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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
539/915

        玖


愛紗と共に宿に戻ったら、寝台の上で薄着で寝ている翠が目に入った。


見張り役という訳ではないのだろうが、椅子に座って本を読んでいた螢が慌ててどうしようかと狼狽える。

既に見られた以上、今から誤魔化す事は出来無い。

だからと言って、このまま眠っている翠を放置する、というのも可哀想。

起こすべきなのか、或いは放置するべきなのか。

その選択の狭間を右往左往しているのが、よく判る。


そんな螢と翠の姿を見て、右手で蟀谷を押さえながら怒鳴ろうとした愛紗を手で制して、翠に近付く。

まあ、お仕置き、という訳ではないんだが…少しだけ意地悪──と言うか、悪戯してみたくなった。


下手に気配を消したりせず現状のままで、ゆっくりと静かに翠に近付いていき、左向きに身体を丸める様に寝ている翠の背後に立って──押さえ込む様に一気に襲い掛かる。



「──っ!?、んん゛っ!?、ん゛ん゛んん゛ーっ!!!!」



身体に異変を感じて直ぐに目を覚ますが、手足は勿論口も塞がれている為に声も籠ってしまう。

身体を丸めていた事により手足は纏めて拘束されて、身動きが取れない。

それだけで、自分を押さえ込んでいる相手が自分より格上、良くて同等だろうと当たりを付けられる筈。

となれば、氣を使って脱出するしかなくなる。


──が、翠は抵抗を止めて声を上げる事も止めた。

…どうやら、バレた様だ。



「むー…もう少し慌てると思ったんだけどな〜…

何で、判った?」



口を押さえていた右手だけ外して両腕で背後から抱き締める格好で訊ねる。

すると、翠は顔を動かして左肩越しに俺を睨む。

が、余計な事は言わない。


目尻に涙を浮かべている為若干の罪悪感は有るのだが元はと言えば昼寝していた翠にも非がある訳で。

その自覚が有るからこそ、文句は言わずに睨み付けて視線で抗議している。

もしも今、文句を言ったら愛紗からの御説教が来ると理解しているからな。

これが二人きりだったら、文句を言いつつ拗ねた体で甘えてくる所なんだが。



「…匂いや身体の温もりや感覚で判るっての…

どれだけ一緒に居て身体も重ねてると思ってんだよ

……後はまあ、その…指の感触っていうか、な……」



なんて、言い返される。

確かに小細工しているって訳でもないから皆だったら十分に気付けるよな。

逆でも気付くだろうし。


ただね、翠さんや。

其処で“指の感触云々”はちょっと不味いですよ。

いや、別に“俺の気分が”とかって問題じゃなくて。

格好が格好だから少し位は流されそうになる気持ちも理解は出来るんだけど。


“二人きり”じゃないって判ってますよね?



