捌
馬超side──
“他者の気持ちを考えろ”なんて、よく言うけどさ。
実際にそれが出来るのって才能に由る部分が多いって思い知らされるよ。
勿論、色々な経験が有って理解が出来る範囲が増える事は確かなんだけどな。
極端な話、経験だけ積めば出来る事なら、世の中には苦悩なんて有り触れてないだろうからな。
経験は飽く迄も、技術的な側面の意味合いが強い。
根本に必要なのは才器だと改めて理解させられる。
(私達も立場上管理職だしある程度は出来るけど…
雷華様みたいな真似は先ず出来無いよなぁ…)
私達の場合だと日常生活の中で円滑な関係を築く為に交流するという理由の方が強く出てしまう。
勿論、それだけじゃない。
ただ、下手に深入りしたら面倒な事に発展する場合も少なくはない。
それを懸念し、忌避すれば“誰とでも”という形では出来無くなる訳だ。
直属部隊の面子が相談相手だったら問題は無い。
雷華様程ではないにしてもきちんと助言したり、手を貸してやったりも出来る。
それは私だけじゃなくて、宅の軍将は当然の事ながら僅かでも“統括”の役割を含む立場であれば、自分の部下への配慮は必須。
抑、それが出来無い者には要職や地位は与えられないというのが曹魏だ。
人の上に立つというのは、支配する事・君臨する事を意味するのではない。
下に有る者の生活や未来を背負うという事だ。
──というのが、雷華様の教えだったりする。
その言葉を初めて聞けば、“何を当然の事を…”とか思う者は少なくない筈。
言っている事は真っ当だし正しいのだから。
だが、そう思っている者程その当然の事が、出来てはいなかったりする。
権力闘争や己の利益獲得の事ばかりを考えて、他者の事など二の次なのだから。
そして、そんな連中が多く政治や経済には関わる。
別に、その事自体が悪いと言う訳ではない。
権力や利益も、良い政治や経済の為には必要な事だ。
それは間違い無い。
しかし、それを建前にして私腹を肥やし、私利私欲に傾倒していく輩が多いのも現実だったりする。
…嫌な現実だけどな。
何の為の志なのか。
それを勘違いした時、人は道を踏み外すのだから。
(…まあ、彼女場合は道を踏み外した訳じゃないが…
危うくは有ったみたいだし気付いて対処が出来る事が単純に凄いんだよなぁ…)
自分の夫では有るが。
本当に底が知れないよな。
華琳様程じゃあないけど、私も負けず嫌いではある。
だからこそ、時折感じ取る“距離”に闘志が湧いてくる訳だ。
絶対に、追い付いてやる。
ただ、その一念の下に。
私達は前へと歩み続ける。
その背中を追い駆けて。
──side out
「心の傷、ですか…
そう簡単に治りますか?」
俺の言葉を聞いて、彼女に同情したのか。
或いは、単純に心配しての言葉なのか。
まあ、生真面目な愛紗の事だからな。
多分、その両方だろう。
別に悪い訳でもないし。
それは構わない。
ただ、一つだけ、はっきり注意をして置かないとな。
「愛紗、確かに俺は彼女の心の傷に気付いて逃がさず掴まえた訳だが…
其処までだ
其処から先の治療は、俺の仕事ではない」
「それは……あっ…」
俺の言いたい事に気付き、“ああ、成る程…確かに…関わるのは無粋ですね”と言う様に苦笑を浮かべる。
彼女の様に目の前で苦しむ者を目の当たりにした事で心配する事は良い事だ。
そして手を差し伸べる事も同じ様に善行だと言える。
思い遣りの精神でも有る。
ただ、何でもかんでも全部そうすれば良いのだという訳ではない。
時には見守る事も必要で、敢えて突き放す事や厳しく追い込む様な事も必要な事だったりもする。
