陸
関羽side──
二度目ともなれば、私でも感知する事は出来る。
…流石に防いだりする事は出来無いが。
それでも、反応が出来れば最低限、迎撃可能な体勢を取る事は出来る。
その違いは大きい。
──が、これは少々予想外だとしか言えなかった。
目の前に広がる光景。
それは、未だ曾て目にした事など無い風景。
薄い紫色をした空。
其処に浮かぶ二つの月。
百合を思わせる形ながらも雷華様の影響も有り幾らか詳しくはなっているのだが見た事の無い白い花。
それが絨毯の様に広がり、彩る様に青い葉と茎が下に敷き詰められている。
遠くに見える青白い山脈は雪山とは違う気がする。
当然ながら人気は無い。
一目見て、“違う”と判る幻想的な場所だった。
ただ、静かに思い出すのは“鏡面世界”は現実を映し造られる場所である事。
世界中を見て回ったという訳ではないが、此処が私の在るべき世界の映しでない事だけは理解出来る。
色彩の無い世界である事も違うと言える一因。
だとすれば、例の禍の持つ空間を創造する能力による空間なのだろう。
しかし、今最も重要なのは其処ではない。
「…まさか分断策とは…」
雷華様達から引き離されてしまっている事である。
多分、翠は勿論、雷華様と螢でさえ、同じだと思う。
雷華様は件の“禍”を引き摺り出す手は打たれていたけれども、私達を一ヶ所に集める為の手を打っているかどうかは判らない。
…私達は未だに“纉葉”の全機能を把握していないし雷華様が制限を掛けている機能も多い…筈──って、そうだ、纉葉を使えば氣で以心伝心で話が出来る筈。
そう考え、懐に入っている纉葉に氣を送り、雷華様に接続を試みる。
しかし、繋がる時に感じる特有の感覚──意識の端がまるで水に入る時の様な、手を繋ぐ様な感じが、全く感じられない。
雷華様が無理でも、と考え翠、螢と続けてみる。
しかし、反応は無い。
予兆すら感じられない。
不安と焦燥だけが募る。
「──っ!?」
反射的に右手に持っていた偃月刀を構え──受ける。
グァギイィンッ!!、と高音を響かせて、衝撃が走る。
その衝撃が目を覚まさせる様に今の思考を破棄させ、意識を切り替えさせる。
つい、裡に傾倒していたが不安と焦燥に本の一瞬だけ意識が乱れた事が幸いし、気付く事が出来た。
そう考えられる様になった故に自身の中に有る動揺を冷静に処理出来た。
追撃・反撃は考えず先ずは距離を取る為に飛び退く。
咄嗟の防御では有ったが、たった一撃で普通ではない事を実感させられる。
右手が痺れているのだ。
こんな事は恋の一撃でさえ最近は無い事。
確かに自分の動揺によって隙が出来ていたとは思うが油断はしていない。
気を抜いてもいない。
それだけに驚きだ。
そして、集中力を高めて、警戒を最大に引き上げる。
着地したと同時に、足下の花葉が舞い散る。
本来ならば、視界の良好な状態を確保する為に可能な限り配慮するのだが、今は気にはしない。
距離を取り、体勢を整え、襲撃してきた相手に向き、しっかりと見据える。
それだけを重視する。
白い花と青い葉の舞う中に蠢く巨大な影を。
覆う様に待っている花葉が白と青の絨毯の上に融ける様に舞い落ちると、隠れた巨躯が露になった。
それを見た瞬間だった。
思わず、息を飲んでいた。
喉が鳴ったという事実にて漸く気付く程に、その姿に驚き、無意識に思考自体が停止していた。
(………何だ、アレは…)
孵化した後の“望映鏡書”を見た時にも驚いた。
本能的な恐怖が有った。
その時の事は今でも鮮明に思い出す事が出来る。
だが、巨大ではあったが、一応は生物としての姿形を取っていた。
それ故に、何と無く理解をする事が出来ていた。
しかし、今回は違う。
少なくとも正面な生物には見えない姿をしている。
その下半身は木の根の様に広がった蜘蛛の様な六本の巨大な脚が、花葉の絨毯を蹂躙するが如く突き刺し、大地を踏み鳴らす。
脚の被毛は巨大さに反して針の様に細かく、硬質さが遠目にも伝わる黒々とした艶を放っている。
胴体部分は人の形。
しかし、肌は青味掛かった灰色をしているし巨大。
肩から太い枝の様に伸びる筋肉質な四腕。
けれど、その四つの手には武器らしい物は無い。
その点は好材料だろう。
そして、確か“般若”とか呼ばれる面に酷似した顔。
それらだけならば上半身は人間っぽいのだが。
首が蛇の如く長く、蛇腹と鱗も持っている。
最後に、凡そ4mにはなる巨大な蠍の黒尾。
大きさは全高・凡そ5m、全幅・凡そ7m。
間違い無く、巨躯だ。
はっきり言って、逃げたい気持ちが強い。
逃げ出す術が無い事は私も判ってはいるのだが。
…恐怖ではなく、生理的に気持ち悪い。
…まあ、前回の“死神”な姿よりは増しだが。
べ、別に幽霊みたいだとか言う訳では有りませんよ?