「………ぁ゛…」



そう心で訊ねた直後だ。

翠が小さな悲鳴を漏らして顔を青ざめさせたのは。


俺達の傍らに立っている事だろう赤面黒怒髪の夜叉。

その姿を双眸に映して。




室内──と言うか、愛紗が落ち着きを取り戻してから程無くして、部屋の前へと人の気配が遣って来た。

コンコンッ…と小さ過ぎず大き過ぎないノック音。


ノックの風習は宅の商人を介して西域諸国に広まり、定着してきている。

何気に、こういった作法は馴染みがなかった事も有り要人の関心を引き、意外にあっさりと受け入れられる結果となった。

まあ、デメリットが殆んど無い作法だからね。

直ぐに実践出来る事なのも一因ではあるかな。


ノック音を聞いて、愛紗が此方を見てくるので小さく頷いて見せる。

それを受けて愛紗はドアに向かい、翠と螢は壁際へと移動して部屋の中央に有る卓と椅子から離れる。

会談の邪魔にならない為、遣ってくるビュレエフさんに対して威圧感・圧迫感を感じさせない為の配慮だ。


愛紗がドアを開けると彼が其処に立っていた。

愛紗とは先程一緒に居たし互いに顔を認識している。

その事も有って愛紗に彼の出迎え役を任せた訳だ。


愛紗が会釈をすると、彼も愛紗に会釈を返す。

こういう時、共通意識上の礼儀作法が有れば、万が一言葉が通じなくても互いに最低限の敬意を示し合える事が出来るのは良い事だと個人的には思う。

例え、腹の中では悪感情を抱いていたとしても無礼な振る舞いさえしなければ、対外的に見て険悪な関係に陥る事態だけは少なからず避けられるだろう。

露骨に表情や態度に出ては無意味な事では有るが。


愛紗が身を引き、室内へと彼を招き入れる姿勢を取る事により、丁度愛紗の姿に隠れていた自分の姿を彼が視界に映した。

それを確認して座っていた椅子から立ち上がり、彼に対面の空いている椅子へと笑顔を浮かべて右手を向け座る様に促す。

その意図を察すると愛紗にもう一度会釈をして室内に入ってくる。


彼が完全に自分から離れた事を確認して愛紗はドアを静かに閉じる。

此処で廊下へと顔を出して左右を確認する様な真似は警戒とは呼べない。

迂闊な行為だと言える。

第三者から見ても不審だと印象を持たれてしまう事は不用意に不信感や疑惑等を相手に抱かせてしまう事に繋がってしまう為だ。


尤も、そういう事を言える理由には氣を使える事や、気配を読み取る技術が高いという事が有るが故。

そうでなければ、追跡者や監視者の有無を知る為にも視覚による確認をする事は悪いとは言えない。


前提条件が違えば価値観の基準も変わってくる。

ただ、それだけの事。




ビュレエフさんが座るのを見届けてから自分も椅子に座り直す。

愛紗は翠達と同様に壁際に立つが、彼の視界内に入る位置を三人共に心掛ける。

下手に視界から姿を消せば不安感や警戒心を生むし、俺の背後に並んで立っては威圧感を生んでしまう。

だから、彼の視界の端に、然り気無く景色の様に佇む事が望ましい。

勿論、リアクションしない様にする事も含めてだ。


本来であれば、来客に対しお茶の一つも出す所だが、生憎と此処は異国の地。

“無い物”を、当たり前の様に出してしまう事の方が可笑しかったりする。

という理由から、卓上には何も無い状態。

都合良く御菓子が有るのも怪しまれるか、“まさか、読まれていたのか?”等と警戒心を強めてしまう事に繋がり兼ねない。

一応、一度会った後だから用意して有っても可笑しい事だとは彼も思わないかもしれないが、気を遣わせたという風に感じられるのも此方としては不要な事。

そういった諸々の事情から何も用意はしていない。

純粋に、話し合う事にのみ集中する為にも、だ。



「先ずは、御苦労様です

上手く“言い訳”が出来た様で私も安心しています」



労い、であると共に軽めの皮肉を交える。

勿論、本気ではない。

空気が重くならない様にと気を遣っての冗談。

彼の様に真面目な人柄では自分から場の空気を解せる冗談は言えないだろうし。

何より、この場は敵地──此方に優位な場所。

彼が空気を軟化させるのはかなり難しいだろうしな。


そんな此方の意図を察して彼も苦笑を浮かべながら、大きく息を吐く。

強張っていた表情と身体の力が抜けてゆくのが判る。

臣下としては信頼の出来る忠臣気質だが、色々背負い潰れてしまい勝ちな質のも忘れてはならない。

曾ての愛紗みたいにな。



「…幸いにも、と言うべきでしょうか…

貴女方は魏国から来た商人ですからね

適当で尤もらしい理由ならそれなりに思い付きます」


「それは何よりです」



苦笑しながら言う彼に対し揶揄う様に笑顔で返す。


お互いに今から話す内容が重要である事は言わずとも理解している。

だからこそ、思考は勿論、周囲への意識(けいかい)も怠らぬ様にある程度は心に余裕を持って臨む。

此処での小さな油断が後に大きく致命的な穴を生む事に為らない様に。




小さく一息吐くと、適度な緊張感を持った表情で彼は此方を見詰めてくる。



「…では、先ず始めに

現在、都内に存在している全ての者に対して都の外へ出る事を一切禁止している状態です

…国王陛下の勅命により」



…予想していた通りだが、成る程、そういう事か。

現状の報告とは違い後者の“国王の勅命”という点を彼は言い淀んだ。

その僅かな逡巡の意味する所は“その真偽が不確か”だからなのだろう。



(…確か、現国王は体調が優れなかった筈だしな…)



