拾陸
(────ぇ?)
不意に脳裏に浮かぶ光景に私は茫然となる。
一瞬、頭が真っ白に為り、その光景が更に鮮明に為り際立って感じる。
同時に思い浮かぶ可能性を私の“勘”が肯定する。
ただ、私の意識は簡単には受け入れずに戸惑う。
だって、そうでしょう。
こんなのって想像しようが無いんだもの。
だから心の準備なんて物は有る訳が無い。
だけど──それでも。
(…目を、意識を、心を、背けられないわよね…)
それが唯一の解であるなら避けては通れない事。
それだけしか、先へと至る術は無いのだから。
(…あ〜もうっ!
何かこう言い様も無い程に恥ずかしいんですけどっ!
何なのよ、これは〜…)
理解してしまうと単純。
しかし、単純であるが故に強い羞恥心を伴う。
悔しさとか、苦しみとか、辛さなんかは無い。
勿論、今に至るまでになら多々有った事だけど。
今は兎に角、恥ずかしさで頭が可笑しく為りそう。
(…こんなのって有り?
祐哉と初めてした時よりも恥ずかしんですけど?)
愚痴りたくても愚痴れず。
でも、此処が何処なのかを考えれば自分の溢している愚痴は届いている筈。
…まあ、敢えて聞かない、そんな私を観ながら密かに楽しんでいる、というのも考えられるのだけど。
(………はぁぁ〜…
遣るしかないわよね〜…)
幾ら愚痴っても、羞恥心はちっとも減らない。
と言うか、愚痴ると余計に意識してしまうからなのか更に恥ずかしく為るし。
…こう為ったら、さっさと片付けてしまう方が良い。
そう、意を決する。
私は大きく深呼吸をすると静かに目蓋を閉じる。
“紅虎”の姿は無い。
でも、何も問題無い。
此処は──“私の裡”だ。
何処に居ても、それだけは変わらないのだから。
具現化し右手に持っていた“南海覇王”も必要無い。
最初から、武器なんて持つ必要など無かった。
それは私の刃(強がり)で、不器用な自己主張。
その投影(具現化)だった。
でも、必然でも有った。
力を、強さを、手に入れるという事を考えたならば、誰だって“勝つ事”を思い浮かべるでしょう。
それは間違いではない。
けど、正しくもない。
他者(誰か)を倒して得る。
そう考え勝ちに為る事も、ある意味必然だと言える。
しかし、そうではない。
本当の意味で勝つべき相手とは自分自身だ。
己に“克つ”事こそ、真に強さを得るという事。
そう、今なら理解出来る。
力に溺れず、呑まれず──己が裡の弱さと向き合い、受け入れ、御する事。
それが、強さと成ると。
その答えへと辿り着いたが故に世界は──解ける。
気付かない様にする為の、偽りの景色は不要と為りて在るべき姿へと還る。
それは正に、長く、長く、待ち侘びていた移ろい。
季節は巡るからこそ美しく儚くも、命を輝かせる。
私もまた、次の私(季節)に進む時を迎える。
風が吹き抜けてゆく。
突風ではなく、微風。
伝い、流れ落ちてゆく涙を拭うかの様に優しく。
そっと髪に触れて撫で梳くかの様に然り気無く。
穏やかな、柔らかな風が、解けてゆく世界を誘う。
鬱蒼と繁茂していた密林が枯れ逝く様に舞い散る。
色褪せぬままに砕ける様に砂の如く細やかに。
軈て、雪の様に消え逝く。
鮮やかだった色彩は失われ世界は姿を変えた。
ただただ、白く淡い世界が其処に存在している。
その中に私は立っていて、ぽつん、と一人。
目の前に人の姿が有った。
其処に居たのは──少女。
まだ幼い頃の、小生意気な小さな雪蓮。
まだ、その頼(甘え)る事を知らない、不器用で孤独な眼差しが私を見詰める。
拒絶の色も中々に濃い。
「元気?…って、言うのも何か可笑しいわね〜…
取り敢えず、“久し振り”になるかしらね、雪蓮?」
少しだけ考えてから、私は自分(彼女)へと話し掛け、同時に曾ての自身の愛想も愛嬌も無い態度に苦笑。
当時はまだ子供だったから判らなかった事。
自分の事だけで精一杯で、周りを意識する余裕なんて全く無かった子供。
