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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
572/915

       弐


此処はユーシアさんの話に出て来た街の北東部に有る開拓初期からの農地。

その規模は、パッと見でも1km×1kmは有るだろう。

平地ではない為、実質的な農地面積は少なくなるとは思うが、それでも大規模な事には違い無い。

勿論、曹魏の領内であれば小規模になってしまうが、西域諸国内に限って見れば最大規模だと言える。


開墾は簡単ではない。

人も、金も、時間も掛かる長期的な事業だ。

平地にて10m×10mの面積の畑を、人の手が全く入ってはいない状態から、農業機械など無い今の世で切り開こうとすれば大半が人力となる訳だ。

牛等の畜産労力を使うにもある程度は人力で開拓する必要が有るのだから。


加えて、直ぐに直ぐ作物を栽培し収穫可能になるとも限らない。

化学肥料等は当然であるが存在しない訳で。

土造りは農業に携わる者の経験が物を言う時代。

未開地の開拓は特に大変でどんな土を造れば良いのか最初から的確な判断をする事は難しかったりする。

試行錯誤を繰り返しながら安定した栽培・収穫が可能になるまでに数年を要する事は珍しくない。


そんな長い年月を積み重ね今へと受け継がれる農地。

言わば、フェルガナの礎と言っても過言ではない。

この地が有ったからこそ、フェルガナは栄えた訳だし多くのフェルガナの人々の命を支え、育んでくれたと言えるのだから。

人は──生き物は何かしら食べなくては生きていく事は出来無い。

その事を物語る場所。


しかし、人間という存在は“忘れる生き物”である。

今はまだ、農地として有り使われている場所も。

時代が、文明が変われば、簡単に潰してしまう。

その頃には他に条件の良い広大な農地が開墾されて、“態々此処で無くても”と思われる様にもなる。

その考え方も間違いだとは言いはしない。

需要と供給を満たす為にも必要に応じて、決断を下す事は重要なのだから。


ただ、哀しいかな。

人々は潰されてしまったら簡単に忘れ去ってしまう。

都会は勿論、地方の街でも今現在自分達が立つ場所が曾てはどの様な地だったか知る者は少ない。


当然と言えば当然か。

人の寿命は長くて百年。

百年の月日が経てば景色も文化と共に移り変わる。

祖父母から孫に伝えられて五十年程度。

それ以前の景色も記憶も、時に埋もれて風化する。

時が経つ程に人々は景色の移り変わりを知らないまま生きてゆく。

現在を生きる事は大事だ。


しかし、過去を蔑ろにする事は別の問題である。

“土地神”等の風習。

その興りや意味を紐解けば時に埋もれ、忘れ去られた大切な何かへと触れる事が出来るかもしれない。


皮肉な物ではある。

便利な世の中に成る程に、忘れ去られ、埋もれてゆく事が有るのだから。

先人達が伝えたかった事。

真に受け継がれるべき物。

そういった何かが、其処に有る事を人々は忘れないで欲しいと思う。




一人、ちょびっと辛気臭い事を考えていた俺の隣では右手で庇を作りながら翠が目を細めている。

その仕草を見て密かに心がほっこりとする。

子供の様に素直な好奇心は危うくも有るが、尊い。

彼女の様に人柄が成長して大人になっても変わらない社会にしたい。

そんな風にも思う。

絶っ…対にっ!

