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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
602/915

          弐


 貂蝉side──


見上げる空は青く晴れて、漂う雲は真綿の様に白く、静かに過ぎ流れてゆく時を写し出しているかの様。

波風の立たぬ凪ぎの海。

小鳥の鳴き声を子守唄にし木漏れ日の中で微睡む様に穏やかな一時。



「……平和ねぇん…」



思わず出た一言。

それは言葉通りに受け取る事が出来れば、喜ばしい事には間違い無い。

血生臭い争乱など、無いに越した事はないのだから。


しかし、私達の立場からは“何事も無い”というのは歓迎し難い事だったりする訳だから喜べない。

…それまあ?、ご主人様とイチャイチャ出来るのなら素直に喜べるのだけれど。

と言うか、大歓迎よね。



「気を抜くではないわっ!──と言いたい所じゃが、こうも動きが無いとのぉ…

緊張感を維持し続けるのも中々に難しいからのぉ…」


「そうなのよねぇん…」



何しろ、緊張感という物は自身だけでは維持する事が難しい物である。

自分の中だけでは数日位が精々といった所。

緊張状態を必要とする様な相手や状況が無い場合には長続きはしない。


件の相手に動き無い以上、他の要因が無ければ私達も緊張感を欠いてしまう事は仕方が無い事なのよね。

で、その他の要因。

先ずは、一番身近な事だとご主人様か桃香様の暗殺、或いは、反抗勢力等による侵攻なんかが有れば、ね。

でも、実際には桃香様達は順調その物で。

目立った問題も無い。


次に、大陸──旧・漢王朝時代の領地を分割している群雄割拠の情勢。

江水より北の地を統一した曹魏が最大勢力である事は今更言う必要も無い事実。

次いで江水以南の地の内、荊州・揚州、最南端となる交州を手にした孫策。

彼女の所が第二勢力。

そして、この残った益州の統治を進める桃香様達。


実質的には、三勢力による天下分け目の覇権の争い。

──という訳でも無い。


曹魏は南侵する様子を全く見せてはいない。

孫策も決起時に有していた荊州は統治しても、孫家に所縁の深い揚州を第一目標として奪取した。

交州は序ででしょうね。

両者共に、桃香様達に対し攻撃すれば益州を獲る事は決して難しくはない。

こう言ってしまうのは私も気が進まないのだけれど、事実としては、桃香様達は弱小勢力なのだから。


そうなっていない要因は、両者共に益州を獲る理由・価値が無いからでしょう。

つまり何方らも天下統一を望んではいないという事に繋がってくる。

勿論、可能性が全く無いと言う事は出来無いけれど。

少なくとも、現時点で無い以上は、長引かせる理由は考えられないから。


と言う事は、桃香様の望む話し合いによる、平和的な解決も全くの不可能だとは言えないという事。

尤も、現実的に考えたなら幾つもの問題点が有る事は間違い無いのだけれど。

決して、実現不可能な理想ではなくっている。

皮肉にも桃香様以外の者の力によって、だけれど。





「でもぉ〜、こうも動きが無いのは不気味よねぇん…

一体全体何を狙っているのかしらぁん?」


「…その機を窺っておる、というのが一番高い可能性ではあるのだが…

正直、難しい所よのぉ…」



私達を悩ませている一番の問題は“彼奴”の所在。

それを未だに掴めない事が私達の行動を妨げている。



「曹魏に潜り混んでいれば疾うに動いている筈…

孫策の所にしても同様…

抑、何方らの陣営にも彼の“天の御遣い”が居る

彼等が健在な以上、彼奴が側に居るとは思えん」


