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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
655/915

       伍


しかし、それはそれ。

現実的な話をするのならば多少位、結婚の平均年齢が上がっても、私にはあまり意味が無い。

何故ならば、所謂一般的な婚期を過ぎているから。


だから怖くなってしまう。

もし、子和様に失望されて拒まれてしまったら。

そんな事を考えると。


勿論、子和様がそんな事はされないとは思うのだが。

失望──いや、落胆される可能性は無い訳ではない。

低いとはしてもだ。


そんな事を思い浮かべると不安が渦巻いてくる。

嬉しい筈なのに、辛い。

喜ぶ事なのに、苦しい。

幸せなのに、痛い。

そんな相反する感情が胸で混ざり合って、思考さえも飲み込んでゆこうとする。


だから、忘れ様とした。

その為に自分にとって最も無心に為れるだろう鍛練を遣っていたのだから。

…遣って来た紫苑によって思い出させられた訳だが。


再び胸中に、脳裏に浮かぶ不安が私を飲み込む。

古い意匠の物を身に付けて行ったら、どうなるのか。

そんな想像が嫌なのに自分勝手に始まってしまう。

もし今居るのが中庭でなく自室ならば寝台の上で枕を抱き締めて一人煩悶としてしまっている事だろう。

他者(紫苑)という存在が、自意識が有るが故に、まだ抑えられているのだが。

誰も居なければ頭を抱えて身悶えし、叫んでいたかもしれないだろう。

それ位に普段の自分からは想像する事が出来無い程に追い詰められている自覚が有ったりする。


堪え切れずに踞る事でしか誤魔化せなかった。

紫苑が傍に──隣に座った事は気配で判った。

だが、視線は感じない。

正直、下手な同情や慰めは欲しくは無かった。

行動や言葉は勿論の事だがそういった意識もだ。

だから、紫苑の視線を全く感じない事は、今の私には救いだと言えた。


そんな状況で語る紫苑。

その言葉が傷心を更に抉る様に突き刺さる。

しかし、私が紫苑に対して恨みや憎しみ、苛立ち等の感情を懐く事は無い。

その言葉は正論であり──彼女自身の経験に基づいた独白(本音)なのだから。


紫苑の言葉に“確かに…”と思う自分が居る。

自分でも考えていた筈だ。

何も若いばかりが女の魅力ではないのだと。

経験(とし)を重ねてゆき、熟成される事でのみ初めて生まれる魅力が有る。

それは、身体的な事だけを指している訳ではない。

人としての、女としての、“深み”とも言える。

勿論、簡単な事ではないが不可能な事ではない。


それ程多くは無いだろう、紫苑からの言葉。

ただただ言葉だけを捉えて見たなら有り触れた物だと思う事だろう。

だが、その中に込められた想いは確と伝わる。



「──ねえ、桔梗?

貴女はどう想ったの?