口には出さないけどな。

万が一、言質を取られたら俺の自由が奪われる。

それは避けたい。

奥様方は揃いも揃って俺を矢面に立たせたがっていて協力し合っているからな。

隙は見せられない。


普段緩い様でも翠も意外と抜け目が無いからな。



「んー…彼処に見えてる、丘の向こうに有るのってさ雑木林なのか?」


「ああ、あれか…

どうだろうな…見た感じ、手入れがされている様には見えはするが…」


「あ〜…確かにな〜…

放置されて、荒れてるって感じはしないな

なら、植林なのか?」


「植林自体は他所でも可能だとは思うが、宅以外ではあまり聞かない事だ

その可能性は低いな」


「まあ、そうだよなぁ…」



翠と愛紗が段々畑の奥側に垣根の様に横に伸びている林を見ながら話している。

愛紗の方も右手で庇を作り目を細めているのは、俺が氣の多用を普段から注意し意識させているから。


ただ、本人達に自覚は無い事である為、言っていない事だったりするのだけど、華琳達の五感は常人よりも遥かに優秀だったりする。

勿論、個人差は有る訳だが一番低い者でも一般的には考えられない域に有る。

視力だと世界最高とされるマサイ族並みだと言えば、判り易いだろうか。

まあ、その感覚自体が既に実感の出来無い領域なので微妙な訳だが。


因みに、俺達が立っている場所からだと丘の辺り迄で最低1.5kmは有る。

その丘から、雑木林までは大体300m程。

つまり、その距離を二人は目を細めてはいるものの、余裕で見えている訳だ。

手入れがされているか否か判別出来る程度には。


尤も、この三人の中でだと視力に限ったなら螢が一番高かったりする。

聴覚なら翠、嗅覚は愛紗。

各々の生い立ちや生活環境等も影響してはいるのだと思うが、妙に各々の性格が影響に出ているという様な気がしないでもない。


いや、別に翠が耳年増とか愛紗が忠犬気質だからとかという意味ではない。

飽く迄も、印象的に、だ。


因みに、植林自体は普通に方法として存在はするが、実際に行われる事は意外と少なかったりする。

この辺りは価値観の違いも有るからだろう。

旧・漢王朝の領内では数年周期で実施されている所が幾つか有ったけどな。

それで十分、という部分も一因なのだろう。




普通、城塞都市だと内側に雑木林の類いは少ない。

余程の広さを有しない限り伐採し開墾して農地だとか建物用の土地として整地し使用する事が殆んど。

或いは、個人が自土地内に作っているかだ。


故に、郊外の端とは言え、雑木林の類いが有る事実に二人の様に疑問を持つのは可笑しな事ではない。

寧ろ、自然な事だろう。



「…多分、防風林なんだと思います」



そんな二人に対し、答えを出したのは螢。


その辺りは経験値の差──と言うよりは、普段各々が担う仕事の違いだろう。

軍務が中心となる軍将と、内政や開発等が中心となる軍師とでは仕事の上で扱う情報が違うって当然。

言葉や内容は知っていても実体験や実感が伴わないと中々結び付け難い。



「防風林…ああ、成る程な

そういう事か…」



螢の答えに“何故だ?”と疑問を懐くも、それも一瞬だけの事だった愛紗は直ぐ理由を察して納得。

対して、翠は触れる機会が無かったのかもしれない。

…有っても興味が無かった話の為に聞き流した可能性も否定は出来無いが。

きょとんとしたまま暫し。

しかし、自分だけが理由を理解していないと気付くと眉根を顰めて、拗ねた様に小さく睨んできた。

──俺を。


“この流れで何故に?”と思いはするが、言わない。

其処は察しますとも。

普段は仲が良くても時には負けたくない訳です。

主に妻・女として。

可愛い意地って事だな。

言ったら負けず嫌いが多い奥様方は大抵が怒るから、言いはしないけど。



「防風林は、その名の通り風を防ぐ林の事だ

宅でも海岸部や河川沿岸に多く有るし、所々植林して設けてもいるからな

見た事は有る筈だ」


「…あ〜、そう言われれば見た事有るな

てっきり、景観を守る為に残してるんだと思ってた」


「そういう側面も有るから雑には設置してないな」


「それでさ、その防風林が何で街の中に有るんだ?

しかも、フェルガナの有る場所って内陸部なんだから風なんて──あっ!

