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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
646/915

       陸


邑を出て山に入ってから、かなりの時間が経った。


念の為にと東の空が明るく為り始めた頃に出発して、時間に余裕を見ていた。

その理由は単純。

山中で野宿なんてしたくはなかったからだ。

只でさえ、普段から地元の人達でさえも踏み入ってはいない場所なんだ。

何が起きるか判らないし、何が居るのかも判らない。

流石に、あんな巨大な猪が跋扈しているだなんて事は想像出来無かったけど。

毒蛇とかが普通の個体より大きいという可能性程度は想像が出来たからな。

そんな場所に留まりたいと思う訳が無いだろう。

俺は強くは無いんだし。


しかし、そんな考えなんて嘲笑う様に現実は無情だ。

道を間違え、下って行った事によって生じてしまった少なくないタイムロス。

途中までとは言え、往復に費やした代償は小さくない事だったと言える。

その所為で時間だけでなく体力も気力も奪われた。

自分のミスだから誰が悪いという訳ではない。

だから、“仕方が無い”と飲み込むしかない。

“不幸だーっ!”と叫んで好転するなら叫ぶが。


そんなこんなで山の中腹を目指して登り続ける。

当然だけど下っていた時と比べると進み難い。

草木に関しては鈴々が前を歩いて掻き分けてくれる為大きな問題にはならない。

だけど、坂道な訳で。

しかも、獣道でもなくて。

歩き辛さは倍増していると言ってもいい位だ。


そんな中、足を止める。

膝に手を付き、乱れている呼吸を整える為に小休憩。

座ってしまうと立ち上がる気力が無くなりそうだから絶対に座らない。

六月上旬、温暖な南部。

普通に過ごしているだけで汗が額に、背中に、脇にと滲んでくる様な気候。

好き放題に草木の生い茂る環境だから、日射し自体は街中よりは断然に少なく、気温的にも涼しい。

朝方は少し肌寒さを感じる位だったからな。

日中に為っても、それらは変わらない。

山登りを助けてくれる。


だけど、自分の身体自体が持つ熱に関しては簡単には発散出来無い。

服を脱ぎたくなる所だが、南蛮遠征の際に聞いていた注意事項に“薄着に為ると虫等に噛まれ易くなるので気を付けて下さい”という話が有ったのを思い出す。

他にも、“彼方”の熱帯で感染症なんかを貰い易いと聞いた覚えも有る。

だから、それは我慢する。

暑くても病気に為るよりは増しだからだ。

自分の不注意や気の緩み、油断なんかで苦しむのなら避けられるからな。



「…っ、にしても…鈴々…

本当、元気だな…」



俺が足を止めると、あまり離れはしないが、行き先や周囲の草木を蛇矛によって凪ぎ払っていたりする。

そのお陰で進み易いのだが時々、虫や蛇とかが此方に飛んでくるのは困る。

と言うか、怖いです。

まあ、木が倒れてきたりはしないだけ、増しなのかもしれないんだけど。

…いや、何方も嫌な事には変わらないんだけどな。




そんな鈴々から視線を外し身体を伸ばして空を仰ぐ。


深い森の中に居る事も有り邑では見えていた広い空もはっきりとは見えない。

と言うよりも、見難い。


森の中は木々の枝葉により暗く陰っている。

枝葉の隙間から射し込んだ木漏れ日が無ければ洞窟を歩くのに近いと思う。

普通の山なら、もう少しは森を覆う枝葉の密度は低いのだと思う。

人が入らないというだけで自然はその有り様は大きく異なるものだ。


そんな状態で、森の中から空を見上げると生い茂った木々の枝葉の隙間から覗く空は光に遮られる。

暗闇の中で、懐中電灯でもいきなり向けられた感じと言えばいいのだろうか。

兎に角、眩しいだけだ。


それでも懐中電灯とは違い少し頭の位置をズラせば、光の射線上から外れる事が出来る訳で。

青く晴れた空が見える。

深い、黒に近い緑の間に、淡く明るい空の色が有ると際立って綺麗に思える。

人間っていうのは単純で、こういう風に綺麗な景色や雄大な風景を見ただけで、疲労感や苦悩といった物を忘れてしまえる。

“そんな事を気にしている時間が勿体無い!”とでも言われている気になるから自然というのは不思議だ。

そして、凄いと思う。


例えば、“綺麗な女性”や“格好良い男性”を訊けば人各々の好みが有るだけに意見や賛否は割れるけど、“綺麗な景色”等は大抵が同じ様に思える訳で。

それは人が造り上げる美は自然には敵わない。

そういう事を言っているのではないかと思える。


…変な物でも食べたか?

