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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
574/915

       肆


さて、気を取り直して。


改めて目を向けた先には、洞窟の様な姿は無い。

雑草や草花の生えた斜面は田舎の土手を思わせる。

地面の裂け目から涌き出る様に流れ出している水。

土気を感じさせる濁り等は全く見られない。

綺麗な、澄んだ清水だ。

変な臭いもしていない。


初見での悪印象は無い。

勿論、成分的に問題が有る可能性は否定出来無いが、現在も特に被害が出ているといった訳ではない以上、変な邪推は風評被害を生み不安を招く結果に繋がる為発言には気を付ける。

まあ、何を言っているのか判らないだろうけど。



「翠の言った通り、地形が変わっている様だな」


「雨、でしょうか?」



立ち直った──と言うか、いつもの自分の姿に戻った愛紗が原因を訊ねてくる。


偶に出て来る“わん娘”な愛紗が可愛かった訳だが、それは言わないでおく。

愛紗も翠程までは照れ屋で恥ずかしがり屋ではないが生真面目な分、きっちりと公私を分けたがるからな。

深追いすると手痛い反撃を食らう事にもなる。

なので、退くべき時には、素直に退く事にしている。


愛紗が地形の変化の原因に雨を挙げた理由は簡単。

周囲の様子に大きな変化は見られない。

だとすれば、大雨によって水量が増水し、土砂崩れが起きた結果、水源を地中に飲み込んでしまった。

そう考えたのだろう。



「愛紗、それは無いって」


「…何故そう言い切れる」



軽い感じで違うと断言した翠に対し、愛紗は少しだけむっ…とした表情を浮かべ翠に訊ね返した。


俺ではなく、質問に対して翠が答えたという事も有り不満だったのだろう。

先程の事が尾を引いている可能性は無い…筈。

…いや、愛紗もこう見えて意外と子供っぽい部分って有るからな〜…。

ちょ〜っと、微妙な所だ。


ただまあ、翠の見解に対し興味が有るので、今は口を挟む真似はしない。

螢も同じ考えらしく静かに二人を見ているしな。



「何故も何も無いって

ほら、考えもみろよ

土砂崩れって、ある程度の水量がなかったら起きない事だろ?

仮に土砂崩れが起きる程の水量を満たしたとしても、実際に土砂崩れが起きたら出口が崩れて埋まる程度で済むと思うか?

