拾
華琳と共に他愛ない内容の雑談をしながら城の廊下を歩いていると中庭の方から賑やかな声が聞こえた。
それに誘われる様に二人で向かってみる。
すると、中庭の芝に蓙──と言うか、レジャーシートを広げて陣取っている姿が目に入った。
男一人に女六人である。
「まっ、待ってくれっ!
其処は、其処だけはどうか止めてくれっ!
いや、止めて下さいっ!」
「ふっふーん♪
さてさて、ど・う・し・よ・う・か・な〜っ♪」
「お願いしますっ!
どうかっ!、本当に物凄く厳しいんですっ!
何卒、お慈悲をーっ!!」
そう言って男は躊躇せずに土下座を実行する。
その見事な姿勢は日本人が見ても綺麗だと言える程に洗練されている。
嘸や、長い時を費やして、磨き上げたのであろうな。
この曹子和、感服致す。
「…何をしているのよ…」
──とか、思っている俺の隣では華琳が右手で眉間を抑え、呆れながら俯く。
言葉と共に吐き出された、深い溜め息。
それが意味する事とは──
「貴男も馬鹿な事を考えていないで、あれを止めるかどうかして頂戴」
「放置という選択は?」
「無しよ」
即答──と言うか容赦無く一刀両断されてしまった為仕方無く、声を掛ける。
「其処は無慈悲に、否だ
己が過ちを悔いる事だな」
「そんな殺生なっ!?
そっただ事言われよったらオラ達生きてけねぇだよ!
お願ぇだぁ!、今回だけは見逃してくんろぉっ!
おいどんには腹ぁ空かせた嫁と子供がぁ…」
「いや、誰だよお前…
何と無く百姓っぽいけど、設定が甘いからな?」
土下座をしていた男に対し“諦めろ”と通告をしたら今度は此方に身体を向けて土下座をしてきた。
その悪ノリを隣で見ていた華琳が再び溜め息を吐く。
言っておくが、今のは俺は悪くないと思うぞ。
「悪ノリをさせる様な事を言った時点で同罪よ
全く…季玉、非番なのだし遊ぶなとは言わないわ
けれど、そうも簡単に頭を下げる真似は止めなさい
一応、身分も有るのよ?」
「孟徳様、御言葉ですが、男には判っていても退けぬ時という物があひゃいっ!?
ちょっ!?、や、止めてっ!?
今父様の足を突っ突くのは止めようなっ!?、なっ!?」
華琳に注意されながらも、尚悪ノリを貫こうとしたが我が子達から──正確には笑顔のまま“お仕置き”を子達に命じた妻だけど──慣れない正座で痺れている事だろう両足を突っ突かれ身悶えしている季玉。
それを見て、溜め息を吐き“駄目だわ、これは…”と肩を竦める華琳。
一見すると容赦が無い。
しかし、それもまた一つの“内助の功”だろう。
少なくとも、華琳の説教を免れたのだからな。
…俺?、この程度の悪ノリだったら日常茶飯事だし、咎めもしない。
だって、悪ノリしてるって自覚が有るし。
尤も、此処で“貰い火”は御免だから余計な事は俺も言わないけどな。
「…はぁ…それで?
季玉達は兎も角、貴女達は何をしているのよ?」
華琳が視線を向けたのは、珀花・稟・桔梗。
ちょっと珍しい面子だな。
…何と無く、稟が苦労して溜め息を吐いている様子が脳裏に浮かんだんだが。
まあ、気にしない様にして忘れてしまおう。
「昼からの仕事まで時間が有るから何をしようかな〜と考えていたら、皆さんを見掛けたので混じって話をしていたら将棋を打とうと為って、こう為りました」
「成る程ね、判り易い程に無駄を省いた説明だわ」
「え?、そうですか?」
褒められた、と勘違いして照れている珀花。
その天然の切り返しには、相手の怒気を殺ぐ効果が。
だが、俺を相手に経験値を稼いでいる華琳に対しては効かなかった。
「ちょっと来なさい」
「──え?、あ、あれ?」
ガシッ!、と仔猫の首筋を掴むかの様に珀花の襟首を右手で掴むと、此方からは姿が見えなくなる場所へと引き摺って行った。
…助けないのか?
