陸
何故、治療方法が有ると、ユーシアさんが知っていると判るのか。
それはとても簡単な事。
妹思いの彼女が治療方法を探さない理由が無い。
そして、彼女は治療方法が本当だと確信した。
聞いた話──その十日病の発症者の症状を、妹の姿で目の当たりにして。
其処に至る要因は一つ。
“皮肉な事ですが…”と、彼女が言った事に有る。
もう一つ、付け加えるなら“当時の私に…”と言った点にも言える事だろう。
それは本職ではないにしろ色々な病に関しての知識は身に付けている、と解釈が出来るからだ。
多分、後悔から、だろう。
“あの時、私に、もう少し知識が有れば…”と。
その一念から、知識を学び備えているのだと。
そう、推測出来る。
そうする事は決して珍しい事ではないと言える。
自分が助けられた。
自分が助けられなかった。
そういう経験が根幹に有り道を志し、成長していく、というのは理由として結構有り触れているのだから。
ただ、その過程にて自身の懐く理想と現実との差違に幻滅・失望して止めたり、苦悩や葛藤の末に間違った方向に進んでしまうという事も少なくはない。
寧ろ、そうなる者の方が、多いと言えるだろう。
初志貫徹、というのは人が考える以上に難しい事で、非常に尊い事だったりするというのは理解され難い。
何故なら、その“壁”へと突き当たり、向き合った者にしか判らないから。
“壁”を越える越えないは別としても。
ただ其処に至るだけでも、現実的に難しいのだから。
ユーシアさんは一度目蓋を閉じて僅かに俯いた。
本の少しの間。
けれど、気持ちの整理には十分だと言える時間。
「此処、フェルガナの地を囲む様に聳える山々…
その一角にのみ生えているヤシュレカ、という名前の植物が有ります
その葉を丁寧に擂り潰し、ハミタの果汁と混ぜた物を飲ませると治るそうです
…妹の事は助けられませんでしたので…
飽く迄も話の上では、です
ただ、助かったという方は基本的には、この方法だと伺っていますので可能性は高いと思っています」
「そうですか…」
そう言ったユーシアさん。
妹さんを救えなかった事は残念だとは思う。
ただ、その一方では彼女が確証を得る機会が無いまま今に至っているという事を良かったとも思う。
妹さんと同じ様に十日病に掛かり、苦しむ者や死者が出ないという事の方が良い事など言うまでもない。
それはどんな病に対しても言える事だろう。
極端な話、俺や華佗の様な存在は失業してしまう方が世の中としては良い訳だ。
勿論、現実的に不可能故に俺達に仕事は有る訳だが。
それもまた、理想と現実の葛藤と矛盾なのだろう。
病の存在しない世界。
或いは、どんな病でも楽に治せてしまう世界。
それは本当に“正しい”と言える世界だろうか。
その答えは、先ず出ない。
何を基準・根幹とするか。
それ次第なのだから。
それは兎も角としてだ。
先ず“ハミタ”というのは“此方”の世界にのみ存在している果物の一種。
その見た目は、アボカドが一番近いだろう。
大きさも一般的に流通するアボカドのサイズと大して変わらない程度だ。
ただ表皮は西瓜の様に黒と緑の縞紋様をしている。
しかも、横縞でだ。
しかし、果実的には林檎や梨と同じ感じで、皮自体は薄く、果肉は白く瑞々しい辺りも似ている。
けれど、この皮だが非常に渋かったりする。
丸囓りしよう物なら舌や唇は勿論、口内や喉までもが暫く痺れてしまう程だ。
だから、普通は皮を厚めに剥いてから食べる。
果肉は梨の様な食感でありほんのりとした甘さなので老若男女問わず親しまれ、西域諸国の環境でも十分に育つ為、旧・漢王朝領では珍しい果物だったりするが此方では庶民的な品だ。
まあ、流石に砂漠では育つ事は無いが、果樹園が有る位には普及している。
特に、フェルガナ周辺では栽培が盛んだったりする。
因みに、幾つか品種改良を試みた品種を栽培中。