雷華様に声を掛けられて、招かれると判った時…

そう在る事を望まれた時…

貴女は何を懐いたの?」



そして、最後の言葉が私を己が心淵へと導く。

ただただ純粋な、私の中に息付く欲望(想い)へと。




━━凡そ一年半前。


“時代”という物は個人の意思では動かせない。


それが私自身の考えであり経験に伴う結論だった。

どんなに素晴らしい思想や大望であっても、人一人に出来る事は限られている。


天下を統一した皇帝でさえ己の意思を十全に反映させ国を動かす事は不可能。

もし、それが出来たならば今の世は漢王朝ではなく、“秦”王朝のままだったのだろうからな。

故に、国や時代という物は個人に御せる物ではない。

だが、一部の者達の野心や欲望等に端を発した意図や謀略により、動いてしまう事もまた事実である。

それが“民の為に”という物ではないのは、皮肉だと言えるのかもしれない。


今の世に対して懐く感情を飲み込んでいた日々。

そんな中で起きた。

唐突な変化が有った。


最近は賊徒も鳴りを潜め、被害も減ってきていた。

その最たる理由は私以外も察していた事だろう。

寧ろ、知らない者の人数の方が圧倒的に珍しい筈だ。

野心家で田舎に引き篭って無謀な欲望(未来図)を描く愚かな劉焉(州牧)の治める中央から離れた益州(ここ)にまでも届いた時代を拓く新しい英傑の出現。

親設された泱州。

その初代州牧に任じられ、世の中に跋扈する賊徒共を悪徳官吏共を次々と断罪し瞬く間に名実共に表舞台に躍り出た稀代の才媛。

その者は──曹孟徳。

その存在に、その行動に、恐怖と危機感を懐いて世に束の間の平穏が訪れた。


そう、束の間、だ。

しかし、民には関係無い。


世の多くの民は先の事まで考えてはいない。

否、考えようとはしない。

そんな余裕は無いから。

その日その日が精一杯で、明日や明後日の事を考える辺りが出来れば十分。

そういった生活をしている以上は、一日一日を生きる事だけで、先の心配をする思考は持ち難い。

…いや、そうではないな。

心配した所で、抗う事すら出来無いから、だろう。

自分達が無力である事を、彼等は自覚しているから。

だから、心配しても無駄な事は考えない様にしているというだけなのだから。


ある意味では前向きだが、それはとても歪んだ悲痛な慟哭(叫び)だとも言えた。

その様に考えていなくては生きていく事すら出来無い世の中の在り方に。

それに対して何も出来無い己の無力さに。

心底、憤怒と苛立ちを懐き嫌気が差してくる。


けれど、現実は無情だ。

私は彼女の様に英傑に成る才器ではない。

時代を、国を動かす事など出来る訳が無い。

如何に世の中に“三弓”だ“破撃”だと称賛され様と普通よりは少し秀でている武を持っている程度でしかないのだから。

私はただ、その想いですら飲み込むしかなかった。




だからと言って、何もせず傍観しようとは思わない。


国や時代は変えられずとも手の届く範囲の力無き民の日常を本の僅かでも変える事は出来るのだから。

如何に鳴りを潜めようとも賊徒が絶えた訳ではない。

ただ、目立った被害が今は出ていないというだけ。


まあ、賊徒からしてみれば曹操の“二番煎じ”を狙う野心家な官吏共の踏み台や功績の種等に、好き好んで為ろうとは思わない筈だ。

ならば、暫くは活動を控え機を窺っている。

そう考えるのが自然だ。


尤も、賊徒でも聡い連中は件の曹操の様な真似が他の官吏に出来るとは考えてはいないだろうがな。

それが可能なだけの戦力の有無は勿論だが、己自身があの曹操の様に“潔白”な訳ではないのだから。

下手を打てば逆に他の者に喰われてしまうのだ。

迂闊に動けないという事に気付きもするだろう。


其処に考えが至れば自然と見えてくる。

薄汚い官吏達は、お互いに隙を狙い合って牽制し合い多少の被害では動かない。

ある程度“見栄え”のする事案にでも為らない限り、官吏共は直ぐには動かずに様子を見続ける、と。

つまり、“程々で”ならば自分達が討伐されたりする可能性は低いのだと。


そして、飢えた賊徒(獣)は欲望(空腹)を満たす為に、弱い人々を襲い始める。


だが、それに絶望する様な民は少なかった。

それは何故なのか。

その答えは単純だ。

民達は幻想(希望)を懐き、縋る程に弱くはなかった。

…いや、そんな悲観さえも懐かない程に、有り触れた悲劇(日常)なんだと慣れてしまっているだけだ。


如何に、曹操が素晴らしい人物であろうとも、所詮は他所の州牧なのだ。

自分達の住む領地を治める州牧が曹操の事を見習って正面な統治や政策をするのであれば、喜びもする。

しかし、そうではない。

如何に曹操が世の中に名を轟かせても、他人事だ。

その事を喜んだとしても、自分達に明確な“見返り”が有る訳ではない。