フッ…我々の為に散った、尊い犠牲だ。
遠くから冥福を祈るさ。
あの二人は放っておいて。
「で、どうだ?、此方での生活には慣れたか?」
「はい、お陰様で
最初は良い意味での違いに色々と戸惑いしましたが、今は素直に素晴らしい国の民として迎えられた事に、とても感謝しています」
そう訊いた俺に対し笑顔で答えたのは季玉の妻。
姓名は費観、字は賓伯。
見た目の印象は穏やかで、温和そうな美人である。
だがしかし、其処は季玉の妻であるだけ有って中々に胆が据わった才媛。
育児と内助の功に力を注ぐ事にしているから矢面には出て来ないのだが、やはり彼女の才覚は本物だ。
出来れば、宅に文官として仕えて貰いたい位だ。
まあ、其処は本人の意思を尊重して無理にとは俺達も考えてはいないが。
将来的には後進の育成への助力を得たいとは思う。
「時に子和様、親の贔屓目では有りませんが…
娘達は将来、美人になると思われませんか?」
「…他意は無いよな?」
「はい、有りません」
笑顔で即答してくるのだが俺の経験が言っている。
“気を付けろよ、この手の話題は地雷だからな”と。
だが、無視も出来無い。
つい、訊いてしまった以上何か言わないとな。
「劉循も劉闡も母親似だし綺麗になるだろうな
それこそ、季玉が心配して後を付け回す位には男共は放って置かないと思うぞ」
──と、別の話題に変える意味で季玉の事を絡ませて答えておく。
まあ、将来美人になるとは素直に思ってはいるが。
賓伯も美人だからな。
それを聞いて賓伯は笑み、稟と桔梗が溜め息を吐き、姉妹は揃って照れ、季玉が苦笑していた。
深い意味は無い。
そう言えない自分が胸中で項垂れていた。
珀花の説教を終えて戻った華琳を交えて雑談をした。
男が二人も居るのに何故か孤立感を否めない。
…此処、ホームだよな?
アウェイじゃないよな?
…神よ、何故なんだ。
サポーターも居ないとか、厳し過ぎる気がする。
…いや、忘れてしまおう。
その後、皆と別れて華琳と共に中庭を後にした。
逝ったままの珀花なんだが…まあ、彼奴も頑丈だ。
何だかんだで仕事までには復活している事だろう。
「──甘い甘い蜂蜜よりも濃厚で更に甘ぁーいっ!!」
「そんな馬鹿なあーっ!?」
──前言撤回。
奴は不死身だったらしい。
背後から元気一杯に余裕で聞こえてきた二人分の声に隣で華琳が嘆息する。
あまり溜め息を吐いてると幸せが逃げて行くぞ。
「大丈夫よ、そうなったら力ずくでも奪い返すから」
と言いながら、俺の左腕を絡め取って抱き締める。
幸せ=俺、らしい。
…あ、何だろうな、これ。
ちょっと泣きそう。
最近、皆の俺の扱いが雑な気がしてたからな。
何か…心に沁みるなぁ。
「…それにしても、今回は貴男からしても意外だった訳よね?
その辺り、どうなの?」
「んー…結果的には俺達が感謝されてる訳だが…
本音としては複雑だな
何しろ、俺は劉璋達親子を切り捨てる気だったんだ
だから、感謝をされる事に抵抗が無い訳が無い」
「まあ、そうよね…」
劉璋一家は桔梗・焔耶達と一緒に益州から脱出して、曹魏へと遣って来た。
平たく言えば亡命だ。
表向き──益州の方では、劉璋一家は死亡したという事に為ってはいるが。
実際には今も生きている。
劉璋は宅で文官として仕え家族と暮らしている。
それ自体に問題は無い。
月の様な前例も有る。
曹魏の民は噂や評判よりも自分の目で見て、話して、感じた事を重んじる。
だから、劉璋達に対しての偏見や差別・侮蔑といった言動は無いからな。
ただまあ、政治的な方針を決めている立場としては、後ろ暗い所は有る。
仕方が無い事なんだがな。
「気にし過ぎはしないが」
「なら、娶ってあげたら?
