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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
582/915

        弐


マフメドさんの様子を見て呆れているユーシアさんに“自分が飲ませ過ぎた”と事実ではあるがフォローの意味にも受け取られる事を感じながら告げると彼女に後を任せて部屋に戻る。

此方側の都合──意図的な泥酔という事に対して少々罪悪感を感じるが、此方も綺麗事で済ませられる程に余裕という訳ではないので心苦しいが、不用意な事は言わない様にする。

…せめて、明日の朝、彼が小言を言われない様に、と祈りを捧げておこう。


そう思いながら一人静かな廊下を歩いて行く。

庶民の家とは違い日中でも然程賑やかさはない。

宅だって私邸は静かな物。

城内は…まあ、あれだ。

色々と有るからか部外者が想像する以上に賑やかで、時には騒々しくも有る。

その原因が大体絞り込める点に関しては…うん。

深くは追及しない方向で。


“少しは学習・成長しろ”と言うべきなのか。

“自分らしさを貫けよ”と言うべきなのか。

正直、悩ましい所だ。

俺個人としては現状維持の方向でも別に構わないが。

将来的な、様々な方面への影響を考えると無責任には肯定出来無い事だし。

まあ、結局は本人次第では有る訳だからな。

本人に任せるしかない。

最悪、反面教師としてなら“いい”見本に成るだろうという意見も出ているし。


静か過ぎるから、なのか。

変な事を考えると思う。



(静寂というのは真っ白な紙と似ているからなぁ…)



それは自分なりの感覚。

価値観とは少し違う。

一つの見解、なのだろう。


静寂という状況は得られる情報が少ない。

それ故に様々な憶測として情報を付け足す事で輪郭を与えようとする。

それが悪い訳ではない。

ある意味、人間という種が持つ“想像力”故の必然的行動だと言えるのだから。


何の前触れも無く、唐突に真っ白な紙を前にした時、其処に何を思うのか。


ただ、白い紙が有る。

だから、どうした。


そんな思考で完結する者は実は少ない事だろう。

普通は、一体何だろうか?

何の為に?、誰が此処に?という様な事を考える。

与えられた情報が少ないが故に少しでも集め様とする事は間違いではないのだし不足分を補う為にも想像し憶測を成り立たせる。


物事への理由付け。

それが人間の思考の基本で根本的な行動だろう。

未知に対する恐怖から来る防衛本能とも言えるな。


だから、なのだろう。

時に“在りもしない物”を人々は存在しているが如く感じてしまう事が有る。


だが、その逆も然り。

“在る筈の物”を不都合な存在で有るが故に、認識の外に排除してしまうという事も起こり得る訳だ。


人々が、我々が、見ている“世界”というのは本当に存在しているのだろうか。

全てが、人々の集合意識の元に生じている幻想。

その可能性は存在する。

それを否定も肯定も証明も出来無い、というだけで。




部屋に戻ると、静かに扉を開けると夜の闇に包まれた廊下に淡い橙色の明かりが零れる様に滲む。


月明かりが届く場所だとか設計だったりすれば然程は印象深さを覚えない場面。

何気無い、巷に有り触れた情景の一つに過ぎない瞬間だと言えるだろう。

それを見て、本の僅かだが心の奥が暖かくなったり、擽ったくなるというのは、些細な理由なんだと思う。


誰かが、自分が帰る事を、待ってくれている。

自分には帰る場所が有る。

そう感じてしまうからなのかもしれない。


別にホームシックだとか、人恋しいという様な感情を懐いている訳ではない。

ただ単純に、静かな廊下を歩いて来たが故に頭の中で色々と無意識に考えていた事が原因なのだろう。

闇に安心感を覚えながらも一方では恐怖感も懐く。

闇とは、そういう物。

静寂とは、そういう物。

無力感を、孤独を、死を。

無意識に懐かせる。


だから、淡く、柔らかな、暖か味の有る光を見ると、安心感を覚えるのだろう。


そんな事を考えながら扉を開けて部屋へと入る。

出来るだけ、静かに。

時間的に見ても、愛紗達は既に寝ている筈だしな。

其処は配慮する。

流石に、足音を消すという事まではしないが。

…ああいや、訂正。

昔の癖と、無意識から来る気遣いの所為なんだろう。

自然と足音を消す歩き方を遣っていた。



(静かな場所に居る場合は特に遣り勝ちだしな〜…)



