4 冀くは貴方と 壱
曹操side──
あれから一ヶ月。
“逢瀬”は一度も無い。
今更だから、正直に言えば“直ぐには無くならない”なんて甘い考えだった。
“まだ大丈夫”と思う事で自分を騙していた。
そうでもしないと私は心を保てなかった。
──会いたい。
限り無く溢れる“想い”に何度泣いただろう。
それでも日中は日課を熟し勉学にも励んだ。
誰の前でも平静を保ち続け日々を過ごす。
けれど、夜になれば期待と不安を抱いて眠り…
夜が明ければ悲哀と渇望に頬を濡らしている。
思いっきり、声を上げて、泣きじゃくれればどれだけ楽だろうか。
周囲に失望される事が恐い訳ではない。
“弱さ”を見せる事が悪い訳ではない。
ただ、泣いてしまうと…
もう二度と会えない様な…
そんな気がするから。
だから、耐え忍ぶ。
“また会える”と信じて。
そして、その時の為に私は出来る事を遣る。
私に出来る、様々な事を。
「こう、ですか?」
手元に有る魚の腹に包丁の刃を当てながら、隣に立つ祖母に確認する。
「ええ、それで良いわ
そのまま尾の方へ向けて、刃を入れて行くのよ」
「判りました」
祖母に頼んで教わっているのは“料理”に他ならず、名士の家の娘としては少し珍しい事だろう。
“料理は料理人に任す”と考えるのが普通。
才器有る者なら尚更に。
それなのに私が料理を習う理由は実に単純。
“好きな女性の手料理”は男性にとって特別な物だと彼から聞いていたから。
“彼処”は疲労は有っても空腹は存在しない。
喉の渇きも。
また“食材”等を造っても色と形だけ。
食べる事も匂いを嗅ぐ事も出来無い。
だから、当初は私も今程の必要性を感じなかった。
しかし、彼が何時の日にか“此方”へ来た時…
料理一つ出来無い姿を晒す真似は避けたい。
彼が普通に出来る事なのに私が出来無いのは癪だし。
だから、こうしてその日の為に密かに練習中。
幸いにも祖母は時の皇帝も認めたと言う腕前。
師事するには最適だ。
私の作った料理を振る舞い彼を驚かせたい。
彼を喜ばせたい。
その一心で頑張れる。
「ふふっ、貴女と結婚する男性は幸せ者ね」
言われて悪い気はしない。
ただ、少しだけ違う。
「私は一緒に生きてくれる“彼”が居るだけで幸せだと思います」
命の有る限り同じ時の中を生きられるのなら──
ただ、それだけで。
──side out
“前”の“逢瀬”から既に一ヶ月が経った。
“最後”とは言いたくなく思いたくもない。
そう、してしまうだけでも“そう”成ってしまう様な気がするから。
(…随分と女々しくなったものだなぁ…)
“師”が見たら何と言うか想像に難くない。
全力で冷やかし、揶揄うと断言出来る。
脳裏に浮かぶ、愉しそうな笑顔が癇に触る。
(…さっさと寝よ)
下らない苛立ちを溜め息と共に吐き出し思考を放棄。
いつも通りに仕事を片付け自分の部屋に戻り汗を流しベッドに入った。
元通りの“日常”と言える日々を送る。
だが、物足りない。
“何か”が胸を穿った様な虚無感が有る。
有った筈なのに──
「──雷華っ!」
“此処”に来た事が判った瞬間に駆け出した。
同じ様に此方に駆けて来た彼女が胸に飛び込む。
「華琳…」
受け止めて、しっかりと、確かめる様に抱き合う。
穴を空けた“何か”…
それが何なのか漸く判った気がする。
あの虚無感は彼女に会えぬ切なさや喪失感だろう。
それを裏付ける様に今は、充足感が有る。
「…雷華…」
彼女の声に誘われる様に、少しだけ身を離して互いを見詰め合い、顔を近付けてゆっくりと瞼を閉じる。
視界を閉ざせば必然的に、触覚が鋭くなる。
唇に感じる彼女の吐息。
それを求める様にして唇が重なり合う。
「……んっ……」
唇の隙間から漏れる声。
唇を通して、身体の中へと彼女の“熱”が染み込む。
