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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
534/915

        肆


“それは事実ですか?”と訊かれない様にする為に、敢えて“笑い話になる”と確信してはいない様な体で思考を誘導する。

もし仮に違和感を抱いても“これ以上の追及は無駄”という意思表示として受け取る事も出来る。

違和感を覚える程の者ならそういう風に思慮が十分に及ぶ事だろうしな。



「そういった訳で、私共が帰還していない商隊の元に伝える為に出されました」



そう言って、少々強引だが話題を流しに掛かる。

勿論、今の一言を聞いたら抱く疑問が有る事だろう。


魏王が民の安全を第一とし商隊の帰還命令を出した。

それは理解出来る筈だ。

だが、そうなると伝令役の俺達が少数──僅か四人で行動している点が矛盾し、明らかに可笑しい、と。

実際、本当に全ての民への安全を最優先しているなら俺達の行動は有り得ない。

もっと、しっかりと人数を揃えた一定以上の軍隊にて商隊を出迎えるべきだし。

とは言え、そんな風に事を運んでしまえば西域諸国に要らぬ警戒心や緊張感等を生み兼ねない。

それを避ける為に、少数で極秘裏に、と考えれば一応納得が出来る筋は通る。

真偽は別問題としても。


ただ、ビュレエフさんからしてみれば、これ以上先に踏み込む事は出来無い。

自国の、民の未来を真剣に憂い思っているのであれば殊更に自身が直面している問題が如何にデリケートな事なのかを感じ取れる。


後一歩、先へと踏み込めば真実に手を掛けられる。

しかし、その瞬間に自分は自国の為ではなく、魏国を最優先しなくてはならない立場へと変わってしまう。

両国が戦争をすれば確実に滅び去るのはローラン。

それを避けるには自国への敵対心を魏国に抱かせない事しかない。

そして、自分が魏国の為に祖国を裏切り、動き続ける事でしか成せない。


真実と愛国心。

追及と忘却。

たった一つの疑問が持つ、大きな分岐点。

気安く天秤に掛けるには、あまりにも深刻な事。

並大抵の意志や精神力では思考する事でさえ放棄して話を忘れ様とするだろう。


こういう時、“天然なら”という考えも浮かぶ筈。

ただ、それは相手が訊いた人物が“天然(そういう)者たがら仕方が無い”という理解を持っている場合だ。

或いは、訊いたとしても、溜め息を吐きながら相手に説明して諭してくれる様な“懐の深い(しんせつ)”な人物である場合だろう。

そうでなければ何かしらの意図が有って黙認するか、利用されてしまう所だな。


正面な思考と判断が出来る“立場の有る人物”ならば特に、だろう。

だからこそ、効果が有ると判って遣ってる訳だが。

ええ、確信犯ですとも。

自己満足(ボランティア)で国や民を危険に晒す真似は出来ませんから。

其処は自重しますよ。




小さく息を吐き、本の少し──けれど、立て直すには十分ではない程度に、間を置いてから口を開く。



「他に、訊きたい事は?」



ゆっくりとした、しかし、はっきりと強調する。

“この話題は終了です”と言外に宣言する為に。


ビュレエフさんも、此方の言いたい事をきちんと理解したんだろうな。

小さく息を吐き、頭の中で渦巻いている様々な疑問を追い出し、思考を切り替えゆっくりと左右に頭を振り“何も有りません”と俺に示してきた。

声にしなかったのは単純に気疲れしている為だろう。

同時に、この場での会話が非公式な物だからこそ。

そうでなければ、彼の様なタイプは真面目にきちんと受け答えするからだ。

宅の愛紗達みたいにな。


まあ、その気安さにも彼が此方に対して確かな信頼を持ってくれている、という事が現れている訳だ。

しかも腹芸の上手いタイプではないだろうから信頼も本物だと言えるし。

その信頼が、絶対的である必要も無い。

ただ、本の少しでも此方の言葉を信頼してくれれば、それだけで十分だ。


尤も、彼の様なタイプこそ俗に“今後とも、末長く、良い御付き合いを”と言い握手したくなる人物。

施政者にしろ、商人にしろ一度信頼を置いた相手なら決して裏切る事はしない。

そういう気質だから。


