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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
653/915

       参


 黄忠side──


──六月十九日。


王城を後にして、私邸へと繋がる回廊を進む。

雷華様としては別に城から離れた都の郊外に家庭菜園付きの屋敷を構える形でも構わなかったそうですが、其処は華琳様や私達の事も有って王城に隣接する形に落ち着いたそうです。


尚、将来的には隠居後には曹家の──と言うよりも、雷華様の私有地化している場所に新しく屋敷を建てて移り住む予定だそうです。

勿論、私達も一緒ですよ。

まあ、早くても十六〜七年先の話でしょうけれど。

流石に、成人──十五歳に満たない者に後を継がせるなどというのは酷ですし、私達も不安ですからね。

…え?、雷華様や華琳様はそれより若い状況でも十分背負っていた?

それは御二人だからです。

如何に御二人の御子様でも別人ですからね。

比較してはいけません。

と言いますか、曹魏内には期待はしてしまうのは仕方無い事では有りますけど、御二人と比較しようと思う民は居ないでしょうね。

何しろ、比較する事自体が馬鹿馬鹿しい事なのだと、身を以て知っていますし。

寧ろ、御子様達に対しての憐憫の感情の方が強いかもしれませんね。

色々と大変でしょうから。

…雷華様との子を望むなら私も他人事ではない?

ええまぁ…そうですが。

私達の生む子供は曹家──王家を支える支柱としての立場に為りますからね。

王家の継承権等は最初から有していません。

冥琳達の様に代々の一族が健在の場合に其方等の方と新設される支家と最低でも二人は後継ぎを必要とする訳ですからね。

色々と大変だと思います。

背負う物が違う以上は。


それはそうとして。

この後の予定を考える。

今日の仕事は午前中のみで半休となっている。

別に珍しい事ではない。

曹魏に──いえ、曹家へと仕える様に為ったばかりの頃は私達も忙しかった。

それは当然と言えば当然。

如何に曹家自体には既存の組織形態が有ったとしても飽く迄も一つの一族の域を出てはいなかったのだから州牧という役割に見有った規模への拡張・適応化等は必要不可欠な事。

その為にも私達は各方面で主力を担っていた。

だから、忙しい事も当然と言えたでしょう。


しかし、今の私達は単純に曹魏の臣という事ではなく雷華様の妻です。

当然ながら、そう遠くない内に私達の一番の仕事とは妊娠・出産・育児となり、今まで担っていた仕事等は後進に委ねる訳です。

その為、既に移行を視野に入れた状態で現状は仕事をしていたりします。

引き継ぎを問題も起こさず滞り無く行う為にも必要な事前の段階ですね。


そして、今日は特に予定も入ってはいません。

つまり──暇な訳です。

雷華様の予定が空いている状態でしたら、悩む必要は特に無いのですけど。

流石に、そういう理由では我が儘は言えません。


と言う訳で、暇を潰すのにどうしましょうか。

街に出ようかしらね。




私邸に入り、自室の方へと向かう途中の事だった。

耳に入った音が気に為って中庭の方へと足を運ぶ。


すると、丁度中庭を視界に映した時だった。

雷華様特製の習練用の的が五つ纏めて砕け散った。



「──ふぅ…ん?