ええ、そうですとも。
ほら、大鎌を持っていると華琳様を連想してしまう為戦い難いだけです。
ええ、そうなんですよ。
「──などと、言っている場合ではないか…」
此処が禍の創造した異空間であるのならば、脱出する為には目の前に居る相手を倒すのが最善策。
もしも仮に、他の脱出法が有るのだとしても、私には出来るとは思えない。
と言うか、無理だな。
私は放出系の資質が低い。
単純な結界であれば私でもどうにか出来るのだがな。
結界自体を破壊出来無いのであれば、この空間自体を維持しているだろう存在を排除すべきだからな。
故に遣るべき事は一つ。
目の前に立ちはだかる敵を討ち滅ぼすのみ。
私と雷華様を別とうとする存在を赦す程に、この私は優しくはないのでな。
相手との距離は凡そ1km。
様子見としては十分。
互いに簡単には攻撃出来る距離ではないだろう。
だが、油断はしない。
そして今の内に遣っておくべき事を済ませる。
感覚を研ぎ澄まし、周囲の探知を施行する。
精度を必要最低限にすれば私でも範囲を半径数kmまで拡げる事は出来る。
その結果、此処には私以外正面な生命は存在しないと判って一安心する。
…人質にされる可能性?
いいや、そうではない。
“私が”巻き込んでしまう可能性が有るからだ。
「これならば、心置き無く“全力”で遣れるな」
自然と上がる口角。
別に私は戦闘狂ではない。
…強い相手との真剣勝負は楽しいとは思うが。
それは私に限らず、皆にも言える事なので普通。
特筆すべき事ではない。
普段、私達は修練以外では全力を出す事は非常に堅く禁止されている。
当然と言えば当然。
それ程にまで、私達の持つ力は強大な物なのだから。
それ故に実践で振るう事は先ず無いのだから。
だから──歓喜する。
まあ、不謹慎──という訳でもないか。
“仕方が無い”状況である事は確かなのだからな。
「さあ、始めようか…
其の身を以て、感じよ!
我等が刃の息吹をっ!」
戦吼と共に、普段は抑える氣を全開にして、強化。
軽く踏み込んだだけでも、右足が地面を破壊し大地が悲鳴を上げる。
だが、気にはしない。
する必要など全く無い。
何故なら此処は本来ならば存在しない場所。
どうなろうとも、誰も何も全く構わない。
此処は、そういう戦場。
一歩で凡そ10mを移動。
単純に一歩で移動が出来る距離ならば更に遠くにまで延ばす事が可能。
だが、今は単純に疾駆する過程の一歩に過ぎない。
着地した左足は花葉の間を穿つ様に擦り抜け、大地を蹂躙する様に踏み砕く。
その感触を、脳が認識するよりも早く、次へ。
花葉が宙に舞い散るよりも遥かに早く、駆け抜ける。
私の後を追い掛ける様に、鈍い破砕音が遠雷を思わす様に鳴り響く。
先程まで1km近くは有った彼我の距離を、僅か5秒と掛からずに駆け抜ける。
そして、接近すると構えた偃月刀を一切の躊躇も無く思い切り振り抜いた。
──ジャギャイィンッ!!!!
