肆
「──なっ…」
しかし、金名の口から出た言葉は予想を大きく外れた物だった。
それだけに驚きを隠せずに大きくリアクションをしてしまった。
それでも、頭は意外な程に冷静だったりもする。
(…今、“天の御遣い”に“戻れる”って言った?)
金名には曾て自分が世間に予言話として広まっていた“天の御遣い”を名乗って桃香達の“御輿”役を引き受けて遣っていた事を一応話してはある。
そして、どういう結末へと至ったのかも。
今はもう桃香達も俺の事を“天の御遣い”と呼ぶ事はしなくなっている。
だから、俺は桃香達の傍で支える一人の男。
只の北郷一刀でしかない。
それが、もう一度。
もう一度、今度は桃香達を本当の意味でも支える事が出来るというのなら。
「望まない訳が無いって」
自分でも驚く程に簡単に。
その答えは出ていた。
ある意味、馬鹿だと思う。
だって、何の力も無いのに“天の御遣い”だなんて。
笑い話じゃないか。
また同じ過ちを繰り返して同じ様に身勝手に失望され罵倒されたりする。
その可能性が高いのに。
また、繰り返すのか。
脳裏に過るのは苦い記憶。
それまで“天の御遣い”と持て囃されていた筈なのに容易く掌を返された。
“希望だ”“救いだ”等と謂われていたのに。
あっと言う間に悪者だ。
いや、大罪人扱いだ。
「何が天の御遣いだっ!、何も出来無い偽者めっ!
お前の様に苦しむ者の心に突け込む人間の屑を信じた俺達が馬鹿だったっ!
お前の所為で死んでいった俺達の家族を返せーっ!!」
そう言った男が居た。
涙を浮かべ、怒りを露にし俺を睨み付けながら。
それを見詰めていた。
身勝手な責任転嫁だな。
お前達が勝手に俺を信じて期待しただけだろうが。
何時、俺が頼んだ。
俺が何時、“本物だ”とか言ったというんだ。
都合の良い幻想を懐いて、押し付けていただけ。
巫山戯るな。
そう思った自分が居た。
だけど、そう言われる事も仕方が無いだろう。
そんな風に思う自分も。
実は一緒に居たりした。
だって、俺は最初から俺が“偽者”だと理解した上で引き受けていたんだから。
そんな風に言われるだろう可能性は予想出来た事。
漫画や小説、映画・アニメ・ゲームの主人公みたいに都合の良い展開は無い。
罪を犯せば裁かれる。
犯した罪を償わなくては。
そう冷静に受け止めている他人事の様に考える自分が事実として肯定していた。
そんな二人の自分。
だが、攻めぎ合う事も無く向き合う事も無い。
ただ、擦れ違うだけ。
ただ、何処までも平行線を辿るだけのままで。
それなのに──これだ。
俺は今もまだ、あの幻想を──“天の御遣い”を求め望むというのだから。
本当に、愚かだとしか言う事は出来無いだろう。
馬鹿も馬鹿、大馬鹿だ。
自分でも呆れる程に。
どうしようもない奴だ。
──でも、それでいい。
それで構わない。
もう一度、手に出来るなら構いはしない。
「…ちょっと意外ですね
もう少し悩むのかと思って居ましたから…」
そんな俺の反応を見ながら金名は呟いた。
だが、眉一つ動かさないで驚いた様な事を言われても全く説得力が無いぞ。
せめて、目を見開く程度はリアクションしろよ。
「其処はほら、私も職業柄常日頃から表情を変えない努力と意識をしていますし簡単には出しませんよ
でなければ、我々の界隈で生き残れませんからね」
言っている事は判る。
だけど、そんな風に此方の思考等を簡単に読まれると遣り辛いんだが。
…まあ、今更なんだけど。
「はぁ…まあいいか
それは兎も角として、だ」
一つ溜め息を吐いてから、逸れてしまっていた話題と意識を本題へと戻す。
真剣な眼差しを金名に向け俺は出来るだけ落ち着いて静かな口調で訊ねる。
「“天の御遣い”に戻る、なんて事を冗談で訊く様な真似はしないと思うけど…
一体どういう事なんだ?
