拾
「ふむ…となれば子和様が態々我等に接触されたのは“商人の観点”での西域の情報収集、ですかな?」
「そういう事だな」
片目を瞑り、態とらしく、考える素振りをして見せる公旦の言葉に笑む。
腹の探り合いなどする気は互いに無い。
ただ、少し位は“戯れ”を遣りたいというだけ。
それが判っている面々──子安や仲以は乗り気だ。
他の三人は“やれやれ…”といった呆れた感じ。
まあ、だからと言っても、時間を無駄に費やす真似を遣る馬鹿は居ない。
なので、話の進行は早い。
「とは言え、我等の情報は似通っているでしょうし、隠密衆の方でも掴んでいる内容と比べても大差の無い事でしょうな…」
「ああ、だから俺が現状で訊きたいのは、ローランに限定した“違和感”だ」
公旦の続けた言葉に対して肯定し、俺が欲しい情報の内容を告げた。
それを聞いて六人が各々に瞬時に思考を開始する。
外側に向いていた意識が一瞬で内側へと移行するのを雰囲気で感じ取りながら笑む。
頼もしい、と思うのは当然だったりするが、それより無防備に思考をしている事自体が嬉しく思う。
商人というのは軍師以上に警戒心が強く、大胆だ。
“営業力”だけで言えば、商人以上の実力者はそうは居ない。
時代が、文化が違ったならその限りではないのだが。
現状では、商人が上位だ。
そんな彼等も出逢った頃は例に漏れない商人振り。
当然だが、“ああ、はい、そうですか、判りました”なんて感じで簡単に信頼を得られる訳が無い。
それ相応の時間と対話等を要するか、一発で傾く様な“御都合主義”でもない限りは、だ。
まあ、後者に関して言えば意図的に作り出す事自体は可能だったりする。
しかし、そうして築いた後バレてしまったら、二度と修復不可能になる。
それはリスクが高過ぎる。
“バレなければ大丈夫”と思うのは愚者の浅慮。
偶発的な出来事を利用して懐へと入ったのであれば、彼等は理解と賛辞を示して手を握ってくれるだろう。
だが、そうなる様に仕込み意図的に起こしたのなら、手を取らないだろう。
前者は交渉、後者は謀略。
商人である彼等が何方らを常とし、大事にするのかは言うまでもない事だ。
そんな彼等が此処に居る。
勿論、俺個人に対してなら各々は信頼を寄せてくれ、尽力を惜しまないだろう。
しかし、商人同士でもある互いに対しては話は別。
腹の探り合いを珍しいとは思わない位に、だ。
そんな彼等が、此処に俺が居るとは言っても、互いに無防備なのは信頼の証。
嬉しくない訳が無い。
それが仮に全くの無意識の事だったとしてもだ。
それに、本人達には自覚は無いだろうし、態々俺から言うつもりも無い事だが、彼等は曹魏の未来の礎だ。
数百年、千年、その先へと繋いでゆく、不断の志。
その一方で、他国との間に必ず生じる国交や貿易。
勿論、鎖国したって曹魏は気にもならないし、万が一戦争に発展しても全敵国を返り討ちに出来るだろう。
それだけの国力を俺達は築き上げ、受け渡す方針だからな。
だからと言って全く他所と関わらずに存在し続けても“進化”は得られない。
進歩と進化は異なる。
隔絶された世界であっても、進歩は可能。
しかし、進化は不可能。
進化とは生存競争の果てに存在する一つの奇跡。
そう俺は考えている。
共存思想は尊い物だ。
だが、“自他共栄”という言葉は共存して、ではなく互いを尊重して競い合い、という方向の意味だろう。
柔道等の武道に用いられる格言の様な物なのも言葉が“互いを高め合う”という事を示している為だ。
それは馴れ合いではなく、互いに真剣で、本気だから意味の生まれる事。
スポーツに限らず人間関係だったり、国家の関係にも言える事だと思う。
そういう意味でなら劉備の思想だけは認められる。
まあ、別に劉備の専売特許という訳ではないが。
華琳達や孫策達も同じ様に共存思想は持っている。
