捌
さて、今、私の居る場所が異空間で、“鏡面世界”と違う事は言うまでもない。
脱出、或いは、移動をする為には此処の“要”となる存在を倒すというのが一番手っ取り早い方法だ。
──しかし、此処で一つの誤算が生じた。
その要の存在──つまりは今回の“禍”の分体だろう奴なんだけどな。
有ろう事か、只管逃げ回りやがるんだよ。
しかも、これが手強い。
先ず、彼奴の情報としては本体となる部分は球状で、直径15cm程の紫掛かった黒い身体をしている。
其処に大きな眼が一つと、小さな眼が複数、不定位置に出現する。
見た目通りならば視界的に死角は無いんだろうな。
因みに、瞳は何れも共通で山吹色をしている。
その本体から左右に六枚、全長1m程になる蝙蝠羽が伸びている。
二枚一対の鳥とは違うし、四枚二対の蝶とも違う。
何方等の動きも可能にし、更に上の動きをする。
はっきり言って、見た事も想像した事も無い動き。
それだけに読み切るまでに時間を要する事は現状では避けられない。
薄そうな翼だが、意外にも硬化出来るみたいで、私の攻撃を防いでいた。
本体を包み込み守られるとかなり厳しい。
しかも、一枚有れば余裕で本体を覆える為、六枚分の防御を撃ち抜く必要が出て来たりする。
おまけに、此奴は一時的に墜落しても飛べる訳だから何の問題も無い。
其処に加えて地形も有る。
私は移動しながら遠距離で攻撃するしかない。
これ、狡ぃよなぁ〜…。
…ん?、一気に接近して、一突きにすれば、そんなの楽勝だろって?
そりゃあ、別に攻撃自体は何の問題も無く出来るさ。
でもな、もしも躱されて、仕留め損なったら私は一人墜落して逝く訳だ。
単純な可能不可能って問題じゃあないんだよ。
「ったく、地味に効果的な相手だよな〜…」
まるで此方の性格を正確に把握し考慮しているのかと思ってしまう様な相手。
一番の役割は私を倒す事に間違いは無いのだろうが、その遣り方が厄介。
流石に“正面切って戦え”とまでは言わない。
でも、遠距離からチマチマ・ネチネチでも良いから、攻撃してきて欲しい。
──そう、此奴は今の所は逃げ回っているだけ。
攻撃らしい攻撃なんて只の一度もしていない。
加えて、この空間だ。
頭の良くない私にだって、その狙いは察せる。
兎に角、焦らし、慌てさせ無謀な攻撃を誘った上での此方の自滅が狙い。
超・長期戦型の戦法だ。
(──でもって、私が最も苦手な相手だよな〜…)
敵側に情報を取られる程、私達は戦ってはいない。
だったら、例の“黒幕”が漢王朝時代に私達の情報を収集していたのか?
…いや、それこそ無い。
私達は雷華様の方針により戦場では隊を指揮する事を第一としていた。
個人の武に走ってはいないのだから個の得手不得手を読まれる可能性は低い筈。
となると、それ以前。
私がまだ涼州に居た頃──母さんが生きていた頃まで遡る事になる。
可能性としては高い。
だけど、納得出来るのかと訊かれたら首を横に振ると断言出来る。
情報としては古過ぎる。
“黄巾の乱”辺りだったら有効かもしれないが。
抑、私の所在は外部に対し未だに漏れてはいない。
その点でも矛盾する。
確かに私達はコーカンドに着いてからは変装を解き、素顔を晒してはいる。
それでも、曹家に居る事を確信出来ていなければ先ず有り得ない事だろう。
抑、私の情報なんて韓遂達一部の連中以外には然程に重要な事ではない。
そう考えるだけでも辻褄が合わなくなる。
「…まあ、その辺は私より雷華様達の方が、詳しいんだろうけどな」
此処では今以上には情報を得られはしない。
だったら、考えるだけでも時間の無駄遣い。
今は、遣るべき事に対して集中する事にする。
(──とは言ってもな〜…
今のままだと、一体何れ位時間が掛かるのか…)
焦らず、慌てず、着実に。
そうすれば必ず、倒せる。
それは間違い無い。
自滅さえしなければ、先ず脱出する事は可能だ。
しかし、長引かせる意味があまり見当たらない。
分体が相手でも禍と戦える機会は滅多と無い。
出来る限り、試行錯誤して経験を積みたい。
そう思う所だ、普通なら。
