陸
『──なっ!?』
螢の説明に愛紗と翠は驚き思わず声を上げ掛けた。
それでも、噛み殺す様にし飲み込んだ辺りは、二人共見事だと思う。
普通ならば、如何に歴戦の猛者で有っても驚きと動揺から声を上げてしまう所。
多分、孫策や劉備の陣営の将師でも同じ事だろう。
こういう言い方は何だが、何方等も“緩い”からな。
孫策の方は上下関係自体はしっかりしているが普段の小さな言動にまで気を配り注意してはいない。
寧ろ、忠誠心が確かならば言葉遣い・礼儀作法等には寛容だと言える。
勿論、公的な立場・状況下ならば、きちんと対応する事が出来るからでも有る。
劉備の方は最初から関係が“仲間=友達”という様な意識を変わらず持っている事も有って、笊だ。
黄巾の乱の最中に会った時にも思った事だけどな。
当時の愛紗の心中や気苦労等を考えると気軽には言う気には為らないが。
「まさか…そんな…」
「いや、でも…〜〜っ…」
声は抑えても、動揺までは御し切れなかったみたいで愛紗は小声で呟いているし翠は“ああぁーーっ!!”と頭を掻き毟り叫びたくなる衝動を必死に抑え込んで、頭を抱えて突っ伏す。
そう為る気持ちは判るが、意外に目立つ反応でも有り指摘するか少し悩む。
まあ、長くは続かないから言いはしないのだけど。
「…その…螢を疑うという訳では有りませんが…
本当、なのですか?」
“埒が明かない”と考えた愛紗が俺を見て訊ねる。
別に螢の説明を否定したいという訳ではない。
単純に確認の為だ。
一応、螢への配慮の意味で一言加えているだけ。
それが判っているから螢も特に何も言わないし愛紗に嫌悪感や不満を懐く事には繋がらない。
それだけの信頼関係が有る為だとも言える。
逆に言えばだ。
それが無い場合、愛紗側がどんなに配慮しても螢側は嫌悪感や不満・反感を懐き関係に罅を入れるか、溝を深める事に繋がる。
配慮した言葉も“主の前で悪印象を見せない為にした建前に過ぎない”等と考え言わなければ言わないで、“自分の事を下に見ているという訳だな”等と考え、結局は悪い方向にしか受け取る事をしない訳だ。
勿論、そういう認識自体が言う方に有る場合も有る為受け取る側だけの問題とは俺は言わない。
両者の問題だからな。
だからこそ其処に第三者が介入する場合は当事者同士以上の配慮が必要となるし信頼関係も不可欠となる。
まあ、敵の仲間割れを誘う場合には利用される事だし珍しくは無いんだが。
実際には意識している者は少ないんだろうな。
宅は別だけどね。
ちゃんと指導・教育をして意識させているから。
それは兎も角として愛紗は緊張した面持ちで俺の顔を見詰めている。
“それが事実ならば…”と言う声が、今にも聞こえて来そうな雰囲気だ。
「螢の言った事は間違ってはいないな」
「…っ…」
俺が肯定した事によって、愛紗は思わず息を飲む。
今の愛紗の心境からすると“雷華様にすら全く実情を掴ませない相手だとか悪い冗談としか思えません…”的な感じだろうな。
まあ、宅の面子の大多数が愛紗と同じ事を考える筈。
ある意味、当然の思考だ。
華琳を当主・国王としても基本方針等は俺の価値観や思想に影響されている。
特に軍事・統治という点で俺が主導しているという事自体も一因では有るな。
つまり、宅の面々にとって世の中の“頂点の存在”が俺だったりする訳だ。
その俺を“上回る”存在が相手だと考えれば、愛紗の反応や心境も判り易い事と言えるだろう。
「…でもさ、雷華様?
