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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
548/915

         捌


椅子に座り直すと、右手に持った杯を傾け酒を呷る。

辛酸と苦渋ばかりの日々を誤魔化す為にと飲んでいた酒だったが、今日ばかりはじっくりと味わえている。

今までは、ただただ酔って嫌な事を忘れてしまう為の自棄酒だった。

だが、今日は違う。

今日からは、違うのだ。

単に喉を腸を焼く様に熱い“苦く不味い物”ではなく薫る匂いや奥に有る旨さを味わう事が出来るのだ。


勿論、急に自分の味覚等が変わった訳ではない。

単純に“自分の気持ち”の変化に因る物だ。

その事実を自分で自覚してしまうと苦笑してしまう。

人間とは熟、単純なのだと思い知らされてしまう。

だが、悪い気はしない。

嫌な気はしない。

──と言うよりかは、今はそんな事も“些細な事”と一笑してしまえる。

そういう気分なだけだ。



「…グレナディン様

御気持ちは御察ししますが今はまだ早計かと…」



しかし、そんな気分の中、アムニタは真剣な眼差しで此方を見詰めて言う。

“最後まで気を抜かずに、決して油断するな”と言い教えてきたのは自分だ。

その言葉を返し、今の自分を窘めようとしている──という訳ではない。

アムニタの表情は明らかに何かしらの“問題”が有る事を物語っている。



「…何が有った?」



深く椅子に凭れていた身を起こして、向き直る。

“万が一の可能性”を頭に思い浮かべれば、浮かれた気分や酔いなど綺麗に消え去ってしまう。


此方が聞く準備が出来たと判断するとアムニタは一つ息を吐いて、声を出す。



「…先日、“渇く赤”から第三巡士隊が助け出して、保護したという旨の報告の上がっていた魏国から来た商人なのですが…

その数日前より都に到着し滞在をしていた同じ魏国の商人達に接触…

その後、都から逃げる様に一斉に出立しております」


「…何だと?」



そんな話は聞いていない。

──いや、そうではない。

普通に考えれば、往来する商人達の同行を一々調べて把握する必要は無い。

商人は商人でしかない。

商売先の国を害した所で、奴等には何の特も無い。

寧ろ、商売先を失うだけで損をしている様な物だ。

余程の馬鹿か、私怨等でも抱いていない限りは普通は有り得ない事だと言える。

勿論、商人に扮した細作等であったなら話は別だが。

だが、そうであったならばアムニタが“商人達”とは言いはしないだろう。

少なくとも、滞在していた商人達は本物だろう。


だから、一斉に出立しても可笑しいとは思わない。

同じ魏国の商人同士ならば賊徒の襲撃を懸念し複数の商隊が一緒に行動する事は珍しい事ではない。

寧ろ、その地その地により変わる治安状況に合わせ、その都度判断するのだから当然の対応策だと言える。

長く、経験豊富な商人なら尚更に遣るだろう。




だが、気にすべきは商人の一斉出立ではない。

その直前に“会っている”という部分だ。


アムニタが言っている様に“逃げる様に”というのは飽く迄も話を聞いた上での印象なのだろう。

実際に、その様子を見たのであれば、もっと具体的な事をアムニタならば言う。

その程度の才能を持つのがこのアムニタだからだ。



「その商人というのは?」


「ヒエイ、という女です

詳しい事は判りませんが、今も手配された宿に泊まり都内に留まっております

ですが、供は僅かに三名、全て女という事です

内、二人が武の心得の有る模様ですが、残りは…」



そう言って、小さく左右に首を振るアムニタ。

見た目からして武の心得が有る者ではないのだろう。

このアムニタも表立っては鍛練はしていないが独自に武の鍛練は積んでいる。

一度、新兵に紛れさせての賊討伐をさせた事も有るが成果は上々だった。

それ故に武の心得が有るかどうか位は見抜ける。

由って、その判断は正しい物なのだろう。

そのヒエイという女商人も武の心得は無いという事になるのだが。

その辺りは問題ではない。



(…女が四人だけだと?)