本当に出来る事なのか?」
「貴男が私を疑いたくなる気持ちも判りますよ
貴男方──貴男にとっては“天の御遣い”というのは単なる御輿ではない…
一つの象徴ですからね」
見透かす様に言う金名。
それは間違いではない。
桃香達──いや、桃香には“中山靖王・劉勝の末裔”という肩書きが有る。
その末裔である証拠として家宝の宝剣も有る。
しかし、其れ等が正しいと“勝手に言っているだけ”だったりもする。
何故なら、事実と正統性を証明出来無いからだ。
もし、亡き皇帝や血縁者が桃香を“これは正しく”と認めてくれたなら。
一気に箔が付き、知名度や影響力も増すんだけど。
実際、朱里は反董卓連合で然程危険を冒さない範囲で功績を上げて、皇族からの認定を得ようと考えていたみたいだしな。
皇族からすれば身近に居る連中の大半が信用出来無い状況に有った訳だから当然少しでも味方──言い方は悪いけど“使える手駒”を欲しがっていた状況。
互いの利害が一致するなら有り得ない話ではない。
そう考えていたらしい。
それが実現すれば直ぐには効果を求めてはいない。
将来的に──群雄割拠にて桃香自身の皇位の正統性を世に謳い人心を集めようと考えていたそうだ。
流石は名軍師。
先の先まで考えている。
ただ、実際には連合の際に皇族は死亡。
唯一の正統な人物は曹操の夫である曹純の妻でもある劉曄だけとなった。
つまり、今後桃香が自身の正統性を得られる可能性は無いに等しくなった訳だ。
だから、連合の時の朱里は後手後手に回った。
想定外が多過ぎて。
そういう事情も有ったから桃香自身も初めて会った時俺に御輿役を頼んだ。
どんなに自称していようと皇位の正統性に関して──いや、その血筋の正統性は認められなくては無意味な物だと判っていたから。
だから、必要だった。
自分達が“正しいのだ”と人々に印象付ける為に。
“天の御遣い”という名の自分達の象徴となる存在が必要不可欠だった。
しかも、俺は“本物”とは言い切れないが、全く以て否定も出来無い存在。
少なくとも“この世界”で生まれ育ってはいない。
俺が居た世界を“天の国”とするのなら、俺の立場は“天の国の者”になる。
後は、制服の存在だ。
妙に裁縫技術は高いけど、化学繊維は存在しない。
だから制服の材質の事等を説明も出来無い。
その辺りが、全くの嘘だと言い切れない要因だった為俺は“天の御遣い”として御輿を担えていた。
その為、制服を失った俺は“只の人”に変わった。
何の力も無い、平凡以下の無力な青年。
それが、俺の成れの果て。
だから思う事が有る。
掌を返した連中を見返して遣りたい、と。
そう思わない訳が無い。
半分は自業自得ではあるが半分は誹謗中傷と同じ。
何も知らない、知ろうともしない身勝手な連中からの罵倒なのだから。
腹が立つのは当たり前だ。
だから桃香の理想を実現し見返して遣りたかった。
“お前達が否定した俺達は今こうしているぞ!”と。
その上で、自分達の言った事に対する責任を追及して遣り返して遣りたい。
そういう気持ちが有るから奮起出来ている。
今も戦い続けていられる。
桃香達には言えないけど、俺には桃香達の様に不特定多数の生死がどうでもいい他人の為に頑張ろうという様な意志は無い。
口では、それっぽい台詞を言ってはいてもだ。
だから、金名の言った事が本当に可能な事なら。
俺が迷う理由は無い。
もう失う物は無い。
なら、躊躇する理由なんて有りはしない。
それが、どんな事なのかは判らないが。
駄目なら駄目なだけ。
遣ってみるだけの価値は、十分に有るのだから。
「先ず、言って置きますが私は“天の御遣い”という存在が如何なる者であるか理解してはいません
予言が何事を意味しているのかも判りません」
はっきりと否定を口にする金名には呆れてしまう。
それでよく“天の御遣い”なんて言うよな、と。
だけど、そういう風な認識だから俺も気楽に話す事が出来るのも事実だろうな。