あの渋い皮を何とか抑える事が出来無いか、とか。
色々とテーマを決めてな。
で、気になるのは、俺でも初耳なもう一つの方だ。
「そのヤシュレカ、という植物はどういった物で?」
「ヤシュレカは山の高地に夏の間だけ生える野草で、エレムルスに似ていますが大きい物でも大人の男性の掌程の背丈です
花は青紫色をしています
あまり群生せず、一ヶ所に有っても十株程度です
日陰を好むのか他の草木に紛れる様に生えているのも特徴でしょうか」
「成る程…確かに珍しい物みたいですね」
聞いた特徴に該当する物に心当たりは無い。
ハミタと同様に“此方”の固有種なのだろう。
実際、現時点で確認済みの固有種は植物だけで百種を越えているからな。
今更、驚きはしない。
(しかし、エレムルスか…
確か、ギリシア語の意味で“砂漠の尾”…だったかな
まあ、ヤシュレカとは関係無いんだけどさ…)
採取して研究してみれば、同系種かもしれないが。
現時点では何とも言えないというのが正直な所だ。
ただ、時にこういう発見が有るから面白い訳だ。
それが未知であるからこそ知識欲・探求心・研究へと駆り立てる。
何でも行き過ぎてしまうと問題ではあるのだけれど。
取り敢えず、帰る前に一度調査に行ってみよう。
時期的には早いとは思うが収穫が無いとも限らない。
行くだけの価値は有る。
…まあ、愛紗を上手く丸め──説得しないとな。
うん、説得は大事だよね。
症状と治療方法に関しては一応は判った。
しかし、まだ肝心の部分を訊いてはいない。
「十日病は、人から人への感染はしない、という話が本当だとすれば、妹さんが発症した要因は何だったと考えていますか?」
「…難しい質問ですね」
そうだろうとは思う。
誰かから感染した。
そう、簡単に考えられる程判り易い周辺に同じ症状の者が居れば楽な事だ。
しかし、どんな伝染病でも必ず“最初の一人”は居り感染が始まってゆく。
動植物や昆虫等を介しても最初に症状を発症した者が必ず居るのだから。
所が、病気の原因が内側に有る場合には判らない。
まだまだ医療技術も知識も未発達な時代である。
簡単には見付けられない。
それでも、同じ環境に居て発症の有無が有る以上は、何かしらの差違が有るから結果が違うのだから。
其処に、要因は存在する。
ただ、漠然とした質問では絞り切れないとも思う。
なので、少しずつ質問して可能性を削る事にする。
「では、順に考えましょう
先ず発症した人に共通点は有りますか?
例えば、性別や年齢…
子供だけだとか、職業的に働く環境や場所が似ているといった様な事で」
「……私が聞いた限りでは発症自体は老若男女問わず居たそうです
助かった人も、治療方法が同じというだけですね
職業等に関しては、流石に判り兼ねます」
まあ、そうだろうな。
其処までの徹底した調査が出来ていれば、要因となる可能性は見えている筈だ。
「発症者の発症前の行動で似通っている点は?
何かを食べていたとか…
山に入っていたとか…
虫に刺されたとか…
亡くなった方では無理でも助かった方からは何かしら聞けているのでは?」
「…どうなのでしょうね
妹が発症したのは十日病が最後に確認されてから凡そ二十年近くが経っていたと後から聞きましたので…」
「二十年?、二十年もの間一人の発症も出ていない、というのですか?
助かった者が居ないという事でも、死んだ者が居ないという事でも無く、発症者自体が出ていないと?」
「そう、聞いています」
直接的な情報は無かった。
しかし、疑う分には十分な取っ掛かりを得られた。
その話が本当ならば発症の要因を大分絞り込める。
他の発症した者に関しては判らなくても、妹さんの事であれば彼女は今も詳しく覚えていると思う。
其処から探れる筈だ。
「亡くなった妹さんですが発症する二週間以内程で、山に入られましたか?
