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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
638/915

       拾捌


このまま、いつまでも。

幼い頃の戯れの様に。

ずっと、続けていたい。


そう思ってしまう。

今はもう、遠い日の記憶。

思い出の中だけの光景。

実現は出来なくはない。

けれど、それは現実的には不可能でしょう。

何故なら、私にも姉様にも望む物が有るのだから。

その光景を求めてしまえば私達は互いに諦めなくてはならない物が有る。

それは二つを秤に掛ければ簡単に答えが出てしまう。

大切なのは何方等か。

その為には、目の前に有るお互い(敵)を倒さなくては為らないのだから。


その思いは──夢想。


背負う物も、唯一の物も、絶対に譲る事の出来ぬ物をまだ持ち得てはいなかった無垢な少女(こども)の懐く一時の幻想(ゆめ)

ただそれだけなのだから。


私達は現在(ここ)に生きて歩み、進んで行く。

だから、戻れはしない。

立ち止まれはしない。

まだまだ、その(みち)は途中なのだから。

こんな所で満足が出来る訳ないのだから。


だから──此処まで。

子供(戯れ)の夢想(時間)は終わりを告げる。

此処からは真理の支配する非情な現実(戦い)となる。


静かに息を吐き、思考から夢想(余計な物)を消し去り切り替えて、集中する。



(──姉様、行きますよ)



そう胸中で一方的に宣言し私は“構えたまま”で前に向かって駆け出す。



「──っ!?」



そんな私を見て思わず声を詰まらせ、驚愕する姉様の心情は理解出来る。

“コレ”を初めて見たなら無理も無い事でしょう。

今は現に遣れているけれど私だって初めて見た時には物凄く驚いたものだもの。


“構えたまま”と言っても“上半身を動かさないで”という事ではない。

その文字通りに“全身が”構えたまま動く。

それはまるで精巧な人形を子供が使って遊ぶみたいに地面を滑る様に移動する。

理解出来無い者からすれば“妖術なのかっ!?”なんて思ってしまっても可笑しくないでしょう。

氣という技法の存在を知る私達でさえ、そう思う程に異質な事なのだから。


だが、飽く迄も技であり、その域を出ない。

つまり、種は有る。

では、それは何か。

“摺り足”、と武術を知る者であれば考える筈。

多分、大多数が摺り足だと先ず思い浮かべる。

そう思うのが普通よね。


でも、摺り足をすると足は前後に動く。

最小限に止め様とすれば、その速度は“駆ける”とは御世辞にも言えない。

勿論、構えをしないままで摺り足で速く動く事は可能なのだけれど。


構えたまま、滑る様に。

そして、駆ける。

それを可能にするのは実は物凄く単純な発想。

構えたまま、滑る様に前に“低く跳び”、駆ける。

そう、この構えは囮であり右足の使い方を相手からは見えなくする為の物。

勿論、きちんと応酬の為の構えでも有るけれど。

それは直ぐに判るわ。



──side out。



 孫策side──


上下と前後に深い、構え。

形自体は珍しくないけど、あんなに大きく構えるのは見た事が無い。

宅の中にも長物を扱う者は何人か居るしね。

一番、基本的で奇抜なのは祐哉でしょう。

…まあ、一発のみの物って感じが殆んどなんだけど。

兎に角、記憶に無い。

自然と警戒心は高まる。


──と、次の瞬間だった。

その構えのまま“番人”が滑る様に私の方に向かって凄い速さで地面を滑ってるみたいに迫ってきた。



(──何よそれっ!?)



それが素直な気持ち。

訳が解らなかった。

けど、気にしたら負け。

解らない物は仕方が無い。

そう切り捨てる事で余計な思考の混乱と行動の無駄を無くして対応する。

今は只、迎撃する事だけに意識を傾ける事にする。


重心を右足から左足へ移し仰け反りに行く様に上体を後方へと傾ける。

そのまま左足の踵で地面を蹴って飛び退く。

但し、上半身は構えたまま崩さずに。


──と、其処で気付く。



(──そういう事ね!)