交渉(たたかい)を楽しむ、という点では不向き。

歴戦の猛者相手には勝てず一方的に弄ばれて終わる。

そんな姿が容易く浮かぶ。

決して悪い人ではないが、誰しも向き不向きは有る。

気にする事は無い。



「そうですか…

では、今度は此方の方から二つ、御訊きします」



残念、という体ではなく、安堵、という体でもなく、感情を感じさせない笑みを薄らと浮かべて言う。

加えて、最初から質問数を教えて置く事により相手に“無駄話はしない”という印象を持たせる。

そうして生まれる緊張感は相手の思考を慎重な物へと自然と促してゆく。



「…何でしょうか」



緊張した面持ちで、何とか感情を抑えて答える姿には胸中で苦笑してしまう。

本来なら“私で答えられる事であれば…”という旨を一言言いたい事だろう。

しかし、ビュレエフさんが強要した事ではないにしろ俺の方は“信頼した”形で重要な機密を彼に対し話し彼は聞いてしまった。

その信頼を裏切る、という事が脳裏を過る。

それが一種の楔となって、彼の思考と言動を縛る。

彼自身が思っているよりも強く、深く、容赦無く。




 ビュレエフside──


仕方が無い事だった。

若い女性を白昼に付け回す様な趣味は無い。

これも仕事なのだから。


とは言え、他の者では──部下達には荷が重い。

昨夜の遣り取りを見ていた身としては関わりたくないというのが本音だ。

彼女は清楚で慎ましやかな見た目とは全く違う。

商人の名に違わぬ猛者。

一度交渉(せんじょう)へと臨めば別人と化す。

それを目の当たりにした。


夜が明けるよりも早く──とは言え、この辺りに住む者にとっては普通の事で、決して珍しくはないのだが──起き、彼女達の泊まる宿を見張っていた。

土地勘、というか、都内の情報は圧倒的に此方に有り気付かれはしない。

確かにそう思っていたし、その自信も有った。


夜が明けて暫くすると宿を出て来たのは一人のみ。

彼女──ヒエイだ。

彼女の言葉を信じるならば他の三人には此方の言葉が理解出来ていないとの事。

そう考えれば街に出るより宿の部屋でゆっくりと休み次に備える方が良い。

下手に気を遣う事も無いし争いを生む切っ掛けになる事も無いだろうからな。

必要な物を買うだけならば彼女一人でも十分だろう。

まあ、運び手が居ないなら先ずは下見なのだろう。

商人らしい事だと思う。


そう思いながら歩き出した彼女の後を追う。

…いい気分はしない。

目立たない様に距離を置き見失わない程度に見る。

当然だが、彼女の話し声は全く聞こえない。

尤も、彼女に話をしている様子は全く無いが。



(…何をしているんだ?)



ただただ、フラフラと。

何をするでも無く、彼女は彼方へ此方へと歩く。

時折、露店や店舗を覗くが長居はしていない。

下見、とは思えない。

しかし、怪し気な素振りも特には窺えない。



(…まさか、陽動か?)



此方が彼女に注目する事は最初から判っていた筈だ。

当然ながら監視の者が付く可能性も理解している筈。

となれば、彼女が先に出て単独行動を取る事で此方の目を引き付けている間に、残る三人が何らかの行動を起こす可能性は有る。


まあ、だからこそ、宿には見張りを二人ずつの二組を置いている。

もし動いていれば此方へも何かしらの報せが来ている事だろう。

それが無いという事は特に問題は起きていないという事なのだろう。


その事には安堵しながらも視線の先で、静かに人々を眺め続けている彼女を見て小さく息を吐いた。

一体何がしたいのか。

自分には想像が出来無い。




暫くして、ヒエイは通りを眺める事を止めると普通に歩き出した。

ただ、その足取りには一切迷いが見られない。

何処かに向かっている。

そう、はっきりと判る。



(…この先には確か…)



行き先は定かではない。

しかし、彼女の向かう先に魏国の商人が利用している常宿が有る事は関係の無い自分でも知っている。

その特異性が故に当初こそ奇異の目を向けられていた訳だからな。

だが、今では他国にまでも影響を与えた存在。

ローランの民で知らぬ者は居ないと言える宿屋だ。


けれど、彼女は魏国の者。

しかも、ローランに来る事自体が初めてだという話。


──ならば、何故、彼女は迷わずに歩を進められる?