勿論、勅命を出すだけなら漢王朝の時の仕組みよりも容易いだろう。

それは国の、組織の規模が違うから当然でもある。


ただ、この件で重要なのは其処ではない。

組織形態の違いも一因だが現国王が病床に伏している状態ならば、国王に対して報告を上げる人物の匙加減一つで、国王から望む形の勅命を引き出す事も決して不可能な事ではないという事実の方だ。

ビュレエフさんもその事に気付いているからこそ俺に話す事を逡巡した訳だ。

それは自国の問題であり、恥を曝す事にもなる。

それでも俺に話してくれた理由は昨日の件が有る為。

先手を打っただけの価値は有ったって事だな。


──で、その問題に関してなんだけど…当然、それが出来る人物は限られる以上簡単に絞り込める。

問題は目的が何か、だな。



「それは事実上の出国禁止という事ですね?」


「…はい、そうなります」



それが、どういう意味か。

どういう影響を齎すか。

彼は理解をしている。

だからこその緊張だろう。

中々に辛い立場だな。


取り敢えず、事実確認から始めていく事にするか。

流石に単刀直入過ぎるのも問題だからな。

宅の奥様方が相手だったら省きに省いても互いに理解出来るんだけどね。

まあ、場合によっては彼の思考を誘導しておく必要も出て来るだろうしな。

順々に片付けていこう。



「長期に渡っての足止めは私共も困りはします…

ですが、直ぐに直ぐ両国の関係に影響を及ぼす事には為らないと思います

飽く迄、私共個人ですが、問題解決の一助と為るなら出来る限りの範囲でですが御協力致します」


「っ…有難う御座います」



俺の言葉に彼は両手を卓に置いて額を打ち付ける様な勢いで頭を下げる。

若干、胸が痛む気がするが気にしない様にする。


ある意味、“細々した事は私共の胸の内に留めます”という風にも取れるしな。

勿論、明言はしてないから実際にそんな必要は無い。

だからと言って言い触らすつもりも無いけどな。





「今から幾つか質問させて頂いても構いませんか?」


「はい、自分で答えられる事で有れば、全てを正直に御話し致します」


「有難う御座います」



此方の要望を聞きて直ぐに快諾するビュレエフさん。

その迷いの無い姿に胸中で少しだけ驚いている。

…気付かれてはいないな?

大丈夫、そうじゃないな。


という事は、単に魏内での俺の発言力が高いと感じて少しでも協力を得たいって所なんだろうな。

本当、深い愛国心が有るし良い人材だよな。



「先ず、外出が禁止された事は判りましたが、都内に入る事に関しては如何様な指示が出ていますか?」


「其方らに関しては禁止はされてはいません

ですが、新たに入った者は一時的にでは有りますが、隔離・監視されます」



隔離までする、か。

それ程の事態となると結構国政にも深く関わってくる問題だって事だよな。

…このタイミングで、って事が気にはなるな。



「随分と厳重ですね…

“渇く赤”が関わっているという事でしょうか?」


「──っ…」



大きくは反応しなかったが無反応ではなかった。

昨日・一昨日と有ったからある程度の心構えは彼にも出来ていた事だろう。

ただ、場数の違いが反応に出てしまったがな。


これなら、もう少し攻めて揺さ振ってみるか。



「…ふむ…その様子ですと確信が有る、という訳ではなさそうですね…

飽く迄も、関与をしている可能性が有る、という所が妥当でしょうか…」


「──っ!!」



彼から視線を外して俯き、まるで集中して考えながら無意識に呟く独り言の様に見せて反応を窺う。

視線が外れた事に無意識に気が緩んだ様ではっきりと反応が表情と態度に出た。


その様子を静かに見詰める愛紗達が彼に対し同情する気配を感じ取る。

まあ、判っている者にして見れば俺が苛めている様に見えなくもないしな。

仕方が無い事だ。




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