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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
562/915

        弐


流石に見兼ねたみたいで、彼の後ろから一人の人物が近付いてきて、彼に優しく声を掛けていた。

すらりとした長身であり、日焼けを避ける為なのか、或いは宗教・風俗的な理由なのかは定かではないが、目元以外を覆う様に巻いた布地で顔は見えない。

服装は長袖長丈ではあるが明らかに男性と違うと判る理由は膨らみ、だろう。

いや、螢は兎も角として、愛紗と翠の方が、だが。

それはまあ、置いといて。


恐らくは、奥さんだろう。

声を掛けてはいたのだが、“此処で話すのも何ですし御店の中に入りましょう”とだけ言っただけなので。

うん、そういう言い方から二人の間に強い信頼関係が有る事は察せられるから。

それに何と無く…奥さんの尻に敷かれている様な気がしないでもないしな。

其処、類友とか言うな。

世の男なんてのは過半数がそうなる物なんだからな。


その提案に同意し、彼女の案内で商家──彼の店へと入らせて貰う。

俺達は買い物をしに来た客ではないので、商品の並ぶ店内を通過して店の奥へと案内されてゆく。


チラッとだけ店内の様子に目を向けて見たのだが。

宅の影響を受けているのが一目で判った。

何しろ、宅が輸出している商品が全体の半分近い量を占めているのだから。


それも当然と言えば当然の事だったりする。

宅と大宛の貿易に於いては彼を通して行い始めており彼を指名したのが俺だ。

勿論、宅の商人達から見て“値しない”と思ったなら別の人物を探して交渉して構わないとも言っていた。

結果は御覧の通り。

彼は、曹魏の商人達からも認められ、信頼を勝ち得た本物と成った訳だ。


その事は素直に嬉しい。

交渉では、私情を挟む様な事はしないけどな。



「…取引先ですか?…」



小声で、他には聞こえない様に気を付けながら愛紗が訊ねてきた。

別に聞かれても問題の無い内容の会話ではあるのだが万が一にも、という懸念で愛紗も慎重に行動しているというだけの事。

其処に含む物は無い。



「…ああ、大宛の中でだと最大手の取引先だ…

…尤も、俺の事は──魏の中での立場等はしらない…

…だから愛紗達もその点に関しては今まで通りの形で対応してくれ…」


「…判りました…」



彼には悪いが、飛影として此処での活動に徹する。

そうでなければ、此処まで隠してきた努力が無意味な物になってしまうしな。

特に、ローランに俺の事が間接的にバレると面倒だ。

バレるなら──というか、バラすのならば、自分からバラすべきだからな。

その辺りは政治的な問題も色々と絡むからだ。


立場、というのは利害的に良くも悪くも影響が大きく面倒臭い物だと思う。

放り出せない、というのも厄介な物だしな。




店の奥に有る一室。

其処へと通された。


さっと見回した室内は中々良い造りをしている。

恐らく応接室なのだろう。

通された者が不快感を懐く厭みな感じがする事はない過度ではない程度。

しかし、だからと言って、質素・清貧に過ぎるという訳でもない。

品の良い、華美にならない家具や調度品。

それを上手く部屋に活かす配置や選択からは設計者のセンスを感じられる。


多分、奥さんの、だろう。

こう言っては何なんだが、そういったセンスは彼には有る様に感じない。

何方らかと言えば職人的な性質だと思う。

身形がきちんとしていたり商人としての“豪奢さ”を演出しているのは奥さんの手腕・功績だろうな。

印象から、だけど。


室内に有るのは円卓。