今更二人位増えても大して変わらないでしょう」
「軽く言うなって…
と言うかな、賓伯が本気で遣りそうだからな」
「男冥利に尽きるわね」
劉璋side──
義封様と将棋で対峙し──完敗した。
うん、可笑しい位に強い。
本当に軍将なのか疑いたく為ってしまう位に。
因みに、奉孝様と文伯──本来は様付けすべきだが、本人に“お主から様付けで呼ばれるなど気色悪いから止めてくれ”と言われた為以前と同様に呼ぶ事に──から聞いたのだが、彼女の可笑しさは昔かららしい。
安定して発揮出来無いのが難点だとも言っていたが。
個人的には十分だと思う。
「それにしても、運命とは不思議な物ですね…」
自分の膝を枕にして寝息を立てている娘達の頭を撫で妻の霧葉は微笑を浮かべて呟く。
姉の沙霧の身体に甘える様に抱き付いている妹の和葉。
今、家族四人、生きて共に笑い合えている事。
それだけでも奇跡だろう。
「…まあ、そうだな」
本来ならば、あの日。
自分達は死んでいた筈だ。
そうなるだろう事も覚悟で城を離れ、生活をする事を選んだのだからな。
娘達には申し訳無いと思う気持ちしかなかった。
だが、城に残ったとしても自由は無かっただろう。
あのお人好し過ぎる劉備は兎も角として。
諸葛亮、と言ったか。
彼女は俺達家族を厚遇する振りをして軟禁状態にする事を考えていた筈だ。
最悪、娘達は人質とされて家臣に嫁がされていたか、劉備達の主人だという男の元に送られたかもしれない可能性が高かった。
そうなる位なら家族一緒に死んだ方が増しだ。
そう考えての事だった。
「…でも、今が幸せだと、心から言えます」
「ああ、俺もそう言える」
霧葉の言葉に迷う事無く、同意する事が出来る。
確かに色々と有った。
決して、俺の歩んだ人生は順風満帆ではなかったし、平穏無事だと言える物でもなかった。
波瀾万丈だったと言う方が正しい位にだ。
遠い記憶、母が在りし日、その頃が懐かしかった。
以前、魏延が言った通り。
懐かしき日々(こきょう)は存在しないのだと。
そう思っていた。
だが、そうではなかった。
故郷とは芽生える物だ。
今を生きる地で幸せならば其処が故郷と成る。
それが、今なら判る。
「生きていこう、霧葉」
「はい、哲尚」
軈て出逢う新たな生命へと想いを馳せて。
──side out
静かに寝息を立てる華琳の寝顔を見詰めながら昼間の話を思い出す。
…いや、劉循達を娶るとか其方の話ではなくて。
桔梗と焔耶とは縁を繋ぎ、敢えて時を置いていた。
劉備達の戦力を削ぎ過ぎる事は勿論だが、反抗心まで殺がない為に。
愛紗の時の事が有る以上、自分達から離れてゆく者を見た時に、古傷を抉る事で敵愾心を煽る事が出来ると踏んでの一手だった。
だから、二人が来なくても仕方が無いと考えていた。
甘い夢想と、辛い現実。
弱い者は前者を選び取り、強い者は後者を選び取る。
力ではなく、心が。
そういう意味では二人なら必ず来てくれると。
そう信じていたがな。
「…季玉達の事は、な…」
それは俺の意図ではない。
俺は何もしていない。
だが、“災厄”の罠でも、慈悲という訳でもない。
彼方に逃がす気が無いなら季玉達も──否、桔梗達も益州を離れる事は難しいと言えるのだから。
そういう意味では、彼方は見逃したのだろう。
寧ろ、桔梗達が離れた事で劉備達を踊らせ易い状況に出来る方が良いと考えたのだと思う。
俺と同じ理由でもな。
