陸
そう言って二人で笑った。
懐かしい、空気の中で。
だけど、判ってなかった。
流琉が本当に伝えたかった事が何なのかを。
あの日のボクは。
何も判ってはいなかった。
気付けなかった。
目の前に有った筈の事に。
流琉が微笑みの中に宿した想いの欠片に。
全く気付けなかった。
(馬鹿だな、ボクって…)
あの日の──否、今までの自分が嫌に為る。
何故、こんなに当たり前の事に気付かなかったのか。
何故、考えなかったのか。
流琉の、親友の懐いていた自分に対する想いに。
あの日の言葉に込められた大切な事に。
──別々の道を歩む。
其処に有る“道”とは。
それは、単なる仕える主の違いを指すのではない。
その者達の“生き方”を、信念を指している。
現在が大切ならば。
それを更に未来へと繋げたいのなら。
“好都合な幻想(甘え)”を捨て、覚悟を決めろ。
己が抱く、唯一つの為に。
他の全てを捨て去る覚悟。
その手を、真に血に染める事を厭わない覚悟を。
(……流琉はしたんだね)
今なら、理解出来る。
あの日の言葉の意味を。
“私は、私の大切な人達の為に必要なら、貴女だって手に掛けるから…”と。
“だから、そうなった時は絶対に私は譲らない”と。
そういう意味だったと。
難しく、苦しく、悲しく、辛く、痛く──だけれど、必要不可欠な覚悟。
それを示してくれた。
ならば、自分に出来る事は一つしかたない。
あの日の言葉を、約束を。
その場凌ぎにしない事。
その想いに応える事。
ボクも覚悟を決め、本気に為って対峙する。
それしかない。
「…祭様、本音を言うとね
出来る事ならボクは典韋と戦いたくはない…
傷付けたくなんてない…
殺す事なんて…出来無い
だって、典韋は幼馴染みで大事な親友だもん」
ボクは顔を俯かせたままで弱音を吐き出す様に言う。
今、祭様や霞様がどういう表情を、気持ちをしているのかは判らない。
もしかしたら、その甘えにがっかりし呆れられているかもしれない。
それでも、正直な気持ちを言って置きたかった。
例えそれが、将師としては失格だったとしても。
「──でも」
ボクは顔を上げて、祭様を真っ直ぐに見詰める。
覚悟を決めたからこそ。
弱音を吐くのは最後。
もう、絶対に迷わない。
「ボクは典韋と戦うよ
お互いに本気で護りたいと思う人達が居るから
絶対に譲れないから
だから、ボクは戦う
例えそれで典韋と殺し合う事に為っても、逃げない
もし、其処で逃げ出したら典韋の事を二度と親友って呼べない気がするから…
ボクは絶対に逃げない」
そう言い切る。
それは、他の誰かに対して言った訳ではない。
自分自身に対しての宣言。
逃げない、という覚悟。
その証として。
──side out。
公孫賛side──
明日が非番──となると、最近では真っ先に紳の方がどうなのかを気にする。
一応、戦時には私の部隊の副将という事になるんだが平時は仕事先が異なる。
私は…まあ、一応だけど、州牧をしていた訳で。
宅の軍師陣からは管理職を熱望されてしまった結果、文武官として忙しい日々を送る事になっている。
とは言え、不思議と言うか面白い物で以前の自分より今の自分の方が活き活きとしている気がする。
…いや、確実に、だな。
その理由は判っている。
それは、私の──器だ。
一言で説明が出来るという事ではないんだが、敢えて言うとすれば、そうなる。
ただ、その上で勘違いして欲しくはない事でもある。
別に、自分に才能や能力が無いとは思ってはいない。
寧ろ、群雄割拠の世でさえ真っ当に評価されたならば有能な部類に入る。
その程度の自信は有る。
それは雪蓮様達の信頼にも現れていると思う。
私の言う器は才能や能力を指しての事ではない。
それは人としての──否、“王”としての器だ。
つまりは背負い続けられる覚悟が出来るか、否か。
それが、私には無い。
…いや、全く無いという訳ではない。