おお、紫苑ではないか」



目標を撃破したのを確認し一息吐くと構えていた弓を下ろして──此方の視線に気付いて顔を向けた。

真剣な、集中していた時と違って気さくで、懐かしい印象を覚える笑顔を見せる彼女に対し胸中で不思議な気持ちを懐く。

決して悪い意味の感情ではないのだけれど。


彼女──真名を桔梗と言う厳顔を見ながら、彼女へと歩み寄って行く。

同時に中庭を軽く見回して気付いた違和感が有る。



「…少し、珍しいわね

貴女が一人というのは…

焔耶ちゃんは、お仕事?」



宅に来た時から一緒に居る事が多い彼女の義妹に近い少女──真名を焔耶と言う魏延が居ない事に関して、訊ねてみた。

勿論、義姉妹に近い関係と言っても、四六時中一緒に居るという訳ではない。

当然ながら、仕事が有れば別々に行動するのだから。


ただ、私の記憶の通りなら二人共に今日は非番の筈。

私達の様に将師という立場ではないけれど、彼女達も曹家では要職に就いている事は確かなのだから時間が出来れば鍛練をしたりして己を高めている。

だから、珍しいと思う。

特に焔耶ちゃんは熱心だし頑張り屋さんだもの。



「いや…彼奴にはきちんと教えてきたつもりだったが曹家(ここ)では書類関係の不備が有るらしくてな…

手の空いている軍師からの特別指導を受けておるわ」



そう言って小さく溜め息を吐いた桔梗の気持ちを察し思わず苦笑してしまう。

確かに、その通りよね。

他所であれば軍師を担える実力でも曹魏では一文官の域を出ないのだから。

己が“足りない事”ならば嫌という程に痛感出来る。

でも、その先に至れるのも曹魏だからこそよね。



「それは…ええ、そうね

確かに、最初から十全には出来無いでしょうから当然と言えば当然の事ね

でも、それなら貴女も少し付き合ってあげたら?」


「いやいや、紫苑よ

儂は好き好んで軍師陣から説教染みた指導を受けたいとは思わぬからな?

お主はどうなのだ?

別に歳下だから、とか言う訳ではなく、そういう事を好き好んで遣れるのか?」


「…そう言われてしまうと反論はし難いわね…」


「そうであろう?」



学ぶ事は嫌いではない。

それは武にも知にも人にも言える事でしょう。

ただ、桔梗の言う様に私も“説教染みた指導”という事には気乗りはしない。


…焔耶ちゃん、頑張って。

陰ながら応援しているわ。




さてと、焔耶ちゃんの事は頭から忘れましょう。

あまり、こういう事ばかり考えていると気付いた時は手遅れに為っている場合も少なくないのよね。



「で、貴女は鍛練を?

まだ此方に来て、三ヶ月に満たないのだから街に出て色々と回ったら?」


「うむ…まあ、それも悪く無いのだろうがな…」



桔梗が乗り気なら折角だし一緒に出掛けようと思って提案してみたのだけれど、桔梗の反応は今一。

別に、それ自体には興味が無いという訳ではなさそうなのだけれど。

何と言うか…そわそわと。

私が質問をしてから急に、落ち着きが無くなった。

先程までの鍛練をしていた集中力は勿論の事、居ない焔耶ちゃんの話題の時でも動揺したりしている様子は全く見られなかったのに。

それが今はどうだろうか。

桔梗は私から顔を逸らしただけではなく、その視線は彼方此方へと彷徨う。



(……ああ、成る程ね

そういう事な訳ね…)



徐々に赤らんでゆく表情を見て気付かない訳が無い。

何しろ、私も散々見て来た反応でも有るのだから。


それを理解すると同時に、妙に微笑ましくなる。

彼女は私よりも二つ歳上に為るのだけれど。

今はただ“可愛らしい”と思ってしまう。



「…な、何だ、その顔は?

何が可笑しい!」


「ふふっ…いいえ、別に」



つい、表情に出てしまい、彼女は照れを浮かべながら遣り場の無い戸惑いを私に怒りという形で向ける。

只の八つ当たりよね。

でも、仕方が無いと思う。

だから、軽く受け流す。


しかし、そう言いながらも揶揄う様にし、右の袖口で口元を隠す様にしながら、ついつい、笑んでしまう。



「──ただね?、貴女でもそんな風に戸惑うのね」


「──っ!?」



そして、言ってしまう。

先達としての余裕──とは少し違うのかしら。

“歴戦の猛者”とは言える程の経験は無いのだし。

…単純に、今の彼女の姿が“初々しい”からなのかもしれないわね。


当の桔梗はと言えば。

私の言葉に顔を真っ赤にし口をパクパクさせながら、握り締めた両拳を震わせて何かに堪えていた。




あまりの羞恥心から思考が混乱し、ただただ錯乱して怒って殴り掛かってくる。


そんな展開も有るかと思い本の少しだけ身構えていた──のだけれど。

そんな予想とは裏腹に私の目の前で彼女は力無く頭を垂れて──踞った。

膝を抱えて、今にも地面に兎に角“の”の字を無駄に書き出しそうな雰囲気で。



(…え〜と…これは流石に予想外のだったわね…)