所が、今回の相手も場所も対禍戦闘の経験を積むには不向きだと言える。
全く得られる事が無いとは言いはしないが。
何方等かと言えば狩猟経験の様な気がするしな。
敵を探し出し、狙い撃つ。
どう考えても狩りだ。
打ち合う攻防ではない。
「彼方も逃げ切ったりとか隠れ続けたりしないし…
明らかに、此方を誘ってる動きをしてくるしな〜…」
速度と防御の逃亡特化に、この地形という利点。
それを活かせば私程度なら餓死するまで隔離し続ける事は容易いだろう。
だが、彼方は攻撃を誘発し私の自滅を狙ってくる。
それは何故か。
その答えは簡単だ。
彼方──正確には別空間に居るだろう禍の本体は今も怖れているからだ。
何を?──自らの死を。
前回の私達の攻撃──特に最後の愛紗の一撃により、深く刻み込まれた。
その本能的な恐怖が私達を確実に始末しようとさせる思考をさせている。
勿論、一番怖れているのは雷華様だろうけどな。
愛紗への奇襲を防いだ上、初見で当ててもいる。
仮に偶然だったとしても、次の接触で撃破された。
確実に警戒するだろう。
そういう意味では私と螢に対する警戒度は低い。
無警戒ではないがな。
だからこそ一人ずつ確実に仕留めたいのだと判る。
私でも同じ様にする。
連携されるのが厄介なら、各個撃破が必然的な手。
しかも、万が一を考えれば空間への干渉も懸念して、という事になるからな。
回避・潜伏・誘発。
その三つに加え、万が一の自衛能力を備える敵。
──否、“獲物”を相手に仕留める方法を考える。
接近して矛槍で突けたなら一番簡単で、確実だ。
では、接近は可能か?
一か八かで仕掛けたとして成功する確率は……多分、三割程度だと思う。
私の希望的期待も込めて。
これが失敗しても挽回可能であれば、十分遣ってみる価値の有る賭けだと思う。
だが、遣り直しは不可能。
失敗は即、死に繋がる。
…底が有る可能性?
勿論、考えてみたし、一応探知もしてもみた。
けど、掴めなかった。
少なくとも、私の探知では底は確認出来無かった。
まあ、この空間自体、創造したのが相手なんだ。
そんな都合の良い可能性は無いと思うべきだろうな。
だから、確認は一応。
──という訳で、接近案は無しになる。
そうなると必然的に遠距離攻撃しかない訳だ。
(…こんな事なら、弓術の鍛練頑張るんだったな〜…
まあ、今更なんだけどさ)
雷華様の指導で個々の才に合わせた以外で必須技能は武術──徒手空拳のみ。
それ以外は自主希望だ。
私も剣術に興味が有ったし一応は鍛えている。
本職には及ばないけどな。
因みに、華琳様は何にでも挑戦されるし、学ばれる。
しかも、上達も早い。
凄過ぎだよな、夫婦して。
それは兎も角、私の弓術の腕前は弓兵の平均程度。
皆と狩りを楽しむ位の事は普通に出来る。
当然だが、私より上になる弓兵は少なくない。
何故、学ばないのか?
雷華様直々なら喜んで遣る所なんだけどな。
合法的に密着出来るし。
…こほん、して貰えるし。
いや、それは置いといて。
指導するのが紫苑と秋蘭が中心になるからだ。
二人共教え方は上手いが、如何せん厳しい。
普段が嘘の様に、弓術では妥協しないからだ。
尚、灯璃と斗詩も私と同じ理由で希望しなかった。
…珀花?、彼奴は何気無く器用で上級者だからな。
学ぶ必要が無かった。
とは言え、帰ったら改めて真面目に学ばないとな。
こんなんじゃ、隣に立てる気がしないし。
もっと、頑張らないとな。
──百発百中・一撃必殺。
それは、一つの理想。
しかし、その体現の為には“造り”が不可欠。
どんなに高威力・超高速・広範囲な攻撃でも、遣り方次第では防御・回避も可能だったりする。
勿論、それが出来るだけの力が有るという事が大前提での話だけどな。
私の狙う獲物は、それらに特化している存在だ。
生半可な遣り方では当てる事も難しい。
と言うか、実際に一度しか当たっていない。
その偶然の一度が警戒度を上げさせてしまったしな。
運が良いのか、悪いのか。
判断が難しい所だよな。
では、どうするのか。
答えを、私は知っている。
静かに目蓋を閉じ、記憶の糸を手繰り寄せる。
「いいかい、翠?