そういう事だったら実際は内乱が存在しない可能性を判ってる上で態々此処まで来たって事だよな?」
「──っ!」
復活した──と言うよりは冷静になった翠が卓の上に組み重ねた両腕に顎を乗せ頭を傾けながら此方を見て訊いてくる。
その言葉を聞いた愛紗にも翠の言いたい事は伝わる。
“何も無い”その可能性を理解していながら、何故、態々自分達を伴って此処に遣って来たのか。
本当に問題事を抱えている場所は此処なのか。
その真意を問うている。
「順番に説明するとだな
先ず、元々情勢が不安定な状態だったという事実は、お前達も知っている通りだ
ただ、珍しい事ではない
“国民全てが満足出来る”完璧な政治というのは先ず実現し得ない以上、不満を懐く者は必ず存在する
存在していれば反政治的な言動をする事は判り易いが犯罪者として処罰されたり最悪処刑される事は安易に想像が出来る以上、そうは為りたくはないだろうから単独では動かない
精々、酒を飲んで愚痴る
その程度だろうな
それを煽ったり、利用して戦力を得ようとする存在が内乱を引き起こす訳だが、成功する可能性は低い
内乱・反乱による政権奪取というのは、考えるよりも実現し難い物だ
何処にでも居る野心家達の儚い幻想に過ぎない」
──とか、長々と言ったが半分以上は無関係な話だ。
別に誤魔化そうとしている訳ではない。
ただ流れとして言っただけなんだからな。
「御待たせしました〜♪
──あっ、すみません
ありがとうございます♪」
明るく元気な声に反応して顔を向ければ、先程注文を受けた店員の女性が両手で持つ御盆の上に乗せながら此方に遣って来る。
真面目な話をしていても、反射的に卓上を空ける様に動く辺り、普段の生活から馴染んだ習慣だと言える。
故に当たり前の行動だが、店員の女性からしてみると意外なのだろうな。
一瞬だけ驚いた顔をしたが直ぐ様笑顔を浮かべる辺り彼女は“出来た”店員だと言えるだろう。
そんな事を考えてる間にも卓上には注文していた品が次々と並んでいった。
卓上を彩る品々。
それを目の前にして愛紗達三人は眉根を顰めている。
別に注文した品が予想とは違っていたとか、思った程美味しそうに見えないとか匂いが凄いとか。
そういう訳ではない。
今、真面目な話をしている最中だったが店側に対して“空気を読め!”と難癖を付けるのも御門違い。
だから、注文した品が来た時には店員の女性が素早く並べられる様に動いたし。
抑、そんな理不尽な真似を店側にする様な考え自体を持つ指導はしていない。
では、三人が渋い顔をする理由は何なのか。
答えは、ちょっとした葛藤だったりする。
流れ的に、俺の話の続きが気になるのは確かだ。
だが、目の前に有る品々を食べながら聞くというのは少々躊躇ってしまう。
翠辺りは迷わず遣りそうな印象を受けるが、宅に来てしっかり躾──こほんっ…教育されているからな。
俺は気にしない方なんだが華琳は結構厳しい。
他にも多数居るしな。
反対に食べ物を粗末にする様な真似等に関しては俺の方が厳しかったりするが。
つまり、食べるのを諦めて話を聞いてしまうと折角の出来立てが台無しになる。
でも、食べながら聞くのは不味いと理解している。
建前上の立場としても。
だからと言って話を後回しにしてしまうというのも、気持ち的に落ち着かない。
──とまあ、そういう事で葛藤している訳だ。
そんな三人に苦笑しながら“食べながら聞けば良い”という様に右手を上げると手首を曲げ甲を見せながらヒラヒラと左右に揺らして見せて、無言で促す。
すると、迷わず手を伸ばし自分の注文した品を口へと運んでゆく翠と螢。
愛紗は苦笑して見せるが、其処は彼女も女性。
既に気持ち的には甘い物に傾いてしまっている。
それを見透かす様に広角を上げて見せると、少しだけ焦りながら視線を外して、手を伸ばしてゆく。
頬と耳が赤くなった事には触れないで置くけどな。
一応、俺は喋る側だから、食べるのは後にする。
流石に口に物を入れながら喋る気はしないからな。
遣れば出来るけどね。
「で、話の続きだが…
隠密衆から報告が来た際に具体的な内容を訊くという事は当然だと言える
内乱とは言え、宅にとって最大手の貿易国だからな
此方に来る商隊の安全等も含まれる訳だしな」
“現時点では”というのが本当の所では有るがな。
今後も最大手で居られるか否かは彼等次第だ。
孫策の所も有るからな。
まあ、だからと言って貿易自体は続ける訳だけど。
「所がだ、隠密衆から事の具体的な内容は出ない
そうなると必然的に内乱の話自体が“作為的な罠”の可能性が高まる訳だ
とは言え、無視は出来無い
商隊の事も有るしな
だから、こうして現地まで出向くというのは可笑しな事ではない」
そう説明すると愛紗と翠は“成る程…確かに…”等と言う様に納得したみたいで小さく頷いている。
食べながら、なので声には全く出さないけどな。
「まあ、正直な事を言えば実際に此処で内乱が起きる可能性は低かったからな
俺達の場合、自分達の事が経験・実例として有るから出来そうな気がするけど、他国では中々に厳しい
条件としても色々有るが…
起こした内乱により国力が疲弊してしまえば自分から近隣諸国に“今が好機です
攻め込んで来て下さい”と言っている様なものだろ?