どんよりとした、降雨直前だと言うのが適切な重たい雰囲気を纏う桔梗を見て、罪悪感が急激に増す。

とは言え、私の言った事の何れが原因だったのか。

その見当が付かない。

いえ、正確に言えば何れも該当しそうだから。

心当たりしかない訳で。



「…その……き、桔梗?」



何かをしなくてはならない事は判ってはいても、何が適切なのかを判断する為の情報が少な過ぎる。

根幹に有る、桔梗の動揺の要因が何であるかは簡単に想像出来たのだけれど。

その先──落ち込んでいる理由が定かではない。


その為には兎に角、桔梗に声を掛けて情報を得るしか方法が無かった。

流石に“が、頑張ってね”なんて適当な応援をして、立ち去ってしまう、という無責任な真似は出来無い。


少なからず有った悪戯心で揶揄ってしまった事に対し責任を感じているから。

同じ気持ちを懐く者として逃げ出す訳にはいかない。

此処で逃げてしまっては、今後桔梗に頭が上がらなくなってもしまうから。

それは死活問題に等しい。



「……な…………に……」


「…?…な、何かしら?」



ボソボソッ…を越えている小さ過ぎた桔梗の声。

到底普段の彼女の姿からは想像し得ない反応。

それは少しでも他の事へと──自分の思考だったり、周囲の状況の変化だったりという様な事に対し意識が傾いていたりした場合には聞き逃してしまっていたと言い切れる程に儚い声。

風か、鳥か、草木の揺れる音だと錯覚してしまっても可笑しくはない程に小さく声にも成らない音。


でも、幸いと言うべきか。

螢ちゃんや恋ちゃんの様に表情の起伏が乏しい娘達と向き合ってきた経験も有り聞き逃しはしなかった。

些細な変化を見逃さずに、手掛かりとして切り込む。

そうしなくては中々本心に辿り着けなったから。



「……私の様な年増など、若い娘達に比べれば……」


「……桔梗……」



その言葉を聞いて、彼女が何を思っているのか。

気付かない訳が無かった。


そう、今私の目の前に居る“少女”は曾ての私。

密かに抱えていた苦悩へと埋もれていた私が居た。




動揺に、罪悪感・責任感、ちょっとした危機感や自己保身といった感情と思考が渦巻いていた胸中が。

スゥー…と波が引く様に、濁りが薄れていく様に。

穏やかに、澄んでゆく。


自然と浮かぶのは苦笑。

でも、“困っている”からという訳ではなくて。

“何故、気付かなかったのかしらね…”という鈍感な自分に対しての呆れから。

本当に、怖い事だわ。

“慣れて”しまったが故に忘れてしまう事が有る。

頭では理解をしていても、風化してしまう。

“枯れる”事で救いとなる場合も有るとは思う。

でも、無くしては為らない尊い痕も時には有る。


私は踞る桔梗の傍に行き、その隣に同じ様に屈み込み空を見上げてみた。

普段よりも、ずっと高く、とても広く──何より遠く感じてしまう空が有る。

それは随分と久しく見る、幼い日の情景を懐古させて擽ったくなってしまう。



「…ねえ、桔梗

貴女が思っている事はね、私も考えていたわ

今でこそ妻の中には私より歳上の人も何人かは居る訳だけれど…

それでも数える程よ

将師だと今でも私と雪那が最年長だもの

考えない訳が無いわ」



何れだけ望もうとも。

何をしようとも覆せない。

それは届かぬ願い。

非情な現実。

辛く、胸を抉る葛藤。

ただただ、痛むだけで。

深く、募り続けるだけで。

消える事の無い、痕。

変えられない、理。



「あと少し…本の少し…

私が若ければ…

遅くに生を受けていれば…

こんな想いをしなくても、素直に喜べたのに…

──そんな風に今の貴女も考えているのよね?」


「………っ……」



視線は空に向けたまま。

けれど、彼女が息を飲み、悩みながらでも頷いた事は感じ取る事が出来る。

だって、本当に同じ様に。

私も苦悩し、葛藤を抱えて日々を過ごしたのだから。


だから、判らない訳が無く思わない訳が無い。

その想いの先の幸せを。




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