そんな事は無いさ。

俺はただ、欲に塗れ過ぎた俗世を離れた事によって、汚れていた心を洗われた。

ただそれだけの事だ。



「…汗がしょっぱいぜ…」



乾いた唇を舐めた際に舌に付いた汗が口に入った。

決して、涙ではない。

これは苦難を前にした男の立ち向かう勇気の欠片。

諦めない闘志の滴り。

決して、涙ではない。

大事な事だから二回言う。



「お兄ちゃーんっ!

そろそろ歩くのだーっ!

そんなに休んでたら今日は野宿になるのだーっ!」


「くっ…グスッ…ああっ、判ってるっ、今行くっ!」



元気一杯の鈴々に対して、“お前と一緒にするな!”なんて心の中で叫ぶ。

ただ弱音を吐いても事態は好転する訳ではない。

それに思い出した。

鈴々に背負って貰った場合物凄い乱雑な扱いをされる可能性が高い事を。


楽だけど痛くて怖いか。

苦しいけど、一応安全か。

ある意味で究極の二択。


さあ、貴方ならどうする。


そんな事を考えながら俺は重い身体を必死に動かす。

鍛えていたから俺も多少は筋肉も付いたと思うけど、根本的に使う筋肉なんかが違うんだろうな。

明日は筋肉痛に為っている自分の姿がはっきりと頭に思い浮かんでいる。





「──あっ!、お兄ちゃんお兄ちゃんっ!

彼処っ、彼処なのだっ!

あれを見るのだっ!」



積もり積もった疲労から、ボベギィッ!っと、盛大な音を立てて折れそうになる心を抱えながら、諦めずに探し続けていた。

其処に響く、鈴々の声。

反射的に鈴々の方を向き、更に鈴々が指を差している方へと顔を向けた。



「──ぁあっ…嗚呼っ!、有ったあぁああーーっ!!」



思わず叫んでしまったが、仕方が無い事だろう。

だって、道なんて無いし、地図も案内板も目印すらも何も無いという状況。

本当に行き当たりばったりというギャンブル。

本当にさ、我ながら何故、“まあ、兎に角行ってみて無かったら無かっただな”なんて軽く考えていたのか本気で後悔した。

もし出来るのなら、当時の俺を殴り飛ばしたい。

殴り飛ばして締め上げつつ如何に“探索”という物が難しい事なのかを力説して遣りたくなった。


いやもう、本当にね。

地元の人達も踏み入らない様な場所で、手掛かりすら殆んど無い状態での探索は無謀もいい所だろう。

抑、誰も入らないと聞いて“って事はさ、まだ誰にも見付けられてない訳か”と能天気に喜んでいた自分が馬鹿にしか思えない。

運が悪ければ、野宿なんて程度では済まない。

下手をしたら遭難だ。


まあ、一日では見付からず直ぐに諦めて帰る程度なら態々自分では来ない。

金名が言った“龍宮洞”は実在する場所らしいから、何日掛かっても滞在をして探すつもりだったけど。

“それなら、探索の準備はきちんとして置けよな”と今なら思える。


それでも、俺は許そう。

愚かだった過去の自分を。


生い茂る木々の向こう側。

自由奔放に延びて枯れて、カーテンという域を越え、装飾された壁だと思える程密集し群生する蔦の奥。

其処に有る岩壁の一角に、探し求めた場所が有る。

光さえも飲み込んでしまう様な不気味な口が、俺達を待ち受けていたかの様に、その姿を覗かせている。


漸く、漸く、辿り着いた。

まだ中に入ってもいないが漸くスタートラインに俺は立つ事が出来た。

そんな気分になる。

兎に角、一安心した。




鈴々が掻き分ける道を進み俺達は巨口を広げて待つ、龍宮洞の前に立つ。

凡そ分度器の様な半円型。

縦は最大で約2m。

横幅は大体3m位だろう。

ギザギザになっている岩が牙を思わせる。


入り口から中を覗き込めば大岩が乱雑に幾つも重なり合っているのが見えた。

地下へ向かって伸びている階段の様にも思える。

射し込んだ日射しが照らす範囲は奥に約5〜6m程。

その先は見えない。

ただ、下っているという事だけは間違い無い。

完全な素人の意見だけど、かなり深い気がする。


俺は入り口から少し離れて後ろを向き、空を見る。

思っていたよりも空模様は晴れている。

雲の量も少ないから、雨が降る可能性は低いな。

山登りでは天気が大敵だし今の状態は有難い。



(…山の西側なのか?)



