参
怪しんでいた所に、笑顔で声を掛けられる。
普通であれば、無意識下で気不味さを感じる場面だと言えるだろう。
余程の自己中心的な性格や人嫌い等ではない限りは。
その証拠に彼等の表情には困惑と罪悪感が浮かぶ。
まあ、悪意や敵意を感じる事は無いので、彼等自身は此方にとっては無害な存在だと言えるだろう。
「どうも、こんにちは
良い天気ですね」
「…へ?…あ、ああっ…
ええ天気で良かっただよ」
若干、訛りを感じる。
言語は違っていても訛りは大なり小なり存在する。
訛りは地方文化の一つだと言える文明の一形態だ。
狭い地域でも、東西南北の僅かな違いで生じる事。
其処には必ず、その土地の人々の歴史が存在する。
それは言語文化の奥深さと言ってもいいと思う。
調べ出すと面白くは有るが様々な関わりから広がって切りが無いので大変だが。
訛る事を“恥ずかしい”と思う人も居るが、基本的にそれは可笑しな話だ。
その国の主要言語──所謂標準語は何処にも存在する一つの基準である。
それは間違い無い。
しかし、だからと言って、無理に標準語を強制されるという事は無い筈だ。
それを遣ってしまうと地方文化や歴史その物を全否定する事に為る為に。
では、何故“訛りは恥”と思う人が出るのか。
それは標準語でしか理解が出来無い経済や文化面での中央に居る人々の責任だと言う事も出来る。
“は?、何を言ってるのか判らないからさ、ちゃんと標準語で話してくれる?”等という態度を取られれば地方の出身者は訛っている“自分が悪いんだ”と思い訛りを忌避する様になる。
勿論、“円滑な関係を”と考えるなら全員が標準語を用いる事の方が簡単だ。
標準語である以上は会話や文章でも、同国人であれば誰にでも判るのだから。
それは、外交的な意味でも言える事でもある。
尤も、如何に標準語でも、専門的な用語の使用等では理解出来無い者が出るのは仕方が無い事。
それも考慮した文章作りや説明は要職に有る者の務めだと言えるだろう。
つまり、本来は訛りに対し中央の人々の方が学ぶ事で歩み寄らなくてはならないというのが俺の考えだ。
中央に居るから偉いと思う馬鹿が多いが、それは逆。
中央に居るからこそ責任が大きいという事を誰よりも理解し、自覚すべきだ。
地方出身者が標準語を学び使用出来る様に努力する、その一方で、中央の人々はそれ以上に地方文化に対し理解し自ら歩み寄る努力をしなくてはならない。
訛りとは“個性”である。
個性の失われた国や文化は確かに便利かもしれないが魅力は無いだろう。
何故なら、其処には全てが同じ、退屈な社会と文化が在る事になるのだから。
まあ、これには“個性”を異端や害悪とする教育的な問題も根幹に有るのだが。
それを人々が気付くまでに何れだけの時を要するか。二千年では足りないという事だけは確かだがな。
答えてくれた、五十代位の男の視線を誘導する様に、自然な仕草で顔を畑の方に向けて意識させる。
「私共は商いで此方に来た者なのですが、この時期、この辺りではどの様な物を作られるのですか?」
「ほー…商いでかぁ
そらぁまた大変な事で…
この時期ならキャベツとかジャガイモだなぁ
後はナズラ辺りだなぁ」
キャベツやジャガイモ等は呼び名こそ漢語圏と違うが物自体は珍しくはない。
ただ“ナズラ”というのはフェルガナ地方原産の物。
漢語圏では“午豆”という名で呼ばれている。
平均2cmから、大きな物で3cm程まで成長する土色の空豆に似た豆類。
発芽から収穫まで約二ヶ月程度であり、冬は無理だが春から秋に掛けてであれば年二回の収穫も可能。
当然、携わる農家の力量が有っての事だが。
名前の由来としては以前は飼う牛達に与える餌として栽培がされていた為。
現在でも原種は不味いので食用には用いられないが、品種改良──正確に言うと突然変異の物らしいが──された物が栽培・収穫され市場に流通している。
気候的な条件も有るらしく西域でもフェルガナ以外の国では栽培に成功した話を聞いた事が無い。