なら、気にするだけ無駄。

心の片隅では、“自分達の住む領地も治めて欲しい”等と考えてはいても。

それに期待はしない。

期待する事すら考えない。

それが、益州(ここ)の民の日常(現実)だから。




そんな日常を変える為に、自分に出来る事をする。

それが私の日常だった。


まだ若い焔耶を戦場に出す事に対して逡巡しなかった訳ではないが。

其処は、何か有れば自分が責任を取る覚悟さえすれば解決する問題だった。

まあ、そんな私の心配など無意味だと笑い飛ばす様に焔耶は真っ直ぐに育ったと私は思っているが。


それは兎も角として。

次第に賊徒は数を減らし、私の預かる地からは逃げる様に離れていった。

巷では私や焔耶の事を民が讃えてくれてはいる。

民の笑顔を見る事が出来る様に為ったのは私にとって素直に嬉しい事だった。


だが、本音を言えば、私は心苦しくもあった。

“私は皆が思っている様な立派な者ではない”と。

そう言いたくなる気持ちを何度も飲み込んでいた。

結局は私はそうする事しか出来無いという事を誰より感じていたのだから。

それが、自己満足なのだと自分が一番理解していたのだからな。


それが出来無かった理由は民達に要らぬ不安を与えてしまうから。

ただそれだけだった。

それでも、平和が続くなら私は構わなかった。

“大陸の全ての民が…”と大それた願望を懐こうとは考えもしなかった。

出来もしない事を望む程、私は幼い子供ではないし、夢想家でもない。

だから、私の目の届く内が平和ならば十分だった。


しかし、そんな私の武勇に対して危険視する様な輩も多少は出て来る。

劉焉はまだ増しな方だ。

身に合わぬ野心を懐く様な愚かな者ではあるのだが、決して無能ではない。

私達の行動により一部での事では有るが、賊徒に因る被害が減っているのだ。

それは州の徴税という面に於いて安定しているという利益を生んでいる。

それを自ら失う様な真似は遣らないだろう。


けれど、見えている事実が何故か見えない者も居る。

“私達が居るから”こそ、賊徒は近寄らなくなったし安定もしているのだという事が判らない官吏共が。

私達を排除して旨味の有る場所を得ようと企んだ。


物珍しさなど欠片も無い、捨てて腐る程に有り触れた足の引っ張り合い。

それが自分に向けられても返り討ちにして遣る自信が私には十分に有った。

実力的な物だけではなく、部下達の信頼も含めてだ。


だが、気付かなかった。

否、気付けなかった。

本の僅かな違和感に。

本の小さな変化に。

それが、牙となって私へと襲い掛かった時には全てが手遅れと為っていた。




それは些細な事だった。

有り触れた事だった。

しかし、私には、私達には“無縁な事だ”と。

そう思っていた。


それが、小さな隙を生み、大きく罅割れさせた。

ゆっくりと、着実に。



「…アンタが悪ぃんだ

俺達はアンタに付いて行く事で“良い暮らし”をして生きたかったんだよ

けど、アンタは出世なんてまるで眼中に無ぇ…

アンタは自分の遣り方さえ貫けてりゃあ満足なのかもしれねぇけどな…

俺達はな、そんな事じゃあちっとも満足する事なんて出来無ぇんだよ!」



左肩と右の脹ら脛を負傷し血を流しながら踞っている状態の私を睨み付けながら見下ろし、そう言ったのは部下達の中でも高い地位に居た男だった。

仕事も出来、腕も確かで、私は信頼していた。

…焔耶は何故か、この男を“信じる気に為らない”と忌避していたが。

今ならば“成る程な…”と納得出来てしまう。

如何に、自分が慣れ過ぎてしまっていたのか。

そして、“自分の在り方を部下達(皆)が理解した上で付いて来てくれている”と思い上がっていたのか。

嫌でも気付かされた。


だが、憎みはしない。

高説を垂れ、責め様などと考えもしない。

此奴等にしても言っている事は間違いではない。

信念だけで生きていける程世の中は楽ではない。

生きていく為に。

此奴等は、兵士という職に就いていた。

ただそれだけの事だ。


互いの価値観が交わる事は無いだろうからな。


幸いなのは、今この場には私だけだという事か。

この場に居るのは私を殺し己の望みを叶えようとする元部下(敵)だけだ。

状況的には不利ではあるが無抵抗で殺されて遣る気は微塵も無かった。

全滅──とまではいかないだろうが、数を減らす事は出来るだろうからな。



「──で?、言い遺す事は他には無いか?」


「──誰だっ!?」


「──お、お主はっ!?」



──けれど、そんな覚悟は唐突に現れた人物により、あっさりと打ち破られた。




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