拾
視界から消えた“番人”の姿を気にするよりも早く、私の視界は明後日の方向を映し出していた。
そして、右足の裏に感じる硬い感触と、衝撃。
視界には地面が映る。
其処に来て漸く、身を捻り頭を下げて左足を軸にして右足による後ろ回し蹴りを放ったと判った。
普段では先ず遣らない様な無理矢理な体勢から強引に繰り出した一撃。
それは左足で逆手に持った槍刃の腹を捉えていた。
此方に向けて突き出された軌道は横撃を受け直線から曲線──円へと変わる。
当然、その槍を持っている番人の身体も左回りの形で回転し始めている。
下から覗き込む様な格好で見えたのは、そんな状況。
逆さまに映る視界の景色は非現実的な気がして、妙に冷静さを与えてくれる。
他人事の様だ、と言うのが一番判り易い感覚かも。
だから、何と無く判る。
南海覇王が、右腕が受けた衝撃は“同じ攻撃”により弾き、防がれたのだと。
私が接近し、攻撃した所に左足を振り上げて足の裏で剣刃の腹を叩き、逸らす。
同時に右手から左手へ槍を持ち替えつつ、最速による追撃を行った。
右手の突きより、左逆手の突きの方が裏拳に近いので威力も精度も有る。
柄も槍刃に出来る限り近い場所を握れば尚更にね。
それが先程の番人の動き。
しかし、互いにまだ途中。
動きは止まらない。
槍刃の直撃は逸らしたけど上や下に逸らしていないし外に弾いた訳でもない。
その為、同様の軌道を描く柄は残っている。
番人は私の攻撃に逆らわず寧ろ折角の勢いを殺さない様に加速させて、無防備な私の身体を目掛け後ろ手に横薙に振り抜いてくる。
それに対して、私は右足を振り抜いた状態から勢いを殺さずに踵を地面に向けて振り下ろす様に力を込めて上体を起き上がらせる。
丁度、槍の柄を斜め下から弾き上げる様に南海覇王を振り抜き──迎撃。
ガギィンッ!、と良い音を響かせながら弾き合う。
互いに体勢を整えながらも回転は止めない。
軸足を入れ替え、正面から上段蹴りを放つ。
鍔迫り合いの様に肉と骨が軋み、その音が、衝撃が、身体に響く。
一瞬の拮抗、その後。
弾かれ合う様に足は離れ、至近距離からの剣戟。
一合、二合、三合…と続く連撃に音の方が先に崩れ、曖昧な斬響を生む。
先程まで一撃ずつ程度しか打ち合っていなかったのが嘘の様な激しい応酬。
重さよりも速さと正確さを重視した乱撃は宙に火花を咲き散らす程に。
ただ、全ては事後の認識。
まるで、客観的に観ている第三者の様な感覚。
自分が戦っている筈なのに取り残された様な疎外感を味わっていたりする。
それも仕方が無いと言えば仕方が無いのだと思う。
私自身が考えるよりも先に身体が勝手に反応しているという状態なんだから。
そして、再び感じる。
奇妙な違和感が拭えない。
何が、とは言えない。
でも、何かが引っ掛かる。
突き出した南海覇王の刃が番人の左手の掌底の一撃で外側へと逸らされる。
次いで持っている右手首を掴まれ、体勢を前へと引き崩されてしまう。
その流れに逆らわず、自ら踏み切って飛び込む様にし左の膝蹴りを狙う。
しかし、上げた左足の脛は右手に持っている槍の柄で防がれてしまう。
それだけではない。
左手を引きながら身を捻り左回りに回転。
“背負い投げ”をする様に身体は引き込まれる。
槍の柄に左足は掬い上げる様な感じで刈り取られ──私の身体が宙に舞った。
その時だった。
(────ぁ…)
ゆっくりとした光景の中、今の状況が脳裏で懐かしい一場面と綺麗に重なる。
此処から、“どう”すれば良いのか知っている。
身体が覚えている。
勢いに逆らわず、空いてる左手を番人の右肩に付いて逆立ちをする様に思い切り身体を伸ばしながら捻り、掴まれていた右手を強引に捩切る様に引き離す。
そのまま投げられた勢いを利用して距離を取りつつ、相手を見据えながら着地の体勢へと入る。
追撃は…して来ない。
投げた姿勢からなら余裕で可能だとは思うのに。