少なくとも今私達の後ろに広がってる畑は埋まるか、押し流されてる筈だ

それをフェルガナ国内でも有力者の大商人の奥さんが知らない筈が無いって」


「……確かにな」



正直に言って、驚いた。

そう言いたくなる程に翠の見解は的を射ている。

愛紗も私情は抜きにしても納得しているしな。


増水による土砂崩れ。

その可能性は、かなり低く為ったと言える。

完全には無くならないが。

其処は翠の未熟さだな。

もう一歩、其処から先へと踏み込んで考えられたなら辿り着けるのだが。

まあ、惜しくは有るけれど翠の成長振りを窺えたので良しとして置こう。





「良い線行ってはいるが、惜しかったな、翠」



そう言いながら翠の頭へと右手を置き、ぽんぽんっと軽く叩いてからグリグリと少し乱暴に撫でる。

優しく丁寧にされるよりも普段は、こういう撫で方を好むのが翠。

二人きりの時は甘えん坊で優しくされたがるが。


…まあ、翠に限らず意外とそういう対応を好む人数が多いのは、負けず嫌いで、男勝りな故なのかも。

それも絶対とは言えない、一部の一例に過ぎないが。



「…という事は、今の翠の考え自体は的外れではない事ですが、正解でもない、という訳ですか?」



若干、嬉しそうな雰囲気を滲ませる愛紗。

別に張り合っているというつもりは無いのだろうが、無意識に翠の言った見解が“正解ではなかった”事を喜んでしまっている。

其処に悪気は無い。

ただ、子供の喧嘩と同様に無意味な“背比べ”をして優越感を感じているというそれだけの話。

こういうのは、人間誰しも感じる事だろうな。

勿論、俺自身にも言えるし華琳にだって言える事。

だから、その事を俺の方で指摘したりはしない。

喧嘩にでも発展した場合は注意程度はするけどな。



「それは…なあ、螢?」



俺が答えても良かったが、敢えて螢に話を振る。

愛紗の反応に対して翠から不満が上がる前に違う方に意識を逸らす為にも。

そういう感情の機微を螢は読み取るのが上手いので、二人への解説という名目で然り気無く、巧みに意識を誘導し始める。



「…翠さんの意見は勿論、愛紗さんの意見も間違った事ではないです

…土砂崩れでは有りません

…でも、雨が原因である事自体は正しいです」



螢の説明を聞き、二人共に眉根を顰める。


事実は二人が考えるよりも実は簡単で、そう難しい事ではなかったりする。

ただ、一度“こうだ!”と考えてしまうと人の思考は容易く迷宮を造り上げる。

その迷宮から抜け出す事は実に簡単な事なのだけれど当事者には至難となる。

それが人の思考の限界。

それ故に、人は他者に対し新しい情報を求める。

自分とは違う視点や考察、価値観による可能性という選択肢を増やす為に。



(ただまあ、今の二人には俺が言うよりも、螢からの説明の方が素直に受け入れ考えられるだろうからな)