もし、金名が他の者同様に“天の御遣い”を信じたり利用したりしようとすれば俺は今の様に金名に対して信頼は寄せないだろう。
…まあ、商人だからこその胡散臭さは有るが。
それは個性だと思ってる。
所謂、“腹黒キャラ”的な位置付けとして。
「ですから、これは飽く迄貴男から聞いた意味で言う“天の御遣い”の事だと…
そう思って下さい」
「…判った」
要は、金名が言いたい事は“本物”が如何なる物かを定義出来無い。
だから、正しくはなくても間違いとも言えない。
そういった“曖昧な存在”だという事を承知した上で話を訊いて欲しい、という事なんだろうな。
「実は私も貴男から聞いた“天の御遣い”という物に少しばかりですが、興味を持ちましてね…
個人的に調べてみた訳です
とは言え、こう有るのなら間違い無く“本物”だと…
そう言い切るだけの確証は見付かりませんでした
民の間では“飛影”という人物こそが“天の御遣い”だろうという話ですね」
「それなら俺も知ってる」
“もし、その人物が俺達に力を貸してくれたら…”と思ったからな。
何の力を無い、名ばかりの“天の御遣い”だった俺と違って実績が有るから。
説得力が全然違う。
ただ、何処に居るのか。
その行方は情報すら無い。
「…もしかして、居場所が判ったのか?」
「いいえ、残念ながら…
居場所は愚か、詳しい事は何も判りませんね
本名なのかも判りませんし何が目的で旅をしているのかも判りません
ただ、人々を助けている
その事実が有るだけです」
そう話を聞くと改めて思う事が有る。
一体、どんな聖人君子なんなんだよって。
ボランティアで生きていく事が出来る世の中じゃない事を俺は理解している。
余程の豊富な資金力を持つ支援者でも居ない限りは、そんな真似は出来無い。
だが、それなら支援者には名声を求められる筈だ。
純粋な善意だけで長い間は支援し続ける事は難しい。
名声が信頼を生み、資金を集める為にも。
そういう事は欠かせない。
だからこそ、不思議だ。
“本当に実在するのか?”という疑いを懐かない方が可笑しい位に。
でも、実際に助けられたと言う人々は少なくない。
それだけに謎は深まる。
「ですが、“飛影”の話は忘れましょう
本人に会えない限りは何を言っても無意味ですから」
金名の言葉に頷く。
確かに気にしても無駄だ。
確固たる確証が無いのなら何処まで行っても無意味な憶測でしかないのだから。
「私が調べた事の中に一つ気になる話が有りまして…
それが、“天の御遣い”の復権に役に立つのでは…と思った訳です」
そう言いながら、本の少し表情に揶揄う様な雰囲気を滲ませる金名。
その様子にはドヤ顔よりもSっ気を強く感じる。
「…勿体振るなって」
朱里達、頭の良い人達って結構勿体振るよな。
自分の知識等を自慢したいという欲求──自己顕示欲から来るんだろうけど。
…まあ、そういう気持ちは大なり小なり、誰にだって有るんだけどな。
焦らされている立場の時は面白く無いのは、共通の事なんだと思う。
「益州の南西部に位置する永昌郡に、“やりょう”県という地が有るのを御存知ですか?」
「いや、郡の名前位までは覚えてるけど、県になると判らないかな…
知ってる場所は有るけど、その程度だな」
「其処は“邪な龍”と書き邪龍と読むのですが…
そういう地名が付けられた事には由来が有ります
何でも、遠い遠い昔…
彼の地に住む全ての生命を脅かした邪悪な巨龍が居たというからだそうです
その邪悪な巨龍を討ち倒し平和を齎した場所が此処、成都の由来だとか…」
「え?、そうなのか?」
「飽く迄、言い伝えです
ですが、その邪悪な巨龍を討ち倒した人物が手にした“破邪の聖剣”が邪龍県の山中に眠っている…
実は、その様な言い伝えも残っているのです
試してみる価値は有るとは思いませんか?」
そう言って笑った金名。
面白がっているのは否定は出来無いが、感謝する。




