弐
取り敢えず、話を誤魔化し“質問に答えなさいよ”と眼差しで催促する。
飽く迄、“そんな事では、誤魔化されないわよ?”と雷華を批難する体で。
下手に動揺しようものなら切り返されて終わるわ。
だから、油断はしないし、無意味に強気にもならない適度さで、“普段通り”の自分を崩さない様にする。
これが出来るのも、日々の研鑽の賜物でしょうね。
あまり嬉しくはない技能に違いはないけれど。
「涅邪族にそんな物は無い──訳じゃあない
ただ、それは今はもう既に彼処には無いけどな」
やはり、と言うべきなのか雷華は特に気にする様子も見せずに仕込みを続けつつ受け答えをする。
その事から考えても隠していたりはしないでしょう。
そういった物が有るのなら無視したりはしない筈。
雷華の性格的に考えたなら“訊かれなかったから”が一番妥当な処かしらね。
「貴男が回収したの?」
「半分、正解だな」
此方がジッ…と見詰めても“仕事中に来る方が悪い”とでも言う様に、此方には視線を向けない雷華。
確かに、そう言われたなら私としても強く言う事には躊躇いを覚える。
自覚はしているもの。
私自身が理解出来無いから訊きに来ているのであり、雷華が呼んだ訳ではない。
雷華にしてみれば、大して気にする様な事ではないのでしょうからね。
だから、その証拠に雷華は動いてもいない。
今も、完全に他人事の体で自分の仕事をしている。
本当に面倒な事だったなら雷華が真っ先に指示を出し対処するでしょうから。
そういう意味では私も特に危機感は懐いていない。
飽く迄も、何が起きたのか知りたいというだけ。
「勿体振らないでさっさと言いなさいよ」
とは言え、頭では理解して納得が出来てはいても。
女心は複雑な訳で。
こうも素っ気無くされると多少為りとも拗ねる方向に気持ちは傾いてしまう。
…流石に“もっとちゃんと構いなさいよ!”だなんて言わないけれど。
気持ち的には、近いわね。
そんな考えが伝わったのか小さく息を吐いて、雷華が此方を向いて話を続ける。
「涅邪族に“龍族”の血が入っていたのかどうかは、俺にも断言は出来無い
ただ、その力の一端を血に受け継いだ者は居る」
流石に其処まで言われれば“何処に?”だなんて態々訊かずとも判ってしまう。
半分は正解な訳だもの。
その者は既に曹魏に居る。
そして、恐らく──いえ、間違い無く、妻の中に。
そうなると対象者は一気に絞り込んでいける。
龍族に関わっている以上、雷華が“裏方”に回すとは考え難い。
そうなると、自然と将師の中になるでしょうね。
南方の出身者となると──いえ、そうではないわね。
涅邪族の血を汲むとは言え必ずしも南方の出身者とは限らないでしょう。
ならば、優先事項は身元。
血筋や家柄が不確かな者が最も該当し易い筈。
そう考えた私の脳裏に一人思い浮かんだ者が居た。
「……斐羽が?」
半信半疑、という意味での疑問ではない。
正直、信じられないという思いから来ている。
でも、無理も無いと思う。
そんな素振りは今まで全く見せてはいないのだから。
「因みに、雪那と紫苑には斐羽は相談しているがな」
揶揄う様に笑みを浮かべて一言付け足してくる雷華。
その言葉を聞いて無意識に眉根を顰めてしまった事に気付いたのは事後。
“ほら見ろ”と言いた気な雷華の笑みに少し苛つく。
“斐羽、どうしては私には話していないのかしら?”という不満を懐いたのは、仕方が無い事でしょう。
確かに“雷華が真の主”と私は常々言っているけれど公式的には私が曹家当主で曹魏の国王なのだから。
私にも相談してくるのが、筋という物でしょう。
一瞬の事だったとは言え、懐いた感情と思考を完璧に予測されていた。
そう理解してしまう。
「…はぁ…仕方が無いわね
こういう部分では私自身もまだまだ未熟、という訳ね
斐羽も頼り辛い訳よ…」
どうせ雷華の事だもの。
敢えて私には言わないまま放置していたのでしょう。
私自身が気付いて、私から斐羽に訊けば良し。
斐羽から私に話してきてもそれで良し。
何方等でも無くても孰れは知る時は来る。
今の私自身の様に。
それなら、それを利用して私に自覚させれば良い。
つまり、態々雷華が仲介し説明したりする必要なんて自主性や自覚する機会等を奪うというだけ。
だから、何もしなかった。
そういう事でしょうね。
本当、抜け目が無いわね。
そういう気持ちも含めて、軽く睨み付ける。