よーく、観ているんだよ」
微風の運ぶ草木の香が鼻を擽り嚔が出そうになるのを堪えながら目を凝らす。
母さんの左手には弓。
けど、右手の中に有るのは足下に転がっていた小石が数個、矢は無い。
その小石を、辺りの茂みの彼方此方に投げ込む。
──と同時に何時の間にか矢を手にし、弓に番え──何故か、空を狙う。
──が、次の瞬間。
母さんの構えた矢の先に、山鳥が飛び上がった。
見事に一撃で射抜く。
それも、二羽同時に。
「どんなに上手い狩人でも探してるだけじゃあ獲物は仕留められない
だから、誘い出すんだよ
自分が狙った場所にね」
──幼い日の断片。
自慢気に口角を上げて笑う母さんに“大人気無い”と思ってしまい、苦笑。
だけど今、此処で、学んだ事は血肉へと昇華する。
大きく、静かに深呼吸。
右足を引き、半身に構えて左手を開き水平に突き出し親指に乗せる様な感じで、右手に持つ矛槍の刃を添え狙いを一点に定める。
そのままで鋒に氣を収束。
同時に自分の周囲に数百の威力は高くない水弾を生み出して──始める。
探知を掛けながら、水弾を四方八方に散開させ操り、獲物の動きを探る。
暫くすると右後方に捕捉。
其処から水弾を惜しまずに発射しながら、囲碁を打つ様にして、詰めてゆく。
そして、生み出した水弾の残りが五十を切った所で、全てを複数方向から一斉に獲物目掛けて放つ。
それと同時だった。
「迸り穿て!、“汞倶尖麟”っ!!」
収束した氣によって鋒へと生み出される針の様に細く鋭い水弾が、閃く。
用意された道を通り抜けた獲物は全力で防御するが、一切の抵抗を赦さず一瞬で貫き、空間すらも穿つ様に輝跡を残し、翔け抜けた。
──side out
姜維side──
真っ白な、見渡す限り一面真っ白な世界。
太陽も月も無い、薄紅色の空からは緩やかに純白の光塊が降っている。
それはまるで雪の様。
けれど、積もりはしない。
触れると水滴の様に弾けて融ける様に消えてしまう。
それが、蛍の明かりの様に世界を照らしている。
大地もまた白一色。
もし、光塊により生まれる灰色の陰影が無ければ全く地形は見分けられない。
見た目だけなら、雪景色と称してもいいと思う。
だけど、大地を覆っている白は雪を踏み締めた感触に酷似した砂の様な物。
その場で屈み、右手で掬い上げれば掌からサラサラと零れ落ちてゆく。
そして、実体を失った様に影が残像として残る木々が彼方此方に生えている。
触れても通り抜けてしまう奇妙な存在。
その木々に葉は全く無くて枯れ木を思わせる。
でも、幹や樹皮の様子等が判らないので判別する事は出来無かった。
…ちょっと、残念です。
自分が目にしている景色を表すので有れば“白と黒で描いた雪景色の絵”。
空の事は気にしない。
そんな見た目とは裏腹に、寒いとは全然感じない。
気候としては春みたい。
尤も、雷華様の御話通りに考えれば、創造者の一存で好きに設定出来るとの事。
態々、此方にとって快適な環境を用意してくれている可能性は無いに等しい筈。
だとすれば、これは単純に“其処まで気に掛けられる余裕は無かった”と考えていいのだと思います。
勿論、それだけの理由では他の可能性を排除する事はしません。
此処が鏡面世界とは違った異空間なのは判ります。
となれば、この現状で私が遣るべき事は一つ。
この空間の要となる存在を見付け出し、排除する事。
では、早速始めましょう。
時間は流れていきますし、早く合流したいですから。