或いは、洞窟の様な所に」
「基本的に山に子供が入る事は禁じられていますし、山に行かなければ洞窟等は有りませんので…」
「そうでしょうね…」
訊いておいて何だが、実は此処で答えが返る可能性は低いと思っていた。
だって、その程度の事など彼女自身が今までに幾度も思い返し、考えた筈だ。
だから、其処に期待してはいなかった。
では、何の為の質問か。
それは単なる切っ掛け。
人の記憶や思考とは主観の影響が大きいものだ。
仮に其処に“手掛かり”が有ったとしても、当事者が“関係無い”と結論付けて外してしまっていたすれば自分の意志で引き出す事は難しかったりする。
其処で、外部から問い掛け一度“有りの侭の情報”に回帰させる訳だ。
直接的な質問より、先ずは関係無い質問からする事で記憶を引き出し易くする事自体は珍しくない。
だから、本命は此処から。
「…あ、そう言えば…」
「何か気になる事が?」
「関係が有るのかどうかは判りませんが…
此処、フェルガナは出来た当時は今でも有る北東部の農地が最初の領地だったと聞いています
その農地に山から流れ出る地下水の出口が有ります
とても洞窟と呼べる程では有りませんが、年齢が十に満たない小柄な子供なら、どうにか入れる程度の穴が開いています
しかし、そうは言っても、その奥行きは大人の男性の身長で三人分程だとか…
私は入った事は無いので、聞いた話ですが、子供達は遊び場にしていると聞いた事が有ります
確か、その頃に妹も其処で遊んでいた筈です」
「地下水、ですか…」
「…まさか、地下水が原因なのでしょうか?」
不安を煽るつもりはなく、漸く得た有力な情報に対し無意識に思考が傾いただけだったりするが。
そんな事を彼女が判る筈は無かったりする。
だから直ぐに訂正する。
「いえ、単に気になった、というだけです
勿論、一つの可能性として考えられはしますが…
妹さん以外にも同じ場所で遊んでいたのに発症してはいないのですよね?」
「…はい、妹だけでした」
「飽く迄も一因の可能性が有るというだけです
そう深く考えるには早計と思いますよ」
「…そうですね」
彼女を安心させる様に俺は笑みを浮かべて見せる。
ただ胸中では小さいながら警鐘が鳴っていた。
誤魔化す訳ではないけれど十日病の話題を広げるのは良い事とは言えないな。
此処で一区切りにするのが無難だろうな。
「多少寄り道はしましたが長い時間御邪魔していては御迷惑でしょうからね
本題に戻りましょうか」
そう言って少しだけ強引に話題を変えてしまう。
一転して真面目な表情で、彼女を見詰める事によって“気持ちの準備をする為の時間稼ぎの話題だった”と誤解してくれる様にして。
「…それは些細な事でした
私は妹の治療の為に必要なヤシュレカを探して山へと向かいました
幸いにも丁度夏だった為、ヤシュレカ自体は思うより簡単に見付かりました
…その帰り道の事でした
彼女が、短剣を手に、私の前に現れたのは…」
話の流れで忘れ掛けていたドロッとした感情が、再び脳裏と胸中に甦る。
自分の感情ではないのだが良い気分はしない。
いや、他人の物だから尚更嫌な気分になる。
「其処で初めて私は彼女の口から彼女の懐く気持ちを聞きました
ただ、“それは私には関係無い事でしょう、私はただ妹を助けたいだけなのよ
だから邪魔をしないで!”というのが本音でした
私の言い方も焦燥感も有り荒かったのだと思います
感情の行き場を無くしたと言うべきなのでしょうね
彼女は目の前に居た私へと襲い掛かって来ました
過去の経験から、身を護る術を学んでいましたので、彼女の実力では掠り傷すら私は負う事無く、彼女から短剣を取り上げました
私も背後から襲われる事は避けたかったですし、一応彼女の自害を防ぐ為にも…
ですが、自暴自棄になった彼女は山道から外れた崖に向かって身を投げ様と…
どうにか彼女を取り押さえ連れ帰ろうとしましたが、時間が掛かり、日が暮れて山小屋で一夜を過ごす事になりました」