“我が儘だった”と言えばその通りだと思う。
でも、子供なんていうのは大体そんな物でしょう。
“自分”が中心でなければ納得出来無い存在。
しかし、ある意味で言えば最も“正しく在る”のだと言う事も出来ると思う。
「……どうして?」
私(彼女)は此方を見詰めて静かに短く訊ねる。
思わず“それだけ?”って言いそうに為る。
でも、流石にしない。
子供に対し追及する真似は個人的に好ましくない。
勿論、考えさせる事自体に意味や価値が有る場合には話は別なんだけど。
「んー…どうして、か…」
その問いが、何を指しての物であるのかは言わずとも理解はしているつもり。
ただ、何処から説明すると伝わり易いのかを考えると悩んでしまう。
自分で言うのも何だけど、決して“聡い”子供じゃあなかったしね。
やんちゃ振りに関してなら自信が有るんだけど。
「…そうね、貴女は妹──蓮華の事は大切?」
そう訊くと少し訝しむけどはっきりと首肯する。
こうしていると、警戒心の強さは私は蓮華以上だった事を自覚してしまう。
…まあ、そういう風に成る様に母様に教え育てられた訳なんだけど。
元々、性格的に人見知りな部分が有ったのよね。
ただ、私(本人)が自覚してなかったってだけで。
…意外と気付かない物ね。
(けどまあ、我ながら全然可愛げが無いわね〜…)
警戒しつつ睨み付けている自分の姿に胸中で苦笑。
仔猫──いえ、仔虎にさえ有る愛らしさが無い。
一応、美少女では有るのに拙く不細工な敵意と殺気が相殺して尚余って、印象を悪くしているから。
本当、残念な娘だわ。
「あの娘、蓮華はね…
ずっと苦しんでいたわ
母様の、私の、シャオの、その存在にね…」
そう言うと私(彼女)は顔を顰めてしまう。
思い出す、あの日の記憶。
旅立ち(別れ)の日を。
思い出すだけで今でも胸が締め付けられる。
私は姉として、蓮華(妹)に何もしてあげられなくて、苦しめてしまっただけ。
本当に不甲斐無いわ。
「…でもね、それは蓮華に限った話じゃないのよ
私もね、同じだったの…」
自ら口にすると解る。
先程、脳裏に浮かんだのは幼き日の自分の姿。
私は母様に“認め(構っ)て欲しくて”頑張っていた。
それは、只の寂しがり屋で甘え下手な一人の少女。
紅虎(母様)を追い求める、不器用な女の子。
ただそれだけなんだと。
それが私の弱さ(壁)の正体だったんだと。
そして、自覚したからこそ心は清々しいまでに晴れ、穏やかで温かい。
きっと、あの時の蓮華も、こんな気持ちだったのかもしれないわね。
「…だから、ね?
雪蓮(貴女)も独りでなんて居なくていいのよ
一緒に行きましょう?」
そう言って私は屈み込むと両手を広げて微笑む。
そんな私を見て私(彼女)は戸惑っている。
まあ、当然でしょうね。
だって、ずっと独りきりで閉じ籠っていたんだし。
…ああ、うん、そうよね。
こんなの“私らしくない”じゃないの。
「──えいっ♪」
「──っ!?」
私は戸惑う私(彼女)を抱き締めると立ち上がる。
驚き──理解し慌て始める私(彼女)を見詰め、笑う。
「残念♪、諦めなさい
もう絶対に、独りになんてしてあげないんだから♪」
「────」
そう宣言し、強く思う。
私は独りじゃない。
もう、独りじゃない。
騒がしい位に毎日が楽しく賑やかなんだから。
寂しさなんて感じる暇さえ与えてくれないもの。
だから──もう大丈夫よ。
一緒に笑いましょう。
──side out
孫権side──
「────っ!」
姉様が裡に“入って”から15分程経った。
そんな時だった。
ザワッ…と、全身の皮膚が粟立つかの様な感覚。
実際には、鳥肌が立つ様な事は無いのだけれど。
けれど、それは嫌な意味の感覚ではない。
自然と口元が緩む。
仮面を付けていなければ、きっと今の私は狂喜に似た笑みを見せている筈。
そういう意味では雷華様に感謝しないといけない。
