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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
544/915

         肆


普通に、愛国心や忠誠心が有ったのならば、何よりも先ず考えたくはない事。

兄弟姉妹による跡目争い。

そんな血生臭い現実は。


だが、事、これに関しては素直に頷けてしまう。

一欠片の違和感も抱かずに“ああ、成る程な”と直ぐ受け入れ、納得出来る。

それが出来てしまう。

彼は、そういう人物だ。


グレナディン・ベスレタ・エルマジーリエ。

スミエラ様の兄君であり、歳は五つ上の王子。

初めて対面したのは確か…十二年程前になるか。

自分とは歳の差が二つしかなかった事も有り、周囲に認められ始めた頃になって気安い態度で近付いてきた事を今でも覚えている。

仮面の様な作り笑顔をして自ら右手を差し出し自分に握手を求め、“歳も近いし僕の事は友と思ってくれ”だなどと、ほざいた。

幼い日に見た侵略者達。

奴等と同じ“臭い”がして吐き気がした。

あの日、あの瞬間から──自分にとっての“彼奴”は王子ではなくなった。

そうだ、国を、民を脅かす自分の敵になった。


まあ、一応“表向きには”王子として扱っていたが。

可能な限り距離を取ったしスミエラ様を御預かりした時からは更に警戒を強めて睨みを利かせていた。

彼奴のスミエラ様に対する悪意・害意は自分にとって隠し様の無い程に“臭う”物だったのだから。


だが、油断をしていた。

そう心から、痛感せずには居られない。

いや、或いは彼奴にとって自分を油断させる事こそが目的だったかもしれない。

スミエラ様に手を出すには自分の存在が何よりも邪魔だっただろうから。



「王子、と言っても実際の地位は王族では第三位…

実父である陛下は兎も角、妹の存在は疎ましく思えて可笑しくないでしょうね」



そう静かに言ったヒエイの言葉通りだと思う。

自身が“庶子”である為に王位継承権が下位になる。

たったそれだけの理由で、彼奴は自身の妹である筈のスミエラ様を排除しようと過去に幾度も暗殺や毒殺、誘拐等を企てていた。

勿論、事が実行される前に突き止めて潰していたし、実行された物も全て阻止しスミエラ様を護ってきた。


とは言え、それだけだ。

スミエラ様には勿論だが、陛下にも、他の家臣達にも自分の命令にて動いていた直属の部下達にさえ。

真実は話してはいない。

今一度自分達が兄妹である事を思い出し、考え直して自らの在り方を悔い改めてスミエラ様を、この国を、民の未来を、真剣に考えて尽力してくれる様になって貰いたかった。

誰よりも──スミエラ様を悲しませたくなかった。

だから、全ては自分の胸に仕舞い込んでいた。


そんな自分の考えは愚かで甘かった。

馬鹿馬鹿しいまでに甘く、戯言に塗れていた。

そう思わざるを得ない。




しかしだ、彼奴は既に己の王位継承権は自ら放棄し、今後はスミエラ様を支えて仕えていくと陛下に対して誓っていた筈。

それは今から六年前の事。

スミエラ様が誕生日を迎え十八歳に成られた時。


それから、ずっと。

彼奴は己の野心を隠し続け機会を窺っていた。

そういう事になるのか。



「よく有る勘違いですね」



静かに、抑揚の無い口調で彼女は言った。

あまりにも淡々とした声で当たり前の事の様に言われ少しだけ苛立ちを覚える。

勿論、それが八つ当たりに近い事だと、頭の片隅では理解をしているが。

ただ、感情が沸き起こる事自体はどうしようもない。

後はそれを出してしまうか飲み込んでしまうか。

大きく分けて言えば、多分その違いだけだろう。


まあ、だからと言って声や態度に出しはしない。

飽く迄も、そういう感情が沸き起こったというだけ。



「…と言いますと?」



その一言に紛れ込ませて、邪魔な感情を吐き出す。

無理に抑えていても結局は溜まって膨らむだけ。

それなら小さな内に密かに出してしまう方が良い。

気付かれなければ他者から不評や不快感を向けられる事も無いしな。

