

今は宅で、康拳は武官を、丐志は文官をしている。

形式上は俺の部隊の副官の扱いにもなっているので、何だかんだで二人が一緒に居る機会は少なくない。

…まあ、もしかしなくても計算の上なんだろうけど。

誰のとは言わないが。

一途って、凄いよな。



──side out。



 左慈side──


普段であれば、部隊の朝の調練を行っている時間。

だが、今日は生憎と大雨。

寧ろ、悠長に部隊の調練をしている場合ではない。

河川の氾濫や土砂崩れ等の災害に備えて直ぐに動ける様に準備し、待機しておく事が優先される。

──訳なんだが、自分達の部隊は近衛隊に近い。

主である孫策の、ではなく夫──未婚だが事実上のだ──である小野寺祐哉の、近衛隊だったりする。

まあ、個人的な事を言えば女の下に付くよりは増しと思っていた。

…最初は、だからな。

今は考えを改めた。

何しろ、此処には俺よりも強い女が複数居るからな。

下手な事も言わない。

俺も命は惜しいからな。


それは兎も角としてだ。

この近衛隊は基本的に隊の頭でもある祐哉の指示にて行動する事になっている。

つまり、災害対策や救助に動こうにも祐哉から指示が来なければ、大前提として活動が出来無い訳だ。

勿論、当主である孫策や、重臣達からの指示が有れば話は別ではあるが。


そんな訳で、今頃は主要な面々が集まって大雨関連の会議をしている事だろう。

そう思いながら、近衛隊の頭である祐哉の執務室にて待っている事にし、于吉と二人で向かっていた。

…此奴と二人きりと言うと面倒なので絶対に言ったりしないがな。


そんな中での事だった。

廊下の隅、まるで壁に張り付いているかの様に体勢の何やら奇妙な動きをしつつ奇声を上げている可笑しな奴が居るのを見付けた。

正直に言えば、無視したい衝動に駆られた。

だが、そうも出来無い。

今の自分達は孫家に仕える官吏という立場だ。

城内で不審者を見付ければ対処するのが当然の事。

故に溜め息を吐きながらも近付く事にした。

“面倒臭ぇな…”と思うが仕事だと自分に言い聞かせ不審者の様子を見てみれば──祐哉だった。


呆れながらも、確認の為にこんな所で何を遣っているのかを訊ねてみた。

それは、于吉の奴が余計な事を言った為、有耶無耶になってしまったが。

まあ、そのお陰で、一応は祐哉の可笑しな理由を知る事は出来たがな。

ったく…高が筋肉痛程度で情けな──くはないか。


ふと脳裏に浮かび上がった一場面は、昨日の朝の事。

妙に遣る気を出していた、孫家の武人の主力達。

その姿だった。


それさえ判ってしまえば、祐哉の身に何が起きたのか推測する事は容易い。

頭を使う事は苦手な俺でも理解出来る事だからな。

正直、今の祐哉には同情を禁じ得ない。

…確か、病み上がりだった筈だからな。

と言うか、無茶苦茶だな。

これだから女の考えている事は判らない。

…まあ、男でも、一体何を考えているのかが判らない奴も此処には居るがな。




助け起こした祐哉の左腕を持ち上げて、自分の右肩を差し込む形で身体を支え、歩けるかを確認する。

俺が背負ってしまった方が手っ取り早くは有るのだが諸事情が有り、避ける。

本当ならば、こういう形で身体を密着させる行為自体避けたいのだが。

…今回は仕方が無い。


因みに、その諸事情とは、祐哉から聞いた城内に居る“腐女子”なる連中の存在だったりする。

話を聞いた時、“其奴等、頭が可笑しいだろっ!?”と思わず叫んだのは、記憶に新しかったりする。

だが、そんな連中に対して理解を示す輩が俺の傍には居たりした訳で。

…本当に頭の痛い話だ。


それは忘れるとして。

祐哉に行き先を訊ねる。



「で?、何処に行くんだ?

方向からして執務室じゃあねぇんだろ?」


「ああ、謁見の間にな…

この雨だ、どういう影響が出るか判らないしな

皆が話し合ってる筈だとは思うんだけどさ…」



その辺りは俺達と同じ様に考えていたらしい。

ただ、筋肉痛で思った様に動けない為、謁見の間まで未だに辿り着けないまま、こんな所で苦闘していた。

そういう事らしい。


基本的には馬鹿女共が悪い訳なんだが、その主犯格は自分の妻なんだろうが。

其処は男として、夫としてガツンッ!、と言って止めさせればいいだろうに。

…まあ、それが出来てたらこんな風には為ってないんだろうがな。



「…まあ、手前ぇの責任が全く無ぇとは言わねぇよ

けど、主因は馬鹿女共だ

文句を言われる筋合いは、無ぇだろうが…」


「そうなんだけどなぁ…

その正論が通じない人達が相手だったからなぁ…」


「……悪かったな…」


「いや、有り難いよ」



別に責めるつもりはないし励まそうとも思わない。

ただ、“正論が通じない”という部分に関して俺にも思い当たる所が有った。

その為、納得してしまって謝ってしまった。




思えば、此奴は──祐哉は変わった奴だと思う。

于吉の様な意味ではない。

官吏──権力を持っている身分の高い人物としては、という意味でだ。


抑の出逢いは、俺と于吉が助けられた事に始まる。

世が“黄巾党”の出現にて大きく乱れ、皇帝の崩御、後継者争い、董卓の悪政、反董卓連合の発足と続き、一つの時代が終焉を迎え、新たなる時代の始まりへと進んでいた時の事だ。

俺達は行き倒れていた所を祐哉と夏侯惇に発見され、助けられた。

それ自体は問題ではない。

素直に感謝している。


だが、当の俺達自身の方に大きな問題が有った。

それは“記憶の欠如”だ。

目が覚めた時、俺と于吉は自分に関する情報を殆んど覚えてはいなかった。

それは真名に関してもだ。

はっきり言って、こんなに怪しい状態は無いだろう。

確実に“訳有り”だ。

もし、俺が孫策達の立場で俺達の様な輩を助けても、自領の民として迎えるかは困難だと言える。

と言うか、普通は無い。

その危険性が判らない以上迂闊な真似は避けるべき事なのだからな。


だから、覚悟はしていた。

自分の記憶が無い。

それが判明した時は流石に困惑し、混乱もしたが。

冷静になれば、今の自分が置かれた状況は判る。

だから、怨恨の感情なんて俺には全く無かった。

寧ろ助けて貰えただけでも十分な恩義が有る。

それを返せない事に対して心苦しくは有るが、此処で我を通してしまう事の方が迷惑を掛けてしまう。

だから、俺達の処遇に対し異議を述べはしない。

決定を受け入れる。

そう心に決めていた。


流石に殺されはしないとは思っていたし、精々追放が妥当な所だろうな、とも。

故に、“さてと、これからどう遣って食っていくか”という事を考えていた。




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