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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
570/915

        拾



「…意気揚々と家に帰った私を待っていたのは静かに項垂れている家族でした…

頭では理解していた筈でも心は現実を受け入れられず彷徨いながら、私の帰りを待つ妹の眠る部屋に…

そして、どうしようも無い結末を目の当たりにする事になりました…

いつもと変わらない身体の小さな妹には不釣り合いな大きさの寝台の上…

少しだけ皺の寄った布団に身を包み、苦痛など欠片も感じない安らかな寝顔で…

妹は亡くなっていました

愕然となり声も出ないまま佇む事しか出来無いでいる私の肩を静かに叩いた父が教えてくれました…

妹が息を引き取ったのは、今朝──夜が明けて直ぐの事だった、と…」



そう言ってユーシアさんは自嘲気味に苦笑する。

どう反応すれば良いのか。

正直、困ってしまう所だ。


“絶対に助けられる!”と信じ、思っていた。

その結果は残酷で無情で。

まだ若い──背負う覚悟も強くは出来ていない一人の少女には辛く厳しい現実が待っていた。

結果、茫然自失となるのも仕方が無い事だろうな。


“もしも”を言うならば。

彼女が山小屋での選択肢で逆を選んでいたとしたら、女性は死んでしまうけれどそれは自業自得。

自殺なのだから彼女自身が気に病む必要は無い。

…彼女の性格的に引き摺る可能性は高いが、今よりは深く悩んでいないだろう。

その女性は自分を殺そうと凶刃を向けた敵なのだし。


ヤシュレカの入った皮袋を手に山小屋を脱出した後、彼女が直ぐに山を下りれば夜明け前には家に帰り着く事が出来ていただろう。

勿論、道中何も無ければ、と条件付きではあるが。

そうすれば、ギリギリだが妹さんを助けられた。

その可能性は高いと思う。


実際には皮肉な話だ。

彼女の目の前に有る人命の救出を優先したが故に。

彼女が最も助けたいと思う妹さんを救えなくなった。

その決断は道徳的に見れば正しいのだろう。

他者が彼女の選択を責める事は先ずしない筈だ。

しかし、彼女自身は決断が正しかったのか否か。

その疑問と苦悩を抱え続け生きて行く事になった。


だが、それだけではない。



「そして、その火傷は件の山小屋の火事で女性の事を助けた際の物ですね?」



ユーシアさんは静かに頷き俺の言葉を肯定する。


もしも、その火傷が単純に人命救助による物であれば彼女の心の傷は今程深くはなかった事だろう。

けれども、現実は違う。

その火傷は彼女にとっては答えの出ない自問自答する苦悩の証なのだから。

救いの無い、悲劇。

それが、火傷と共に彼女の心に刻み困れた傷痕。


火傷を治す事は俺達ならば容易い事だったりする。

愛紗達にしても同じ女性のユーシアさんの火傷を治す事には賛成だろう。

凪の時にも、そうだったがどんな理由や経緯が有れど女性にとって傷は傷。

決して“名誉”等ではなく心を抉る要因なのだから。




漸く、と言うべきか。

流れとしては予想していた通りの展開と結末ではある訳だが、その過程で起きた事にも意味が有った。

少なくとも、俺から一件の顛末の予想を話していたら彼女の抱えている傷痕には気付けなかっただろう。


効率を重視する判断や言動自体を否定はしない。

ただ、時には非効率的だと思える事をする事に因って得られる物や可能性が有る事を忘れないで欲しい。


数式やクイズとは違う。

答えも、其処に至る道筋も一つではないのだから。



「火傷は御覧の通りですが負った直後は一応は痛みを感じていましたが…

その時の私には気に掛ける余裕は有りませんでした

兎に角、炎に飲み込まれたヤシュレカを再び集める

ただただ、それだけを私は考えていましたから…

少しでも早く、早く、と…

痛みすらも忘れてしまって必死になっていました」



精神が肉体を凌駕する。

極限状態に置かれた場合に起きる事ではある。

勿論、誰にでも、という訳ではない。