寧ろ、体勢を崩していると思えてしまう状況。
番人が隙が有る様に見せて誘っているのは丸見え。
だから、着地したと同時に更に一歩だけ真後ろに低く飛んで距離を開ける。
追撃は行われず、お互いに一息吐く様に間を取る。
この間は大きいと言えた。
今漸く、認識するに至る。
何故、不慣れな筈の攻撃を幾度もギリギリとは言え、躱す事が出来たのか。
その答えたは単純だった。
私の“勘”じゃあなく──もないけど、正確に言うとちょっと違ってて。
それは経験則に因る物。
そう、私は“知っている”からに他ならない。
その戦う様は縦横無尽。
軽やかで靭やかな動きと、一撃で命を奪い取る爪牙。
一瞬でも隙を見せたなら、即座に死に直結する。
時には自ら誘い込む事すら容易く遣って退ける。
全ては獲物を狩る為に。
それは正に獰猛且つ冷徹な“虎”の戦い方。
母様──孫文台の戦い方に間違い無かった。
「────っ、……っ…」
“そんな馬鹿なっ!?”、と思わず叫びそうになる。
それを堪えられたのは──否、そう為らなかったのは単純に認めたくないというだけの話だったりする。
もし、目の前に居る存在が本当に母様なんだとしたら私は──勝てないから。
(──駄目よ、雪蓮っ!
それを考えちゃ駄目っ!)
脳裏に、胸中に浮かんだ、小さな弱音に必死に抗って否定する様に叱咤する。
そうしなくては為らない。
南海覇王を握る私の右手は今にも力を失い、落としてしまいそうなんだから。
勝つ事は愚か、戦う事すら出来無くなってしまう。
それだけは、絶対に駄目。
とは言え、そんな意思とは裏腹に違うと否定しようとすればする程に、母様だと思えてしまう。
外見的な特徴の一つである狼っぽさ。
それは、今は亡き馬騰──“呀狼”との対比と関係を暗示していると言える。
勿論、両者が対立していたという様な事はないので、深読みは邪推でしょう。
次に黒羽から連想するのは大体が烏でしょう。
一見すると無関係っぽいと思うのだけど、実は意外と関係が深かったりする。
但し、烏その物ではない。
“烏”の字が、である。
母様──“紅虎”と対するもう一人の存在。
“白虎”──厳虎。
早熟だった母様と、遅咲きだった厳虎は接点が少ない事は周知の事実。
でも、一つだけ共通となる面白い逸話が有る。
あまり知られてはない為、気付く者は少ないけど。
母様が自らの名を轟かせる切っ掛けと為った一戦──初陣は当時、横行していた賊徒の討伐だった。
その場所は呉郡・烏程県。
一方、厳虎が武勇を世間に知らしめたのは、反乱した豪族の鎮圧──実際の所は虐殺に終わったが──で、会稽郡・烏傷県。
そう、その事実を知る者が見たならば、烏とは二虎の“巣立ち”を象徴する存在であると気付くでしょう。
最後に、四本の鹿の角。
これは母様自身の個人的な繋がりだと言える。
まだ私も蓮華も幼い頃で、小蓮が生まれる前。
父様が生きていた頃の話。
普段は穏やかで温和な姿が印象的だった父親だけど、実は狩りの──特に弓術の腕前が高かった。
野生の鹿を、二頭同時に、一矢で射抜き仕留める所を目の当たりにした事は今は懐かしい記憶。
しかも、母様の話だと実は一度や二度ではなく条件が揃えば狙って出来るのだと教えられた時の私の父様に対する驚愕は尋常ではない物だったりもした。
ただ父様は戦場に立つ事は無かったらしく、対人での力量は不明。
その為、知られてはいない逸話だったりする。
つまり、それを知っている人物は極僅かだという事。
其処に加えて、あの槍。
これで母様を連想するなと言う方が無茶だと思う。
「……っ…」
意識して、口を閉じる。
強く唇を結び、歯を合わせ開かない様にする。
少しでも口を開いたならば“…母様なの?”と思わず言ってしまいそうだ。
それ位に、自分の目の前に存在している者は母様への繋がりを感じさせるのだ。
(…違う…違う違うっ!
違うったら違うのよっ!!)
