伍
関羽side──
話し合いを終えると私達は螢を雷華様の元に残して、外壁の上を疾駆する。
上から眺めると判るのだが楼蘭──いや、ローランの都の全形は歪だ。
…まあ、そう感じてしまう事も仕方無いのだろう。
普段、自分達の知っている都の姿が基準になる以上は曹魏が比較対象になる。
そうなると余程考えられた国・都・街造りでなければ“歪だ”と思ってしまう。
雷華様の設計・指揮により築き上げられた曹魏の都と比べる事自体が間違いだと頭では判っているのだが。
抑、雷華様の技術力が世の大工や技術者の遥かに先を行っているのだから。
到底、真似など不可能。
飽く迄も“現時点では”と一言付くのだが。
それも雷華様が仰有るから説得力が有るのですが。
“結界”と呼ばれる技法は基本的に二通りに分けられ一つは基点を中心としての円形、或いは球形の形成。
もう一つは点と点を繋いで三点以上により、面を作る事によって構成される物。
例外的に特殊な結界も有るという話ですが。
現状は…恐らく後者。
しかも、私達の頭上に有る黒天──“蓋”が結界にも関係していると思われる。
となると、都全体を覆った結界の破壊は点を割り出すだけでも時間が掛かる。
加えて、破壊した場合での影響の予測が拙い。
それも有り、私達は結界の破壊は思考から破棄した。
結界の破壊は不可能だが、解除は可能だろう。
螢の見解では、結界を張る要たる存在は都内に居る、という話だ。
まあ、雷華様が後を私達に任せられた以上“この場で解決が可能だ”という事を物語ってもいる。
そうでなければ、雷華様が“私達に経験を積ませる”為に利用する筈が無い。
“他所の国の民の命だから別に失敗しても構わない”等とは考えられない方だ。
…まあ、その相手が曹魏の敵対勢力であれば容赦無く利用されるのだろうが。
──等と、考えている間に私は予定地点に到着する。
視界の中では雷華様と螢、別地点に向かった翠の姿も肉眼では確認出来無い。
氣で強化すれば別だが。
それでも気配を感じるので私達にとっては視覚情報が遮断されても大丈夫。
雪那と颯は特に凄いな。
外壁の形状から、距離的な違いも有り、僅かに遅れて翠も予定地点に到着した。
今、私達三人の立つ位置を上から見て線で繋ぎ結べば都の内側に大きな三角形を描く配置に為っている。
そして、私と翠が到着した事を確認し、螢が動く。
雷華様より与えられた螢の持つ武具で有る羽衣。
その羽衣が夜空に向かって生地を広げる様に拡がり、街と黒天を分かつかの様に姿を顕にした。
上限は存在している様だがローランの都の全体を覆う程度は可能だそうだ。
改めて、私達が与えられた力が如何に強大か。
それを思い知らさせる。
丁度目の前の高さに有り、ゆらゆらと微風に乗り游ぐ様に揺れる羽衣へと両手を伸ばし、しっかりと掴む。
以前にも触れた際に思った事ではあるのだが、とても武具とは思えない肌触り。
超高級な生地でも此処まで良くはない。
…ああまあ、雷華様手製の生地は除きますよ?
