肆
自分の振った話なのだから勝手に逃げるのは無責任。
例え、華佗に嫌われ様とも最後まで話を続ける。
その覚悟で、華佗を見る。
「…っ…揺れている理由は故郷とかなのか?」
一瞬、当然の様に出掛けた謝罪の言葉を飲み込む。
此処で謝る事は簡単だ。
しかし、それでは謝る事で責任を有耶無耶にしようとしている様にも思える。
勿論、華佗が、そんな風に考えるとは思わない。
そんなに根に持つタイプに見えないからな。
だから、これは俺の気分・気持ち的な事なんだろう。
身勝手な理由だけどな。
取り敢えず、話題を続ける為にも質問してみる。
再び地雷を踏む可能性も、更に悪い方に行ってしまう可能性も有るだろうけど。
此処は退かずに前に。
勇気と気合いで踏み込む。
「…故郷は無くなったよ
俺が師匠に拾われた時には生まれ育った長閑で平穏な小さな村だった場所は…
焼け焦げた血と肉の臭いが満ちていたよ…」
(──盛大に爆死したあぁあぁぁーーーっっ!!!!!!!!
時代的に故郷の話題とかは地雷だよな普通っ!
少しは考えろよ俺っ?!
ダメダメだろうがっ!)
思わず両手で頭を抱え込み項垂れたくなる。
自己嫌悪なんていうレベルじゃないよな、これは。
もう、いっその事一思いに怒るなり嫌うなり貶すなり遣って欲しい。
潔く受け入れるので。
それ程に自分の迂闊さには頭が痛くなる。
だが、逃げられない。
逃げてはならない。
これは自分の責任だから。
「それじゃあ、家族は…」
「ああ、その時にな…
まあ、両親は、それよりも前に流行り病で病死した
亡くなったのは俺を一人で育ててくれていた祖父だ
当時は俺も幼かったからな
確かに辛くは有ったが…
師匠が居てくれたしな
別に珍しい事じゃあない
有り触れた何処にでも有るちょっとした悲劇だ」
そう言い切れてしまう事をどう受け止めるべきか。
確かに間違いではない。
自分だけが悲劇の主人公と勘違いしている者よりも、遥かに前向きだと言えるし個人的にも好感を持てる。
…あっ、そういった意味の好感じゃないから。
飽く迄も人として、ね。
其処、重要ですから。
それは置いといて。
複雑な理由は、その当事者が華佗だからだ。
もし、これを普通の平民や兵士辺りが言ったのなら、それに感心して、終わり。
複雑さなんて懐かない。
でも、華佗は医者だ。
人命を救う事を使命とする熱血漢でもある。
それ故に、その考え方には単純な感心は出来無い。
悲劇から命の儚さ、尊さを学んだと言われたのなら、納得出来るのだが。
微妙に、諦めている様にも受け取れてしまうので。
二度も続けた失敗の後故に更に踏み込む事は躊躇う。
その先を訊いたとしても、俺は何も返せない。
興味本意の質問と比べても何が違うのか、俺は明確に説明出来無いのだから。
──side out。
華佗side──
小野寺にしては珍しく踏み込んだ質問だと思った。
そういう事をしそうにないという訳ではなく。
単純に無神経に“内側”へ土足で踏み込む様な真似を遣っている所を見た記憶が無かったからだ。
まあ、長い付き合いという訳ではないし、深く互いを理解しているという訳でもないのだから判らなくても何も可笑しくはないが。
…少々、過大評価し過ぎていたのだろうか。
悪気は無いのだろうが。
それ故に無意識に傷付ける事が有るのだがな。
(…それにしても“孫呉に来ないか?”と勧誘されるとは思わなかったな…)
今や曹魏という一強の世に無益な争いは少ない。
正直、曹魏に俺が必要とは思わない。
曹魏は医療の面で言っても素晴らしい国だからな。
寧ろ、未だに領土の全てが安定をしてはいない孫呉の方が俺を必要としていると言ってもいい。
…益州?、確か彼処は今、劉備が統治しようと行動を続けていると聞くな。
俺自身は曹魏と両袁家との合戦以降、ずっと南に居る状態が続いている事も有り然程詳しくは無いが。