…尤も、彼女は気付いても流しそうだが。

そう考えると子供が家族に愚痴る様に“甘えている”感じに思えてしまう。


恥ずかしさで顔が火照ってしまいそうになる。

だが、何とか気付かれない事を願いつつ、深呼吸して思考と共に羞恥心も外へと吐き出してしまう。

余計な思考は時として己を危うくさせる物だ、と変な形で学んでしまった。


そんな此方の状態を彼女は特に気にする事の無いまま言葉を続けた。



「王位継承権という権利は“何事も無い平常”でのみ成立する権利です

その上で王位継承者が不在という“非常事態”にでも陥れば成立はしません

更に国王が崩御でもすれば緊急性は高まります

早急に国王を選ばなくては他国に侵略の機会を与える事にも繋がりますからね

そうなれば他の公貴族より明確な“血筋”を持つ者が選ばれる事でしょう

それが最も楽な形であり、然るべき形ですからね」



そう言われてしまえば何も言い返せない。

彼女の言った通りだ。

仮に形骸化していようとも国を第一と考えるのならば余計な権力闘争は機を窺う周辺諸国に対し絶好の機を与える自殺行為だと言えるのだから。

それを何よりも避ける為に早急な新王の即位は最優先される事だろう。

その状況になってしまえば個人の理由は出せない。




また国王の崩御という点も意図的に引き起こせる事が可能な辺りが危険だ。

急死であれば疑いも出るが現状の様に御身体を崩して数年経ってから亡くなれば一見しただけでは疑う者は少ないと言えるだろう。

これがもし、スミエラ様に対する謀略を知っていれば先ず疑うのだろうが。


そういった部分でも自分の甘さに腹が立ってくる。

出来る事なら、過去に戻り自分自身を殴りたい。



「仮に、その崩御自体には不審な点が無くても…

元々、体調を崩されていた所に最愛の娘を失ったなら精神的な喪失感は大きく、陛下は生きる気力を失って衰弱する事でしょうね…

漢王朝の最後の皇帝陛下も亡くなられる数年前まではそういう状態でしたので」



そう、彼女が付け加える。

謀略を用いずとも、十分な効果を与える事は可能だと彼女は言っている。

漢王朝の最後皇帝に関して自分は詳しくは知らない。

だが、その悲哀に翻弄され犯した過ちが国と民を蝕み滅亡に追い遣った事。

けれど、最後は皇帝として自らの負う責任を果たし、最後の幕を引いた事。

そして、その意志を現在の魏国は受け継ぐ事。

この三つだけは、魏国から遣って来る商人達に聞いてよく知っている。

その在り方を羨ましく思い感心した事は記憶に新しい出来事だったりする。


だから、彼女の話した事が本当だという事が判る。



「では、この一件の目的はスミエラ様の排除…」



その一言を口にする自体、かなり躊躇われる事だ。

それが判っていても本心は認めたくはないのだろう。

我が事ながら、呆れる程に愚かだと思う。



「それは目的というよりは手段、でしょうね…

彼にとっては単に邪魔者を排除し、大手を振りながら王位を得て、新たなる王に即位する為の通過点…

“自分が得る筈の全て”を手にする事が目的です」


「……っ…」



その言葉を聞いて、思わず奥歯を噛み締めた。

自然と拳を握ってもいる。

治療を受け、布の巻かれた両手がじくじくと痛む。


“自分が得る筈の全て”と確かに彼女は言った。

だが、それには一言だけ、彼女が省いた言葉が有る。

“スミエラ様が産まれさえしなければ…”と。


そう、彼奴の望む物などは最初から存在していない。

庶子として産まれた以上は弟妹が出来れば、継承権が下がる事など“最初から”決まっている事なのに。

それを“奪われた”と思う身勝手さが腹立たしい。

その為に、スミエラ様を、陛下を害そうとする思考も性根も赦し難い。




だが、今此処で、その事を口にしても無意味だ。

沸き起こる激情を吐き出し荒ぶる感情を鎮める。



「…目的は判りました

ですが、そうなると現在、スミエラ様は何処に?」



これまでの彼女の話から、スミエラ様が都の中に居る事だけは理解出来る。

しかし、それだけではまだ自分は動けない。