当然、応戦でもすれば更に国力を削る事に為る
余程の馬鹿か愚者でもない限りは、先ず実行しない
内乱・反乱は絶対に勝てる事が最低条件だからな」
「…子供の喧嘩みたいには行きませんから…
…一度始まってしまえば、何方等かの敗北が決まるまで止まりません
…そういう物ですから」
口の中の物を、しっかりと飲み込んでから喋る螢。
別に聞き役に徹していても問題は無かったんだけど、其処はやはり軍師としての性なのかもしれないな。
“戦争”という物が如何に不要な物であり、本来なら回避すべき物であるのか。
それを言いたくなった、と俺は密かに感じ取る。
時代背景的にも“戦場こそ将師の生き場!
戦乱こそが晴れ舞台だ!”なんて考えを持った人々が少なくはない。
立身出世の意味も有るし。
だから、戦功を望むが故に“適度な戦場”を意図的に作り出す輩も居る。
その犠牲者達の事なんて全く気にもしないで自分の事だけを考える。
そういった連中が居る事を螢は言いたかった訳だ。
それは戦働きが中心となる愛紗達だからこそ、絶対に知って、心に留めて置いて欲しい事だからな。
戦争なんて物は不要だ。
しかし、必要悪でもある。
その矛盾を。
関わる者として忘れないで欲しいから。
「普通でも、現地まで来る理由は有る訳だ
それに加えて、“祓禍”が反応したというのであれば動かない訳にはいかない
例え、罠だったとしても」
その事は愛紗達も話をした時点で判っていた事。
飽く迄も確認に過ぎない。
螢と同じ様に、食べるのを一旦中断して愛紗が疑問を向けてくる。
「ですが、雷華様
隠密衆が何かしらの能力の影響を受けている、という可能性も有るのでは?」
「今までに実際に発動した事が無いから、お前達にも話してはいないが…
“祓禍”は単純に“禍”の気配を感知するという機能だけの物ではない
一度限りという条件でだが所有者を禍から護る能力を備えている
同時に、それが発動した際俺にだけ感知出来る特殊な合図を送る様に為っている
それは即座に対処が必要な状況になるからだ」
まだ、電波関係の話は皆に出来無いからな。
華琳や一部の研究所関係者だけが知っている事。
だから、追及されない様に其処は上手く暈しておく。
「では、今回の場合も…」
「ああ、発動はしていない
それはつまり、隠密衆には全く影響していないという事の証明でも有る」
そう言うと、ごくんっ!と大きく喉を鳴らして口内の物を飲み込んだ翠が訊く。
「だったらさ、この国の民にだけ影響してるのか?」
「そう思うのも無理無いが祓禍は周囲の力に対しても感知は可能だ
もし、隠密衆の近くで禍が力を使っていたとすれば、必ず祓禍が反応する」
「そう為ってないって事は少なくとも隠密衆の側──いや、祓禍の感知範囲内で力は使ってない訳か…
その祓禍の感知範囲ってさ何れ位なんだ?」
「中心地に位置していれば一つで、このコーカンドの都を丸々全部感知範囲内に収められる程度、だな」




