漆
「お気を付けてーっ!」
「頑張れよーっ!」
「俺達の分まで頼むぞ!」
「手柄を上げて来い!」
「お土産は一人一つで!」
「旅行じゃねーよっ!」
「お前、この間揉み消したみたいにドジ踏んで隊長の足引っ張るなよっ!」
「う、煩ぇっ!
お前こそ、しっかり留守を守ってろよっ!
いつもみたいにサボって、居眠りすんなよっ!」
「ちょっ!?、おま──」
「──ほぅ…今のその話、この件が片付いたら俺にも聞かせて貰えるか?」
「「ひぃっ!?」」
「油断すんじゃねーぞ!」
「副隊長を頼んだぞ!」
「絶対に目を離すなよ!」
「「「一人にしたら絶対に迷子になるからっ!」」」
「なっ、あ、貴男達っ!?
帰って来たらお説教です!
覚えてなさいっ!」
「…お、俺さ、この戦いが終わったら彼奴に告白して結婚するんだ…」
「えっ!?、お前ってそんな相手が居たのか?!」
「ああ、“砂漠の鉄華”と呼ばれる彼奴だよ…」
「いや、誰だよ其奴!」
「……え゛っ、マジで?」
「…お前知ってんのか?」
「…いや、まあ…何だ…
…多分、其奴って鍛冶屋のジニーの事だと思う…」
「……………………は?
…お前、何言ってだよ?
…ジニーっておと──っ!?
…ま、まさか!?」
「…知りたくなったがな」
「と言うか、こんな状況で言う事かよ?!
不吉過ぎるだろ!
色んな意味で!」
「まあ、その辺の価値観は人各々だからな…あ、俺は普通だからな?
だから逃げんじゃねえよ」
「やれやれ騒がしいのぉ…
まあ、変に高揚しおったり気負っておるよりかは幾分増しかのぉ…」
「爺様、態々死にに行く事なんてねーぞ?」
「ほっほっほっ…戯れ言を言う様になったのぉ?
この老い耄れ相手に未だに勝てぬ孺子の癖にのぉ…」
「ぐっ…や、喧しい!
こういう事は俺等に任せて隠居しろつってんだよ!
この糞爺がっ!」
「って、どうしたんだ?
何落ち込んでんだよ?」
「…宅の娘が、宅の娘が…
“お父さん、臭い”って…
そう言ったんだよーっ!!
うわぁああぁぁあんっ!!」
「………此奴ん所の娘って何歳だったけか?」
「三歳だ、気にするな
此奴のコレは娘が産まれる前から──と言うか、俺の知る限りでは子供の頃から“こう”だったんでな」
「うわっ…面倒臭ぇ奴…」
「そんな此奴と一緒に成り支えている此奴の嫁さんを俺は心底尊敬するよ」
「あ〜…確かにな…」
「いざ〜、往〜かん〜♪」
「我等〜の、聖地へ〜♪」
「進め〜、進め〜、進め〜
剣を〜掲げ〜て〜♪」
──様々な反応を見せつつ開放された門扉の潜り抜け都の外へと出て行く兵達。
その姿を真剣な態度を装い身を正して見送った。
見張りを行う門兵に指示を出し、同じ様に他の二門の門兵にも伝える様に命じて王宮へと引き返す。
本音を言えば今直ぐにでもあの糞女の命を奪ってしまいたい。
だが、焦りは禁物だ。
此処で直ぐに姿を消しては誰かしら自分を探しに来る可能性が有るだろう。
何しろ事は“王女の誘拐”なのだからな。
何処もかしこも大小問わず混乱している事だろう。
それらを、ある程度までは落ち着かせなくては。
そうしなければ、ゆっくり糞女に絶望を与え、殺す事を愉しめない。
面倒な事ではあるが全ては順調に運んでいる。
それを本の少しの焦りから崩す様な真似はしない。
そう、全ては既に我が手の中に有るのだから。
「──では、その様に」
「ああ、宜しく頼む
それから少し疲れたので、自室で休ませて貰う
此処で倒れては事後処理に支障が出るだろうしな…
もしも何か急な用が有れば部屋の方に来てくれる様に他の者にも伝えてくれ」
「畏まりました」
最後の指示を出し終えると自室に向かって歩き出す。
此方に一礼をして見送った文官長に対し、つい口元が緩みそうになった。
疲れた?、何を馬鹿な。
そんな訳が有るか。
今、心身共に充実しており気力も溢れている。
未だ曾て、これ程にまで、活力を感じた事が無い。
