玖
そんな私に訪れる転機。
“彼女”──飛影との再会であり、子和様との出逢いである。
まあ、簡単に言えば性別を勘違いしていたというだけなんだが。
驚きは小さくなかった。
ただ、可笑しな物で。
女性から男性へと、自分の認識が変わっただけで私の懐く想いは急速に膨らむ。
“芽吹く”などと言う様な緩やかな成長ではなかった。
激しく雨が降り、増水した河川が氾濫するかの如く。
私の想いは増していく。
ずっと、恋愛や結婚という事には“一生縁が無い”と思っていただけに。
色々と戸惑いも有った。
だが、決して嫌な気持ちを懐く事は全く無かった。
寧ろ、今まで知らなかった事ですらも“損をした”と感じる事も無い位に、今の自分が“幸せだ”と心から思えるのだから。
何しろ、身も心も唯一人に捧げられるのだから。
唯一人にだけ捧ぐのだから女としては幸せだと思う。
…まあ、色恋の経験を重ね女を磨く、という価値観も否定はしないが。
結局、そういった価値観も含めての物なのだろう。
色恋の、男女の在り方には“決まった型(常識)”など有って無い様な物。
最終的には当事者同士にて築き、育まれる物だから。
初心者である私が偉そうに言うのも可笑しいがな。
それは兎も角として。
子和様から招かれた事には抵抗は全く無い。
寧ろ待ち望んでいた位だ。
嬉しくない訳が無い。
曹家の、曹魏の一員となり尚且つ私邸に住むのだ。
それが何を意味するかなど一緒に生活をする顔触れを見ていれば判る事だ。
だから、いつでも大丈夫な様に準備はしていた。
ただ、一つだけ。
今に為って──否、違う。
そうではないな。
今だからこそ、私は自分に不安を懐くのだろう。
もしもこれが、単純に伽を務めるだけならば、然程は気にしなかったと思う。
子和様の寵愛を受けられ、私の生活的にも意識的にも特に大きな変化は無かった事だと思うから。
しかし、実際には違う。
私は多数の伽の相手の一人という訳ではない。
子和様の“妻”に選ばれ、軈ては子を成す身。
つまり、母親に成るのだ。
それが、何よりも怖い。
確かに、姉や桔梗様という私にとって母と呼べる人は素晴らしい方々だ。
今朝、子和様に招かれたと桔梗様から聞いた。
桔梗様ならば、良き妻に、良き母に成られる。
そう、私は自信を持てる。
だが、それが自分となれば話は違ってくる。
どんなに素晴らしい方々に育てられ、間近で見てきたとは言っても、それは単に“見る目”が磨かれただけなんだと思う。
実際に、私が同じ様にする事が出来るかと訊かれれば“無理です”と即答出来る自信が有るのだ。
だから、親に成る事に対し不安を懐かない訳が無い。
本当に、こんな私が子供を育てられるのだろうか。
その疑念が、招かれてから急速に私の中で膨らんだ。
他の想いを押し潰しそうな勢いと大きさで。
外は生憎の雨だった。
まだ豪雨と呼ぶ程までには激しくはないのだが。
それでも、傘も差さないで曇天の下に身を晒したなら下着まで濡れてしまうのに恐らくは2分と時間を必要としないだろう。
…まあ、避けず、防がず、動かずの上で、の話だが。
それでも結構な雨量である事には変わりない。
そんな中を、傘も差さずに人通りの有る道を避けて、私は街を徘徊していた。
気付いた時には晴れた日は子供達が遊んでいる場所に辿り着いていた。
無意識に人が来ない場所を選んでいたのだろう。
そう冷静に自己分析をする自分が居たりもする。
しかし、根本的な解決には至ってはいない。
至るとも思えない。
何故なら、所詮、今の私は逃げているだけなのだ。
その事は私自身が誰よりも理解している。
正直に本音を言おう。
私は子和様に抱かれたい。
その寵愛を受けたい。
そして──子和様との子を授かりたい。
そう思っている。
そう望んでいる。
そう願っている。
それが、私の想いだ。
“だが…”、と想いに対し別の気持ちが顔を出す。
父親は素晴らしい。
産まれてくる子供達は皆、誇らしく思う事だろう。
だが、母親の──私の事はどう思うのだろうか。
自分の欲求を満たす為。
ただそれだけの理由により自分達が産まれたのだと。
その事実を知ったとしたら何と考えるだろうか。
失望?、憎悪?、憤怒?、悲哀?、嫌悪?、怨恨?、絶望?、反感?、許容?、理解?、納得?、不満?、それは何なのだろうか。
ただ、こうも思うのだ。
「…結局、子供というのは親の身勝手で産まれてくる存在なんだと…私は思う
子は親を選べないから…」
私は隣に居る斗詩さんへと自分の気持ちを吐露する。
あの場所に彼女が来たのは偶然だったかもしれない。
でも、それも縁の一つだと感じていたりする。
だから、今は彼女に自分の考えを話してみる。
其処から何か、先へ繋がる切っ掛けが得られるのかもしれないから。
「…だから………」
そう言い掛けて、不思議と言葉が途切れてしまった。
一瞬ではあるが、脳裏には何かが垣間見えた。
(だから?、だから何だ?