それでも、存在自体が元々特別な事も要因でしょう。
状況を忘れ、思わず頬擦りしてみたくなる。
そんな欲求を振り払って、しっかりと握り締める。
羽衣を通して両手に伝わるトンッ、トンッ、トンッ…という螢の出す合図を感じ予定通りに合わせる。
羽衣を握ったままの両腕を大きく頭上へと跳ね挙げて姿勢を維持する。
当然、二人も同じ様に。
すると、私達に僅かに遅れ羽衣は波打ちながら全体が大きく頭上へと舞う。
靄が溜まる為に邪魔になるからなのだろう。
都の中は微風すら無い。
当然と言えば当然か。
だが、それが逆に私達には一つの答えを示す道標。
結界は内外を別つ。
しかしそれは人の出入りを禁ずる為の物ではない。
“風”を遮る為の物。
つまり、あの靄が溜まった状態でなければ“食事”を行う事が出来無い。
その可能性の高さを私達に教えてくれていた。
あの、翠の何気無い一言が切っ掛けだったが、私達は確かに真実に手を掛けた。
羽衣は高く、高く、舞う。
そして、その内に十二分に空気を食む。
布地──手近な所では手巾なんかでも構わない。
それを、フワッ…と空中に広げて空気を包み込む様に端を下へ向けて引っ張れば軽い抵抗を感じる筈。
この時、内には空気が有り逃げ場を失っている。
その状態のまま移動すると空気の抵抗は増す。
雷華様が作られた物の一つ“落下傘”も、その抵抗を利用して高所から降下する事が出来るという道具。
“空を飛ぶ”という発想は以前は夢物語の筈だった。
だが、雷華様に連れられて“跳んだ”経験が有るなら私同様に色々と自分の中に存在した常識が音を立てて崩れた事だろう。
…不完全、でも真似事なら私達も十分に可能。
流石に高く跳ぶには勇気と覚悟と準備が必要だが。
因みに、稟に協力して貰う事が出来れば、落下傘にて風を受け地上から凧の様に舞い上がるという事も可能だったりする。
公表は禁止されている為、滅多に扱えないが。
それは仕方無い事だろう。
簡単に真似は出来無いが、どんな技術にも“悪用”の可能性が存在する。
それを避ける為だから。
──で、椎茸の傘みたいに膨らんだ羽衣。
それを、螢の合図を受けて両腕を足元に向けて全身で勢い良く振り下ろす。
同時に、螢が余裕の有った羽衣の大きさを私達が手に持って引っ張った状態で、ギリギリになる様に縮小。
すると、どうなるか。
弓形に為った羽衣の内側に有った空気が私達の動きと縮小によって押される。
扇子や団扇と同じ。
空気が動けば其処に流れが生じて、風と為る。
風の強さは、流れの早さで変わってくる。
私達の仕掛けた動き自体の早さは直結しない。
何方らかと言えば十二分に溜め込んだ、折角の空気を逃がさない為の早さだ。
だから、其処に生じる風は突風までには至らない。
微風よりは少し強いかも、という程度だろう。
しかし、それでも十分。
風の強さは関係無い。
先程まで羽衣が食んでいた大量の空気。
それはどうなるのか。
上から下へ、私達の動きに合わせて空気の巨塊は動き都に向かって行く。
さて、此処で問題。
“風”を遮る為の結界とは何処までを指すのか。
外から吹き込む風だけ?
内から吹き抜ける風も?
本の僅かな空気の流れすら遮ってしまうのか?
空気の流れを全て遮っては人々は夢を見る前に窒息死してしまうだろう。
となれば、最低限の範囲で空気の出入りは可能な筈。
しかし、出て行く事自体を許容してしまうと靄自体の流出にも繋がる。
勿論、靄その物が都の外に出ない様にする結界ならば関係は無いらしい。
だが、そうなると風の方は制限出来無いとの事。
両方が都合良く可能な程の結界の展開と維持は食事の遣り方・質・量と比べると釣り合いが取れないらしく何方らか、だろうと。
螢の見解では風のみ。
但し、内から外への流れを禁止する事で靄の流出にも効果を出しているそうだ。
この辺りは氣の資質による技術・知識の違いか。
…まあ、結界の破り方なら私達も知ってはいるが。
それは基本的に私達だけの状況下での想定。
まだ一般人が居る状況での対処法は未習得だ。
そんな結界に覆われた都。
其処に大量の空気を送れば当然ながら風が生じる。
例えそれが微風程度でも、風である事には変わらず、当然の様に結界に遮られて外へは抜けられない。
外壁・結界・地面・建物と行き場を奪う様に存在する障害物の数々。
逃げ場を無くした状態。
そんな空気の巨塊は何処に行こうとするのか。