習慣みたいな物だからな。

職業病とも言えるかもな。

逆に、普通の歩き方の方が意識しないと出来無い。

困った物だと思う。


後ろ手に極力音を立てない様に扉を閉める。

まあ、多少の音では起きる事は無いだろうけどな。


旅をするには、ある程度は神経が図太くないと色々と困る事が出て来る。

枕が変わると眠れない様な人には向かない事だ。

何より神経質過ぎると逆にストレスが溜まり過ぎて、体調を崩す事も有る。

旅行・観光事業が未発達な今の時代の環境でなら特に起こり易いとも言える。


尤も、それは“彼方”での現代人が“此方”の世界を旅したら、の話だけどな。


当然と言うべきか。

愛紗達は勿論、華琳ですらそういう点は平気だ。

抑、行軍等をすれば数日の話では済まない訳だから、一々気にしている様な者は帯同する事なんて不可能で他所の村や街に行く事すら困難になってくる。

そういう時代だからな。


だから、扉を閉める程度の音では普通は起きない。

しかも、俺の知己の人物で曹魏の商人が認めてもいる人物の邸宅なのだから。

信頼を置くのも当然。

…まあその、自惚れるなら俺が居るから、というのも理由の一つだとは思う。

うん、飽く迄も幾つか有る内の一つだけどね。




部屋の中は小さな油皿から広がる灯りが照らすのみ。

全体的には薄暗い。

とは言え、明かるいと眠る事が出来無い質の人だと、気になるとは思うが。

其処は微妙な所だな。



(それに宅は俺が開発する氣を原動力として稼動する家電擬きが有るからな…

慣れると不便なんだよな)