私は何を言おうとした?
今、何を考えていた?
一体、どんな未来(景色)が見えていた?)
必死に思い出そうとする。
しかし、まるで霞が掛かり視界を奪っているかの様に一度は確かに見えた筈の、その景色が見えない。
物凄く、もどかしい。
故に、自然と焦燥感が募り苛立ちを覚える。
「子は親を選べないよね…
でも、親も子を選べない」
静かに、けれど、優しく、穏やかな声で。
そう斗詩さんは言った。
その言葉が歪に空いていた心の隙間にピタリと填まった気がした。
斗詩さんとお風呂から出た頃には雨は止んでいた。
入浴と着替えだけを済ませ私達は宿屋を後にした。
宿泊ではなく、こういった形の使い方の出来る宿屋は実に珍しい物だ。
少なくとも他所には無い。
だが、便利だと言える。
勿論、経営しようと思うと実際には色々と大変なので資金力や伝手の無い者には無理な事ではあるが。
曹魏内の街には少なくない数が存在している。
そういう宿屋の形態を世に広めたのは曹家らしい。
より正確には子和様だが。
お互いに利益を奪い合って潰れない様に宿屋を建てる場所等も指示をされているのだそうだ。
本当に多才な方だと思う。
その後、二人で食事をして夕方には私邸に戻った。
夕食の席で桔梗様から少し揶揄う様に“頑張れよ”と言われたのだが。
正直、何をどう頑張るのかはっきり言って下さい。
と言うか、その…ですね、そ、そういう事に関しては子和様にお任せする物では無いのですか?
…え?、な、何ですか?
何故、皆さんまで苦笑して私に対して生暖かい視線を向けてくるんですか。
訳が判らないんですが。
──という感じで時は過ぎ子和様の居る部屋に向かう時間に為っていた。
「──という様な事が実は有ったのですが…
どういう事なのですか?」
寝室に入ってから直ぐには緊張が解れなかった為に、感じていた疑問を子和様に訊ねてみた。
そうしたら、子和様もまた苦笑を浮かべられた。
…一体、何だというのか。
「んー…まあ、あれだな
桔梗が言ってたのはだな…
あー…いや、でもなぁ…」
苦笑しながらも説明しよう──として、悩まれる。
と言うか、あれですか。
そんなに説明し難いのか、言い難い事なのですか。
それならば、流石に無理に知ろうとは思いませんが。
「いや、そういう意味ではないんだけどな
説明は…まあ、し難いな
主に具体的な内容の面で」
そう言われる子和様を見て今は置いておこうと思う。
そんな遣り取りをしている間に緊張は解れたから。
一つ深呼吸をして子和様を真っ直ぐに見詰める。
私の真剣な顔──なのかは判らないけれど。
子和様も苦笑していた顔を静かな表情へと変えた。
重過ぎず、真剣過ぎずの、程好い“聞く態勢”を見て何気に感嘆してしまう。
こういう所も狡い方だ。
「…私は、貴男に愛され、子供を授かりたい…
その気持ちに嘘偽りは一切有りません
ですが、母親に成る事には正直に言って不安と恐怖が伴っています
本当に私に母親が出来るのだろうか、と…
子は親を、親は子を…
選ぶ事は出来ませんから」
そう言って、一度切る。
子和様に対してだけ向けた言葉ではない。
これは私自身への宣誓。
「ですが、私は望みます
貴男との子を欲します
例えそれが、私の身勝手な想い(理由)からだとしても私は求めると決めました
将来、産まれた子供達から何と思われても構いません
全てを受け止めます