とは言え、其処まで美味な品という訳ではない。
その為、珍品ではあるが、高級品ではない。
…まあ、それも曹魏だから言える事ではあるが。
因みに、この午豆は以前に原種も含め入手して、既に新品種の栽培をしている。
“栗杏”と華琳命名の新品種は熟した実を収穫し十分に乾燥させるとドライフルーツの杏の様に甘酸っぱくなる。
熟した実の色が栗の茶色に似ている事から栗の名前が付いているだけで味や匂い等には全く関係無かったりするのだが。
まだ数が少ないので曹家の直営農園にて長期的拡大を念頭に置いて、じっくりと生産をしている。
用途としては御菓子関係やお酒等が中心だな。
ジャムやジュースなんかも少しずつ馴染んではいるが爆発的な浸透はしない様に意図的に操作している。
食文化の拡大は華琳自身も推進してはいるが、現代の“勿体無い”事情を知る身としては、素直に賛成する事は出来無い。
低価格競争等には発展して困窮するのは農家だ。
それを避ける為に曹魏では全て国営事業として運営を遣っている訳だが。
回避可能な問題は最初から対処しておくに限る。
尤も、華琳他一部の面子に反対して詰め寄られたのは思い出したくはない事だ。
脳裏に甦り掛けた記憶を、強引に封殺すると態度には一切垣間見せないで彼等に顔を向け直す。
こういう時、意識せずとも話の流れや雰囲気で互いに自然と向き合う様になる為特に苦労しなくて済むのは楽だったりする。
政治的に遣り合う場だと、手強いと面白いのだけれどその分だけ気疲れする事も珍しくはないしな。
そういうのは人相手な分、“良い所取り”は難しい。
「彼方此方を回り、色々と見て来ましたが、他所では此方の畑程に多く農作物は出来ませんし、街を見ても緑の豊かさも雲泥の差だと言うしか有りません
ですから、正直に言って、驚いてます」
探る様に、ではない。
感心している様に、多少は大袈裟な言い方になっても構わないので、言う。
決して訊ねてはならない。
訊ねるという事は探る事に為ってしまうから。
例え、そんなつもりは無い何気無い気軽な発言だったとしても。
受け取る側が、どう思うか考えれば判る事だ。
農業は人々の生活の根幹。
ある意味、戦争兵器よりも情報の価値は高い。
時には、自国の食糧問題を解決する為に他国・隣国に侵攻する事も有る位にだ。
それだけ食糧の自給自足は国としての根底を支えるし揺るがす要因にもなる。
故に農業の秘密を探る事は強い警戒心を持たれる事に直結し易い。
勿論、個々の人柄や状況に伴って違う為に、一概には言い切れないが。
注意を払って損は無い。
「ああ、そんなら、ほれ…
彼処、畑の真ん中ぁ流れる水が見えっか?」
話をしてくれている男は、再び畑の方へと向きながら左腕を上げると人差し指で一点を指し示す。
その先を見れば、段々畑の中央を流れている水路──と言うよりは小川が其処に存在していた。
先程、自分達が立っていた場所からは見えなかった為気付いてはいなかったが。
見た感じ、綺麗な小川だ。
「はい、綺麗な水ですね
もしかして、後ろの山から来る湧き水ですか?」
「おおっ、判っか?
若ぇのに大したもんだなぁ
今のこの街が有るのも全てこの水のお陰さぁ…
そんなのに最近の若ぇもんときたら掃除しろ言ぅたら“冷てぇけぇ嫌じゃ”とか言いよってからに…
大体のぉ、儂等が若ぇ頃は親に言われたら嫌がったら飯を抜かれたり──」
…どうやら変なスイッチを押してしまったらしい。
彼は“お説教爺さん”へとトランス・フォームして、普段の鬱憤を吐き出す様に一人で喋り始めた。
その様子を見て一緒に居た彼等は“まあ、頑張り”と言う様に可哀想な眼差しを俺達に向けながら、静かに畑に向かって行った。
残された俺達──愛紗達は何を言われているのかすら判らないから多少増しかもしれないが、自業自得とは言え、物凄く面倒だった。
小一時間程、立ち話をして──と言うか、独演会状態だった彼から解放されて、俺達は先程──随分と前の様に感じるけど──聞いた小川を辿って歩く。
いやまあ、それはね?