コンパスが無いから正確な方角は判らない。

ただ、岩壁という場所柄、森の中よりは日差しが届き洞窟の中を照らしている。

既に正午──中天は過ぎてしまっている。

それらを考えれば、太陽は西側に有って、洞窟は西を向いている事になる。

パラレルワールドだけど、その辺りの事は同じだから知識を活かせて助かる。


まあ、それは兎も角としてパッと見た感じでも洞窟が浅くは無い事は判った。

入るのなら、洞窟内で寝る事は覚悟しないといけない気がするな。

一度潜れば帰ってくるのに時間は掛かるだろうから。


という訳で、選択だ。

一旦退いて出直すのか。

それとも、このまま洞窟にアタックするのか。



「なあ、鈴々?

一回、邑に戻ってから明日改めて迷わずに真っ直ぐに此処まで来られるか?」


「にゃ?…んー……多分、大丈夫なのだ!」



若干の不安は感じるけど、こういうのは俺より鈴々の方が頼りになる。

だから信じていい。



「…なら、出直すかな」


「鈴々は構わないのだ

でも、お兄ちゃんは明日、大丈夫なのだ?」


「うぐっ…そ、それは…」



鈴々の指摘に声が詰まる。


一旦戻って、休んでから。

そう考えたくなる気持ちは色々と辛いからだ。

しかし、鈴々が言った様に明日動けるかと訊かれたら“大丈夫だ、問題無い”と言い切る自信は無い。

いや、寧ろ“問題有り”と言い切れる自信が有る。

筋肉痛は勿論だが、気力が萎えてしまう気がする。

筋肉痛が治り、再挑戦する遣る気が出るまでに数日が掛かるだろうな。




となると、行くしかない。


ある意味、このまま洞窟に入ってしまった方が俺には向いているかもしれない。

最後で行かなくては意味が無くなってしまう状況なら行くしかなくなるから。

要は、自分で“逃げ道”を塞いでしまうという訳だ。



「………よしっ、行こう」



葛藤が無い訳ではないけど此処に来た理由を考えれば引き下がれない。

なら、前に進むだけだ。



「鈴々、鞄を貸してくれ」


「応っ、なのだ!」



鈴々に預けて背負っていて貰った鞄──と言うよりは特注品のリュックサックを受け取り、中の物を出す。

山中での探索に関しては、完全な準備不足だった事は間違い無い。

だが、洞窟での探索なら、しっかりと準備している。


先ず、その辺りに落ちてる適当な木の枝を探す。

薪ではないので、最低でも剣の柄位の太さが有る物を鈴々と探し、見付ける。

予備を含めて、五〜六本程確保しておく。

それを手頃な大きさに整え持って来た布切れを巻き、其処に小瓶に容れておいた油を染み込ませて、簡易の松明を作る。

ライターやマッチも無いし火打ち石も無い。

なので、剣を使って火花を起こして着火させる。

…俺が遣ったのか?

俺に出来る訳が無い。

当然、鈴々の仕事だ。

本格的な剣術の技が必要な事ではないからな。

力加減さえ間違えなければ鈴々には簡単な事だ。


──で、燃えている松明を洞窟の中へと放り込む。



「鈴々逃げるぞっ!」


「にゃにゃっ!?」



放り込むと同時に、鈴々に声を掛けて猛ダッシュ。

事前に説明したら、鈴々が俺を置いて逃げる可能性が頭を過った為。

万が一の“つい”で、俺も死にたくは無いからな。

鈴々は訳が判らないけど、一応は俺に従って洞窟から一緒に離れた。

鈴々と手頃な大岩の陰へと身を隠して、備える。


それから、約1分。

何も起こらない事を確認し鈴々と洞窟の入り口に戻り中に入る準備を進める。




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