妻として、女として。

懐く誇りと信念が有る故に俺が下手に言うと何方らか一方への“肩入れ”という風にも受け取られ兼ねない可能性が有るからな。

こういう時に判断を誤ると痴話喧嘩程度では済まない状況に為るからな。

くわばら、くわばら。





「…御話しに聞いていた、洞窟の様な地下水の出口は大人一人分程です

…無理矢理に詰め込めば、多分、三人位は入る程度の空間だったと思います」


「実物を見てないのに断言出来るのか?」



説明の途中でも、遮る事を躊躇わず質問する翠。

勿論、話す相手が寛容な螢だからこそなんだが。


これが桂花や泉里の場合、説明を中断してでも罵倒や説教が返ってくるだろう。

だから、二人を相手には、翠でも大人しくなる。

まあ、本当に必要な質問は気にせずにして構わないし桂花達も怒りはしない。

無駄な質問に対しては、と付け加えれば判り易いか。

或いは“揚げ足を取る”と言うべきかもな。


因みに冥琳は話が終わった後からが本番となる。

中断の言い訳が出来無い分容赦が無いという事は──態々言うまでも無いがな。



「…実物なら有ります」



──で、当の螢はというと気にする様子も無く普通に返事をしている。

翠の方にも他意は無い。

単純に思い付いた疑問等を口に出しているだけ。

嫌がらせではない。

それを螢も判っているから感情を荒立てもしない。

…まあ、癇に障る事自体に個人差が有るからな。

仕方が無い事ではある。


ただ、何方らであろうと、甘えっ放しは良くない。

自分で気付かない者に対し注意する事も必要であり、注意された者も受け入れて真剣に考えなくては。

其処で腹を立てる相手なら切り捨てるべきだろう。

それに堪えてまで、関係を大事にする価値が有るか。

じっくり考える事も時には必要な事だと思うしな。



「は?、何処に?」


「…目の前に、です」



キョロキョロと周囲に顔を巡らせ、再び螢へと向いた翠に対して螢は右手を上げ潰れた出口を指し示す。

理解が追い付いてはいない翠も、静かに二人の会話を聞いている愛紗も、思わず小首を傾げていた。

そうなってしまう気持ちは理解出来無くはない。

誰にでも未熟な時期というのは存在するのだから。


ただ、そういう瞬間にこそ歓喜を見出だす者も居る。

未知に対する興奮。

探求出来る事への好奇心。

そういった思考を懐く者は総じて“常識を外れる事”に対する抵抗が無い。

…自分で言うのも何だが。


“その先”にこそ、新たな可能性が在る事を。

それを知っているが故に。

常識的な人々が踏み止まる一線を躊躇無く越える事も珍しくはない。


開拓者とは常に異端であり結果を伴う事でのみ初めて評価・理解されるもの。

故に、その道程は厳しく、辛く、苦しく、険しい。


けれど、越えた者にのみが至高の歓喜を味わえる。

だから、止められない。

開拓者(ちょうせんしゃ)、という在り方はな。




十分に二人の意識が逸れた事を感じて、苦笑しながら俺が前に出て、説明をした螢の頭を撫でる。



「さっき会った彼等からも場所が変わったという様な話は聞いてはいない

という事は、涌き出ている場所は同じだという事だ

そして、土砂崩れが有ったという訳でもない

なら、この場所の地形自体には変化は無い訳だ」


『──あっ!』



其処まで言うと二人揃って理解の声を上げた。


地形が変わっていないなら単純な洞窟の高さは今でも十分に推測が可能だ。

奥行きと横幅に関しては、ユーシアさんから得ている情報で十分だろうしな。

それらを組み合わせたなら空間内部の広さを想像する事は然程難しくはない。

とまあ、そういう訳だ。



「洞窟が潰れている理由もお前達が考えているよりも単純な事だな

と言うか、間を取った、と言うべきかな」


「間を取った?」


「…雨…土砂崩れ…?…」



此処まで言えば判る筈。

多少時間が掛かっても別に構わないので二人に考える時間を与える事にする。

螢には、チラッ…と視線を送って意図を伝える。

小さく苦笑を浮かべながら首肯する螢。

その思考を察し、俺の方も胸中で苦笑を浮かべる。

二人に勘違いされない様に見せはしないがな。


こういう時、解説(しごと)を奪われると拗ねる性分が多いのが軍師という者。

武人が自らの技量を示して評価されたいのと同様に、自らの知識や考察を披露し評価・尊敬されたいと思う気持ちを持っている。

だから、その機会を奪うと拗ねてしまう訳だ。

螢や結・雪那はその傾向が少ないんだけどな。


意外にも月には、そういう部分は窺える。

多分、主な理由は二つ。

一つは妻として、女として他の皆に対する劣等感とか焦燥感から、だろう。

その部分なら俺の方で手を打つ事が出来る。

気になるのは、もう一つの理由の方だろうな。



(過去に対する罪悪感から来る贖罪的な渇望だな…)



結果的には可能な限りでの最善の解決だった訳だが。

月にしてみれば結局自分は“何もしていない”という考えが消えないのだろう。

実際には月の決断と覚悟が有っての事なんだが。

それを言っても月自身には自覚出来無いのだろう。

だからこそ、求める。

自分の甘さが引き起こした悲劇に対し、少しでも償い報いる事の出来る結果を。


与える事は容易い。

しかし、掴み取らせる事、築き上げさせる事。

それには時間が掛かる。

じっくり、歩めばいい。

孰れ必ず、気付く。

その掌に在る物に。





「──ああっ、成る程っ」



少し、思考が逸れていた。

その間に答えに辿り着いた愛紗が無意識に嬉しそうに声を弾ませた。

その声で我に返った。


愛紗とは対象的に、答えに未だに辿り着けないでいる翠の顔には不満が滲む。

ただ、愛紗とは違い素直に他者の意見に耳を傾けて、自分の考えを改められる。

無自覚ではあるが。


螢に視線を向ければ同時に此方を向き、“私から説明をしますか?”と眼差しで訊いてきたので“このまま二人で遣らせる”と返す。


人間、慣れると不思議だと思っていた事でも、普通に出来る様になる。

昔は華琳としか長文に為る意志疎通は難しかったのに今では妻であれば誰とでもある程度は可能だしな。



「…全然判らないっての」



拗ねた子供の様に、小さく頬を膨らませて下から睨む様に見てくる翠。

だが、敢えて手は貸さずに笑みだけを浮かべる。

暗に“自分で考えなさい”という意思を含ませて。



「翠、私も判らなかったが確かに間を取ると判る」


「いやな?、だから、その間を取るってのが…」


「土砂崩れの原因は雨だがそれを別々に考えるんだ」


「別々に?」


「そう、別々にだ」



放置すれば、つい先程まで同じ立場だった愛紗は翠に助け船を出す。

面倒見の良さから、という事も有るだろう。

ただ、そうする事によって愛紗自身の自覚を促す。



「──ああっ!、成る程!

判った、そういう事か〜」



自尊心が時に邪魔をする。

その事実をな。




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