しかし、それでもだ。
彼方の気紛れではない。
俺の策でもない。
盤上を睨み付け、対峙する俺達の意思に逆らう様に。
その奇跡は起こされた。
「これが人間の可能性だ」
我が事の様に、俺は喜び、誇る様に笑む。
俺は覆された事が嬉しい。
対して彼方は覆された事を忌々しく思うだろう。
例え気にしない様にしても決して忘れられない。
対局しているのは俺達だ。
だが、俺達の扱う“駒”は意思を持ち、生きている。
それを肯定するのが俺で、否定するのが彼方だ。
盤上は二人だろう。
だが、戦場では違う。
虚空を見詰め、笑う。
「お前の駒は従順なのかもしれないがな…
皆が皆その限りではない
覚悟して、臨む事だ」
姓名字:厳 顔 文伯
真名:桔梗
年齢:28歳(登場時)
身長:172cm
備考:
元劉焉の軍将。
野心等は懐かず、己の器を弁えている才媛。
“三弓”の一角“破撃”の二つ名にも恥じない実力・経験を持っている。
劉焉の死後、後継者争いで混乱する益州にて、彼女の存在が有るが故に他の者は互いに牽制し合い睨み合う状態を余儀無くされた。
戦場に出たのは十三歳で、その傑出した才能は次第に周囲に認められてゆく。
特に、同じ“三弓”である黄蓋の武勇が名を轟かせ、劉焉が張り合う様に自身を表舞台に立たせた事により名実共に知れ渡り、民達の信頼と支持を集める。
家族や親戚は既に亡い。
十年前、友人であった女性──魏良が亡くなった為、その妹を引き取る。
武術に関しては経験も含め何処でも即戦力。
ただ、曹魏に来てからは、“未熟だ”と認識する。
基本的に面倒見が良い為、部下や侍女からも慕われて馴染むのも早い。
さっぱりとした性格だが、隠された乙女な一面も。
家事能力はかなり高い。
普段は侍女達の仕事を奪う事が無い程度にしているが幼い焔耶が寂しくない様に自身の手料理を食べさせるなどしていた。
唯一、実は裁縫に関しては苦手意識が有ったりする。
氣型:強化特化型
資質:6:2:2
総量:2600/3200±
姓名字:魏 延 文長
真名:焔耶
年齢:19歳(登場時)
身長:167cm
備考:
本人が二歳になる前に親が亡くなっており、姉である魏良(真名は火弥)を親代わりに育つ。
※本人は姉こそが自分の親であると考えている。
姉が病にて亡くなった後、姉の友人で、自身も昔からよく可愛がって貰っていた厳顔に引き取られる。
その際、焔耶を養子として──正確には厳顔に対する人質として──迎えようと画策した輩が居たのだが、不幸な死を遂げている。
自分が厳顔の首輪にされる可能性が有った事を厳顔は焔耶に話してはいない。
が、焔耶は知っている。
武に関しては力押しによる戦い方をしていたが、今は己の未熟さに気付き様々な技術や兵法を学ぶ様に。
ただ、大規模な部隊指揮は苦手らしい。
気が強く、男勝りであり、面倒見の良い姐肌。
姉達の影響(恩義と感謝)が強く出ている。
曾ては男を見下した態度や言動を取っていた。
自覚は無いのだろうが実はシスコンの気が有る。
その為、歳上には弱い。
家事能力は平均的。
厳顔の手伝いをしたりする事も珍しくはなかった為、“嫁に出しても恥ずかしくはない”と言われる程度の事は出来る。
但し、味付けが極端になる場合が偶に有る。
氣型:強化特化型
資質:7:1:2
総量:1900/3600±
※雷華を15歳とした時は 二人は桔梗は26歳で、 焔耶は17歳です。