“熱”は思考を溶かして、“甘い”欲望を生む。
浮かされる程の“甘さ”に夢中になる。
狂おしいまでに互いを求め自分を相手に刻み込もうと“熱”を伝える。
「…んっ…つゅっ…」
長い様な、短い様なキスは軈て“熱”を帯びた水音が讃歌を奏で始める。
幼く、拙い、愛の唄。
けれど、誰に恥じる訳でもなくて、誰に聞かせる訳でもなく、誰に咎められる訳でもない。
比べる必要など無く。
比べる意味など無く。
比べる存在など無く。
それは、ただただ、二人の“想い”のままに紡がれ、奏でられる。
二人だけの唄。
二人の為の唄。
二人による唄。
誰にも紡ぐ事の出来ぬ。
誰にも模す事の出来ぬ。
誰にも遮る事の出来ぬ。
唯一つの愛の唄。
唯一つの恋の唄。
唯一つの命の唄。
時間も忘れ、状況も忘れ、互いを求め合った。
曹操side──
我に返った私達は何方らと言う事もなく、ただ静かに抱き合っていた。
一言で言うと恥ずかしくて互いに正面に顔を見る事が出来無いから。
どうにも、募った会いたさ故の暴走だった様ね。
(もう頭は冷えてる──筈なのだけれど…ねぇ…)
頬の、身体の火照りは未だ引く気配は無い。
けれど、嫌な感じは無く、気怠い感じも無い。
それ所か、心地好い位。
「…自分でも可笑しい位に“会いたい”と思っていたらしいな、俺は…」
それは多分、初めて聞いた彼の“弱さ”だろう。
それを聞いた私は──
とても、嬉しかった。
彼が私に寄り掛かって来てくれた様な感覚。
今までずっと私の方が──私だけが寄り掛かっていた様な関係だったから。
でも、それ以上に──
彼が私の事を求めてくれる事に胸が高鳴る。
それは多分“女”としての本能に伴う歓喜。
「私も会いたかったわ…」
“女”というのは逞しいと祖父は言っていたが…
成る程、確かにそうだ。
先程までの恥ずかしさなど嘘の様に消えている。
寧ろ逆に、今は貪欲な程に彼の事を求めている。
彼の声を聞きたい。
彼の顔を見たい。
彼の香を感じたい。
彼の心に触れたい。
「…ねぇ、雷華…」
彼の首へと両手を伸ばして自分から顔を近付ける。
「華琳──んっ…」
此方へ向いた彼の唇を奪い声を遮る。
彼に真名を呼ばれただけで鼓動が大きく脈打つ。
その感じが嬉しい。
いつまででも、口付けして居たいけれど時間は有限。
それだけで終わらせるには今の“逢瀬”は勿体無い。
私から唇を離す。
一抹の物足りなさと寂しさだけは仕方無い事か。
「…私ね、判った気がする
どうして“逢瀬”の間隔が開いているのか…」
「…その理由は?」
今日は本当に珍しい。
彼の色々な“表情”を見る事が出来るなんて。
こんな事は滅多に無い。
出来るなら揶揄いたい所。
でも、今は自重する。
「会えない事は辛いわ…
けれど、会えた時の喜びは一時の辛さなど些細な事に思えてくるから不思議ね
そう…まるで──」
「──まるで、俺達に対し“それ”を教えている…
そう、思える…か」
「ええ、その通りよ」
私の台詞を継いで言う彼は“いつも”と同じ。
穏やかで、温かい、不敵な微笑みを浮かべた。
──side out
女性というのは強い。
男に比べて“痛み”に対し種として耐性が有るけれどそういう事ではない。
“恋”をして美しくなり、“愛”を抱き逞しくなり、“命”を宿し強くなる。
ただ、少しだけ勘違いしていた事が有ったらしい。
何も“命”は子供の事とは限らない。
“命”とは、その人の生の在り方であり、意志だと。
彼女を見て理解した。
幼さなど感じない…
女性の持つ、母性に溢れた美しい微笑み。
ただ穏やかなだけでなく、男という種を魅了する程の蠱惑的な魔性を宿す。
相反する様でいて実の所は“同じ”なのだと判る。
彼女達は“命”を宿し育む存在だから。
だから、男達は惹かれる。
過去であり、未来だから。