揶揄われた事に対しての、“遣ってくれたわね…”と意味も込めて。
「別に斐羽も頼り辛いって訳じゃあないんだろう
ただ、将師の中では自分が年長であり、官職の経験も長い面子の一人だからな
基本的に頼られる側だ
だから、例え華琳相手でも言い難かったんだろうな
そういう風に言われたら、理解も出来るだろ?」
「それは…ええ…そうね
確かに言い難いわよね…」
基本的に負けず嫌いな者が揃っている私達。
別に意固地に為ったりする事は殆んど無い事だけれど立場的な“見栄”ならば、少なからず有るでしょう。
つい先程、私自身が懐いた斐羽に対する不満も根幹を突き詰めれば、結局の処はそれになるのだから。
何でも言い合える関係とはただ単に秘密が無い関係を指す訳では無い。
良い事も悪い事も含めて、理解し合う為にも胸の裡を見せ合えるという事。
ただ、それとは別に個人の見栄・意地・信念・尊厳も尊重し合えるという事でも有る訳なのだから。
其処を履き違えてしまうと意味が無くなってしまう。
繊細で、難しい物よ。
まあ、雷華の事だし斐羽の件は心配無いでしょう。
だから、本題に戻す。
「だとしたら、さっきのは一体何だったの?
貴男が気にしていない以上影響は無いのでしょうけど説明も無しでは流石に私も納得が出来無いわよ?」
「説明しろと言われても、俺は別に、全知全能って訳じゃないんだけどな…」
「幾ら何でも私も其処まで言わないわよ
でも、今の私が納得出来る程度の説明なら、貴男なら出来無いという事ではないでしょう?」
揚げ足を取る様な言い方に少しばかり、ムッ…とするけれど我慢する。
その上で、“出来る事”を具体的に言って求める。
すると、雷華は苦笑しつつ視線を下──私の手元へと向けたので、それを追って私も視線を向けた。
手には雷華が出してくれた茶杯が置いてある。
ただそれだけ。
「…それはつまり、貴男が今何を言ったとしても結局“御茶を濁す”事になる、とでも言いたい訳?」
雷華らしくない回りくどい言い方だとは思う。
でも、茶杯や御茶から連想出来る事は多くはない。
…それとも“穂甘柚”の方だったのかしら。
そうだとしても、然程には広がりは無い気がする。
そう思いながら言ったら、雷華が目を丸くして瞬きし──吹き出した。
「なっ!?、何よっ!
解らないから訊いてるのに笑う事は無いでしょっ!」
カアッ!、と顔が熱く為り自分でも羞恥心や怒りやら複数の感情が入り混じった状態で顔を赤くしているのだろうと感じる。
けど、幾ら何でも笑う事は無いでしょうが。
「くくっ…いや、悪い悪い
華琳にしては珍しく俺でも予想しなかった方に発想を飛躍させたから、ついな…
くふふっ…いや、でもな、流石にそんな風に受け取り考えるとは……ぷっ…」
「〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」
ああもうっ、殴りたい。
思いっ切り全力で。
容赦無く殴りたいわ。
でも、此処が何処なのかを考えると出来無い。
それが物凄くもどかしくて苛立ちを募らせる。
…覚えてなさいよっ!。
もし、此処が私邸だったり寝室だったら、手近な物を手当たり次第に投げ付けて遣れるのに。
此処が厨房で、食べ物さえ無かったら遣れるのに。
…くっ…口惜しいわ。
「いやいや、そんな屈辱な事でもないだろ…
あ〜…ははっ、久し振りに笑わせて貰ったな…」
「私は全然っ!、面白くも何ともないわよっ!」
こういう時、自棄になって行動出来無い辺りは日々の鍛練と意識的な自制心から来る成果なのでしょうね。
腹は立つけれど。
一頻り笑っていた雷華から“笑った御詫びだ”と言う様に小皿に乗せられている御菓子を出される。
雷華を睨み付けながらも、それを両手で受け取る。
…別に、御菓子に釣られて赦す訳ではないわ。
御菓子に罪は無いもの。
ええ、御菓子は無罪よ。
だから、美味しく味わって食べてあげるのが礼儀。
決して、御菓子に釣られたという訳ではないから。
「俺が言いたかったのは、“相手有りき”って事だ
実際には何が起きたのかは俺にも正確には解らない
ただ、華琳が考えて出した結論と同じ事は解る
逆に言えば、その程度しか現状では俺も解らない」
「…その割には余裕ね」
「華琳、一番“主導権”を握り易い方法は何だ?」
そう訊かれて考える。
主導権を握り易い状況とは自分の思い通りになる状態でしょうね。
では、そういう状態にする為に効果的な方法は?