強靭な精神力が求められる事は確かだが、それ以上に揺るぎ無い“強い想い”が必要不可欠な要素。

それ自体に善し悪しは全く関係無い。

ただ純粋に、ただ愚直に、他の事に意識が傾かない程強い事だけが重要で。


それは一種の集中状態だと言い換えられるだろう。

ただ一つの事だけに対して全身全霊を傾けている。

そういう状態なのだから。


だが、その集中した状態は永遠には続かない。

何事も始まりが有れば必ず終わりが有る様に。

集中は軈て途切れる。

楽しい夢から醒める様に。

意識は、身体は、現実へと引き戻される。



「妹の死を目の当たりにし私は現実を拒絶しました…

ですが、私の身に刻まれた業火は目を逸らす事を──事実から逃げ出す事を私に許してはくれませんでした

思い出した様に、と言える程度ではなく、今も尚炎に焼かれ続けている様に…

痛みと熱さが容赦無く私を襲いました

ただ、皮肉な事なのですが一時的にでは有りましたが火傷の痛みに意識が向いた事により、私は悲哀と後悔の自責の念から解放される事になりました…

それはそれで辛かったので何方らが良かったのかは、私にも判りませんが…」



話の内容と場の空気が重く為ってしまった事を感じたのかもしれない。

彼女は自虐的な冗談を言い変えようと試みた様だ。


ただ、そういった事に対し経験は少ないのだろう。

はっきり言って下手。

“笑えない冗談”の類いで俺達の方が反応に困る。

まあ、俺とマフメドさんの二人だけなんだけどさ。

逆に気を遣うよなぁ。





「…“業火”と称するのは少々大袈裟に思えますが、貴女の気持ちを考えたなら判らなくはないですね…」



今、全く違う話題にするとあからさまに逸らした様に受け取られてしまう筈。

なので、話の流れに沿って少しだけ意識を逸らす。

…いやまあ、その対象って話してる本人なんだけど。

其処は気にしない方向で。

そうしないと遣ってる事が意味不明になるしな。


そんな思考をしている事は一切見せない様にしながら平然と話を続ける。



「貴女の置かれた状況での選択肢は何方らを選んでも後悔の念が残るでしょう

片方は罪悪感でしょうが…

それは些細な事ですね

貴女でなかったとしても、結果は変わりませんよ

私なら女性は自殺も同然の事ですからね

気にはしないでしょうが…

普通は、気にしないという事は無理でしょうからね

普段は忘れていたとしても何かしらの何気無い要因で思い出して、心を蝕まれる事に為る場合が多いかと…

私の様な、明確な線引きの有る価値観の持ち主か…

余程図太い神経をしている自己中心的な性格や思考の人物では無い限りはね」



自分を卑下する様な言葉を含んではいるが、その事は事実なので気にしない。

と言うよりかは、俺に対し善人的な印象を持たれても後々困るので、適当な所で悪者に為っておかないと。

…別に照れてるとかって訳では有りませんから。



「貴女の苦悩や後悔の念は人として正常な物です

破綻者(こちら)”側には来るべきでは有りません」



そう言うと彼女よりも隣のマフメドさんの方が敏感な反応を見せた。

──が、一応、今の会話が妻の為に必要な物であると理解をしているから自制し口を噤んだ。

ただ、その眼差しは雄弁に“そんな事は有りません”と語っていた。

信頼をしてくれているのは素直に喜ばしい事なのだが美化だけは止めて欲しい。

多分、マフメドさんの中で俺に対する評価が高い事は間違い無いのだろうが。

事を片付けて此処を離れるまでには何とかして少しは認識を調整したい所だ。


ユーシアさんみたいに俺を“悪振っているやんちゃな男の子”という認識の方が幾らか増しだしな。

…それはそれで擽ったいが華琳達を相手にしている分ある程度慣れてはいるから我慢は出来るからな。

善人──聖人君子みたいな扱いだけは御免だ。




まあ、そうは言っても今は好感度・好印象を増す事に成るんだろうけどな。

だってさ、ユーシアさんの火傷を治すんだし。

だから此処は我慢する。

調整は次の機会だ。



「事情も判りましたので、本題に入りましょう

ユーシアさん、その火傷を治しませんか?」