椅子の数は僅かに二つ。

だが、奥さんの指示により追加で四つの椅子が室内に運ばれてくる。

但し、円卓を囲む事は無く元々有る二つの椅子各々の後ろに一つと三つに分けて配置された。

つまり、三つの方は愛紗達三人の分という事だ。

此処で“従者みたいだから立たせておいても特に問題無いでしょう”とか考えて礼節を欠かない辺りからも彼女は気配りが行き届いた人物であると判る。

正に内助の功、だろう。


そんな事を考えながら俺は勧められた椅子に座る。

続いて対面に彼が座る。

愛紗達が座ったのを確認し最後に彼女が座る。

その間にも俺と彼の前には茶杯と御菓子が置かれて、愛紗達にも茶杯が配られて多少話が長引いても大丈夫という準備が整う。


その頃には泣き崩れていた彼も復活していた。

泣いた直後では有るので、彼の眼は軽く充血しており目元も赤く為っている。

それを指摘はしない。


“頂きます”と礼を言って出された茶杯を手に取って一口だけ飲む。

口に含んだ瞬間に判る。

ジャスミンティーを思わす独特の薫りに渋味と甘味。

輸出品に曹魏で栽培・収穫・加工している茶葉も有り其方らが出される可能性が高いと思っていたのだが、意外にも出されていたのは此方の特産品の茶葉。

しかも、曹魏は勿論だが、他国には高級品として輸出されている物だ。


他国では高級品だから、と言っても大宛の国内でなら安い──という事は無い。

この茶葉は大宛でも稀少で高級品で知られている。

ただ、曹魏に限って言えば輸入量は大宛国内に出回る総量よりも上だったりする訳なのだが、それは余談。

単純に国内で売るよりも、宅に輸出した方が利が有り貿易上の目玉商品的な扱いだったりするから。


しかし、その高級品を身元不明の初見の相手に対して出してくるとは。

想像以上の才媛だな。

これは俺も油断しない様に気を付けないとな。





「その…お恥ずかしい所を御見せしました…」



照れ臭そうに彼は言いつつ小さく頭を下げてくる。

それは公の場で俺達に対し妙な噂が立ち兼ねない様な態度・反応をしてしまった事に対する謝意。

勿論、其処まで深刻な事に発展はしないだろうから、会釈程度の物だが。

そんな小さな配慮が与える印象の違いは大きい。

人柄が特に垣間見えるので重要な部分とも言える。

演技で完璧に出来るのなら素直に脱帽する程だ。



「貴男の気持ちは判らない訳では有りませんから…

気にしないで下さい」


「そう言って頂けると私も気持ちが楽になります…」



こういう時代だから。

そんな簡単な一言で表し、済ませられはしない。

現世(いま)に生きている者にとっては死別というのは大きな分岐点なのだから。

其処で何を想い、考えて、選択し、行動するのか。

その些細な違いが、後々に大きな違いに為るという事は決して珍しくない。

だからこそ、死別に対する気持ちの整理は重要だ。

世に遺され、生きていく、生命の有る限り生きていかなければならない者には。


それを理解しているのか。

やはり、彼女は俺達の話に口を挟む様な真似はせずに静かに控えている。


下手に視線は向けない。

意識してしまえば何処かで不自然さが出てしまうかもしれないから。

視界の外にて、気配だけで雰囲気で感じ取る。

…氣を使え?

いやいや、何でもかんでも氣で遣っていたら俺自身の成長に為らないですから。

それに彼女は別に敵対する相手でもないしな。

其処まではしません。

心を覗くのと読むのとでは大違いだからな。

敵になら遠慮も容赦もせず遣るだろうけど。


愛紗達も彼を意識はしても彼女には意識を向け過ぎる事が無い様にしているのを雰囲気で感じる。

其処から判る事も有る。



(愛紗達にも、か…

本当に大したものだな…)



