捌
other side──
ゆらり、ゆらり、ゆらり。
いつもの様に見ている夢。
其処に、今日は珍しい事に“景色”が映る。
それは水面へと映り込んだ風景の様に、ゆらゆらと。
風も波も無いのに揺れる。
だが、面白いのは映るのが水面ではないという事。
いつもの様に、沈んでゆく事には変わらない。
だから、本来ならば水面は上に有り、遠ざかる物。
当然、映り込む景色も。
しかし、景色は上には無く自分の身体の周囲を回り、巨大な輪の様に帯状の形で存在していたりする。
不思議と言えば不思議。
けれど、これが夢であると判っている以上、その事を特別だとは思わない。
何故なら夢の中でならば、あらゆる事の可能性は限り無く存在するのだから。
ただ、それとは違う意味で不思議には思う。
今まで、ただの一度として深い深い闇に沈む事以外は何も無かった夢。
その夢が、何故今日に限り違っているのだろうか。
そう考えた時に脳裏に思い浮かぶ姿が有った。
その要因とは“彼女”なのかもしれない。
何と無く、ではあったが、間違いではないと思う。
“彼女”の存在は、とても大きな意味を持つ。
それ程に特別なのだから。
だとすれば、もしかしたら今の“この夢”を見る事もこれから先は少なくなって──軈て、全く見なくなるのかもしれない。
それはそれで良い事、なのかもしれない。
こんな訳の判らない夢など見ている必要性が判らない夢なのだから。
…ただ、少しだけ寂しいと思ってもしまう。
確かに、今でも意味不明で訳の判らない夢である事に間違いは無い。
しかし、今までの現実での自分にとっては嫌な事等を忘れさせてくれていた事も間違いではない。
何か悪い影響を受けていたという訳でもない。
夢見が悪くて全く眠れないという事も無い。
寧ろ慣れてしまってからは目覚めた後、心身が軽くて気分も良い位だった。
そう、拒絶する理由なんて自分には思い付かない。
それなのに、何故だろう。
脳裏に“彼女”の姿が思い浮かんだだけで、この夢が“終わりを迎える”のだと感じてしまう。
それが正しいのだと。
それが良いのだと。
“彼女”が訴える様に。
けれど、一方で自分の中で“それが本当に正しくて、本当に良い事?”と訊ねる自分が有る。
…判らない。
何方らが正しく、良いのか自分には判らない。
何故、そんな事を考える?
何故、そんな必要が有る?
何故、そんな選択をする?
疑問だけが繰り返され──その思考すらも拒絶して、眠る様に、沈み続ける。
ただただ、深く、深く。
ただただ、沈む、沈む。
果て無き眠りへと。
ただただ、身を委ねて。
ただただ、心を解して。
果て無き優闇へと。
──side out
──四月二十八日。
ローラン滞在三日目。
まあ、初日は滞在と呼んで良いのか微妙ではあるが、旅行の予定でいう三泊四日にだって、初日は移動して現地入りし宿泊するだけの事でも一日・一泊の計算に成る訳ですからね。
間違いとは言えません。
まあ、滞在時間で言えば、48時間経ってはいない為滞在二日目と言っても一応間違いでもないでしょう。
誰も気にしない事だが。
「体感的にはどうだ?」
そう訊ねた相手は俺の左を歩いている、フード付きの外套をしっかりと着ている愛紗だったりする。
フード、と聞くと宅では、真っ先に桂花が思い浮かぶ事は仕方が無い。
常用するあの猫耳フードは今の彼女のトレードマークになっているのだから。
因みにだが、同型フードが一部では密かに流行中。
特に、一桁の年齢の子供を中心として拡大中だ。
…いやね、ほら、アニマルパジャマって可愛いから、現在の曹魏の環境だったらそれなりに売れると思って発売してみたら、思いの他好評だったんですよ。
当の子供達は勿論だけど、父母・祖父母・兄弟姉妹・親戚や友人…等々。
幅広く評判でしてね。
現在品切れ状態なんです。
生産元は仲以の所だけど、流石にそればっかりを作る訳にはいかないからね。
やっぱり“可愛いは正義”だって事なんだろうな。
…因みの因みに、桂花にはまだ、知られてはいない。
知られたら…まあ、何かは強請られるだろうな。
「慣れたのでしょうか…
昨日よりは楽に思います」
愛紗の言葉で我に返る。
右手を外套の下から出して外気──熱気に晒す。
そのまま数度、掌を開いて閉じてを繰り返す。
昨日は日陰に居ても自然と肌に滲んでいた汗が、今はそうしていても滲まない。
普通は其処まで早く環境に適応は出来無いが…まあ、日々の鍛練の成果かな。
色んな条件下での戦闘とか遣ってるしな。
「それなら良いが…
外は此処より過酷になるし油断は禁物だからな?」
「はい」
そう言って注意しておく。
昨日は都の中を彼方此方と歩き回っては見たが、特に可笑しな点は無かった。
その為、今日は都市外──城壁の外を調べて回ろうと愛紗と向かっている所だ。
翠と螢は留守中に何かしら動きが有った場合に備えて宿屋で待機中。
昨夜、俺の同行者決定には愛紗と翠による約十分もの猜拳大会が行われた。
留守側の指揮役である螢は関係無い為、全く気にせず俺に甘えていたが。
…勝敗を分けた要因?
