弐
“心静かに、意識を研げ”と自分に言い聞かせながらヒエイを真っ直ぐに見る。
此方の“準備”が出来たと察すると彼女は口を開く。
「二つ、確認しておきたい事が有るのですが…
現在、彼女は王宮内に戻り生活を送っていますか?」
「え、ええ…以前は自分の家で生活していらっしゃいましたが、陛下が御身体を崩されてからは王宮に戻り近くで過ごされる様に…」
その質問には少し戸惑う。
事実には間違い無い。
ただ、意外な質問だったし内容が内容だ。
変な誤解をされないか、と考えてしまった。
勿論、そんな風には彼女は誤解しないとは思うが。
「成る程…では、此処三年という事ですね…」
「──っ…」
思わず、息を飲んだ。
それは自分に対する確認の言葉ではなかった。
問い、ではなく核心を得た一人言、なのだから。
その一言を聞いただけで、目の前に座る女性が普通の商人ではないという事を、改めて感じさせられる。
何しろ、陛下の不調の件を他国に対して公表する様に為ったのは一年程前の事。
それ以前の二年間は外には一切漏らしてはいない。
つまり国の極秘情報だ。
それを、彼女は当然の様に知っていた。
となれば、彼女の魏国内の立場は相当に高い事になり魏国はローラン国の内情に詳しいという事にもなる。
自分の一言一句が何れ程に重要な意味を持ってくるか今更に思い知らされる。
「もう一つ、昨夜の彼女の様子を知りたいのですが…
昨夜、彼女と最後に会って何かしらの話をした人物は誰でしょうか?」
「それは…陛下、かと…」
彼女の質問を聞いて直ぐに陛下である事は言えた。
だが、一瞬だけ躊躇った。
それは話の流れとしては、真犯人に近付いていく事になっているのだから。
だから、此処で陛下の事を聞かれ──考えてしまえば反射的に“最悪の真相”が脳裏に浮かんでしまっても仕方が無い事だと思う。
疑っている訳ではない。
ただ、一つの可能性として考えてしまっただけ。
其処に他意は無い。
しかし、罪悪感の様な物が胸を締め付けてもいる。
…儘ならないものだ。
「御心配要りませんよ
国王陛下が彼女を害する事なんて有り得ませんから
今のは単なる事実確認です
他意は有りません」
「…顔に出てますか?」
此処に来て、と思われても仕方が無いとは思う。
ただ、確認したかった。
もし、彼女から見て自分が“判り易い”のであれば、無理に隠そうとする行為は無意味でしかない。
それなら素直に有りの侭で話をした方が気楽だ。
開き直る事も出来るしな。
「…率直に言えば、貴男に演技は向いていませんね」
「…そうですか」
苦笑しながら言った彼女の言葉を聞いて項垂れる。
“今までの自分の頑張りと苦労は一体…”と思うも、一方では気持ちがスッ…と楽にもなった。
張り詰めていた緊張の糸が適度に緩んだからなのか。
或いは、単純に“味方”と信じられる相手を得たからなのかもしれないが。
少しだけ、先程までよりも視野が開けた気がする。
…気分・気持ちの問題なのかもしれないがな。
其処は重要ではない。
開けた視野は見えていても見えていなかった部分へと意識を広げてくれる。
それが重要なのだから。
「話を戻しますが…
その時、陛下は彼女に対し何かしら違和感を感じた、という類いの事は仰有って居られましたか?」
「…いいえ、特には何も
いつもの通りだったと…
そう仰有られました…」
「そうですか…」
そう答えると彼女は小さく納得する様に頷いた。
…その様子を見ている限り彼女にとって、今している質問は全て確認をする為の作業なのだろうな、と。
その様に思えてしまう。
「因みにですが、御二人の会話の内容は御存知で?」
「いつも通り、一日の中の出来事や他愛無い世間話、後は…先程も言った通りの話題を少し、だそうです
一昨日の夜は貴女方の事も話題に上がったそうですが昨夜は接触が無かった為、話題には為っていません」