答えは一つ、上である。
水面で手拭を広げて空気を包んだら水の中に入れる。
不作法だが御風呂の中でも構わない。
そうすると空気は水面へと向かって上昇しようとし、外側へも逃げ様とする。
これは空気が水よりも軽い為に起こる事だそうだ。
それとは少し違うのだが、例えば両手に収まる程度の大きさの壺が有るとする。
その中に、2〜3cm程度の深さの量の灰を入れる。
その状態の壺に向けて息を吹き込むとどうなるか。
吹き入れられた息は内側で行き場を無くして、唯一の出口である入り口に向かい勢いのままに出て来る。
その際、底に溜まっている灰を巻き上げてしまう。
それは灰の重さが息程度で吹き飛ばされる位だから。
それと同じ現象が目の前で起きている。
諸々の理由に因り行き場を無くしていた空気の巨塊は都の中心から外周へと向け押し潰される。
それにより、元々都の中に有った空気は外壁に向けて押し出され──其処からの行き場を失い、上へ。
外壁を伝い、立ち上る。
羽衣は都の全形と全く同じ形には為っていない。
当然ながら端々には隙間が出来ている訳で。
其処から黒天へと向かって同時に都を飲み込んでいた靄が一緒に吹き上がる。
淡く輝きを放ちながら靄は白い風の様に吹き昇る。
その光景が鍋に掛けた水が沸騰し湯気を立ち上らせる状態に思えてしまう辺り、自分自身が雷華様によって“染められた”と感じる。
…惚気ている訳ではない。
ただ、雷華様と出逢う前の自分だったら、見たままの幻想的な光景に見惚れたと思ったからに過ぎない。
それが直ぐに、日常生活の一場面に結び付く訳だから自然と苦笑も浮かぶ。
勿論、そんな私を嫌だとは微塵も思いはしない。
「さて、仕上げと行こう」
両手を羽衣から手放すと、羽衣に足を掛けて中央へと向かって疾駆する。
螢が補助してくれている為氣を使わずとも足場が沈む事は無い。
右手を背後へと回し背中に氣で背負う様に張り付けた愛器の柄を握り締める。
そして、今まで練り込んで備えていた氣を渡す。
雷華様より授かった武具。
私の半身で有り、我が一族所縁の対器の偃月刀。
その能力は冷気を司る。
手にしたばかりの時の私はその力を振るうには技術も精神も未熟だった。
それでも…それでもだ。
雷華様も、この子も、私を信じて託してくれた。
その想いに、信頼に、志に私は応えたい。
脳裏に想い描くは一つ。
遥かなる高みへの道標。
中央に辿り着くと偃月刀を真横に薙いで、一回転。
羽衣に切っ先を触れさせる様にして正面でゆっくりと下ろして、言う。
「──咲き、散らせ」
自分を中心として蒼と銀の輝晶が咲き乱れる。
──side out
馬超side──
羽衣を使った“扇動”策で溜まっていた靄を上空へと巻き上げる事に成功した。
しかも唯一気掛かりだった頭上──黒天に突き当たりは有るのかどうか。
それも螢の読み通り。
外壁の高さが約4mだから最大でも10m程。
恐らくは7〜8mだろうと予想していた通り。
吹き上がった靄は外壁から延びる見えない壁に沿って弓形に中央に向かう。
そして、打付かったら下にゆっくりと降る。
勢いが弱まった後続部分も中央まで届かずに下降。
しかし、都には届かない。
羽衣が黒天のお株を奪い、蓋をする様に存在する。
其所に、愛紗が動く。
偃月刀の力で一撃。
羽衣上に溜まっている靄を全て一瞬で凍て散らした。
その姿に思わず幻視。
見惚れるまではいかないが嫉妬を抱くには十分。
ちょっと先を行かれた様で悔しくも有る。
その光景を見詰めながら、羽衣の横から下の都の方に飛び降りる。
(…はぁ〜…まあ、此処は愛紗に譲って遣るか…)
見せ場、という意味でなら確かに愛紗が派手に遣って目を引いただろう。
ただ、観客は雷華様のみ。
当然と言うべきか、評価は此処に対してと私達三人の連携に対してだ。
変に気にする必要は無い。
と言うか、愛紗も判ってるだろうしな。
今回の一番の活躍は螢だ。
勿論、私達が活躍してないという訳ではない。
ただ、この策の要は螢。
その螢が前に出ずに私達を信頼して裏方に徹している以上は偉そうに出来無い。
…まあ、当の螢が自慢気な顔をする所なんて想像でも出来無いしなぁ。
…んー…ちょ〜っと見たい気もするけど、見たくないというのも確かだな。
桂花や泉里辺りだと物凄いドヤ顔するんだろうけど。
そう考えると宅の将師って半々位なんだな。
上手く出来てるよ、本当。




