7 心血の幹剣 壱
スミエラside──
音が、静寂を破り、響く。
一つだけの筈なのに。
洞窟の中に居る様に幾度も反響し、複数有るかの様に聴こえてしまう。
勿論、本当に複数だったら騒がしい事だろう。
重なり合えば美しい音色も打付かり合ってしまえば、耳障りな騒音でしかない。
静寂の中に居るというのはそういう音が判り易くなるという事を知った。
コツッ…コツッ…コツッ…コツッ、コツッ、コツッ。
はっきりとした石畳を叩く足音が響いている。
同時に僅かでは有るけれど暗闇の中に色が生まれた。
それは足音が近付く程に、大きく、はっきりとなって赤橙色だと判る様になる。
此方に歩いて来ている者が手に持った明かりによる色なのだろう。
そう思えば感じていた筈の恐怖は急速に薄れてゆく。
相手が人だと判った事。
それだけで、不思議と心は落ち着きを取り戻した。
目蓋を閉じて、ゆっくりと静かに深く呼吸をする。
頭の中から、余計な思考や感情を追い出してしまう。
そうして集中力を高める。
そして、私が居る部屋──牢屋の前で立ち止まった。
それに合わせて閉じていた目蓋をゆっくりと開く。
暗闇を照らす明かり。
明かりを此方を照らす様に向けられた為、暗闇に慣れ過ぎていた視界が白む。
反射的に目を細めると顔を背けながら、それでも目の前に居る相手が誰なのかを確認しようとする。
「ふんっ…起きていたか」
けれど、顔を見る必要など全く無かった。
その声だけで十分だった。
間違える筈が無い。
不満──面白くなさそうな口調での一言。
其処から窺える事は色々と存在している。
だが、それらは何れも私の想定していた仮説を裏付け皮肉にも証明していた。
「やはり、私を拐ったのは貴男でしたか、お兄様…」
そう言うと、此方に向けた明かり──燭台を自分へと引き戻した事で暗闇の中に彼の姿が浮かび上がった。
それはグレナディン王子。
異母兄に間違い無かった。
此方を見下す様にしながら嫉妬と憎悪に塗れた視線を向けてくる。
その表情にも不満が浮かび隠そうともしていない。
醜く、歪んだ、排他的で、自己中心的な、傲慢さ。
これが──否、此方が彼の本来の姿なのだろう。
少なくとも私自身は初めて見る彼の“素顔”なのだと思って見ていた。
“私の知っている“兄”は全てが偽りだったのだ”と自分に言い聞かせながら、意外にも傷付いてはいない自分自身に気付く。
(…まあ、考えてみれば、そうなのでしょうね…)
恐らく、私達兄妹の関係は生まれた時から決まっていたのだと。
こうなる事こそが、一つの必然だったのだと。
僅かな悲しみも、憐れみも懐く事すら無いままに。
私は現実を受け入れた。
「…もう少しは驚いたり、喚き散らし、怒鳴ったり、罵ったりするかと思ってはいたなだが…
随分と落ち着いているな」
「面白く有りませんか?
私が“女らしく”なくて」
お兄様──グレナディンの言葉に対し、挑発する様に私は強気に切り返す。
今となっては兄と思う事も必要無くなった。
ならば、これ以上の遠慮は全くの無意味という事。
気を遣わなくてもいい。
此方が“理解している”と察したのでしょう。
グレナディンは眉根を顰め遠慮せずに舌打ちをする。
「…可愛気の無い奴だな」
「あら?、可愛く甘えたり泣いて見せてあげるだけで貴男は満足する訳?」
そんな事をしようだなんて微塵も思ってはいない。
と言うより、私自身そんな真似はしたくない。
仮に、そうするにしても、彼相手には有り得ない。
尤も、そういう事が出来る兄妹関係で有ったのなら、今の状況な無かったのかもしれないけれど。
そういう事をしない関係が私達兄妹としての現実。
互いの立場が、母の立場が逆で有ったなら違っていたのかもしれない。
ただ、全ては結果論。
それらは“たられば”の話でしかなく、現実としては全てに不可能な物。
それもまた理解している。
「お前が泣き叫ぶ姿を見る分には面白そうだが…
お前に甘え付かれるなど、考えただけでも気持ち悪く為ってくるな…」
「それは、お互い様ね」
そんな感情は一切無い。
演技でも遣りたくはない。
それは今、こういう状況に成ったからではない。
私自身が産まれてきてから一度もそういった気持ちを懐いた事が無いのだから。
そう考えると今の関係とか状況は、ある意味で正しい事なのかもしれない。
それで納得出来るのだし。
「目的は“不幸な事故”で私を排除して、次期国王に成る事なのでしょう?