自分に対する愚痴の域には届いていない様だが陛下も直々に遠回しにではあるが催促をしている。
まあ、上手く躱されているというのが実態だが。
当のスミエラ様自身、全く結婚願望が無いという事は無いみたいではあるが。
…本当に難しい問題だ。
「…成る程、やはり本当に父娘の何気無い日常会話、という事みたいですね…」
予想はしていたのだろう。
其処に手掛かりになる様な内容は含まれてはいない、という事を。
自分も質問には答えながら考えてみているが、昨夜の御二人の会話に手掛かりが有るとは思えない。
本当に、普通の世間話だ。
「…さて、それでは順番に考えて行きましょうか」
確認したい事を聞き終えて彼女が個人的な“見解”を語り始めようとする。
“順番に考えて…”という言い回しをしている辺り、ただ話して教えるつもりは彼女には無いらしい。
“話をしながら手掛かりを与えるから自分で考えて、答えを導き出しなさい”と言われている気分だ。
…いや多分、実際に彼女はそのつもりなのだろう。
自分達が表立って関わらずこの一件を無事に解決へと導こうとすれば、彼女達に代わって“主導する役”が必要になるのだから。
それが、他でもない自分、という事になる訳だ。
…重荷所の話ではないが、今は文句を言っている暇も惜しい状況。
大人しく受け入れる。
そして必ず成してみせる。
「先ず、彼女は陛下と話し終えると自室に戻った
間違い有りませんか?」
「はい、間違い有りません
自室に戻られた後、侍女が着替えを手伝い終えてから退室していますので」
「彼女が行方不明になった事に気付いたのは…
翌朝、同じ様に御着替えを手伝う為に、部屋を訪れた侍女の方ですか?」
「はい、より正確に言えば不在だった為、一旦部屋を出てから部屋の前で御戻りになるのを待っていて…
あまりにも長い事を不審に感じた為に報告をした後、城内から出たという目撃は全く無かった事も含めて、“何者か”により極秘裏に連れ去られた、と…」
そう言いながら、気付けば“渇く赤”だけではないと意識が変わっている自分に胸中で苦笑を漏らす。
可能性という意味では今も有り得る事だというのに、何ともまあ、単純と言うか…可笑しな物だと思う。
あれだけ彼等に違いないと思っていたのに、だ。
だが、逆も同じだろう。
彼女の言う“真犯人”に、自分達は容易く乗せられて操られていた訳だから。
思い込みとは恐ろしいな。
そう思い知らされる。
「その後、陛下に報告され都外へ出る事が勅命により禁止されて、三つの門扉を封鎖しつつ貴男方が都内を捜索する事になる、と…
簡単に説明すれば、それが一連の流れですね?」
「その通りです」
流れとしては間違い無い。
問題は、その流れの何処に手掛かりが有るのか、だ。
「…では、ビュレエフ殿
貴男の既に自らの言葉にて矛盾を口にしているという事に御気付きですか?」
「………え?」
話の流れだけではなくて、思考の流れまでをも読んで彼女は話し掛けてくる。
その絶妙の間合いによる、的確な指摘に思わず思考は停止し、茫然となる。
だが、何度も似た状況下を経験していれば、立ち直る早さも身に付いてくる。
呆けているのは一瞬だけ。
直ぐに、“自分の中に有る常識的な思考”を捨て去り極々単純に、彼女の言葉と素直に向き合う。
そうする事で、答えまでは辿り着けずとも茫然として聞くだけの形にはならない様にする事が出来る。
…情けなく思えるだろうが今の自分に出来る精一杯の対応には間違いない。
戦働きとは違って、経験を積み難い事だからな。
仕方が無いと思う。
「先程貴男は昨夜、彼女が最後に会話をした人物は、陛下だと話されましたが…
普通に彼女の性格・人柄を考えたならば、昨夜最後に会話をしたのは御着替えを手伝った侍女の方の筈…
その事は彼女と長い時間を共にする貴男の方が私よりずっと御存知なのでは?」
「──っ!」
言われてみて、判る。