文明の利器の弊害。

人は便利な環境を普通だと思う程に慣れてしまうと、それ以前の生活環境に戻る事が出来難くなる。

全く不可能という事は無く要は“無い物は無い”等と開き直るか切り替えれたら順応・適応に意識や能力が正しく働いてくれる。

そうなれば問題は無い。

生き延びる事は可能だ。


出来無い場合は死ぬだけ。

生存競争とは順応・適応の能力競争だとも言える。

そう、俺は考えている。


実際、宅の普段の生活水準からは考え難い環境だ。

しかし、伊達に数日に渡り旅をしてきてはいない。

既に順応しているので全く不自然さは感じさせない。

と言うより、愛紗達でさえこういう環境の方が身近で生活の基盤に有る。

だから気にならないのかもしれないな。


中の状態はユーシアさんに御願いした後、“普通”の客間へと戻されている。

愛紗達の安心と納得半分、未練と残念さ半分の表情は見ていて可愛らしかったが反応は返せなかった。

折角、“誤解”という事で事態を解決したのに、再び火を付けるのも同然。

…まあ、“女の勘”に対し無力な以上、気取られても可笑しくはないけどさ。

愛紗達も演技派ではない訳だからな。


出入り口の正面には窓。

今は締め切られているので外の景色は見えない。

尚、宅では浸透しているがカーテンの文化は少ない。

態々、貴重な布地を使って窓を隠す、光を遮るという価値観は持ち難いしな。

ある程度裕福だから出来る発想であり、贅沢なんだと改めて感じさせられた。


左右の壁際に二つずつ並ぶ寝台の内、三つで愛紗達が既に布団へと入って寝息を立てていた。

俺の隣には何気に勝負強い螢が眠っている。

三人が猜拳による位置決め勝負をした際、一発目にて螢が二人を下した瞬間。

愛紗と翠の項垂れ方を見て写真を撮りたくなった俺は可笑しくはない筈。

だってほら、関羽と馬超が猜拳に負けて落ち込んでるという図だから。


尤も、そんな事を考える時自体が現実逃避中だ。

皆を、そういう風な認識で見てはいないからな。




三人の様子を見回しながら若干、寝相の悪い所の有る翠の掛け布団が捲れ上がり身体が出ているのを見付け苦笑しつつ近付いて行き、そっと掛け直してやる。

その際、寝言で翠から名を呼ばれたので、思わず翠が起きているのかと焦る。

別に、疚しい事をしているという訳ではないのだし、俺達は夫婦な訳なんだし、裸の御付き合い所の話では──いや、そうではなく。

確かに、そうなんだけど、そういう事ではなくて。


そういう時、妙に焦るのは異性として意識しているが故なんだろうな、と思う。

そうでなかったら、単純に善意しかない訳で。

起きていても特に焦る理由なんて浮かばないしな。


そんな風に考えさせられ、一人苦笑しつつ納得。

御礼の代わりに眠っている翠の額に優しく唇を落とし“おやすみ”と声を掛けて自分の寝台の方に向かう。


着ている服を脱いで置き、自分の荷の入った皮袋から寝衣を取り出し着替える。

洗濯物は一纏めにするのが当たり前になっているので先に愛紗達が衣服を入れて俺の寝台の脇に置いていた皮袋を取って口を開いて、脱いだ服を入れて閉じる。

…中身を確認しようという特殊な趣味は無い。

着ている物を脱がせるから価値が有るのであり、衣服自体には他意は──って、何を考えているんだ。

…疲れてるのかもな。


で、脱いだ衣服なんだが、別に“影”内に仕舞っても構わないのだが、滞在する期間が長いと怪しまれる。

何しろ、俺達は旅の荷物を極力少なくしているという設定なんだしな。

その点に対する注意や配慮を欠くと怪しいだけでなく不自然過ぎてしまう。

そうなれば、余計な詮索や追及を受ける事にもなり、此方の仕事や両国の貿易や関係にも小さくない影響が及び兼ねないからな。

そうならない為にも必要な事だったりする。

他意は無い、他意は。


着替えを済ませると自分の寝台の布団を捲り、座る。

そのままで“影”の中から“纉葉”を取り出すと俺は迷う事無く──繋ぐ。



《貴男への伝言、ちゃんと聞いたかしら?》



まるで待ち構えていた様に間髪入れずに返されてきた一言に思わず苦笑。


此方の様子を隠しカメラか何かで監視していたのかと思わず疑い、訊きたくなる程に、此方の言動を見事に見透かしている声の主。

仕込んだ悪戯が成功した事が嬉しいのだろうな。

声の弾み方で判る。

念話だから、感情の機微が反映され易いしな。





《ちゃんと聞いたよ…

と言うか、其処まで読める華琳が凄いのか、読まれる俺が判り易いのかで意外と本気で悩んだけどな》


《あら、それは簡単よ

“貴男の事だから”、私は理解する事が出来る

ただそれだけの話よ》



隠そうともしない惚気。

いや、この念話自体が極秘通話なんですけどね。

何と言うか…まあ…その。

面と向かって言われるより相手が見えない状況だから逆に心の奥に響くって事が有る訳ですよ。


念話ってだけじゃなくて、声に出して伝えるって事が大きな意味を持っている。

メールとかじゃ伝わらない本の僅かな息遣いにさえも感情の機微が感じられて。

だからこそ、想いが届き、しっかりと伝わる。


手書きの手紙は別の良さが有るんだけど。

メールとかは微妙だよね。

共通・共有出来る事前提で電子化されているからか、薄っぺらく思えてくる。

勿論さ、その感覚自体にも個人差は有る事だろうし、それが普通の人々も居ると思うんだけど。


だからこそ、原点回帰。

“言葉”という物の意味や大切さを考えて欲しい。

声に出すという事も。

自分で文字を書く事も。

機械任せの物では出せない“深み”が有る筈だから。



《──でも、残念だわ

今の貴男の表情を見る事が出来無いだなんて…ね?》



──等と、ちょっと珍しく真面目に語ってたのに。

我が奥様は照れ隠しも含め揶揄う様に逃げる。



《…そうだな、残念だよ

傍に居れば、夜が明けても華琳を寝かさないのにな》


《──っ!!》



という訳で、遣り返す。

俺程には念話という方法に慣れてはいない華琳だから無意識に動揺が伝わる。

今の華琳の姿を想像しつつ遣り返せた事を素直に喜び──愛しいと想う。


愛紗達が寝ていて良かったと思いながら。




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