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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
631/915

       拾壱



「──痛っ!?」



背中から地面に落とされ、上手く受け身を取れなくてお尻と腰を打付ける。

普通に転んだりしたのとは違って高い場所から落ちた時に感じる痛みは大きい。

だから、普通は注意する。

出来れば、だけど。



「ったく…剣を手放すならきちんと最後まで受け身を取りなさい…

意味が無いでしょ?」


「むぅ〜…でも、そんな事言われても咄嗟に手放しただけだし…

其処まで考えてないもん」



身体を起こし右手でお尻を擦りながら、涙目で自分を投げた相手──母様を睨み文句を言う。

そうすると、母様は小さく溜め息を吐く。


…まあ、実際は危ないから剣を離しただけで、特には考えていなかった。

その前の段階では…まあ、“負けられない”って強く思ってたけど。



「余計な事を考えるから、無駄が増えるのよ」



見透かされているみたいにそう言われ、ムッとする。

なので、一言言い返す。



「…でも、“護る存在”が有るから強くなれるって、母様が言ったんじゃない…

それなのに考えるなって…

可笑しいわよ…」



でも、怒られたくはない。

だから、文句を言う声音は控え目だったりする。

これが母様以外なら強気に言えるんだけど。

くっ…大人って狡い。

ちょっと強いからって力で黙らせるんだもん。

そんな大人には私は絶対に成らないわ。



「はぁ〜…ええ、そうね

確かに“護る存在”の有る者は強いわ

それは間違い無い

だけどね、雪蓮?、貴女は勘違いしているわ」


「…勘違いって?」



母様が顔を私から外した為後を追う様に振り向く。

其処には妹──孫権を抱き私達の鍛練を見守る父様が笑顔を浮かべていた。

…この状況で熟睡している我が妹は大物に違い無い。

そんな事を考える。



「“護る存在”…つまりは“大切な存在”は人各々、様々でしょう

私には私の大切な存在が、貴女には貴女の大切な存在が有る様にね

でも、それは当然の事よ

私は私で、貴女は貴女…

各々、別人なのだから

それは判るわね?」


「…まあ、何と無くは…」



私にとっては家族。

特に可愛い孫権(妹)の事が真っ先に頭に浮かぶ。

でも、母様は違う筈。

同じ様に家族の事は大切に思ってはいても、母様には孫家の当主の立場も有る。

だから、私とは違う。

違っていて、当たり前。



「戦う理由・覚悟としての“大切な存在”は大事よ

でも、一度戦いが始まれば戦いに於いて考えるべきは目の前の相手を倒す事…

ただそれだけよ

それだけに集中しなさい

本の少しでも余計な思考が混じれば動きは鈍る…

それは敗北に繋がるわ

勝負なら負けから学ぶ事も有るでしょう

でも、戦に於いて敗北とは死を意味するもの…

護りたい存在を護る事すら出来無く為るわ

そして“奪う命(相手)”に対しての最低限の敬意でも有るのよ

その事を、決して忘れない様にしなさい」





白んだ意識の向こう側で、鮮明な光景を見た。

それは幼き日の一場面。

懐かしい、記憶。


白く濁り霞んでいた視界が少しずつ霧が晴れるが如く薄れていき、色彩の滲んだ景色が戻ってくる。

そして、指先に感じ取った感触が、私の意識を一気に覚醒させる。



「────っ!!」



明確に為った視界。

はっきりと見える地面。

自分の今の状況を思い出し即座に認識する。

しかし、しっかりしている意識とは裏腹に身体の方は感覚が鈍い。

四肢に力を感じない。

頼りない程に弱々しい。


それでも──今此処で私は倒れる訳にはいかない。


その一心が身体を動かす。

右の掌から溢れ落ち掛けた“南海覇王”の柄を指先で引っ掛け、手繰り寄せるとしっかりと握り締める。

前のめりに為った身体を、一歩、右足を前に踏み込み強引に堪える。


踏み留まる事よりも先に、顔を上げて前を見る。

地面を舐める様にしながら上向いた視界の中に映った姿に向かって心の中で私は必死に手を伸ばす。


縋る訳ではない。

泣き付く訳でもない。

ただ、まだ倒れてはいない私を無視して立ち去る背に向かい、叫びたくて。

ただ悔しくて、悔しくて。

自分の不甲斐なさに対して苛立ちと憤怒が沸く。


此処までなの?