それで潰れてしまうのなら所詮は、その程度。
期待外れ、見込み違い。
それだけの事だ。
万人が万人、成功者に成る事など有り得ない。
“壁”を越えた者にのみ、その先に進む事は許されるのだから。
尤も、今回の場合は彼女を支える役目は俺達ではなく彼だという事。
そういう意味での不干渉。
「まあ、あの二人であれば心配の必要は無い
しっかりと繋がっている
お前達もそう思うだろ?」
揶揄っている訳ではない。
ただ、自然と浮かぶ笑みはちょっとした自慢と同じ。
“どうだ、俺の目に狂いは無かっただろう?”とでも言う様な感じだ。
其処まで自画自賛する気は無いんだが、見込んだ者が結果を出してくれていると嬉しくなるものだ。
それは仕方が無い。
例え、他国の者で有っても俺的には関係無いしな。
そんな俺の胸中を察してか愛紗は再び苦笑。
けれど、その苦笑の印象は“──ったくもう…仕方が無い方ですね”と言う様な彼女の真面目さと優しさに若干の惚気の混じっている様に見えた。
「私達も居るんだけどな…
愛紗、忘れてないか?」
「…二人きりじゃないです
…ちゃんと居ますから」
「──い、いや、私は別にそういうつもりでは…」
「ならさ、どういうつもりだったんだよ?、ん?」
愛紗との“良い雰囲気”に嫉妬した翠と螢から愛紗は詰め寄られる。
助けを求める様に此方へと視線を向ける愛紗に対し、“頑張れ、愛紗”と視線で声援を送っておく。
“ちょっ、雷華様っ!?”と慌て驚く愛紗を見ながら、暫しの雨宿り。
晴れ間はもう、直ぐ其処に感じているのだから。
愛紗達が騒ぎ過ぎない様に戯れていると、ガチャッ…と音が廊下に響く。
反射的に視線を向けた先でマフメドさんが顔を出し、愛紗達を見て驚いていた。
何しろ、愛紗に抱き付いて詰め寄っていた翠と螢だ。
真面目な雰囲気に合わない──と言うか、空気の違う状況を見れば、大抵の者は同じ反応をすると思う。
因みに、もし俺だったなら“…どうぞ、ごゆっくり”という定番の一言を贈って扉を閉めるだろうな。
勿論、それは振りで有り、突っ込み待ちだけど。
「………ゴホンッ…皆様、中へ御入り下さい」
流石に、そんな真似はせずマフメドさんは一つ咳払いをしてから、俺達に部屋に入る様に促してくる。
深くは触れず、見なかった事にしての、スルー。
見事な大人な対応だ。
世の中、何でもかんでもに反応すれば良いという事は無いのだからな。
理解は出来無くてもいい。
場の雰囲気を感じ取れれば無難な対応は出来る。
その臨機応変さと理解力が世渡りの秘訣だと思う。
──という訳で。
俺も何食わぬ顔で彼に従い部屋へと入ってゆく。
その際、三人──特に愛紗からは“この恥辱、絶対に忘れませんからねっ!”と殺気と怒気を向けられたが敢えて気付かない振りをし放置してしまう。
当然ながら、愛紗にだって此処で俺が相手を出来無い事は理解出来ている筈だし騒ぎ立てる真似はしない。
だから、全ては後回し。
今は羞恥心を必死に堪えて平静を装う事に努める。
少なくとも、先程の現場を見ていないユーシアさんに勘繰られる様な事だけは、避けたいだろうからな。
ただ、俺個人としては実に愉しかったりする。
だってほら、何事も無いと言わんばかりの澄まし顔で座っているのに、その実は頑張って作っているとか。
健気で可愛いじゃない。
──って、ヤバッ!
今、愛紗から本気の殺気が向けられたじゃないか。
ちょっと調子に乗り過ぎたかもしれないなぁ…うん。
後で頑張って機嫌を取って窮地を脱しよう。
夫婦円満の秘訣?