だから、手の込んだ芝居で私達を欺き続けていた…
でも、一人ではないわね
流石に無理が有るもの…
貴男に近い者と言えば…
そうね、アムニタかしら?
妥当に、“王妃”の座でもチラ付かせて釣ったの?」
「…流石は、と言うべきか──と、言いたい所だが…
惜しかったな
アムニタの奴は“男”だ」
「……………流石に無理」
「…まあ、だろうがな」
他は、当たっていたのだと思えたけれど、その一点は見抜けなかった。
でも、男だと言われたなら“…成る程、居るわよね
偶に何方らにも見える人”という感じで納得が出来る辺りも小憎らしい。
しかし、主人が主人なら、部下も部下ね。
本当に用心深くて、一切の隙を見せずに騙し抜いた。
完全に、私の敗けだった。
──side out
グレナディンside──
途中一つだけ有る地下牢に放置した糞女の元に着いてみれば、思っていた様な反応は無かった。
此方が過分に“女らしく”考え過ぎていた様だ。
何しろ、自分から挑発する様に指摘してきたからな。
熟、可愛気の無い奴だ。
此方の目的──と言うより自分が首謀者だと気付いた点に関しては、流石だな。
まあ、アムニタの事だけは想定外だろうがな。
自分にも奴にも“其方ら”の趣味は無いしな。
だが、素直に認めよう。
女王として即位したならば確実に国を繁栄させられる才器だと思う。
単純に、王としての才器は自分よりも上だろう。
それ位は判っている。
自分が劣っている事など。
今更、誰に言われずとも、そんな事は百も承知だ。
だがな、王としての才器が有る者が必ずしも王に成るとは限らない。
そういう事は歴史を見れば多々存在している事だ。
後世の者は自分を“愚王”等と称するかもしれない。
だが、別に構わない。
其奴等と顔を合わせる事は先ず無いのだからな。
だから気にするだけ無駄。
自分は“評価をされたい”という訳ではない。
単純に王に成りたい。
それだけの事なのだから。
「…何処で気付いた?」
ただ、一応訊いておこう。
これでも、標的で有る以上気取られる様な迂闊な事は徹底して避けていた。
加えて、露骨になり過ぎて彼奴に怪しまれない様にも配慮していたのだから。
一体何が原因だったのか。
後学の参考としての興味で訊ねてみた。
「…簡単に言えば、犯行の目的と動機かしら
私を拐った首謀者が誰に、何を求めるのか…
複数の可能性が有ったから簡単には絞り切れないし…
私に確信を得られるだけの情報も証拠も無い…
だけど、その殆どが現状で得られた情報と仮説の間を一つに結び付けられない
その事が全てだったわ
たった一つ、貴男が王位を狙っての犯行、という以外何れもが破綻するのよ」
「…成る程な」
動揺し、焦燥感に煽られて冷静な判断が出来無かった連中とは違う。
決して、自分を見失わず、恐怖に屈指もしなかった。
だからこそ、辿り着いた。
見え透いた“餌”ではなく、真実に。
相容れぬ存在ではある。
だが、称賛を送ろう。
我が妹よ、スミエラよ。
お前は間違い無く、正しく素晴らしい“王族”だ。
ただ、勝者は自分だがな。
「…それで?、貴男は私をどうやって殺す訳?
まあ、その腰に下げている剣を使って、という事など無いでしょうから…
妥当な所で絞殺かしら?
それとも毒殺?