今、自分が遣った事を逆に遣ったというだけ。

言葉にすれば簡単な事。

しかし、それを実際に遣るとなれば話は異なる。


自分は下半身は維持をせず上半身──特に頭と両腕を維持しているだけ。

然程難しい事ではない。

だが、番人は違う。

そんな事は仮に考え付いたとしても遣らない。

と言うか、出来無い。

どんな鍛練を積み重ねたらそんな真似が出来るのか。

是非、訊いてみたい。

…無理でしょうけどね。


肉薄した番人が、石突きを下から振り上げる。

それを“南海覇王”の柄尻にて受け止め、強引に押し切ろうとする番人の膂力を利用しつつ往なして、一旦距離を開ける。


──様に見せて、右足にて着地し、体重を乗せながら屈み込み、前へと出る。

振り上げた槍は隙を見せ、構えたままの私は最短最速によって、突きを放つ。



「──っ!?」



其処で私は知る事に為る。

あの構えの厄介さを。


突き出した南海覇王の鋒、その進行方向に。

槍の柄が立ち塞がる。


──振り上げた筈なのに?

思わず懐く疑問。

だが、その答えは目の前に堂々と晒されている。

左手による回転だ。

何故、気付かないのか。

身体の外側──“背面”を通って出て来たから。

たったそれだけの事。


──いつ、どう遣って?

あの構えのまま接近すれば対峙する相手は先ず視線と意識は動く石突きに向く。

それは必然的な事。

しかし、その一瞬に生じる視界と意識の死角を突いたからに他ならない。

あの高低差の大きな構えを見たなら、多少でも武術を齧っていれば動きの予想を“付けてしまう”筈。

それを利用した構え。


奇策ではない。

緻密に計算し、意図された“高み”に在る武。

思わず戦いを忘れ感嘆してしまう程にだ。



──side out



 孫権side──


“成る程…”と、納得。

姉様の構えも意図する事は私の遣っている事の一部と同種の物だった。

まあ、甘いのだけれど。


左手にて回転させた翼槍の柄が南海覇王の鋒を僅かなズレも無く真っ直ぐに受け止めると、回転の勢いにて上へと弾き上げる。

当然、飛び込んで来ている姉様の胴体は無防備。

其処に、翼槍の刃が下から容赦無く斬り付ける。


それでも、至ったが故に。

姉様は咄嗟に右手を柄から離し、強引に上体を反らし身体を捻って致命傷だけは避ける事に成功する。

だが、逃がしはしない。

左足を軸に右足で後ろ回し蹴りを放つ。

それを正面に受け、後ろに大きく飛ばされる姉様。

しかし、手応えが軽い。

左足で自分から後ろに向け飛んで緩和した様だ。

其処は流石だと思う。


しかし、無傷ではない。

宙には赫花が舞っている。

斬った傷と、其処に受けた蹴りの一撃。

それは確実に効いている。

今までなら、追撃はせず、間を置いていた。

だが、今の私にはそうする必要は無い。

もう既に、“追い込み”は終わったのだから。

後はただ、狩るのみ。


振り抜いた右足で地を踏み次いで左足で蹴り弾く。

未だ空中に有る姉様に対し追い抜く勢いで迫る。



「──くっ!?」



緩和したからこそ、意識は刈り取られず、未だ闘志を燃やし続けている。

その眼差しは今も尚勝利を諦めてなどいない。

私を捉え、睨み付ける。


──そうでなくては。


自然と湧き上がる感情。

それは単なる愉悦ではなく少々気恥ずかしさを覚える物である事に気付く。



(そう…そうだったわね…

幼い私にとっての憧憬とは母様だけではなかったわ)



その背中を、見詰めて。

その背中を、追い掛け。

その背中に──今、届く。


あの日の私(少女)の憧憬は目の前に有る。

あの日の憧憬の姉(貴女)は目の前に有る。

幼く、儚く、無垢だった、稚拙な夢想(おもい)