そうだ、スミエラ様ならば着替えを手伝う侍女とでも気軽に話をされる筈だ。
いや、と言うか、愚痴る程気安い事だろう。
陛下から結婚関連の催促を受けた直後であれば部屋で“お父様もしつこいのよ、私だって結婚願望が無い訳ではないんだから、少しは理解して欲しいわ”なんて不満気に愚痴る筈だ。
容易く想像出来る程度には自分も愚痴られているし。
勿論、流石に誰にでもとは言わない。
そういう事を言える程度に信頼が有る相手に対してに限られている。
そして現在、スミエラ様の御世話を務めている侍女は僅かに四人だけ。
その四人何れもが信頼され五年以上仕えている。
つまり、愚痴を言わない事自体が考え難いのだ。
…いや、愚痴ではなくても話をしないという事自体が有り得ない事だろう。
もし、スミエラ様が会話も無いままであれば侍女達は心配する事だろう。
一人何かを悩んでいたり、思い詰めている様であれば必ず声を掛ける筈だ。
仮に、スミエラ様御自身が“気にしないで、大丈夫”等と仰有れば、当然、近い立場でもある自分の元に、或いは陛下の方に秘密裏に話が行く筈だ。
そうなってはいないのならスミエラ様に昨夜の時点で変わった様子等は無かったという事になる。
「昨夜と今朝、彼女の元を訪れた侍女の方が同じ方かどうかは判りませんが…
其処の点は然して重要では有りません
仮に複数名であるのならば同じ方に御仕えする身…
御互いに気付いた事などを伝え合うでしょうからね
王族の身の回りの御世話を任されている身ともなれば必要不可欠な事です
また彼女の性格・人柄では信頼出来無い人物を傍らに置くとは思えません
となれば、当然、御世話を任されている侍女は信頼を置いている方でしょう
それならば尚更に、彼女の事を気遣う筈です
今朝、御部屋に行ってみて不在だったというだけでは慌てたりしない辺りからも彼女の事を言動面も含めて理解されている筈…
既に貴男も察しているとは思いますが、以上の事から昨夜の彼女に特に変わった様子などは無いという事がはっきりします
勿論、陛下との会話の方も問題は無いでしょう」
「限り無く無いであろうと思われる“家出”の類いの“自分の意思で城を出た”線は全て消えます
仮に深夜の城内で不審者を見付けたとしても単独での追跡・対応を選択する程、彼女は無茶はしません
己が力量を過小評価しても過信・過大評価をする事は無いでしょうから…
必然的に除外されます」
確かに、そうだと思う。
正義感・責任感は人一倍の男勝りな御方では有るが、決して無茶は為さらない。
それは御自身の言動が齎す影響力を理解されているが故の責任と自覚からだ。
「それらを踏まえて彼女が“何者か”によって昨夜、連れ去られた事は確か…
とは言え、陛下や侍女達の関与が完全に無くなったと断言は出来ません
飽く迄も、現時点で関与の可能性は限り無く低い、と思っておいて下さい」
それは“決して油断せず、完全に消えない限り全ての可能性を考慮して下さい”という意味だろう。
つまり“スミエラ様の事を最優先に考えましょう”と彼女は言っている訳だ。
それ以外は全て後回し。
判断を鈍らせるだけだと。
彼女を真っ直ぐに見詰め、しっかりと頷き返す。
「では、此処で改めて一つ御訊ねします
昨夜、彼女と最後に会話をしたのは侍女の方…
だとすれば、昨夜、彼女を“最後に目撃した人物”は別の方ですよね?」
「──っ!!」
それは本の小さな違い。
言葉の、印象の、違い。
しかし、実際にはこうして言われるまで全く気付かず疑いもしなかった。
確かに彼女は最初に自分に“目撃されてから”と訊ね自分は肯定した。
その後、“会話をした”と訊ねられて答えながら──知らず知らず頭の中では、“同じ”様に考えていた。
だが、実際には違う。
昨夜、スミエラ様と最後に会話をした人物と、最後に“目撃した”と言っていた人物は完全に別人だ。
そして、理解する。
其処に隠された悪意を。