「──っ!!」



俺の言葉に反応したのは、ユーシアさんの方ではなくマフメドさんだったりする辺りに彼女の火傷に対する意識や思考が窺える。

彼女にとっては“罪の証”なのだろうな。

火傷(それ)を背負い生きる事が贖罪の一つだと。

そんな風に考えている様に感じられる。


マフメドさんは“治す事が出来るのですかっ?!”とか今にも言いそうな感じだ。

必死に堪えてはいるけど。


対象的に、ユーシアさんは乗り気ではない様子。

“贖罪からの解放”という認識が強いのだろうな。



「消したくないですか?」



そう一言だけ訊ねる。

実は今の一言は受け取り方次第で意味が変わる。

“罪の証を”と付けたなら過去との決別や遣り直しを意味する様に思える。

“火傷を”と付けたなら、単純に女性としての美意識だったり、幸せを意味する様に思えるだろう。

“苦悩を”と付けた場合はこれからの人生を己の為に生きて欲しいという意味に受け入れると思う。


敢えて明確な質問の意図を言わない事により、彼女に無意識下で自問自答させて本音を引き出すのが目的。

つまり、彼女の返答により彼女が火傷に対し如何様な認識を持っているのか。

それが判るという訳だ。



「……この火傷は、私への天罰なのだと思います」




暫く考えた後、はっきりと彼女は言い切った。

答えの方向は予想した通りではある。


ただ、やはり根深いのだと再認識させられる。

それだけ彼女が愛情深く、責任感の強い証でも有る為俺の中の評価は上がるが。



「天罰、ですか…」


「それはきっと、昔の私の“他者との繋がり”を拒み狭い人間関係の中で満足し完結していた罪に対しての罰なのでしょう…

本の少しでも私に周りへの気遣う意識が有ったなら、その時の状況は違っていた筈ですから…」



…成る程、そういう事か。

確かに間違った考え方とは言い切れない。

円滑な人間関係を築く事は社会で生きる上では必要な作業だと言えるし。




しかし、それはそれ。

それを、彼女が罪の意識と結び付ける事は別問題。

だから、少し卑怯な手だが協力して貰おう。



「…私は、こう思います」



僅かに間を置いて一言だけ言ってから、彼女の注意を引いた上で話を続ける。



「綺麗事かもしれませんが天罰だとは思いません

時に人は、選び難い事態に直面する事が有ります

だからこそ、“絶対に…”と思う譲れない“唯一”を定めておくべきだ、という教訓としての意味…

そしてきっと、貴女に対し幸せを掴む為に与えられた一種の試練でしょう」


「…試練、ですか?」


「ええ、そうです

貴女は男からしてみれば、とても魅力的な整った容姿をされています

ですが、その見た目だけに惹かれている様な軽薄な男ではなく、きちんと貴女の事を見て、知って、全てを真に受け入れてくれる者と引き合わせる為に…

貴女に与えられた試練だと私は思う訳です

その証拠に──」



然り気無く、誘導する様に俺がマフメドさんに視線を向ければ、ユーシアさんも反射的にそれに倣う。

急な“振り”に対して驚くマフメドさん。

そして、夫婦二人の視線が重なった瞬間を狙って──



「──ほら、貴女の傍には火傷程度では翳りもしない貴女の本当の魅力を理解し愛してくれている(ひと)が居るのですから」


『────っ!!』



そう言われ、気恥ずかしく為ったのかもしれない。

二人は視線を互いに外し、頬を赤く染めていた。


急転した場の雰囲気に対し今も俺の後ろに控えている愛紗達は“蚊帳の外”感を感じている事だろう。

“…え?、何これ?”的な気持ちだと思う。



「それは今は亡き妹さんの贈り物でしょう…」


「……妹の?…」


「ええ、彼女は自分の死で貴女が悔いて生きる人生を望んではいない…

自分の分まで幸せになり、笑っていて欲しい…

そう願っている筈です

ほら、貴女はもう一人では無いのですから」


「──っ!!」



卓上に有る彼女の右手へと自分の右手を重ねる。


縁は繋がり、手を結ぶ。




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