山の吹き下ろしか!」



敢えて遠回しな説明をして少し誘導すれば、翠自身が口にした言葉から気付く。


翠は決して鈍くはない。

ただ、基本的に興味が無い事には適当なだけで。

“それを直せば…”と言う意見も少なくはないのだが俺は個性だと思っている。

全員が同じで有る必要など無いのだから。




日本では“颪”という方が判り易いだろうか。

ただ、冬場のみに限らず、滑降風を防ぐ為に防風林を設けているみたいだが。



「防風林が有るから作物は大きな被害を受けない

ただ木が有れば良いという訳ではなく、きちんとした手入れも必要になる

完全に防ぐのは難しいが、減少させる事は手間暇さえ掛ければ可能な事だ

フェルガナの人々は長い間労を惜しまず、そう遣って農地と作物を守ってきた

それは同時に自分達の為の礎にも成っている訳だ」



それは初めて訪れた者には“長閑な風景”だろう。

しかし、其処に積み重なる幾重もの人々の歴史を知る事が出来たなら、その者は改めて見た目の前の景色をどの様に感じるだろうか。

そして、何を思うだろう。


科学技術を前提条件とする現代人ならば、この時代で開墾を遣りたいとは、先ず思わない事だろう。

其処に必要な労力と実感は想像の比ではない。

最初は軽い気持ちで始めるかもしれないが、その甘い考えを打ち砕かれ挫折する姿が脳裏に浮かんでくる。

ただ根性さえ持っていれば継続して続けていく事で、軈て身体が相応しく変化し順応出来るとは思う。

まあ、極論を言えば才能や適性よりも継続する根気が重要だとも言えるが。


…こんな風に捻くれた事を考えてしまうのは個人的な価値観の問題だな。

否定や非難をしたいという訳ではないので。

或いは、“見えない物”を見過ぎたが故なのかもな。

自己分析は無意識に自分に不都合な部分を排除する為過信は禁物。

俺自身に関してなら華琳の方が“専門”だろうな。

勿論、逆も、だけど。



「…こういうのってさ

知らないと本当に何気無い風景の一部なんだな…

でも、其処には、ちゃんと意味が有る訳でさ…

その…何て言えば良いのか判んないんだけど…

“深い”って感じるな…」



上手く表現出来無い事への恥ずかしさを感じながらも懐いた感情が勝った様で、翠は照れながらも真っ直ぐ前を見詰めたまま呟く。

その在り方を俺は個人的に好ましいと思う。


どの様に感じるのか。

そんな物は結局は人各々、個人任せでしかない。

其処に“絶対の正解”など存在はしない。

良く思う人も居る。

悪く思う人も居る。

何とも思わない人も居る。

それは仕方が無い事だ。


ただ、己が意見を言う時、同時に自らも意見に対する様々な意見を受ける立場と為る必然が有る事。

その責任が有る事を忘れず心に留めて貰いたい。




暫し、ぼんやりと段々畑を中心とする景色を佇み皆で眺めていた。

──が、浸っている三人を他所に俺は周囲から感じる視線に気付いた。

勿論、あからさまに警戒を露にする様な反応はせず、然り気無く視線を向ける。


すると、向けた視線の先に居たのは農作業をしている──と言うよりは、今から始めようかという感じの、五十代位の男が三人。

二十代後半から三十歳位の男が四人。

此方を見ながら、声を抑え話をしていた。



(…あ〜…うん…あれだ

完全に不審者扱いだな…)



自分で言うのは嫌なんだが見慣れない“女性が四人”自分達の(りょういき)を静かに見詰めている状況は色々と想像を膨らませる為には十分だと言える。

一人なら、多少不審に思うかもしれないが此方の事を警戒するまでには至らない事だろう。

だが、運悪く俺達は四人。

しかも目立つ容姿だ。


取り敢えず、愛紗達の事は後回しにして、彼等の方に話し掛ける事にしよう。

此処で相談したりする姿を見せてしまうのは不用意に警戒心を与える事になる。

なので、俺だけが気付き、“何気無く”話し掛けたと認識させる様にする。

そうして警戒心を削ぐ。


然り気無く振り向いた体で視線を彼等に合わせると、はっきり判る様に会釈し、ぎこちない会釈が彼等から返った事を確認してから、自然な足取りで近付く。


僅かな風の流れからか俺が動いた事に気付いた三人が慌てず焦らず後を追う様に歩いて付いてきた。


こういう時、変に走ったり駆け寄って来たりだとか、声を上げたりしない辺りは出来ているので一安心。

一応、俺の従者という扱いではあるが、何気無い所で“不自然な丁寧さ”何かが出てしまう事も有る。

其処から露呈する可能性も否定は出来無いしな。




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