しかし、それが本当に今の世の中に必要な事か否か。
それを疑い、考え直せる。
それが出来るか否かが今の時代の王に最も必要な才と俺は思っている。
劉備は“時代が違えば”と思わなくもない。
だが、平和な世の中ならば抑、劉備は動きもしないで平々凡々と生きるだろう。
乱世だからこそ動いたし、その甘い猛毒へと蜜に群がる蟲の様に人々は縋り付き、支持をする。
時代が違えば劉備は決して表には出る事は無い。
妄言信奉主義者が本質だからこそ。
まあ、乱世が終わった後、“仲良く手を取り合える”なんて考えている様な輩に理解は出来無いだろうな。
現実的に考えれば誰にでも判る単純な事だ。
つい昨日までは殺し合いをしていた関係が本の一日を経ただけで信じ合える様な事が可能だと思うのか。
仮にそれが可能だとすれば“共通の利害上の大敵”が現れた場合に限られる。
それ以外は、どんな形でも“それまでの関係”が全てなのだから。
国交・貿易も同じだ。
西域諸国との関係は現在の俺達の言動一つで変わる。
共存関係を尊ぶなら尚更に現在の信頼関係が物を言う様になる。
その為の彼等、商人達だ。
先ず最初に思考を終えて、此方を見たのは伯為。
別に若さは関係無い。
単なる情報量の差だろう。
「私達の中では一番最後に都に入ったのは私なので、情報量としては少ないかと思いますが…
以前──というより今回の行き掛けに立ち寄った時と比べて妙に都全体の印象が明るく感じました」
「明るい?、それは民衆の不安や不満が薄れている、という方向か?」
「そう…ですね、はい
心配事が解決したかの様な雰囲気に近いと思います
とは言え、その理由までは定かでは有りませんが…」
感情を食べる、という点で負の感情を好むとしたなら十分に有り得る事だろう。
可能性としては、だが。
「行き掛け、というと…
確か二週間前か…」
「はい」
彼等の行商の予定・道程は全て報告が来ている。
時には此方の指示の通りに動いて貰う場合も有る為、当然の事だったりするが。
伯為の予定は全行程で元々三週間だった。
その予定が帰還命令により早まってしまってはいるが其処は重要ではない。
(という事は、二週間前は“未覚醒”だった可能性が高いって事になるか…)
まだ本格的に動いていないというだけで、起きていた可能性は考えられる。
しかし、少なくとも昨夜程大規模な事は遣っていない事だけは確かだと言える。
そうでなければ“祓禍”がもっと早く反応している筈だからだ。
それに実際に昨日と今日で民の、都の雰囲気が違うと俺自身も感じてはいた。
その割りには痕跡が無い、という点が謎なんだが。
その辺りには、当然ながら何かしらの要因が有る事は間違い無いのだろう。
とすれば、やはり昨夜にも“夢喰い”は行われていたと見て考えるべきだな。
「伯為と似ておりますが、民の間には意識の差が有る様に感じましたな」
そう言ったのは子安。
此方も都に入ってから日が経っていない為に情報量が少ないらしい。
その肩を小さく揺らし──本人は僅かなつもりだとは思うが、大柄な子安の場合十分大袈裟に見えてしまう──ながら、“他には特に思い当たらない”と言外に伝えてくる。
まあ、精々この五日程度が判り易い変化だろうしな。
思い当たらない方が普通と言っても可笑しくはない。
だから、本当に些細な事が気になる事だったとしても俺にしてみれば十分な情報だと言える。
「…意識の差、というのは一般人と施政者の間に有る経済的な意味での国の危機に対して、か?」
そう訊くと子安は首肯。
確かに、その辺りの認識や意識の差は感じるな。
だが、それはある意味では当然だとも言える。
施政者が自分達の無能さを自ら公言・公表する真似を遣る筈が無い。
誰だって我が身が可愛く、地位や権力を失わない様に都合の悪い情報は伏せる。
それが大半の施政者だ。
だから、別に可笑しな事と思いはしない。