翠のちょっとした油断と、可愛らしいドジでした。
愛紗と共に都に有る三つの出入口である外壁の門扉、その一つの南門に向かう。
──と、妙に騒がしいのと人が多い事に気付く。
「…あれは…兵士ですね
何か有ったのでしょうか」
そう愛紗が呟いた通り。
南門を前に検問をしている警察官の様に多くの兵士が武装した状態で立ち並ぶ。
勿論、それだけだったなら犯罪者──不法入国だとか違法品の密輸出入だとかを厳しく審査・検挙しているという風に受け取れない事もないだろう。
だが、明らかに違うのだと彼等の纏う雰囲気、周囲を覆う空気が物語っている。
張り詰めた緊張感。
憤怒と困惑の入り混じったはっきりとはしない感情。
其処から窺い知れるのは、“何かしらの事件”が起き犯人が逃亡・潜伏している可能性が高い、という程度の事だろう。
「…どうしますか?」
そう訊ねる愛紗の気持ちも理解は出来る。
“目立たない様にする”と俺が先に言っている以上、下手に首を突っ込む真似は控えるべきだろうからな。
だからと言って、今此処で直ぐに引き返す様な毎度は怪しい様にしか見えない事だろうしな。
「…取り敢えず、興味有る体で近付いてみるか
野次馬っぽい感じでな」
「野次馬、ですか…」
言葉の印象的に抵抗が有る様子の愛紗は僅かに眉根を顰めながら呟く。
まあ、根が真面目だから、“野次馬根性を見せろ!”なんて言われても困るのは判らないでもない。
ただ、広い意味で言えば、野次馬根性とは好奇心だ。
だから、そう意識を持てば意外と抵抗は減るものだ。
「暫く寄ってはいなかった甘味処の前から長蛇の列が延びていると思えばいい
“一体何が…新作か?”と興味を持つ様な感じだ」
そう例えを出してやる。
すると、若干顔を赤くした愛紗に小さく睨まれた。
「…成る程、と思える位に判り易いのですが…
まるで“そうしている私”の事を何処かから見ていた様に感じるのですが?」
ああ、成る程な。
どうやら今の例えが具体的過ぎたらしい。
“一度位は有るだろう”と思って言った事だから別に可笑しい事ではない。
しかし、愛紗にしてみれば“覗き見”されていた様で恥ずかしいのだろうな。
「心当たりが有るのか?」
「っ…知りません!」
口元に笑みを浮かべながら揶揄う様に言えば、愛紗はプイッと顔を背ける。
リアクションは目立たない様に控え目だが。
実に可愛らしい事だ。
一歩分の間隔を置きながら後を付いてくる愛紗の姿に胸中で微笑む。
ただ、意識は件の兵士達の集まっている南門の方へと向いている。
流石にじっくりと舐め回す様に見る事はしない。
姿を隠していたとしても、その視線を気取られる様な真似は絶対にしない。
尾行・張り込みの基本だと隠密衆に教えている以上、俺自身が下手をする訳にはいかないからな。
尤も、態と気取らせるなら話は別なんだけどね。
特に焦りもせず、普通に、歩いて近付いてゆく。
すると、此方に兵士達の内何人かが気付いた。
顔は初見だが、気配だけは覚えている。
昨日、宿屋にて此方の事を見張っていた者達だ。
その内の一人が、その場を離れて兵士達の奥に消えて──ああ、成る程な。
まあ、確かに彼も居るか。
入れ替わる様に姿を見せたビュレエフさんが兵士達の一団から離れて此方に向け小走りに近付いて来た。