或いは、このまま放置して餓死するのを待つとか?」
強気──というより、寧ろ開き直った感じか。
全く気負いは感じない。
それ処か今、一体何方らが追い詰められているのか。
勘違いしそうになる。
これも才器の違いなのか。
そう思うと腹立たしい。
少々遣り返してたくなる。
「…随分と饒舌だな?
そう遣って恐怖を誤魔化し紛らわせているのか?」
“弱い犬程よく吠える”と表す言葉も有る位だ。
場違いな程、無駄に喋る。
それは自分自身を誤魔化す常套手段とも言える。
此奴の場合、普段の言動が男勝りな割りに礼儀作法は意外ときっちりしている。
だが、饒舌なのには幾らか違和感を覚える。
「そうね…私だって普通の人間だから死を前にすれば恐怖心も懐くわ…
でも、貴男が饒舌と思う事自体は勘違いよ
私は結構、喋る方なのよ
まあ、私との交流も無いし“友達”が居ない貴男には判らないでしょうけど」
「…っ…舐めた事を…」
反論したかったが、此奴の言っている事は正しい。
当然と言えば当然だ。
知っている様で知らない。
そんな事ならば、お互いに幾らでも有るだろう。
必要最低限しか関わらず、興味も無かったのだから。
此方の心中を見抜いてか、フッ…と、勝ち誇った様に余裕の笑みを浮かべながら此方を見据えてくる。
「私は此処で死ぬでしょう
貴男の手に掛かってね
けれど、敗れはしない
今この一瞬も、この一言が貴男に刻み込まれてゆく」
「…何が言いたい?」
その余裕が決して強がりやはったりではなく、本当にそう思っているのだと。
一言一言から伝わる。
それだけに苛立ちが募る。
チリチリと心を焼き焦がし憤怒を帯びてゆく。
「貴男は一生、苦悩し続け影に怯え続けるのよ
決して、勝る事の無かった妹という影にね」
「──っ!?」
その一言を聞いた瞬間。
目の前に有る牢屋の格子が身体に触れるギリギリまで近付いていた。
その時、自分の中に有った感情は憤怒と憎悪。
そして、ただ目の前に居る糞女を思う存分殺して遣りたい。
殴って蹴って罵って撲って踏んで叩いて泣かせて──兎に角、殺したい。
ただただ、そう思った。
だが、偶然と言うべきか。
行く手を阻んだ格子。
それが有ったが故に感情の支配が緩んだ。
感情的に為った時。
その感情が本の僅かにでも揺れてしまえば、あっさり冷静さを取り戻す。
あのまま、感情に任せて、中に入っていれば、或いは迂闊に近付いていれば。
思わぬ反撃を受けてしまい失敗に終わっていた。
その可能性も有った筈だ。
だが、その結果はと言えばそうは為らなかった。
それはこの自分の勝利を、揺るがぬ物とした瞬間。
俯き、目蓋を閉じ、大きく息を吐いてから目蓋を開け改めて前を見る。
其処には眉根を顰めている糞女の姿が有った。
どうやら目論見が外され、悔しがっている様だ。
僅かだが溜飲を下げる事が出来た気がする。
もう一押しと行こうか。
「…さて、お前の“盾”は今頃何処に居るのか…
まあ、此処に辿り着くのは不可能だろうし、もし仮に辿り着けても手遅れだが…
それはそれで愉快か…」
「……何の事かしら?」
そう言いながら格子の戸の部分を開け、中に入る。
勿論、慎重にだ。
しかし、判ってはいたが、気付いていなかったか。
先程とは違い、不満を全く隠そうともしないな。
だがまあ、そうだろうな。
彼奴も、自分達と同じ様に秘密を隠し通している。
結果的に仇と為った訳だが…自業自得だろう。
その甘さが故に、な。
「過去、幾度もお前に対し様々な手を試みた…
だが、全てある男によって邪魔され、潰えている
しかも、改心すると本気で考えていたのか、お前にも老い耄れにも言わずにな
知っていたか?
彼奴の身体の大半の傷痕はその結果なのだと…」
「……嘘…それじゃあ…」
誰だが察したのだろう。
そして、理解した様だ。
自分が常に“護られ”続けそれに甘えていた事を。
その事実に対する驚きと、動揺に表情が歪んだ。