認めてはならない。
何が何でも否定しなさい。
そうでなければ…
そうしなければ…
私は──屈してしまう。
失った母様を求め心が泣き叫んでしまう。
「──ぁあぁあああぁあああぁあぁあぁぁぁーーーーっっっっっ!!!!!!!!!!!!」
思考を放棄する様に叫び、両手で持つ南海覇王を振り上げて、斬り掛かる。
策なんて無い。
読みも駆け引きも無い。
ただ、我武者羅に。
恐怖心を拭うかの様に。
何も考えずに。
──カキィンッ!
「──っ!?」
だから、それは単調過ぎて軽々と弾かれる。
今までに無い程に容易く。
右手に持った槍の石突きが捉えた結果、私は頭上へと両腕を跳ね上げられた。
当然ながら今、南海覇王を弾かれてもいるし無防備。
攻撃されても防ぐ手段など皆無に近い。
それでも、通常時であれば何とか出来たでしょう。
そうなる事態を想定して、反応出来る様に備えているでしょうから。
反撃だって考えている。
しかし、今は自らそれらを放棄したのだから。
出来る訳が無い。
視界の中で、緩慢と言える程にゆっくりと。
番人の左腕が動く。
握り締められている拳が、がら空きとなった胴体──鳩尾を目掛けて迫る。
弾かれ、伸びている両腕を無理矢理に戻す事は出来るでしょうけど、先ず防御は間に合わない。
無駄に全力で走っていた為身体は勢いのままに番人に向かっている。
左右に踏み込んたとしても回避には至らない。
相手の攻撃をズラす真似も出来無いし、力量的に見て期待も出来無い。
一歩二歩程度のズレなんて簡単に修正し、捉えてくるでしょうからね。
(──くっ、一か八か!)
右足を振り上げて、左足で地面を踏み切って自ら前に向かって跳ぶ。
下から掬い上げる様に出る番人の左拳に乗る様にして右足の裏を当てる。
突き出される力と、自分で踏み切る力で後方に向かい宙返りする様に、跳ぶ。
逃げ切れるとは思わない。
飽く迄も、一時凌ぎ。
一撃を回避する為だけ。
後の事は考えていない。
体勢が変わった事で伸びた両腕に自由が戻る。
来るであろう追撃に備えて胸元に南海覇王を引き寄せ縦に構えながら、着地。
「──っ!?」
──出来無かった。
視界が地面を映したまま、まだ身体は回転の途中。
その状態でも感じ取る。
悪寒とは違う、全身を撫で上げる様な死の気配。
視界の端──普段、頭上に位置する場所に本の僅かに入り込んだのは爪先。
“虎”の、爪先だった。
脳裏に浮かぶ、光景。
皆と、祐哉との──別離。
その可能性(未来)が近付く足音が聴こえてくる。
(…何遣ってるんだろ…)
劣勢な事に焦りは募る。
それは仕方が無い。
そんな事、今までに幾度も経験してきた筈なのに。
私は心を乱した。
ふと、考えてみる。
その要因は何だったのか。
過去と。
現在とでは。
何が違うのだろうか、と。
すると、迷う事無く脳裏に浮かんだ存在が有る。
その瞬間、“成る程ね”と素直に納得してしまう。
(…本当に厄介な物ね…)
──“恋愛”というのは。
私を強くしてくれる。
でも、時に弱さにも為る。
単純で、面倒で、未熟で、不完全で、不器用で。
堪らなく、大切な想い。
故に──仕方が無いか。
その一言で完結させられる自分が此処に居る。
悔しくない訳ではない。
未練が無い筈が無い。
それでも、受け止めよう。
これが、私の──私達の、物語の結末だと。
ヒュッ──と風が哭く。
その次の瞬間だった。
構えていた南海覇王の脇を擦り抜けて、私の鳩尾へと石突きが綺麗に入った。
「──っ!?、ぁ、かっ…」
痛みよりも早く息が止まる苦しみが意識を襲う。
回転している身体は、自ら石突きに突っ込む様に回り一撃の威力を増加。
私の身体は、攻撃と回転の勢いが打付かり合った事で着地をしたかの様に綺麗に足が地面に捉えた。
けど、均衡は一瞬。
退けられた槍という支えを失い、意識は薄れ、身体は前のめりに傾いていった。