自分の家や一族、小規模な領地の領民達といった位の範囲でなら、だが。
一応はさ、ほら、私だって州牧を務めてたんだし。
其処までは出来るさ。
ただ、以前と現在に大きな違いが有るとするならば、委任領と自治領。
その違いだと思う。
例えそれが既に“死に体”だったとしても、君臨する漢王朝という巨龍の治める領地の一部の統治を任され務めている身と、独立した完全自治にて領地を治める主の身とでは、背負い物が違い過ぎる。
違っていて当然だが。
其処に生じる自分の責任の大きさこそが最大の理由。
結局、私は独立して自国を背負えるだけの覚悟を持つ事が出来無かった。
“優し過ぎる”と雪蓮様は言ってくれていたが。
私自身が理解している。
私は甘いのだと。
勿論、敵に対しては彼是と考えはしないだろう。
しかし、相手によっては、私は躊躇ってしまう。
その事は袁紹との件で嫌に為る位に理解出来た。
だからなんだと言える。
今の私は孫家の軍将であり家臣の一人という立場。
立場・役職等に伴う責任が有る事は当然だから其処は気には為らない。
まあ、平民に為って生きるというのも有りだけどさ。
今は仕事も楽しいからな。
それは考えてはいない。
自分が全てを背負う。
其処から解放されただけで世界が違って見える。
同時に自分の才能・能力は“誰かの下”に有ってこそ真価を発揮するという事を自覚してしまった。
…皮肉な事なんだけどな。
だけど、そんな今の自分を“悪くない”と思えるから特に不満は無い。
心底、今を楽しめるから。
──で、そんな私にとって最大の悩みは一つ。
…曹魏?、劉備達?
いやいや、そんなのは私の知る所じゃないし。
一応、雪蓮様達から意見を求められたら考えるけど。
普段は特に関係無い。
寧ろ、関わりたくない。
では、一体何なのか。
それは──恋愛だ。
…いや、“色”恋沙汰だと言った方が、正しいのかもしれない気がするけどな。
紳の奴、あれ以降は私から微妙に距離を取っててさ。
おまけに全然私を口説こうとする様子も無いし。
だからと言って、私からは行き難いと言うか。
攻め難いと言うか。
男だったら、彼処まで女に言わせたんなら、その後は責任を持って覚悟を決めて掛かって来いってんだよ。
いや、戦う訳じゃないけど…まあ、何だ、世の中には“恋戦”って言葉が有る位だから全くの間違って事も無いんだろうけどな。
でもまあ、一応は相思相愛だって事は判ってはいるし焦ってはいない。
ただ、私は歳上でも有るしいつまでも若いままって訳じゃないんだからな。
その辺は考えて貰いたい。
…紳の奴次第だけどさ。
じゃあ、何が悩みなのか。
その答えなら“目の前に”座っている。
自分も非番らしいが、私が非番だと判ったら予定すら訊かずに、一方的に今日の予定を決めてしまった。
そして、こうして“個室”の有る長居しても大丈夫な店に連れて来られた訳で。
普通ならば、それだけでも腹を立てる所だと思う。
だってほら、折角の非番を想い人と過ごす可能性とか有るだろうしさ。
そう考えると、不機嫌にも為るってもんだよな。
──所がさ、今の私の場合そうは為らないんだよ。
いや、それは紳との予定も有り得ない事ではないけど彼奴、ヘタレだからな。
実際には仕事だったし。
だから、それは気にしない方向で構わない。
だったら、どうしてか。
頬を赤く染めて俯きながら膝の上で組んだ指を遊ばせ身体を小刻みに揺らしてはチラチラッと上目遣いにて此方を見てくる。
そんな、“恋する乙女”な姿を見せられてしまっては私でなくても不機嫌に為る事なんて無理だと思う。
“誰か”を想い気持ちを、その歓喜と不安を。
知っている者であれば。
蔑ろには出来無い筈だ。
もじもじ…、そわそわ…、ちらちら…、あせあせ…。
思わず“何だ、この可愛い生き物はーっ!?”と大声で叫びたくなる。
それ位に、可愛いのだが。
…私の方が“女らしい”と思ってはいたんだが。