明らかに可笑しい。

“助かったのが四人だけ”というのであれば判る。

そういう事は珍しくない。

だが、アムニタの言う様に“最初から四人だけ”なら異常としか言えない。

一応、一対一の護衛として考えれば必要最小限の隊と考えられなくはない。

荷は襲われ、逃げる過程で失ったのだろうしな。


しかし、そうだとすれば、他の商人達と共に出立して一度魏国に戻る筈だ。

けれど、その女商人は今も都に留まっているという。

それは明らかに怪しい。

加えて、女達を助けたのが他でもない第三巡士隊──ビュレエフと糞女(あれ)の部隊だという事もだ。

今の話を聞けばどうしても考えてしまうだろう。

あまりにも出来過ぎている気がしてならない、と。


全て、ただの偶然。

それだけの可能性は十分に考えられるだろう。

女商人達に何かしら目的や意図が有るにしても全てが繋がっていると勘繰るのは早計だと言える。

実際には全く無関係なのに疑心暗鬼に為り過ぎた結果自滅してしまうという事も十分に有り得える事だ。

そういう意味では慎重には為っても、恐れ過ぎる事は避けなければならない。

折角、此処まで運んだ策が全て無意味になってしまう様な事だけは絶対に、だ。




気にし過ぎない事だ。

そう自分にもアムニタにも言い聞かせれば良い。

たったそれだけの事だ。


だが、どうしても気になる点が存在している。

それは“何故、今になって報告をして来たのか”だ。

如何に商人達の動きに対し関係していたとしてもだ。

此方に害が無いのであれば今は放置すべき存在。

仮に国同士の問題ならば、自分が新たな王となった後対処すればいいだけの話。


そんな自分の考えを察したアムニタが話を続ける。



「勅命が出た後の様ですがその女商人とビュレエフが宿にて会っていた様です」


「──っ!?」



その一言に今までの考えを一度捨て去る事にする。

驚きはしたが、茫然自失や混乱する程ではない。

可能性としては考えられる事ではあったのだから。

だが、問題には成った。

このまま無関係と放置する事は出来無くなった。


一つ息を吐き、冷静になりアムニタを見て“続き”を言う様に促す。



「グレナディン様の命にてビュレエフを監視していた者達からの報告では一度は南門にて会って挨拶をして別れた後、ビュレエフから会いに行った様です

“彼女達には出国不可能な事を話さなくては将来的な魏国からの行商関係に対し大きな影響を与える”との理由だそうです」


「…話の筋は通るな」



その説明を聞きながら頭の中では、一応は繋がる。

納得する事は可能だ。


アムニタは事後に知った事なのだろうが、巡士隊には救助・保護した者に対する一時的な監視の役目も有る事は自分も知っている。

加えて、彼奴は頭が回る。

アムニタの報告にも有った他の商人達との接触の件や一斉に出立した事を知れば女商人が“只者ではない”という風に考えるだろう。

そうなれば、下手に両国の問題に発展するよりも前に手を打とうと考える筈だ。

とすれば、彼奴が秘密裏に女商人に此方の事情を話す理由としては十分。

相手が商人であるのならばお互いの“不利益”になる様な真似はしないだろう。

つまり、この件に関しては口外したりはしない。

そう考えていいと思う。


ただ、引っ掛かりもする。

他所なら兎も角、女商人は魏国の商人な訳だ。

となれば、相当に強かだと考えて良いだろう。

そんな者が“何も詮索せず疑問も抱かない”という事が有るのだろうか。

しかも、問題が解決すれば此方には秘密裏にとは言え大きな貸しを作れる。

そんな目の前の“利益”を商人が見逃すだろうか。

否、断じて否だ。

何かに気付いたなら確実に彼奴に話を通す筈だ。

それが、商人という者だ。




考えを纏めてから目の前のアムニタを見る。

すると、自分と同じ結論に至っているのだろう。

…いや、だからこそ真剣な表情をしていたのだな。

今になって気付く。

先に今の情報を持っているアムニタの方が色々と考え思案しているだろう。



「…アムニタ、彼奴は策に気付いたと思うか?」