「彼奴にとってみればぁんご主人様達は邪魔者でしか無いものねぇん…」



彼奴の排除対象としては、私達よりも優先順位は上。

それ程に、彼奴にとってはご主人様達の存在は厄介。

だからこそ、私達は彼等を護る事も大事な使命。



「…力を失った今、我等は彼奴にとって気にする事も要らぬ、脅威足り得ぬ存在であろうからのぉ…」


「…悔しいけど事実だけに何も言えないわぁん…」



詳しい理由は未だに不明。

けど、奥の手も含め私達は対抗する術を失った。

後は、他の人達と同じ様に自らを鍛え上げて培った、己が身体と技量のみ。

雑魚が相手であれば、戦う事自体は可能でしょう。

でも、滅する事は不可能。

つまり、手詰まりな訳よ。



「…今更では有るが、他の二人への接触を試みる事も考えねば為らんな…」


「そうねぇん…それから、ご主人様と桃香様にも話をしておかないとねぇん…」


「…其処が問題じゃのぉ」



他の二人──いえ、二組に詳しい話をする事よりも、ご主人様と桃香様に話す事の方が大変なのよね。

二人が反対したり、協力を拒否する事は無いと思う。

信頼は有る筈だもの。

少なくとも私達の話す事を信じて貰える程度には。


世界の命運が懸かっているとなれば、全くの無視とは為らない筈だしね。


でもね、二人の性格とかを考えると“先走っちゃう”可能性も否めないのよ。

特に、桃香様はね。

真っ直ぐで正義感が強い分情勢を無視しちゃいそうで危なっかしい訳よ。

“今は私達、人間同士での争いをしている場合じゃあないんですっ!”とか。

それは正しいのだけど。

でも、間違いでもある。

互いに“背負う立場”故に慎重に為らなくては纏まる話も纏まらなくなる。

理想だけで納得させる事は不可能な相手。

なればこそ、私達も慎重に行動しなくてはならない。


一つの失敗が、致命的。

一度絡まった絲を解いて、縒り直す時間は無い。

どんなに平和そうに見える景色だとしても。

今も深淵にて状況は進む。

深く、静かに、確実に。

破滅へと向かい。


だからこそ、私達は絶対に失敗は出来無い。

この世界を守る為に。

未来へと繋ぐ為に。



──side out



 陳宮side──


“理想”──そんな簡単な事で語れる程、自分の懐く夢は容易くはない。


けれど、もしも。

もしも、一度だけ。

たった、一度だけだけど。

過ぎ去った時間を巻き戻し遣り直せるとしたなら私はどうするのだろうか。



「……選べないのです…」



自分にとって“不幸”だと言える出来事は二つ。

たったの二つだけ。


もし他人が聞けば“幸せな人生を送っている”なんて思うのだろう。

でも、それは勘違い。

そう思う人達の懐く普通の不幸なら、自分にも幾つも起きている事だから。

ただ、そういう有り触れた不幸の事ではなく、本当に“どうしようも無い事”を指しているだけで。

だから、一般的な不幸にて数えれば切りが無い。

寧ろ、“普通の人達”より数自体は多くなる可能性が高いと言える。


そんな自分の二つの不幸。

一つは、父により捨てられ孤独と為った事。

もう一つは、反董卓連合。

この二つだと言える。


けれど、“不幸中の幸い”だと言っても良い出来事が恋殿との出逢い。

そこから自分の人生は全く違った物へと変わった。

転機と呼べる物。

自分の人生の中で何よりも大きな岐路だった。


そう考えたなら、選ぶべき──遣り直したいと思える不幸とは、反董卓連合へと至る過程だと言える。

遣り直すなら、月様の元に協力の要請が来るより前の辺りから、になる。

洛陽に入る事ではなくて、董卓軍の武力を見せ付ける事自体を避けなくては結局目を付けられてしまって、何等かの手段により強引に洛陽に喚ばれてしまう事は明らかなのだから。