…南蛮域にしかない稀少な植物等が荒らされていない事を祈りたい所だ。
それは兎も角として。
小野寺の質問に一応正直に答えては置くか。
隠す事ではないしな。
「別に何処か特定の場所が有るという訳ではない
ただ、揺れていると自分で自覚している理由は有る
俺は朋友に託したい継名が有る…
他の誰よりも相応しいと、そう思うが故にだ
だが、彼奴が継承を望まないだろうという事もまた理解している…
儘ならない物だがな…」
そう言うと、自嘲する様に自然と浮かぶ苦笑。
そう、判っているから。
だから、困ってしまう。
己が理想と現実に。
「…もし、気が変わったらいつでも歓迎するから」
そう言った小野寺に驚き、思わず彼を見た。
苦笑している姿は普段通り人の良さそうな彼だ。
ただ、らしくない強引さ。
…いや、彼も孫呉の中では重要な存在だからな。
色々な物を背負ったが故に生じた成長による物なのかもしれないな。
そう考えれば納得の出来る事だとも言える。
真偽は定かではないが。
「…そうだな、そうなれば遠慮無く世話に為ろう」
「あははは…お手柔らかにお願いします」
「善処しておこう」
簡単には晴れはしない。
だが、本の少しだけ。
心の行方も変わった様な気がする。
どうなるかは判らないが。
孰れ、判る時は来る。
それだけは間違い無い。
──side out
許緒side──
──五月二十六日。
皆で一丸となって伐採した山は以前の姿とは違って、山肌を晒した殺風景な姿になってしまった。
例えるなら、厚着や重ね着していた人が服を脱ぎ捨て素っ裸になった様な感じ。
若しくは、ふさふさだった髪の毛をばっさり切るか、綺麗に剃ってしまったとも言えるかもしれない。
…ツルツルじゃないけど。
「…今更だけど、ちょっと寂しいって言うか…うん、残念だよね…」
「そうですね…
仕方が無いと判っていても遣る瀬無いです…」
ぼんやりと山を眺めながら呟くと、右隣に立っている明命も同じ様な気持ちだと呟き返してくれる。
その一言のお陰も有ってか胸の奥に有ったモヤモヤが薄まっていく様に感じた。
そのモヤモヤがどういった感情の物なのか。
はっきりとは判らない。
…まあ、良い感じがしない事だけは確かだけど。
そんな事を考えている中、雪蓮様が松明を右手に持ち幾つも堆く積み上げられた刈り取られた草木の山へと近付いていく。
北部──と言っても自分の生まれ育った場所は漢王朝時代の領地で言えば大陸を南・中・北の三つに分けた場合には中部に当たるので結構気候が違う。
その為、草木の乾燥自体も進みが早かったりする。
勿論、自然任せだと時間が掛かるので人の手によって工夫が施されているけど。
生木・生草は焼け難いからちゃんと干さないとね。
雪蓮様は刈り取った草木を前に立ち止まると、静かに周りを見回した。
遠目だけど、その背中から山への申し訳無さと悔しさ──そして、必ず元の様に繁茂する姿を取り戻す事を決めた意志を感じる。
雪蓮様の持っていた松明が草木の山へと突き刺され、その姿を埋もれさせた。
直ぐには変化は無い。
しかし、ゆっくりと茶色い煙が湯気の様に立ち上り、次第に赤と橙の花が天へと向かって咲いてゆく。
犠牲となった生命の亡骸を食みながら大きく、激しく花弁を広げてゆく。
青い筈の空が、黄昏時だと勘違いする程に染めて。
未来の為に、その生命達は天へと昇って逝った。
──side out
隠密衆から孫策達に関する報告を受け終えた。
「疫病、ねぇ…」
その報告を側で聞いていた華琳が訝しむ様に呟き──否、不機嫌そうに顔を顰め此方を睨んできている。
「無いとは思うけど…
貴男が意図的に流行させたという事は無いわよね?」
「可能不可能の話で言えば遣ろうと思えば出来るな」
平然とした態度で答えれば少しだけ間を置いて華琳は視線を外し溜め息を吐く。
一見すれば、俺を疑う様な言動だと思えるだろう。