その疑問は当然の物だ。

この状況に有って、それが思い浮かばない方が普通に可笑しいだろう。

同時に緊張が高まる。

背筋を冷たい汗が伝う。

嫌な想像ばかりが浮かぶ。


その宿屋に着くと、彼女はやはり迷わずに一軒に。

その出入り口に立って居た女性二人が彼女に向かって深々と頭を下げた。

その様子からしても彼女は相当に高い身分だろう。

だとすると、余計に彼女達四人だけの行動というのは異質に思えてくる。

彼女の説明が全くの嘘だと言う訳ではない。

ただ、一度は納得した事に疑問が生じたというだけ。


少しだけ店員だろう女性と話をしていた彼女は奥へと案内されて行った。

それから暫くすると彼女は一人で店を出て来た。

…特に何か物を持っているという訳ではない。

変わった様子も窺えない。


そのまま自分達が宿泊する宿屋へと戻った。

彼女の姿が消えた事を見て監視として宿に付いていた者達の元に向かう。

自分を見て姿勢を正すが、状況が状況だから此方から手を挙げて抑える。

まだ目立ってはならない。



「…ご苦労、どうだ?」


「いえ、特には何も」


「…何も?、まだ宿の中に三人残っている筈だが?」


「はい、窓を開けて三人でこの暑さに顔を顰めながら都の景色を見ながら何かを話してはいましたが…

それだけでした」


「…外出する様子は?」


「いえ、全く有りません

それ所か、部屋からも出る様子は有りませんでした」



一応、宿泊客を装って近い部屋を押さえてある。

其処に出入りしていたなら彼女達の様子は判る。



(…考え過ぎだったか?)



目にした事実に驚き過ぎて疑心暗鬼になっていた。

その可能性は否定出来無い事だろう。

…まあ、兎に角、彼女達に悪意や敵意が無いのなら、それが何よりだと言える。

厄介事は御免だからな。




──そう思っていた頃の、気楽な自分に戻りたい。


今ならば迂闊だったとしか言えない接触だった。

彼女が明らかな敵対行動を取らない限り、接触せずに距離を置くべきだった。

その事を心底、後悔する。



(何とも重過ぎる話だ…)



結局は結果論になる。

聞いてしまったから言える事なのは確かであるし。

ただ、遣り直せるのならば“関わらない”という方に選択を改めたい。

勿論、それが自分の単なる現実逃避なのは判っているのだけれど。

そう思いたくなる程に重い現実だという事だ。


その上で、更に彼女からの質問に今から答えなくてはならないという状況。

もしも逃げ出せるなら──逃げ出せたら無かった事に出来るのなら、全身全霊の全力で逃げ出すだろう。

だが、現実は無情だ。

しかも自分自身の責任故に絶対に逃げ出せない。

否、“逃げ道”すらない。

彼女の信頼を裏切ったなら魏国との関係は破綻する。

つまり、自分の言動一つで国の、民の未来が決まってしまうという事。

…本当に嫌になる。



(…もしも今此処で自分が気を失ったとしたら…

それを理由に無かった事に出来無いだろうか…)



…先ず、無理だろう。

と言うか、状況が悪化する気しかしない。

どうやら覚悟を決めるしか選択肢は無さそうだ。


覚悟を決め、彼女に向かい質問を促す。



「先ず一つ目ですが…」



そう言う彼女の雰囲気が、真剣な物へと変化する。

それに釣られ、より一層に緊張が高まる。

正直、吐きそうになる。



「…都で、お風呂に入れる場所は有りませんか?」


「……………………は?」


「お風呂に入れる場所は、都には有りませんか?」



そう言い直す彼女。

真面目で、真剣な表情から本気なんだとは判る。

それは判るが…ああいや、彼女は魏国の民なのだから当然なのかもしれない。




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