彼の言ってた事自体は俺も間違ってはいないと思う。
若者に限らず、人間という生き物は“楽をしたがる”存在なのだから。
面倒な仕事等を嫌がるのは時代の問題ではない。
人間が抱える根本的な問題だと言えるだろう。
簡単には解決出来無い。
ただ、時代の流れと言うか社会的・文化的な世の中の変化を受け入れる事もまた必要だと言いたい。
伝統や歴史等を蔑ろにする事は間違っている。
しかし、それを守りつつも変化に対応する必要性にも目を向けなくてはならない事に気付いて貰いたい。
それを理解出来無いままの発言は傲慢その物だから。
次代への伝え手が故に。
自らの役割が如何なる物か感じて欲しい。
大切な事だからこそ。
「さっきの爺さんみたいな人ってさ、何処にでも居るもんなんだな〜…」
──そんな事を考えながら気持ちを切り替え様とする俺の右隣で翠が呟く。
確かに何処にでも居るとは俺も思うけどな。
今は若干、苛っと来る。
「翠、何を言われていたか判らなかっただろ?」
「内容までは判らないけど話してる雰囲気から見ても説教みたいな事だろ?
私も母さん達からは散々に言われてたからなぁ…
嫌でも雰囲気で判るって」
苦笑しながら答えた翠に、素直に納得してしまう。
確かに、その通りだと。
「…まあ、そうだな
何でか、説教っていうのは誰が相手でも雰囲気だけで感じ取れるからな〜…」
「雷華様でも?」
「俺だって産まれながらに今在る“高み”に居たって訳じゃないからな…
説教されたし、したな…」
“あの人”は師としてなら優れた人物だったのだが、人として、親としては少々問題が有った。
まあ、毒された今の俺には強くは言えない事だが。
「へぇ〜…その辺の昔話もいつかは聞きたいな」
「そうだな…いつか、な」
然り気無く上手かった翠に胸中で苦笑する。
だが、それが実現する時はそう遠くは無いだろう。
託される側から託す側へ。
そう成った時、若き日々の黒歴史も、思い出へと変わるだろう。
その時には、きっと。
小川を辿り、目的地である地下水の流れ出る水源へと到着していた。
──が、ユーシアさんから聞いていた話とは違う姿に軽く頭を押さえて天を仰ぐ俺が其処に居た訳で。
「…なあ、愛紗、螢
これ、潰れてないか?」
「馬鹿っ、そんな事は態々言わなくても判る!
今は空気を読んでだな…」
「…あの…愛紗さん?
…それを言ってしまっては意味が無いと思います」
「──っ!?」
翠に注意しようとした結果俺の傷口を抉っている事を螢に指摘された事によって気付いた愛紗が俺の方へとギュグンッ!、という音が聞こえて来そうな勢いで、振り向き──目が合う。
「気にするな、愛紗」
「ら、雷華様…」
「お前は事実を言った
ただそれだけの事だ
俺の心にグサリと音を立て言刃が刺さろうとお前に責任は無い」
「申し訳有りませんっ!!
斯くなる上は、この場にて我が首を以て──」
──という感じで、即興のコントをしているのを翠が冷めた目で見ていた。
翠よ、灯璃であれば此処で乱入してくるぞ。
「いや、私には無理だし
と言うかさ、それに愛紗が乗っ掛ってる方が珍しくて驚いてるんだけどな」
「それは愛紗も成長を…」
──と二人で、愛紗の方を向いてみると。
「後生だっ、離せ螢っ!
妻としての私の不始末!
此処で付けねば私は──」
──という感じで、本気で自害をしようとする愛紗を螢が必死に止めていた。
どうやら、この手の冗談はまだ愛紗には早かったか。
直ぐに愛紗を抱き締めると強引に唇を奪って誤魔──宥めて落ち着かせた。
螢から“…遅いです!”と説教されたのは内緒だ。