もしかしたら、可愛さでは負けているかもしれない。
そう思ってしまう程に。
今の、目の前に居る彼女は普通からは想像の出来無い可愛さを持っている。
(──って言うか、本当、“誰だよ、お前はーっ!?”って叫びたくもなるぞ
変わり過ぎたって、春蘭)
──そうだ、何を隠そう、あの春蘭だったりする。
それだけで判るだろう。
その違いの差が。
因みに、今日は先ず見ない春蘭の私服を目にしている事も上げておく。
普段、服装は機能性重視で意匠に拘らない春蘭だが、小蓮様や天和達の好む様なヒラヒラ・フリフリとした服装だったりする。
うん、年齢的にはちょっと無理っぽい気がするけど、今の姿になら似合うな。
素直に可愛いと思うよ。
…私?、いや、無理だって無い無い、これは無い。
似合う似合わないじゃなくそういう類いの衣服を着た記憶も経験も無いし。
これはちょっと、気軽には“着てみようかな?”とは思えないからな。
尚、その衣服は祐哉からの贈り物だそうだ。
その事を話していた春蘭は羞恥心と戸惑いに揺れつつ本心では喜んでいるのだと一目で判ってしまった。
まあ、平気で嘘が吐けて、演技が出来るって質じゃあないからな、春蘭は。
ああ、後、序でに言うと、“春蘭でも、そういう服を持ってたんだな”と最初に訊いたら、顔を真っ赤にし“わ、笑いたければ正直に笑うがいいっ!、どうせ、私には似合わないし…”と勢いが尻窄みに消えていく姿を見て本当に笑える奴が居るとしたら、相当悪辣な性格をしていると思う。
それ程に可愛い反応だった訳なんだよ。
そんな春蘭が、意を決した真剣な眼差しで私を見詰め漸く、口を開いた。
「その…だな、どうすれば良いのか判らなくて…だな
そ、抑、私の様な…その…お、女らしくない…者に…彼奴が…興味を持つなんて…有り得ない事…だろうと思うのだが……ぐすっ…」
そう自分で言い始めたら、最終的には涙ぐむ始末。
うん、お前もう、そのまま祐哉の所に行けって。
少なくとも私が男だったら抱き締めて、押し倒しても可笑しくないぞ。
…私自身はまだ、そういう経験は無いんだけどな。
──とは言え、流石に私も其処まで無責任な事を言う勇気は持てない。
実際に春蘭を行かせた後、祐哉が、私の思った通りの反応をする確証が無いし。
万が一の可能性も有るから安易な真似は出来無い。
「んー…まあ、祐哉の場合──と言うか、男の場合は私達女の思う“女らしさ”とは微妙に違うって感じの話を聞いた事が有るから、必ずしも春蘭に女らしさを感じないとは限らない、と私は思うけどな」
「……ぐすんっ…そういう物なのか?……すんっ…」
戦場でならば泣く子も黙る猛将様が、実は色恋沙汰で泣いているとか。
何の冗談なんだろうか。
いや、春蘭は真剣なんだし私も真面目に考えやってはいるんだけどさ。
正直、私自身が祐哉の事を深くは知らないんだよな。
だから、助言をしたくても“祐哉専用”ではなくて、どうしても一般論に為ってしまう事は否めない。
…せめて、祭か穏が居れば増しなんだけどな。
…雪蓮様?、いや、助言が出来るとは…なぁ。
本人には言えないけど。
「そうだと思うけどな
それにだ、春蘭は祐哉から今着ている衣装を、買って貰ったんだろ?」
春蘭は黙って、小さく──しかし、しっかりと頷き、それを肯定する。
本当、別人みたいだな。
「だったら、祐哉が春蘭を女として見てる証拠だ
安心していいと思うぞ」
そう言うと、まるで少女の様に春蘭が笑顔になる。
それを見て、胸中で苦笑。
まあ、春蘭自身の気持ちは明確みたいだから、その分楽な気がするけど。
もしも、自覚の無い春蘭に“最近、祐哉を見ていると何かこう…胸の奥がだな、モヤモヤしてくるのだが…これは私が祐哉を嫌いで、腹を立てるのだろうか?”なんて相談をされていたら私は詰んでいたと思う。
逃げ切れる自信は無いし、自覚させる自信も無い。
だから、今は増しだよな。
──side out。