そして──」
この先は私自身の覚悟。
姉が、桔梗様が、子和様が私に示してくれた事。
其処から、私の導き出した“強さ(答え)”。
「私は子供達を愛します
愛さない理由が有りません
何故なら子供達は皆、私が願い、望み、求め、欲した貴男との絆です
だから、どんな事であれ、私は受け止められます
それが、私の妻としての、母親としての在り方です」
真っ直ぐに、そう伝える。
不安や恐怖は否めない。
だが、決して退かない。
臆し躊躇した瞬間に、私はその資格を失うのだから。
「子が出来て、親に為る
子が居て、親に成れる
似ている様で、実は違う
生まれながら親である者は世の中には存在しない
子供と共に親も成長をし、親という存在が何なのかを理解し、成ってゆく…
“子供が成人をしたから”なんて事は関係無い
子供のした事に親が責任を負い続ける事でもない
それが、どういう物なのか理解する上でも必要なのは夫婦の信頼と理解と協力だ
少なくとも、そうだと俺は思っている」
そう言われ──真剣だった表情を柔らかくされる。
「親に成る不安や恐怖など誰にでも有る
それでも尚、愛する者との子供を望む想いが有れば、きっと親に成れる
苦楽を共にし、子が恥じぬ親に成ろうな、“焔耶”」
「はいっ、雷華様!」
親子の形は多種多様だ。
家庭の事情等も異なる。
だから、拘らない。
他とは比較はせず、競べる事もしない。
必要も無い。
私は私の、私らしい親に。
雷華様と成ってゆこう。
──side out
──六月二十一日。
一夜を共にし、朝を迎えた焔耶だったが…うん。
照れ具合が凄かったな。
いやまあ、あれだな。
鍛練中も思ってたんだが、焔耶って物凄い敏感だ。
何が、とは言わないが。
昨夜の焔耶は多分あれだ。
“恋する乙女(無敵)”補正なんかが付与されていたんだろうな、きっと。
だけど、それは一時的で。
“無敵星”の効果切れに、ミスって死ぬ様な物で。
昨夜の事を思い出したら、そうなるのも理解出来る。
俺も華琳との初夜の翌朝はそうだったからな。
流石に焔耶みたいになりはしなかったけどさ。
…どんなだったのか?
見事な瞬間沸騰と気絶だ。
その後、起きたら、それを思い出して、再び。
それを計三回繰り返した。
…まあ、俺としては可愛い焔耶の様子が見られたから良いんだけどな。
「あまり苛めない様にね?
普段の言動とは違って結構繊細な娘なんだから」
そんな風に釘を刺したのは我が奥様衆筆頭の華琳様。
いや、別に普段から様付けしている訳じゃないから。
只の戯言だから。
深い意味は有りません。
だから、抓らないで。
太股が地味に痛いです。
「ったく…反省なさい」
「いやいや、そんな焔耶を朝の鍛練時に揶揄ってたの何処の何方ですか?
ねえねえ、誰でした?」
「はいはい、私ですよ
曹魏の曹孟徳さんでした」
くっ…何という事だ。
あの気高き魏王・曹孟徳がこうも容易く降るとは。
いや、これは罠だ。
策士・孔明をも上回る程の巧妙な罠に違いない。
「それは“異世界”での話でしょう?
此方の諸葛亮に対しては、それ程の脅威を感じる事は今の所は無いわね」
「…はぁ〜…こんな事なら読ませるんじゃなかった」
「あら、鵜呑みにしている訳じゃないのだから、別に構わないでしょ?
貴男の比喩を理解する際の参考程度なのだし、今更よ
其処は素直に諦めなさい」