「おはようございます
今日は共の方と御出掛けに為られているので?」
「ええ、昨日は暑さもあり部屋で休んでいましたから少しは気晴らしに、と思い連れ出している次第です」
──と、散歩している体でビュレエフさんに答える。
もし烈紅達を連れていたら言い訳としては苦しい。
だから、愛紗と二人だけ、表向きの武器も宿の部屋に置いて来ている。
一旦外にさえ出てしまえば周辺の探索をするだけなら自分達の足だけでも十分。
下手に遠乗りなんかしたら目立つだけだしな。
と言うか、賊徒に襲われて二日しか経っていないのにそんな事をしているなんて“私を怪しんで下さい”と言っている様なものだ。
或いは、“あまりの恐怖に頭が可笑しくなったか”と思われる事だろうしな。
「そうでしたか」
納得した様に笑みを見せるビュレエフさんだが、彼は嘘や演技が下手だ。
俺の基準では、と前に一言付いてはいるがな。
「何か御忙しそうですね」
と一言だけ言って、視線を左へとずらし、彼の背後の門扉へと向ける。
その視線に釣られる格好で彼が一瞬だが、後方に顔を向けた瞬間に間合いを詰め互いに肘が曲がったままで十分に相手の身に手が届く距離へと近付く。
「──っ!?」
顔を此方に戻した彼が驚き反射的に後退ろうとした、その瞬間に視線を交える。
それだけで、彼は無意識に身体を硬直させた。
別に殺気も、闘気も特には使ってはいない。
単なる眼力と呼吸の間。
それだけで、一瞬程度なら人の動きは制する事は可能だったりする。
ビュレエフさんが我に返り何かしらの反応をするより早く此方から仕掛ける。
「表情や態度はそのまま、世間話でもしている感じを装っていて下さい…
“貴男も”監視されているみたいですから」
「──っ!!」
そう言うと彼は驚いたが、僅かに目を見開いただけに反応を押し留める。
その精神力には拍手。
“判りましたか?”と目で問い掛ければ、本の僅かに顔を縦に動かして首肯。
「此処ではゆっくりと話す事も出来無いでしょう
何かしら適当な尤もらしい理由を付けて宿の方に来て頂けますか?」
そう訊ねると言葉に幾らか刺が混じってしまった事に彼は苦笑を浮かべた。
でも、事実だからな。
つい言ってしまったが。
「私達はもう少し街を見て回ったら宿に戻ります」
「…判りました
詳しい事は、その時に…」
彼の真剣な眼差しが十分に物語っている。
今起きている事は此方にも影響が有る事なのだと。
「では、頑張って下さい」
そう笑顔で言うと、苦笑を浮かべて一礼して兵士達の方へと戻って行く彼。
表向きの“お仕事を”と、裏の“誤魔化しを”という二つの意味での応援。
それに気付いたからだ。
「…予定は変更ですね」
「そうなるな」
俺達の雰囲気と、彼に対し向けられている視線も有り愛紗も察したらしい。
勿論、彼方側に気付かれる様な事は無い。
宅の中で言えば嘘や演技は下手な方だが、他国でなら一線級の駆け引きは出来るだろうからな。
「…あまり良い雰囲気では有りませんね…」
「俺達もそれなりに色んな争乱や謀略の雰囲気を経験してきてはいるが…
少し違った感じだからな」
「気を抜けませんね」
異国だから、ではない。
確かに文化・風習・歴史は価値観に影響する。
だが、それだけではない。
複雑に絡む糸。
それが問題だ。