全ての禍因は、武力を表に出してしまった事。

それを避けなくては問題は解決しないから。


──でも、と思う。

もしも、家族と共に過ごし生きられるのだとすれば。

その幻想(みらい)を望んでしまうのかもしれない。


どんなに憧れる人が居ても仲間が出来ても。

家族とは、また別物。

何方らも、決して、互いの代わりには成らない。

そういう存在なのだから。



──side out



 袁術side──


主様により課せられている日々の勉強を終え、中庭の東屋で御茶を飲んでいた。

蜂蜜水が恋しくは有るが、今の益州では十分な蜂蜜を手に入れる事は難しい、と主様達から聞いている。

確かに、七乃からも益州の状況は芳しくはないという話を聞いているので仕方が無い事だと思う。

…早く以前と同じ様に毎日好きなだけ蜂蜜水の飲める時が待ち遠しい。



「しかし、暇なのじゃ〜」



椅子に座り、卓に伏す様に身体を折り腕を組んで頭を乗せたまま、足を揺らして今の気持ちを呟く。

七乃は、文醜──猪々子と桃香様に臣従をしておらぬ領地との境の砦にて動きを警戒している。

その為、暫くは留守。

ずっと七乃が側に居る事が当たり前だっただけに少々寂しく思ったりもする。

…まあ、主様が居るので、それ程ではないが。


そんな中、中庭の側を通り掛かった鈴々を引き摺って歩いている陳宮を見付けて声を掛けてみた。

…妾のお菓子を、寝惚けた鈴々に食われてしまったが別に特に好きな物だった訳でもないので、“鈴々め、仕方が無い奴じゃのぅ”と寛大な態度で赦してやる。

何しろ妾は子供な鈴々とは違って既に“大人の女性”じゃからな。

その程度の事で腹を立てる狭量ではないのじゃ。


子供な鈴々は置いておいて妾は陳宮と話をする。

陳宮は董卓の件も有って、妾や麗羽達から真名を受け取る事は拒んでおる。

その気持ちを理解出来る為妾達も強くは出来ぬ。

出来れば、真名を預け合い呼び合いたいとは思うが。

主様達からも、“焦らずにゆっくりと理解し合って”と言われておるからな。

焦りは禁物じゃ。


他愛の無い話をする中。

ふと、こんな事を言った。



「…のぅ、陳宮よ

もしも、一度だけ遣り直す事が出来るのならば、妾は董卓を助けたいと思う…

孫策に領地を奪われた事は確かに悔しくは有る…

しかし、遣り直しても妾は勝てる気がせんのでな

じゃからな、あの時は何も知らないまま悪としていた董卓を助けたいと思う」


「…そんなのは結果を見た上での詭弁なのです」


「そうじゃな、否定はせん

ただのぅ、陳宮よ

お主はどうなんじゃ?

何か、遣り直したいと思う事は無いのかのぅ?」



そう訊ねると陳宮は俯き、“ねねには仕事が有るので失礼するのです”と言って鈴々を引き摺って行った。

…あれでも起きない鈴々が凄いのか、引き摺る陳宮が凄いのか…不思議じゃな。


さてと、妾も部屋に戻って本でも読もうかのぅ。

あれだけ嫌じゃった勉強も今は案外楽しいしのぅ。

人生、何時どうなるかなど判らぬ物じゃな。



──side out



 文醜side──


人生ってのは奇想天外だ。

思ってる通りにはならない癖して、意外な形で救いの手を差し伸べてくれる。


その手を掴むかどうかでも結末は違ってくるが。



「まさか、こうして貴女と肩を並べる日が来るなんて正直に言って全く思ってもみませんでしたね〜」



砦の城壁に立ち、地平へと視線を向けていても、声の主が誰か判る。

気の進まない事だが。

判ってしまう。

それだけ、因縁深い相手。



「それはお互い様だな」



その声の主である張勲──七乃へと言葉を返す。

親しげに話し掛けてくるが相変わらず本心の見えない相手だと思う。


袁家同士の因縁上、単なる“顔見知り”ではない。

互いに当主の最も側に居る腹心と言える立場。

両家の“鍔迫り合い”にて顔を合わせた事は、決して一度や二度ではない。

当然、互いに当主の優位に為る様に動いている以上は良い印象なんて無い。

嫌な印象の方が多い。

そして、此奴によって遣り込められた記憶は少なくはなかったりする。


まあ、だからと言って今は同じ主君に仕える身だ。

個人の好き嫌いは兎も角、家臣としては有能であるとよく知っているからな。

対立する真似はしない。



「…麗羽さん、曹操さんに敗けた事の記憶が無いって本当ですか?」



しれっと、踏み込んでくる此奴は苦手だ。

いや、自分もそういう所が無い訳じゃないけどさ。

此奴みたいに、善人面して近付いてきて、毒牙でって真似はしないからな。



「…っ…ああ、本当だよ」


「…そうですか」



一瞬、躊躇ってしまう。

しかし、同じ主君に仕える以上は必ず知られる事だ。

だから、素直に認める。


正直、あまり口にしたい事ではないんだがな。

事実は事実に違い無い。




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