(…まあ、雷華様の事だしこう為る事まで読んでいたのでしょうけどね…)
これが何を意味するのか。
私は知っている。
ただ、姉様のそれに関して私が懐く想いは三つ有る。
一つは、他者の“開花”を目の当たりにした事に由る興奮でしょう。
覇者・王者、そして覇王。
その開花は特別。
けれど、華琳様は私と逢う以前に至って居られた。
当然ながら、私自身の時は客観的には解らない。
つまり、他の才器を持った人物の開花が無い限りは、私は感じられない訳よ。
だから、この瞬間を迎える事が出来て嬉しく思う。
同時に、雷華様や華琳様が様々な“才器を育む”事を好まれるのも解った。
これは癖に為る感覚よね。
二つ目は純粋に妹として、姉の成長に対する祝福。
傍に居れば気付かなかった姉様の抱える闇(苦悩)にも離れたからこそ気付いた。
“外”に出たから私は──私達は踏み出せた。
そう考えると、この開花も雷華様との出逢いにより、約束されていた。
そんな気もしてしまう。
実際には雷華様は“それはお前達自身の成長だ”とか言うのでしょうけどね。
そして──三つ目。
それこそが今回の全て。
私の更なる飛躍(成長)の為には欠かせないから。
その歓喜は狂喜。
先の二つよりも遥かに強く──心身を昂らせる。
(──嗚呼、姉様っ!
私は貴女と姉妹である事を今程強く嬉しく思った事は有りませんっ!)
これは母様では駄目。
母様を相手にして越えても全盛期ではないのだから、本当の意味での“闘争”は叶わない。
そう、歳の近い姉妹で有り類い稀な姉妹で才器を持つ存在だからこそ。
私達は闘う事を望む。
その先へ進む為に。
目指す高みへ至る為に。
──さあ、姉様。
此処からが本番です。
早く、始めましょう。
魂魄が響き、奏でる。
極限の果ての舞闘を。
天へと捧げましょう。
私達だけに許された。
双虎の覇天の真武を。
──side out
孫策side──
世界が白み──解ける。
抱き締めていた温もりが、私の中へと融け込む。
凍えそうな程に冷えていた存在が私の中でゆっくりと温もりを取り戻してゆく。
最初から其処に在ったのに長い間離れ離れだった。
何とも皮肉な事だと思う。
だけど、この“回り道”も今は必要な事だったのだと言う事が出来る。
白から黒へ、光から闇へ。
目覚めを迎える為に。
私は“私”へと還り至る。
白と光に融ける瞬間に。
私は見た光景を忘れない。
不器用で、生意気な少女の照れながらの泣き笑いを。
閉じていた五感が戻る。
目蓋の向こうに感じる光が今までと違う様に思う。
右手に感じる感触。
本物の南海覇王(相棒)に、柄を強く握る。
長かったのか短かったのか定かではない時間の流れを肌を撫でる風の感覚により取り戻してゆく。
思い出せば、結構可笑しな体勢だったと判る。
その割りには身体に変化や違和感は感じない。
と言うより、今は疲労感や痛みすら感じない。
ただただ、心身の奥底から湧き上がる熱が有る。
全身を駆け巡り、燃やし、昂らせ、猛らせる。
熱く、熱く、滾らせる。
意図せず上がる口角。
端から観ていたとすれば、あんな劣勢の状態からだと強がりにしか見えない。
そんな滑稽な笑みを浮かべ私は静かに立ち上がる。
熱に侵され、昂る心身とは真逆に、ゆっくりと。
閉じていた目蓋を開く。
若干の眩しさに目を細め、それでも閉じはしない。
“早く!”と求める渇望が赦さない。
其処には静かに佇んだまま私を見詰めていると感じる“番人”が居る。
その姿を見て、私は胸中で苦笑を浮かべる。
あれ程緊張し強張っていた身体は嘘の様に軽い。
自分の単純さに呆れつつ、頼もしくも思う。
“大分待たせたかしら?”なんて言わない。
「さあ、始めましょう!」
交わす言葉は不要。
交わすは“志刃”のみ。
互いの全てを刃に込め──只管に殺し(語り)合う。
それこそが、私達の闘い。