確かに全く違うとは華琳も言わないだろう。
実際には少しだけ違う。
俺が疫病を発生させたとは最初から考えてはいない。
そんな事をするのならば、孫策達を丸々飲み込む為の仕込みとしてだからだ。
獲る気も無いのに、無駄な仕込みは遣らない。
だから、有り得ない。
しかし、感染者が出た事を利用した、という可能性は華琳としても考慮に値する事では有った。
その理由が──蓮華。
感染者数を爆発的に増やし孫家の領内に有る特効薬、或いは材料だけでは不足し此方に交渉を持ち掛けさせ拒否し、彼方から曹魏へと攻め込む様に仕向ける事で“舞台”を整える。
そう、仮の筋書きを脳裏に思い描けば、有り得ない事ではなくなるからな。
まあ、それも俺が否定せず“出来る”と言った事から無いと理解した訳だが。
「有り得ない、と思い込む事は怖い物だもの
そう、“誰かさん”からは散々に教えられているから当然の反応でしょう?」
「ああ、それでいい
どんなに信頼をしていても“絶対に正しい”事だとは限らないからな
だからこそ不可欠なんだ
お前達、抑止力(妻)である存在が俺にはな」
「ええ、判っているわ
貴男が間違ったなら私達が殺してでも止めるわ
それが私達の信頼…
お互いに、存在を預け背負い合う覚悟だもの
同じ妻同士であっても私は譲る気は無いわ
貴男の全ては私の物よ」
そう言って、俺を見詰めて顔を近付けると負けん気を全開にした笑みを浮かべて爪先立ちになって俺の唇を塞いでくる。
“反論は認めないわよ”と言外に示す、独占欲。
一夫多妻を公認しながらも肝心な部分は譲らない。
“欲しければ奪い獲れ”と言わんばかりの姿勢。
それでも負けるつもりなど微塵も無く、油断も慢心も過信もしない。
そんな華琳だから他の妻も素直に認め、真っ向勝負で勝とうとする訳だ。
“俺が居てこその私達”と華琳は言うが、逆も同じ。
華琳が居るからこそ、今の俺達の在り方が有る。
こういう事は当事者よりも周りの者達の方が、正しい理解出来るのだろう。
尤も、自身の事に関しては認めたくないけどな。
「で、その“黄皮斑病”の原因は何なの?」
独占欲を満たした華琳から本題を訊かれる。
切り替えが見事だよな。
俺も同じだけど。
「“黶壁蝨”と俺が命名した壁蝨だ
人の肌の上に居ると黶だと勘違いする見た目でな
体長は大きくて1mm程で、先ず肉眼での視認は難しい事だろうな
此奴等は蜂や蟻と同じ様に社会性の有る群れで生活・行動していて江南域にのみ生育する木の樹皮に出来る苦くて不味いんだが無毒の“黒耳茸”の根元から発生する黒黴を餌にしている
産卵は数年に一度であり、その際には爆発的に増える
しかし、個体数が一定以上存在していると繁殖行動を取る事は無い
寿命は平均して3〜4年
一年の内、10ヶ月以上は地中で冬眠しているという変わった性質を持つ
基本的には無害なんだが、個体数が減少している時に限って、攻撃性が増す
で、此奴に人が噛まれると発症するのが黄皮斑病だ」
そう説明すると、根本的な勘違いに気付いたらしく、眉根を小さく顰めた。
同時に緊張も窺える。
「…それはつまり、流行は人から人への感染ではなく壁蝨が移動する事によって引き起こされる、と?」
「そういう事だな
だから、山焼きというのは対処法としては間違いとは言えないな
絶滅させようと思うなら、宅以外には厳しいが」
「…因みに、その壁蝨達が領内に入る可能性は?」
「俺が赦す訳が無い」
「…でしょうね」
俺が即答したのを受けて、そう言うと溜め息を吐いて緊張を解く華琳。
疫病の流入という事態は、避けて然るべきだからな。
気持ちは判る。
疫病は本当に厄介だ。
だから、それに対する為に様々な準備と対応を用意し常に警戒している。
疫病というのは何時何処で新種・変異種が発生するか判らないからな。
気を抜く事は不可能。
その僅かな隙が、致命的に為り得るのだから。