こんな半端で終わる?

皆と──祐哉と離れる?


──認められないっ!!

私の我が儘だったとしてもそんなのは認めないっ!


更に一歩、左足を踏み出し未だ前に倒れ掛かっていた身体を気合いで起こす。

詰まったままの息苦しさは変わらない。

声を出す事は愚か、呼吸も儘ならない状態。

それを無理矢理に捩じ伏せ喉の奥から絞り出す様に、低く、掠れた、消えそうな声を吐き出す。



「…ま…ち……さ、い…」



けれど、微風にさえ容易く掻き消されてしまいそうな弱々しい声が、あの背中に届く筈が無い。

その歩みを、止める為には全く足りなかった。


どうすればいい?

どうすれば私の意志を──まだ終わっていないという事を示せるのか?



「──っ!」



不意に脳裏に過った光景。

それは、私の人生の中でも最も衝撃だった事と言える“至高の武闘”の始端。

目の当たりにして、全身に鳥肌が立ちながらも心身は昂り魅入ってしまった程。


そう…そうだったわね。

戦場に於いて幾多の言葉は必要無かった。

そんな物は無くても互いの意志を示し、伝え合う術を私は知っている。

そう、知っているのよ。


私は己が意志を──闘志を持てる限りの全てを込めて“番人”に向ける。

“まだ終わっていないわ!

まだ私は貴方と戦えるっ!

だから──私と戦う為に、立ち止まりなさいっ!!”と意志(挑戦状)を叩き付け、背中を睨み付ける。




視界の中、その背中が──歩みが止まった。

私から遠ざかっていた筈の姿が、それ以上小さくなる事は無かった。


それを見て、自然と口角が上がっていた。



(全く…何なのかしらね

この、どうにもこうにも…

言い様の無い感覚は…)



別に勝った訳ではない。

それ所か、未だに勝ち目は見えてすらいない。

ただ、戦いが継続する。

たったそれだけの事。


──それなのに。

無性に、はしゃぎたくなる程の歓喜を懐く。


その感覚は──そうね。

多分、子供が一度止められ“まだ遊んでても良い”と言われた時の感じ。

それが一番近いかも。

或いは、朝、布団から出る時に“もう少しだけ…”を許された時の嬉しさか。


そして、可笑しな物で。

人は楽しさや嬉しさを懐く状況に在ると、疲れなんて感じ無くなってしまう。

痛みや苦しみも同じ様に。

ただただ、戦い続けられる現状に対して、私の全てが歓喜している。


ゆっくりと、番人の背中が回り、私の方へと向き直る様子に胸が高鳴る。

緊張から来る鼓動の高まりではない。

期待と興奮、無性の喜楽に気持ちが躍り始める。


番人が再び私を見た。

今までは視線を感じる事も無かったのに。

今は、はっきりと判る。

私を敵(戦う相手)と認め、闘志を向けられていると。


同時に、伝わってくる。

“二度目は無い”とも。



「…あんな酷い戦いをしておいてから言える様な立場じゃあないんだけど…

安心して頂戴

次は、本当に全てを掛けて貴方に向き合うわ

貴方を倒す、その為だけに私は私の全てを尽くす」



それは対峙する敵に対して言う様な言葉ではない。

何方等かと言えば、終生の好敵手だったり、己が武の目標とする相手だったり、真っ向から打付かり合って勝ちたいと思う。

そういった相手に対しての言葉だと言えるでしょう。

だから場違いに思われても仕方が無い事。


これは私の我が儘。

私なりの意思表示。

私自身に、相手に、皆に、全てに対して。


私は、戦い抜くと。

そう、宣誓する為の物。




地面を踏み締め、右前での半身に構える。

南海覇王は両手で持って、鋒を下に向けたまま左足に沿わせる様に。

後の先──受け身からの、返しを優先する。


正直、あんな風に勇ましく言った手前、格好悪いとは自分でも思う。

でも、仕方が無い。

自分から責めたい気持ちは有るのだけれど、直ぐには向かっていけない。

先程までの戦いでの影響は確と身体に残っている。

背に腹は代えられない。

無い物強請りは出来無い。

今は呼吸を、状態を整える事を優先する。

防戦一方な展開になるのも致し方無い。



(………?)