漸く…そう、漸くだ。
この国を“正しい姿”へと戻す事が出来るのだ。
これ以上に喜ばしい事など滅多に無いだろう。
そのあまりの歓喜に伴い、表情が緩みそうになる。
だが、今はまだ途中だ。
その顔を万が一にも誰かに見られれば、破綻する。
糞女を始末出来たとしても自分まで破滅してしまえば何の意味も無い。
勝者とは生き残った者。
敗者とは死に逝った者。
自分は勝者になる。
その為にも、破滅する様な真似は一切不要だ。
溢れ出しそうな感情ですら必要ならば抑え込もう。
その程度の事が出来ずに、此処まで遣る事は不可能。
故に、児戯にも等しい。
疲れたから、というだけの理由では怪しまれる。
だが、先を見据えるが故の休息の必要性、ともなれば奴等とて納得しよう。
今は動ける者を総動員して捜索・防衛・維持・討伐を同時に行っている。
当然だが、事後の疲労など大半の者が考えていない。
だからこそ、先を見据えた自分の言葉に感心こそすれ疑いは抱かない。
加えて、“そういう事なら邪魔は出来無い”と考えて気を遣ってしまう物だ。
つまり、これで暫くの間は確実に誰にも怪しまれず、邪魔もされない完璧な隙を作り出せた訳だ。
自室に入ると、寝台の脇に有る卓に置いて有る酒瓶を右手で掴み栓を開けると、左手で杯持ち一口分だけを注いで、一息に呷る。
興奮している身体を内から飲んだ酒が刺激する。
それを感じつつ持っていた酒瓶と杯を卓に置く。
狂喜を酒酔が食み、僅かに冷静を生む。
それは唐突に生まれる静寂の様にも思える感覚。
だが、二つが混ざり合った狂酔に、抑えていた感情が刺激され、溢れる。
「……クッ……クククッ……クフッ…フハッ…ハハハハハハハッッッ!!!!!!!!」
右手で顔を覆い隠しながら抑え込もうとしながらも、天を仰ぐ様に顔を逸らして笑い声を上げてしまった。
我慢が出来無かった。
だが、自室に戻ったが故に長々と続けさえしなければ“多少は大丈夫だ”という自信も有るので問題無い。
王宮の中、死に損ないや、糞女の自室は北側に有る。
だが、自分の部屋は西──正確には北側部分の最西端部分──に位置している。
距離的に二人の自室からは離れており、場所としても人の往来は少ない。
加えて、自分の部屋の有る場所は行き止まりだ。
しかも、一本道でも有る。
故に、壁さえ厚めに造れば少々の馬鹿笑い等は此処に近付かない限り気付かれる可能性はかなり低い。
まあ、夜間で有れば多少は気付かれ易いだろうが。
日中は各々の仕事も有る。
だから、多少の物音等には気付き難い物だ。
「ククククッ……はぁ〜…
これ程笑ったのは、随分と久し振りな気がするな…」
取り敢えず、一度笑った事により気持ちが落ち着く。
我慢、というのは大事だが度が過ぎれば身体に悪い。
素直に、そう思えた。
再び酒瓶を右手で持つと、置いて有る杯にたっぷりと注いでから栓をして置く。
そして、溢さぬ様に慎重に杯を持ち上げて、一口だけ飲んで量を減らしてから、室内に有る大きな椅子へと近付いて腰を下ろす。
竹を編んで造られた椅子がギシッ…と鳴る。
だが、気にはせずに深々と背を預けて凭れ掛かる。
天井を見上げたまま目蓋をゆっくりと閉じる。
先程までの心身を焦がした興奮は冷めていた。
消えた訳ではない。
“まだ途中だ”と思い出し冷静に為っただけ。
ただ、それだけの事だ。
ゆっくりと、深く、静かに呼吸をすれば、杯から香る酒の匂いが鼻を擽る。
飲み慣れている酒、だからなのだろうか。
或いは少し酔ったのか。
自分が妙に落ち着いている事に可笑しく思う。
何れ程に、今日という日を待ち望んでいたのか。
それを考えれば今の自分の落ち着き様は奇妙だ。
だが、それも当然だろう。
まだ、成ってはいない。
まだ、途中なのだからな。
「…しかし、こうも上手く事が運ぶとはな…」
正直、意外ではある。