彼奴自身が策に気付いたかどうかは重要ではない。

此方の存在・目的・内容に気付いたかどうか。

それだけが、今は重要だ。


そう訊ねれば、アムニタは僅かに眉根を顰めた。

今も考えてはいる、だが、決定的ではない。

そんな心情が滲んでいる。



「…正直に申し上げまして難しい所でしょうか…」


「…やはり、そう思うか」



アムニタの答えを聞いて、深く溜め息を吐く。

全てが順調に運んでいる。

そう思っていた先程までの自分を殴って遣りたい。

順調に見えるのは表向きに過ぎなかった。

実際には己が足下で今にも自分の足を掴まえて砂中に引き摺り込もうとしている手が蠢いているのだ。

しかも、その手が此方には見えないという悪条件で。



「…逆に遣られたか?」


「…現状では何とも…

ですが、あのビュレエフが気付いたのだとすれば何故大人しく“渇く赤”掃討の命令に従ったのでしょう?

仮に、その兵力を利用してグレナディン様を包囲し、捕らえ様と考えているなら真っ先に国王の元に赴き、報告すれば済む筈です」


「…確かにな…」



アムニタの言う通りだ。

彼奴の行動が可笑しい。

気付いたとすれば矛盾し、気付いてはいないとすれば当然の事に思える。

自分の過去の謀略に関して知っているのは彼奴一人。

それは今でも変わらない。


だが、あの老い耄れからの信頼は自分以上だ。

彼奴が、自分を容疑者だと報告すれば、その可能性が高いと進言したならば。

あの老い耄れは間違い無く動く事だろう。

今は証拠など必要無い。

最優先するのは糞女の無事だけなのだから。

その為にならば、多少荒事になったとしても構わない事だろう。

その事は彼奴自身も十分に理解している筈だ。

そう、動かない訳が無い。


既に自分が捕まっている。

彼奴が気付いているなら、それが今の正しい状況だ。


だが、実際には自分は今もこうして自由の身だ。

だとすれば、彼奴は此方の策には気付いていない。

そう考えるのが妥当か。





「…確かに、ビュレエフは此方には気付いていないのかもしれません

ですが、だからと言って、全く何も理解してはいないとも限りません」


「…手を組んだと?」


「可能性は高いかと…」



例の魏国の女商人。

多勢に無勢、という理由で“渇く赤”の襲撃からは、逃げていたかもしれない。

だが、少数精鋭だとすれば護衛役の女二人は相当──いや、下手をすれば魏国の武官級かもしれない。


女商人一行の理由や目的は定かではないが、魏国内で大きな影響力を持つ人物、或いは“魏王の勅命”での行動だとすれば、相応しい力量の護衛が付き添っても何等不思議ではない。


その戦力を頼って、彼奴が“囮役”をしている。

その可能性は有り得る。

此方が疑いを持つ様に、と仕向けられているのならば本命は女商人達だろう。



「…糞女の無事を最優先に考えるとすれば、真っ先に此方の身柄を拘束した時、行方が判らない、か…」


「そう考えての行動ならば理解は出来ますね…」



つまり、この場合には外で自分を見張っている存在が少なからず居る。

そういう事になるだろう。


“順調に運んでいるな”と思い込ませ、ビュレエフが都の外へと出てしまえば、先程の様に油断していても可笑しくはない。

其処が突け入る隙になる。



「だとすれば、掃討部隊はビュレエフの指揮によって然程時間を掛けずに此方に向かって戻ってくる可能性が高いか…」


「確保してから合図、では掃討部隊を如何様に指揮し“渇く赤”との交戦せずに戻らせるのかが難しいので途中で引き返す、と考える方が自然でしょう…」


「アムニタ、お前は部屋を出て女商人達の居るだろう宿に向かって、誘え」


「畏まりました」



命令の意図を汲み取って、頭を下げるアムニタ。

そのまま部屋を後にする。

それを見送り──嗤う。


確かに順調ではない。

しかし、まだ主導権は我が手中に有るのだと。

そう、確信した。

全ては自分の勝ちだと。




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