その想いは今、現実へ。


だからこそ、手加減なんて絶対にしない。

本気で打付かり、示す。

私の志を刃に籠めて。




視界の中、離れていた姿が大きくなると判る。

槍刃に切り裂かれた衣服に痛々しく鮮血が染み混んで赤黒く滲んでいる。

この戦いの間に負った傷は決して少なくはない。

全身に出来ている擦り傷・斬り傷は数えるのも面倒に為ってしまう位に。

その何れもが、一歩違えば致命傷になっていた物。

そう為らず、傷程度済んだ辺りは流石だと言える。


それは兎も角として。

正直、傷の大きさ・深さ・多さなんて、どうでもいい事だったりする。

別に姉様を嬲り殺したり、苦しめたりする気は無いし出血多量に因る死亡なんて狙ってもいないしね。

と言うより、殺すつもりで本気で戦ってはいるけれど殺しはしないもの。


普通なら、“それは本気と呼べないのでは?”と思う事でしょう。

実際、半端な意思では先ず出来無いでしょうし、直ぐバレてしまう。

けれど、私達なら日常的に遣っている事。

だから、全く問題無い。

故に、悟られない。



「──っ、哈ああぁっ!!」



私の間合いに入るよりも、僅かに早く姉様は地面へと両足を接地させる。

地表から摩擦により土煙が立ち上ってゆく。

そのまま後ろに飛び退く?

或いは、横に躱す?

──否、そんな事はせず、姉様は私(前)へと向かって地面を蹴る。

逃げる・避けるなんて事に意味は無い。

勝たなくては意味の無い、この状況で“退く”事など出来る訳が無い。

しようとも思わない。


其処に打算や妥協は無く、ただただ勝つ事だけを考え勝つ為に尽力し、勝つまで一心不乱に戦うのみ。



(それでこそ姉様よっ!

虎児(私達)の戦い方は血に刻まれているわっ!!)



私達の血が叫び、共鳴し、猛り狂い、求める。

渇きを満たす為に。


左手に握る南海覇王を私に対して振り抜いてくる。

姉様の利き手である右手に比べれば、稚拙。

その剣筋はかなり雑であり普段から鍛練をしていない事は一目で理解出来る。

それでも、その一撃は鋭く私の命を狙っている。

今の姉様に出来得る限りの最高の一撃を以て。


当然、私自身も姉様同様に回避も防御もしない。

真っ向から受けて立つ。

しかし、刃を交え打ち合う事はしない。

そんな無駄な事はしない。

これが最後の一刃。

この戦いに決着を。


互いに必殺の一撃を以て。


そして──私は至る。

更なる高みの、その域に。

確と、踏み入れる。

雷華様が、華琳様が待つ、その天領(一段)へと。



──side out



 孫策side──


最初の頃とは大違いだ。

“勝てない”なんて弱気な考えは、今は全く浮かんで来ないのだから。


只管に勝つ事だけを考え、勝つ為に全てを傾ける。

そんな当たり前の事でさえ人の心という物は、容易く忘れさせてしまう。

特に幸福や悲哀という様な強い想いを懐く程に。


強い想いはそれだけで心を盲目に、狭窄状態に陥らせ気付かなくさせてしまう。

その想い自体が悪いという訳ではない。

だから、難しく、困った物だったりするんだけど。



(…本当、厄介な物よね…

大切な想いなんだけど…)



脳裏に浮かぶ、祐哉や皆の笑顔の姿が愛しい。

心から、大切だと言える。


それを守れなかった自分の弱さに腹が立つ。

後悔なんていう言葉では、到底言い表せない。

深く、強く、重い…痛み。


視界の中で、見える景色がゆっくりと傾いてゆく。

身体の感覚は奪い去られ、指先を僅かに動かす事すら出来無く為っている。

痛みらしい痛みは無い。

ただ、己の敗北を理解し、結果を受け入れている。


悔しく無い訳が無い。

死力を尽くして敗れたから満足だなんて言えない。

私個人の生き様だったなら構わないでしょう。

でも、私は祐哉の、皆の、生命(みらい)を背負って、此処に居たのだから。

敗れた自分が、情けなくて仕方が無い。


何故、もっと鍛練を含めて努力しなかったのか。

何故、もっと早く逃げずに向き合わなかったのか。

何故、もっと──。


浮かぶ後悔は尽きない。

けれど、それを声にする事さえも出来無い。

泣き叫び、喚く事も出来ず俯せに倒れた身体を温かな赫い花弁が包み込んだ。

皮肉な程に優しく思うのは己が温もりだからか。



(…見てみたかったわ…)



視界が雨に滲む。

霞が掛かる様に薄れる。

日が沈む様に世界は昏れ、意識を呑み込んでゆく。


脳裏に浮かぶ、私達の描く理想の景色(未来)を。

その可能性(光)を。

ただ、静かに。




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