どうやら、愛紗達に出した茶杯の中身も俺が飲む物と同様の茶葉なのだろう。

それだけに気を引き締めて成り行きを見守る事にしたみたいだからな。


普通、余程の相手でないと主従で同じ物を出すなんて無礼に当たる行為だ。

一応、俺には御菓子が有り線引きされてはいるが。

寧ろ、それでも従者扱いの愛紗達には格下の物を出す事の方が多いだろう。


それを、こういう風にする事が出来る時点で稀有。

“見る眼”が確かな証拠と言う事も出来る。

良く出来た奥さんだ。




しんみりとしていた空気が緩やかに解けてゆく。

春の温かな木漏れ日により冷えていた掌がゆっくりと包まれていく様に。


しかし、胸中では彼以外は緊張感の有る探り合いと、騙し合いの真っ只中。

悪意は無いのだが。

互いに事情が有っての事。

尤も、彼女は夫にとっては俺が重要な人物である事は理解しているだろう。

ただ、今この時期になって現れた事に対し、客観的に見て警戒心を抱いている、という事なんだと思う。

逆の立場であれば俺だって彼女と同じ様に警戒する。

だから、気を悪くする様な事は先ず有り得ない。

其処まで自己中ではないし自惚れてもいないしな。


一方で、重要な人物だから躊躇せずに高級品の茶葉を出す様に指示出来る度量は称賛に値する。

まあ、此方の反応を見て、少しでも情報を得るという目的も含まれているのだと思ってはいるけどな。


なので、仕掛けてみるか。



「所で、マフメド殿

其方らは何方でしょうか?

御顔を隠されたままなので少々気になっていまして」



そう言いながら然り気無く視線を彼女に向ける。

それに釣られて顔を向けた彼が我に返ったというのか今の状況を把握したらしく少しだけ慌てていた。

彼女は微動だにしないが。



「ああっ、これは失礼を

御挨拶をしなさい」


「はい」



彼──その名をマフメド・カシモフというのだが──に言われて、静かに後ろに控えていた彼女は椅子から立ち上がると、先ず両手で顔を覆っていた布地を解き素顔を俺達に晒した。

それを見て、自分の勝手な先入観に対し舌打ちする。

てっきり“ヒジャブ”系の物だとばかり思っていたが故の軽率さだった。



「妻のユーシアと申します

この様な形で顔を隠しての御無礼を御許し下さい」


「いえ、此方こそ無神経な事を言ってしまいまして…

どうか御容赦下さい」



丁寧に挨拶をしてくれた、そんなユーシアさんに対し俺は頭を下げて謝罪する。

本当に、自分の気の緩みを激しく後悔する。



「その様な事は…どうか、頭を御上げ下さい」


「申し訳有りません…」



頑なな態度をしていても、ユーシアさんを困らせる事になるだけなので、素直に頭を上げる事にする。

もう一度、心からの謝罪を伝えてから。




頭を上げ、改めて目にするユーシアさんの素顔。

この辺りに住む民と同じく肩口まで伸ばした黒髪に、色黒の肌をしている。

ただ、普段から顔を隠して生活しているのだろう。

夫のマフメドさんや此処に来る途中で見掛けた民より日焼けが少ないみたいで、稍肌の色が薄い。

灰色の双眸は切れ長の目も相俟って“敏腕秘書”的な印象を受ける。

整った顔立ちも有り誰もが美人だと称する容貌だ。


ただ、そう口にする者達は少ないのだと思う。

その理由はユーシアさんの顔の左側から中央に掛けて額と頬に深く刻まれている大きな火傷の痕に有る。


今、愛紗達も俺と同じ様に胸中で悔いているだろう。

いや、同じ女性なんだ。

俺以上に彼女に対して懐く後悔の念と罪悪感は強いと思っていいだろうな。

ただ、それを態度や表情に出してはない事も理解し、先の雰囲気を変えない様に努めている事だと思う。



(…かなり酷い痕だな…)



爛れた皮膚からは見た目で判らない苦痛を感じる。

女性だから、という部分も有るとは思うし。

軽率な同情にすら為らない言葉は言えない。

その苦痛を真に理解出来る筈が無いのだから。


ただ、出来る事は有る。

罪滅ぼし(じこまんぞく)と思われて仕方が無いが。


彼女の火傷の状態だけれどパッと見ではあるが、多分幼少期の物ではない。

少なくとも、十代に入って負った物だろう。

しかも、かなりの高温で。

だが、眼球や眉毛・毛髪に影響は無さそうだ。



「ユーシア殿、失礼を承知で御訊きします

その火傷はいつ頃、何処でどの様な理由で?」



流石にユーシアさん自身もマフメドさんも俺の反応は予想外だったのだろう。

思わず二人で顔を見合わせ驚きを露にしていた。


その気持ちは判る。

ある意味、“腫れ物扱い”されても可笑しくない事を目の当たりにして、事情を訊こうとはしない。

普通は謝罪し、その事には二度と触れない様にする。

それが、殆んどだろう。


そうする事しか出来無い。

ただ、それだけだ。




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