そう考えれば、雷華が何を言いたいのかが判る。
「…はぁ…つまり、相手に此方を意識させる事
それが目的という訳ね…」
「実際には其処までの事は望んでないだろうな
俺が“災厄”なら、精々が“少しでも警戒してくれたならば儲け物”という程度って処だな
抑、これまで慎重に隠れて動いていたんだ
こんな中途半端は威嚇とか何の意味も無いだろ?」
雷華の言う通りよね。
と言うか、そうは為らない様にする目的での結界。
それを理解していながら、踊らされ掛けた自分に対し怒りが湧いてくる。
…あと、羞恥心もね。
「それにだな
漸く対戦相手が盤を挟んで席に着いてきたんだ
だから、此方も“受けて”遣るのが礼儀だろ?
本気の“差し合い”なんてその後からでも十分だ」
「──っ」
──ああもうっ、本当に。
久し振りに遣られたわ。
不敵に、しかし無邪気に。
狡智と無垢、狂気と純真。
それを秘めた笑みを見て、胸の奥が熱くなる。
まだこれから、仕事の有る雷華の現実が恨めしいわ。
──side out
多少、機嫌が悪くなったが最終的には納得した上で、機嫌も直って帰っていった華琳を見送ってから仕込み作業を再開する。
別に珀花程の狂信者という訳ではないのだが。
やはり、甘味は偉大だな。
そう、改めて感じた。
(しかしまあ、あの華琳があんな事を考えるとは…)
──っと、危ない危ない。
手元が狂う所だった。
思い出しただけなんだが、素晴らしい破壊力だな。
まあ、華琳本人が居る時に思い出さない様にだけは、気を付けて置かないと。
でないと、後が怖いし。
俺としては可愛いらしい事なんだけどな。
それは兎も角としてだ。
華琳の反応には驚いたな。
(…やれやれ、か…)
まさか、あれだけ警戒心を華琳でも懐くとは。
その点は予想外だったな。
ただ、そういう意味でなら結界を張って置いた事は、悪くはなかったと言える。
(華琳への配慮──いや、華琳が無意識に気負ってる事に気付かなかったのは、俺のミスだったな…)
如何に自信家な華琳でも、“世界の行く末(未来)”を背負うとなると重いか。
“覇王に成る”と言ったが背負う規模が違う。
それは旧・漢王朝の領地、其処に生きる民。
その程度の規模の話だ。
当時から考えれば、現状は色々と違う事だろう。
これが純粋に“三国志”を辿る歴史の流れであれば、そんなに気負いはしない。
ただ、“災厄”という存在だけではない。
華琳にとっては父の遺志が大きな重圧なんだろう。
その責任を、夫である俺にあっさり丸投げ出来る様な性格じゃないしな。
その責任感故、だな。
(その辺の事も気を付けて遣って措かないとな…)
流石に突け入られはしないだろうが、小さな痼に為る可能性は有るからな。
勿論、それは華琳だけの話ではなくて。
遣る事は少なくはない。
だが、先ずは目の前の事をきちんと片付けないとな。
何事も中途半端に為るのが一番悪いからな。