仮に今、動いたとして──陛下だけは、自分の言葉を信じてくれる事だろう。

だが、確実にスミエラ様を見付けなくてはならない。

万が一、見付けられないと彼奴に自分を牢に入れたり処罰したり、濡れ衣を着せ処刑する理由を与える事に繋がってしまう。

自分の命惜しさではない。

自分だけしか、この事態を“内々で解決”出来無いと今なら判るからだ。

だから、自分が拘束され、動けなくなる様な場合には全てが終わってしまう。

それだけは避けなくては。

その為にも今は慎重に。


じっと見詰めると、彼女は静かに目蓋を閉じた。

一瞬、本の一瞬だけだが、嫌な考えが浮かんだ。

勿論、即座に“違う!”と否定はしたが。

…それは自分の心中に潜む不安が原因なのだろう。

本当に儘ならない物だ。



「…これまでの話を踏まえ貴男が彼の立場だとしたら“どうなる事が”最も望む状況だと思いますか?」


「…彼奴の立場で…」



そう呟きながらも、思考は言われた通りに従う。


今までの話から考えると、彼奴は二重三重に罠を張り徹底して此方を撹乱し──いや、そうじゃない。

自分達が撹乱されている事に間違いは無い。

だが、それは結果的にだ。

彼奴はただ、自分へ疑いが及ぶ事を避けているだけ。

その為に幾つもの誘導策を仕込みを、使っている。

ただそれだけだ。

其処に重点を置いていては見える筈の物も見えない。

そう学んだばかりだ。

もっと、視野を、思考を、広く、深く持つ。


──と、思考の海を照らし閃く一条の光。

その先に有るのは、先程の会話の一場面。

“渇く赤”に関して彼女が自身の見解を話した所。



(…それはつまり、彼奴はスミエラ様を“自分の手が届く場所”に隠している、という事になるのか?…)



そういう考えには至ったが今一自信は持てない。

目の前に座る彼女の力量を直に知ってしまったが故に己の未熟さ・拙さが判り、気後れしてしまう。

勿論、彼女と自分を比べる事自体が間違いである事は重々承知しているが。

…不慣れな事、というのは弱気になってしまう物だと改めて思い知った。




それでも、彼女が今自分に意見を述べる事を求めるのならば言うしかない。

一つ息を吐き、口を開く。



「彼奴がスミエラ様を拐い何処かに監禁しているなら決して他の者の手が及ばぬ場所になるでしょう

彼奴にとってスミエラ様の存在その物が疎ましいなら必ずや自身の手で、因縁に決着を付けようとする筈…

だとすれば、僅かとはいえ誰からも怪しまれる事無く姿を消す必要が有ります

しかし、だからと言って、自身が姿を消してしまえば少なからず疑いを向けられ己が策に気付かれてしまうかもしれない…

では、どうすれば良いか

“他の誰か”に疑いを向け意識を逸らしてしまえば、我々の前から姿を消しても直ぐには気付かれない

特に“渇く赤”や、或いはその“内通者”を疑えば、自然と我々の意識や注意は都の外へと向いてしまう

其処に生じる“死角”こそ彼奴の狙い──かと…」



自分の考えを怯まずに述べ──最後の最後に臆した。


…いや、だってほら、ね?

無理だって、これは。

何と言うか…言い表せない変な緊張感が有るし。

別に考えが間違っていても悪い訳じゃないのにこう…間違えられない様な感じがしてしまう訳で。

…耐えられませんでした。


そんなこんなで言い切ると一旦彼女から視線を外して静かに深く息を吐く。

物凄い重圧感が有ったな。


──と、ぱちぱちぱち…と拍手が聞こえてきた。

顔を戻せば、笑顔を浮かべ彼女が上品な仕草で静かに拍手をしていた。

思わず茫然としてしまう。

その間に拍手は止み、再び沈黙が訪れた。

尤も、それは僅かだが。

彼女自身により破られる。



「貴男の推測通りでしょう

そして、彼女の監禁場所は“連れ去られた”と考えて誰しもが無意識に候補から外してしまう場所…

つまり、王宮の中です

だからこそ、彼は捜索隊を──いえ、貴男を、都外に追い出したい筈です

彼にとって、唯一天敵だと言える貴男を、です」





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