辻斬りをするが如く、擦れ違い様に切り裂き、止まる事無く駆け抜ける。
そして、地面を削りながら滑り、強引に減速。
同時に反転し、体勢を整え次撃に備える。
其処で、思考する。
刃を通し、手応えは確かに感じ取った。
だが──軽い。
響き渡った高音とは裏腹にあまりにも軽過ぎた。
挨拶代わりの初撃。
動きを殺ぐ意味でも狙った箇所は六脚の内の一つ。
それを一太刀にて両断するつもりで攻撃した。
とは言え、一撃で出来ると思ってはいなかった。
被毛は問題無いだろうが、その下に有る本体部分には通じないと考えていた。
しかし、現実は違った。
一撃で脚を両断した。
氣を纏っていない刃で。
その事に“驚くな”と言う方が無理だと思う。
そして、更に驚くべき事を目の当たりにする。
(──中身が無いっ!?)
両断され、地面に向かって倒れ落ちてゆく脚の先端側の断面を見て気付く。
被毛の内側には何も無く、空洞に為っていた。
それを見た瞬間、真っ先に脳裏に思い浮かんだ事は、これも“末端”の可能性。
(…いや、それは無いな)
可能性は否定出来無い。
普通であれば、だが。
雷華様から空間創造能力に関する知識は簡単にだが、一応は教わっている。
鏡面世界であれば私や翠に出来る事は少ない。
だが、そうではないのなら空間内に“歪み”が有るかどうかを探知するだけなら実は私達でも可能。
当然ながら、その遣り方も教わっている訳だ。
先の探知の際に、真っ先に確認しておいた事。
空間内に歪みは無い。
それはつまり、異空間から遠隔操作をしているという可能性は低い事に繋がる。
恐らく、目の前に在るのは禍の分体だろう。
本体から与えられた命令に従いながらも、基本的には独立した思考で行動する。
行動の最優先事項は命令の達成・遵守である事が多いらしいのだが。
本当に雷華様は謎が多く、底が知れない方だ。
その際に、そう思ったのもまだ記憶に新しい。
(…だが、分体だとしてもどういう構造だ?
やはり、人形の様に内部は空洞なのだろうか…)
一撃による情報だけでは、判断するのは危険。
慎重に、しかし、獰猛に。
攻撃を重ねて情報を収集し分析する事を最優先。
まあ、倒せたなら倒せたで構わないがな。
再度接近し、残る脚に対し連撃を見舞う。
最初に両断したのが左前、次に右後ろと中央を。
そして、三度目の仕掛けで残る三脚の一掃を狙う。
懐──と言うか、その巨躯の真下に潜り込む様にして攻撃しようとする。
「──っ!?」
しかし、踏み込んだ瞬間に異変に気付いた。
先程までは、確かに其処に有った筈の両断した三脚が姿を消していた。
──身体から切り離された事で消滅した?
思い浮かんだ可能性。
だが、そんな事は関係無く本能が警鐘を鳴らした。
予定を変更し、次の着地で強引に方向転換。
距離を取って、飛び退く。
──その瞬間だった。
まるで、此方の回避行動を予想していたかの様に。
花葉の間から這い出す様に黒く細い紐の様な長い物が無数に出現し、私目掛けて延びてきた。
「──なっ!?」
空中だった為、回避行動は至難だと言えた。
だが、其処は問題ではなく唐突な事で有ったが故に、出来た思考の隙。
その僅かな間を逃さずに、此方の手足を捕らえられて絡み付かれてしまう。
反射的に身を捩る。
だが、その程度で千切れる様な事は無い。
振り解く事も出来無い。
無意識だったが故の事。
当然の結果だと言えた。
ただ、余計に自由を奪われ絡まる事に為った。
「チッ…だが──っ!?」
身体に感じた異変に気付き絡み付く黒い紐を凝視。
即座に身体全体を包む様に氣を纏わせて、無理矢理に引き剥がす。
飛び退いた勢いは殺され、その場にて落下する。
其処を狙い済ました様に、敵は接近して両前腕が襲い掛かってくる。
組んだ掌を上段から私へと真っ直ぐに振り下ろす。
偃月刀を両手で握り締め、氣を纏わせた刃にて受ける事を選択。
次の瞬間に襲う衝撃。
金槌によって打ち込まれる釘の様に容易く、地面へと叩き込まれた。