──と、覚悟を決めたのに番人には襲い掛かって来る気配は感じない。

寧ろ…いや、馬鹿な。

でも…そうとしか思えない雰囲気なんだけど。



(…これって、私の状態が整うのを待ってくれてる?

普通に考えて有り得ない事なんだけど…)



何と無く、そう感じる。

視線は──未だに顔を見る事は出来てないんだけど、視認されているって程度は感じられる──私を捉えたままみたいだけど、構える様子は全く無い。

…まあ、今までも構えたりしてないんだけどね。


ゆっくりと振るわれる。

肩慣らしの様な槍の動き。


それを見て思う。

鈍い自分に呆れながらも、余程“思い出したくない”事でも有るんだと察すると胸中で苦笑を浮かべる。



(…通りで、あんなに私も反応出来てた筈よね…)



改めて見ても、母様の動きその物だと言える。

だが、感心もする。



(にしても…よくもまあ、あんなにも細かい部分まで同じ動きだなんてねぇ…)



本当に、母様その物だ。

妙に気紛れっぽい雰囲気や余裕綽々な感じまで。



「…貴方、何者なの?」



だから、それを問わずには居られなかった。

答えが返るとは思わないし期待もしていない。

単に言いたかっただけ。

一番口に出してしまう事で懐いた疑問を追い出して、集中する為に。


とは言え、その事に対して自分は全くの無関係という訳ではない。

少なくとも、その正体には興味が有るのだから。


でもまあ、“あの”母様と寸分違わぬ動きを出来る。

その時点で只者ではない。

しかも、此処は曹魏の領地でもあるのだから。

あの曹操夫妻が放って置くなんて考え難い。

だとすれば、曹家の家臣か──本当に“此処の番人”という可能性。

この二つでしょう。




しかし、だからと言って、母様の戦い方をあんなにも理解しているなんて事が、有り得るのか。


普通に考えると…無い。

娘の──多分、姉妹の中で一番手合わせした数が多く一番長い時間教えを受けたであろう私ですら、未だに母様の領域にまで手が届く気がしないのだから。

他人が、とは考え難い。



(宅の中で一番経験の有る祭でさえ、母様の戦い方は“天賦(真似出来無い)”と言い切る位だしね…)



そう言った祭の気持ちも、理由も私は理解出来る。


技術的な物ではない。

それは宛ら“野生の環境で生まれ育った”という風に思わされる物。

同時に“経験を積めば”と考える事も出来無い物。

それは己が持って生まれた本能的な獣性(才器)。

環境(戦)という場を得て、経験(研磨)により顕に成る野性(虎)の爪牙。


だから真似は難しい。

つまり、普通に考えるなら目の前に居る存在とは──孫文台本人(母様自身)以外考えられない事になる。



(…もしそうだとしたら、最悪過ぎる冗談よね…)



死者が甦った。

そういう事に為るのだから笑えない話だ。

勿論、話が通じるのならば歓迎しなくもない。

もしもそれが仮初めの──時間の限られた逢瀬だったとしても。

私は喜べると思う。


でも、明らかに話し合える状況ではない。

となると、単純に目の前に母様(強敵)が居る。

それだけが事実に為る。


勿論、母様が甦ったなんて信じられる訳が無い。

信じたいとも思わない。

ただ、そんな風にでも今は考えないと混乱したままで戦いに集中出来無くなると思っているから。

ただそれだけの話。


先程の問いにしても答えが返ってくるなんて事は全く期待してはいない。

…いえ、それはまあ、私も“返事が有ると良いな〜”程度は考えたけど。

それは期待とは言わないと個人的には思うの。

飽く迄、希望、でしょう。



(…けどまあ、何にしてもアレよね…

母様(壁)を乗り越えなきゃ私は何も得られない…

そういう事なんだから…)



要するに、遣るしかない。

ただそれだけなのだから。




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