男が馬鹿な意地を張ったり下らない言い訳をしない事だと俺は思うよ。
だって、結局の所は男って惚れた女には弱いし。
長く引き摺るのも男だし。
本当に好きで、愛してて、大切だったら自分で関係を壊す様な真似はしない事。
…まあ、そう簡単に納得が出来るとは思わないけど。
結局、恋愛の問題ってのは人各々違う物だからな。
参考には為っても、正解は自分と相手次第。
頑張るしかない訳です。
部屋の中では恥ずかし気に頬と耳先を赤くして俯いたユーシアさんが立っていてマフメドさんが隣に立ち、左手で右手を握り締めると一つ深呼吸をしてから顔を上げて、此方を見た。
普通ならば、泣いて腫れた目元は隠したいと思うのが女性の心理だと思う。
例外としては意中の相手の気を引きたい時には有効な手段だとも言える。
勿論、鈍感な相手に対して使う際には忍耐力に自信が有るか否かを考慮する事をお勧めしておきます。
男が女心を理解し難い様に逆も有りますから一概には何方らかが悪いと言う事は出来無いしな。
「御気遣い頂きまして誠に有難う御座います」
そう言ってユーシアさんが感謝して頭を下げると隣のマフメドさんも同じ様にし感謝の意を示す。
敢えて、何も言わない点はマフメドさんが彼女の事を尊重しているから。
男尊女卑の傾向が根強い、この世界──時代の中では珍しい考えだろう。
宅は例外だしな。
此処で“私からも…”的な言葉を添える事は簡単だ。
ただ、その一言の有る無しによって印象が変わる。
他の誰かの事は判らないが俺としては今の対応の方が好ましいと感じる。
“妻の意思を尊重して”と受け取れるからだ。
仮に、その一言が有る場合“私の妻が御迷惑を…”と言われている様な気がして少しだけ気不味い気持ちに為ってしまうだろう。
其処に他意は無いにしても受け取る側がそう感じればそれが全てなのだから。
相手に合わせて、誠実に。
それが一番大事な事。
その点で、マフメドさんは高く評価出来る。
偉そうな言い方だけどな。
「もう一度だけ言います
貴女は貴女らしいままに、命の有る限り生きて下さい
それが、妹さんに対しての一番の供養になります
貴女が妹さんを助けたいと思っていた様に…
妹さんも、貴女には生きて幸せに成って欲しいと…
そう願っている筈です」
「…っ…はい…はいっ…」
再び、溢れ伝う想い。
けれど、先程とは違う。
冷たく凍える雨ではなく、温かな雪解けを報せる様な春の雨を思わせて。
長い長い、冬の終わりを。
今、此処に告げている。
陽光に輝く雪の欠片の下、姿を見せた笑顔。
それは一つではなく。
寄り添う様に咲いている。
これまでも、これからも。
何度でも、咲くだろう。
生命の限り、精一杯に。
再び部屋の外へと出る事に──為りはしない。
先程とは状況が違うのだし当然と言えば当然。
ユーシアさんは暫くすると落ち着きを取り戻す。
何も可笑しい事は無い。
彼女自身、元々才器の有る才媛なのだから。
精神的に一部に歪みが有る状態だったというだけの事なのだから。
その能力や人格への影響は大して出てはいない。
その精神が“壊れている”という訳ではないしな。
それとは関係無いのだが、俺の口調等に関しては特に疑われてはいない様だ。
緊急事態だったという事で解釈されたのかもな。
その方が都合が良いので、それを態々自分から訊ねて掘り返す真似はしない。
そのまま闇に埋もれていて下さい──永遠に。
「…山小屋で目が覚めた所からでしたね…」
待っている間に逸れていた思考が彼女の一言を聞いて集中を取り戻す。
ほら、暇な時って雑念とか大量じゃないですか。
仕方無いんですよ。
「炎に染め上げられた中、我に返った時です
私は真っ先に摘んで集めたヤシュレカの入った皮袋を探しました
その無事を確認してから、一緒に居る筈の彼女の事を思い出しました…
酷い話ですが…」
「生命は平等です
ですが、その生命の価値は平等では有りません
人各々の価値観に因って、異なっていて当然です
私が貴女の立場であれば、大事な妹を救う為の薬草と自分の命を狙った身勝手な哀れな彼女とでは雲泥の差だと考えるでしょうね
と言うか、先ずは山小屋の炎の原因が再び彼女による暗殺の可能性を疑います」
厳しい言い方だが事実だ。
実際には寝首を掻けば済む話なので態々山小屋を焼く必要性は無いのだが。
それは客観的に見ているし過去の話として受け取って考えているからだ。
現実的に直面していたなら可能性は考えるだろうが、やはり、俺も彼女の存在を確認するとは思う。
甘いとは思いつつもな。