しかし、そういう何気無い部分が気になった、という事実が重要になる。
彼等は人々の感情や思考の機微には敏感だ。
気になる以上は何かしらの要因が考えられる。
例えそれが今回の一件には関係無かったとしてもだ。
「それは私も感じました…
より穿った事を言いますと国王に近い程に思考的には危機感を募らせていて…
遠くなる程に楽観的な様に見受けられました…
勿論、それが普通の事だと判ってはいますが…」
そう続いたのは子成。
俺や子安の考えに同意する様に最後に一言加える。
つまり、子成もまた其処に違和感を感じる訳だ。
「ふむ…御主も感じたか」
「では、文繁殿も?」
「この中では儂が一番先に都に入っておったしのぉ
子和様が此方を指定された以上は他にも来ると思ぅて挨拶をしにのぉ…
その時は焦燥感の差の様に感じてはおったが…
何処か腑に落ちなんだ故に気になっておったのだ」
子成に文繁も同意。
昨夜の時点では直接王宮に踏み入る事はしなかったが遣る必要性が出て来たな。
(こうなってくると念の為国王の方にも探りを入れた方が良いかもな…)
出来れば、極力関わらずに情報収集し事態を打開して都を離れたかったんだが。
仕方が無いか。
「…御二人とも凄いですね
国王様に挨拶に行けるとか私では考えられませんよ」
「何も大した事ではない
単に扱う商品の違いだとか頻度の差に因る事だ
孰れ、御主も遣る事だ」
「…そう、成りたい様な…成りたくない様な…
ちょっと複雑な感じです」
「弱気な事を言うでない
抑、子和様と比べれば他の相手は可愛い者だろうに」
「最も手強く恐ろしいのは子和様じゃからのぉ…」
「その通りですね…」
「ああ、ええ…確かに…」
そんな会話をしているから小さく睨んで遣ると伯為は困った様に苦笑。
子成と文繁は静かに笑み、子安は豪快に笑った。
それを否定出来無い程度の自覚は俺にも有るが。
此処で雰囲気を変える為に使われるとはな。
一応、自虐ネタなんだから取らないで貰いたいね。
緊張感の漂っていた室内の雰囲気が弛緩した事により役目を終えた四人は静かに聞き手に回った。
そして、残る二人の一人、仲以が顔を上げた。
「以前と比べて、なのかははっきりとは言えませんが民の間に有る“渇く赤”に対する英雄視の意識が高く為っている気がします
少なくとも私が以前に来た時より、曾ての逸話を聞く事が多い気がしました」
「ああ、あの連中か…」
仲以の意見を聞き、昨日の賊徒の事を思い出す。
一応、簡単にではあったがモルノトフさんから少しは話を聞いている。
まあ、触り程度だがな。
「御逢いになったので?」
「昨日、良い感じに俺達を襲って来てくれたよ
頭目かどうかは判らないが指揮官は有望だったぞ
“札付き”なのが残念だと思ったけどな」
そう言うと皆が苦笑する。
“ああ、御気の毒様…”と憐憫を見せる体をしながら他人事の様に軽い。
それも仕方が無いか。
基本的に商人は中立を守り傾かない様に心掛ける。
故に、この反応も普通だ。
そして最後に残った公旦に俺達の視線は向けられる。
ゆっくりと顔を上げた後、公旦は真っ直ぐに俺を見て真剣な表情を見せる。
「それでは、子和様は既に“あの方”に御逢いに?」
「ああ、会ったな」
公旦の意図する相手が誰か言わずとも理解出来る。
恐らくは現在、ローランで最も重要視すべき人物。
この国の未来その物とさえ言ってもいいだろう。
「…多くは望みません
子和様…どうか、どうか…
宜しく御願い致します」
「ああ、判っている」
俺に向かい深々と頭を下げ公旦は願いを告げる。
他の面々も何か有るという事は察した様だが、公旦の態度に沈黙している。
それ程の事なのだと。
ただ、理解はしている。
縁、というのは中々に複雑怪奇に絡み合う。
その縁を断つか、解くか、結ぶか、離すか。
その選択で未来は分かれ、変わりゆくのだろう。