勿論、自信は有ったが。
糞女を拉致し、監禁する。
それ自体は、警備の手薄な夜間に行いさえすれば結構簡単に出来る事だ。
死に損ないが体調を崩せばあっさりと王宮内に戻って来てくれたしな。
もし、あのまま彼奴の所に居られていれば、手を出す事は困難だっただろう。
父娘の愛情に感謝だな。
問題は自分に疑惑の視線が向けられない様にする事。
それには糞女を装って態と目撃させる事にした。
その為には糞女の着ている衣装を知っておかなくてはならなかった。
まあ、巡士隊に入っている事も有り、それ自体は簡単だった訳だが。
問題は自分と糞女との間の体格差だった。
と言うかだ、子供以外には糞女に扮する事が不可能、という事が最大の問題だと気付かされた。
だが、それも夜間遠目から目撃させる事が出来れば、“勘違いさせられる”事が判った為、可能になった。
しかし、それだけでは事を運ぶ事は不可能だった。
どうしても、必要不可欠な存在が一つだけ有った。
──コンッ、ココンッ…と叩かれる扉の音に我に返り目蓋を開けると身を起こし立ち上がって扉に近付き、左手で扉を開ける。
其処には一人だけで侍女が佇んでいた。
「入れ、アムニタ」
「失礼致します…」
礼儀正しい姿勢で室内へと入った侍女だが振り返ると慣れた手付きで鍵をする。
この侍女は自分の専属。
但し、女ではない。
侍女の格好をしている。
ただそれだけの事だ。
「しかし、今更に思うが、“何処かに居そうな女”の様な顔立ちだと言っても、よくバレずに居る物だな」
「それもこれも貴男専属の侍女が私以外他には居ないから出来る事ですよ
そうでなければ何かしらの接点が増えますからね」
「ふんっ…確かにな」
必要不可欠な存在。
それは他ならぬ“協力者”だったりする。
彼奴──ビュレエフの遣る筈だった自分の手駒。
自分への疑いを防ぐ盾で、糞女を狩る為の剣。
それが此奴、アムニタだ。
歳は今年で十七になる。
出逢ったのは五年前だ。
このアムニタはローランの民ではない。
“渇く赤”でもない。
誰とも接点の無い存在。
何処かの賊徒の残党だろう砂漠の中で行き倒れていた飢えて痩せ痩けた子供。
それがアムニタだった。
見付けたのは偶然。
偶々、一人で遠乗りをしに出掛けていた時だった。
普通であれば見捨てていた存在だっただろう。
だが、アムニタの見た瞬間確かに感じた。
彼奴が敵だと判った様に、この子供が自分にとっての協力者だと。
何より、“貪欲な双眸”が自分を惹き付けた。
アムニタを連れ帰り、先ず食事を与えた。
そして、自分の世話係りを務めさせながら必要な事を色々と教えていった。
その中でアムニタを拾って驚かされた事が有る。
先ずは、その声だ。
アムニタは男にしては高く女にしては低めの声。
何方らかと言えば女寄りと言うべきだった。
成長しても殆んど声変わりしていない。
次に、その顔立ち。
決して美人とは言えない。
何方らかと言えば不細工と言えるだろう。
しかし、男らしくも無い。
小さな集落の女達が百人程居れば美人から順に数えて大体七十〜八十人目辺りに居そうな感じの顔立ち。
故に目立ちもしない。
最後に、その体格。
男としてはかなり小柄だが女の中に紛れれば平均的な体格でしかない。
その華奢そうに見える程の細身も一因だろう。
痩せている訳ではない。
単純に肉付きが少ない体質なのだろうな。
だが、それらの要素が有り今の状況を作り出せた事に間違いは無い。
孤児として拾われた経緯も余計な詮索を受けずに済み隠し通せている一因。
加えて、普段の仕事振りは優秀な物だからアムニタの信頼は低くない。
直接の接点は少なくとも、糞女や彼奴からも警戒心を向けられてはいない。
完全に疑う対象から外れた存在となってくれた。
故に、万が一にも自分への警戒心が高まっても計画は実行可能だった。
実際は自分にも無警戒で、拍子抜けだったがな。