男達は皆、母より生まれ、女性達を母にする。
無くては成らぬ存在故に、惹かれ合うのだと。
「“次”が“何時”になるのか判らない…
なら、この時、この瞬間を大切にしたいと思うの」
そして、“未来”を定めた者は輝く。
強く、眩く、美しく。
“命”の輝きを纏い。
「そうだな…それじゃあ、“始める”か」
「ええ」
既に慣れた想像に因る創造にて武器を造り出す。
彼女は右手に大鎌を持ち、腰に鞘に入った短剣。
対して、俺が造り出すのは抜き身の野太刀と手甲。
その様子を見て彼女の目が鋭くなる。
「…それが貴男の“本来”の戦い方?」
「戦いに“型”は無いよ
“主要”と言うのが正しいだろうな…」
そう言いながら右手に持つ野太刀の鋒を彼女に向け、右を前に半身に構える。
それだけで、理解した様で彼女は大きく一歩、後方へ飛び退いて構える。
瞬時に此方の間合いを覚り距離を取ったのは正解。
「…“相性”は良いとは、御世辞にも言えないわね」
「初見で其処まで判るなら成長している証だ…
“上”に成れば──」
「──“相性”なんて関係無い、でしょ?」
自らの言葉を裏付ける様に彼女は笑う。
大鎌を右後方に構え、左を前に半身の姿勢を取る。
静かに対峙。
駆け引き、騙し合い…
思考で、仕草で、視線で、互いに互いを揺さ振る。
「……哈っ!」
焦れた彼女からの仕掛け。
石突きでの突き。
連撃を想定した初手。
悪くない。
「──但し、“軽い”のは頂けないがな」
「──っ!?」
そっと鋒で石突きに触れ、力を“合わせ”る事により軌道を変える。
そのまま大鎌の懐へと入り左の貫手を放った。
曹操side──
奇妙な程に落ち着いている自分の心が不思議だ。
本の些細な事に思えるのにこうも変わるなんて。
不安が無い訳ではない。
けれど、それ以上の喜びを知ってしまった。
だから恐くはない。
彼との“繋がり”は確かに私の裡に在るのだから。
「考え事は隙を生むぞ?」
のんびりした口調や暢気な声色とは裏腹に、鋭く重い一撃が鼻先を掠める。
咄嗟に身を後ろへ逸らしていなければ終わっていた。
「戦略も練るな、と?」
つい負けず嫌いな性格から揚げ足を取る様に返す。
「“余計な”考え事を、だ
判ってて訊いてるだろ?」
「ふふふっ…さあ、それはどうかしら──ねっ!」
他愛ない会話をしながらも互いに手は緩めない。
振るわれ打つかり合う刃が音を鳴らし、火花を咲かせ二人の“舞い”を飾る。
端から見ている訳ではないけれど、自分達の戦う姿は生き生きと活力に満ち溢れ嬉々としているだろう。
限り無く高揚する心身が、それを如実に物語る。
「──疾っ!」
「──ほっ!」
横薙ぎに放った大鎌は楽に躱されるが、構わない。
踏み込んだ右足を軸にして一回転、再びの横薙ぎ。
「──おっ?」
合わせ、逸らそうとするが“回転”する勢いを増し、その力を逆に呑み込む。
「哈ああーっ!」
二回転分の加速と威力。
其処に彼の力を上乗せして三度目の横薙ぎを放つ。
今の私に三回転目は無い。
まだ、その力を御し切れず破綻を招くから。
故に、これが今繰り出せる最高の一撃。
この戦い方を私へと教えた彼なら、一手で私の威力を逆に呑み込める。
でも、それはない。
そうする理由が無い。
これは実戦形式の鍛練。
そして“試し合い”。
だから、必ず来る。
「──哈っ!」
私の一撃に合わせる様に、彼の横薙ぎの一閃。
打つかり合う双刃。
しかし──交差ではない。
刃と刃が水平に同じ軌道を描き、点で相対する。
拮抗は一瞬。
──いえ、本当はもう少し長かったのかもしれない。
けれど、結果は出た。
威力に耐えられずに壊れた訳ではない。
あまりの鋭さと技の冴え、速さにより──
私の大鎌が“両断”されて勝負は着いた。
──side out。




