伍
さて、先ずは確認を兼ねて基本的な質問からだな。
本当に四人だけで来たのか訊ねてみる。
“貴女方を疑っている訳で有りませんが…”と表情で言外に示しながら。
露骨な気遣いは逆効果で、割り切り過ぎて無神経でも駄目だったりする。
然り気無く、だ。
まあ、この辺りは場数とか慣れになるのだろうな。
そんな感じに打算的な事を頭の隅で考えながら彼女と向き合っているのは絶対に知られてはならない。
自分からは言えないがな。
「はい、間違い有りません
私達は四人で魏国を出立し大苑──フェルガナの地へ向かっています」
「──っ」
人数の確認が取れた以上に彼女達の目的地が判った。
その事に驚いている。
予期せぬ形だった事も有り仕方が無いだろう。
ただ、少々困ってしまう。
気を引き締めて“さてと、これからが本番だ”と思い緊張感を高めていたが故にあまりにも唐突過ぎる事に対処は出来無かった。
自覚している範疇としては多少は驚きが出ているかもしれないと思う。
だが、得られる情報に対し“喜んでいる”という事は出てはいないだろう。
唐突過ぎたが故に、自身の反応も遅れているから。
偶然では有るがな。
それ以上は表情や態度には出ていなかったという事を祈るしかない。
それは置いておくとして。
問題は、どう返すかだ。
彼女が嘘を吐いている事も考えられなくはない。
だが、そんな印象は受けず直感的にも“本当の事”と感じている。
四人だけで、という部分も間違いは無いだろう。
驚きはする事だが。
正直に言えばフェルガナに関しての部分を訊ねたい。
此方が問い質した訳でなく彼女から話してくれた事。
自然な流れを装って詳しく訊く事も不可能ではない。
しかし、仮にそうした場合彼女の信頼を失う可能性も十分に考えられる事だ。
少なくとも、現状で彼女は此方に対する警戒心は薄く協力的な姿勢だと言える。
それは非常に大きな事だ。
だが、その要因が何処から来ているのか。
現時点では不確かである。
考えられる可能性としては彼女と接触し、会話をした一人しかいない。
それでも、確信を持てる程確かな事ではない。
飽く迄も、推測の範疇。
もしも何か失敗して彼女の信頼を失えば此処から先の情報は得られないだろう。
強引に聞き出す手は絶対に取る事は出来無い。
遣ってはならない。
彼女達の国を怒らせたなら我々の未来は無い。
根幹的な国力関係で言えば魏国の方が上位なのだ。
だからこそ、協力的な形で話を進められる事が現状で最善だと言える。
この状態を維持しながら、慎重に進めるしかないな。
取り敢えず、フェルガナの話は一旦置いておく。
今はまだ、訊くには早い。
何より、先に此方から旅の人数の事を訊いておいて、話を簡単に流してしまうと商人であろう彼女の印象を悪くしてしまう。
そう考えながら、彼女へは驚きを抑えている様な体で半信半疑の様に話す。
実際に自分の目で見ていた訳ではないので可笑しいと思われる事も無いだろう。
それに別段嘘を言っているという訳でもない。
万が一、怪しまれても変な誤解を生む可能性は低い。
此方の心中を読まれている事は無いのだろうが彼女は僅かに苦笑を見せる。
“そう思われても仕方無い事なのでしょうね”という声が聞こえそうだった。
それは彼女の本音だろう。
普通に考えれば、自分達の状況が如何に有り得ない事なのか判る事だろう。
特に、こうして直に話すと彼女の聡明さが判る。
愚考を以て危険を冒す様な真似は先ずしない筈だ。
となれば、彼女達も幾らか“大丈夫だ”という算段と自信が有っての行動。
そう推測する事が出来る。
まあ、自分が彼女の立場で遣ろうと思うかと訊かれたとしたら、“遣るのならば人数は最低でも十人だ”と答える所だろうな。
抑の話とすれば、自分なら先ず遣らない事だろう。
ただ、それは此方の情報を十分に持っているが故に、という前提が有った上での話では有るのだが。
そうでなければ、自分でも“絶対に無い”と言い切る事は出来無いと思う。
結局は状況次第だがな。
彼女は小さく息を吐くと、ゆっくりと話し始める。
こうして己の“腹の内”を見せてくれている事からも現状では信頼が失われてはいない事を確信出来る。
焦らずじっくりと話す事を選んで良かった、と心から安堵してしまう。
「──ですが、我々商人にとって“商い”は必ずしも物品を扱う交易だけが商売という訳では有りません
自身を含む少人数でならば身軽な方が逃げ易くなり、生き延びる可能性も高いと考えての事です
…尤も、今回は遭遇をした相手が悪かった様ですが」
そんな感じで胸中で密かに一息吐いていたら彼女から不意打ちの一言が出た。
確かに彼女の言った様に、少人数での行商も十分可能だとは思う。
“今回は運が悪かった”と言えばそれまでの話であり“見通しが甘かった”との反省材料にもなるだろう。
“たられば”の話ではなく現に生きているから反省も出来るし、次に活かせる。
“結果論だ”と言われても結局は結果が全てだ。
その事は彼女も十分に理解しているのだろう。
今、浮かべている苦笑から伝わってくる。
それは兎も角として、だ。
先程彼女が言った言葉から嫌でも連想させられる事が幾つか脳裏に浮かぶ。
何れにしても、我が国には“良い話”ではない。
だが、飽く迄も憶測の域を出てはいない。
可能性としては有り得る事ではあるのだが。
断定は出来無い。
もしも、自分の想像をした事態の何れかが真実ならば今この瞬間に彼女を殺し、“全て”を無かった事にし国を守らなくてならない。
しかし、判断が難しい。
確かめるには彼女に訊ねる事が最も簡単だろう。
話してくれるのかどうかは別の問題としてもだ。
けれど、それにより彼女の信頼を失い、万が一にも、彼女が無関係ならば自分の行動は国を、民を危機的な危険な状況に晒す事に成る場合も有り得るだろう。
動くに動けない。
それが今の状況と言える。
それでも踏み出さなければ何も変わらない。
良く成るか、悪く成るか。
それは結果を見てみるまで判断する事が難しい。
決断するには“何もせずに後悔したいのか?”という自分自身への問い掛けで、その答えだろう。
「…ヒエイ殿、この質問は不躾では有りますが…
率直に御訊ねします
貴女方のフェルガナに行く目的とは何でしょうか?」
『──っ!?』
自分の質問に対して驚きを露にしたのは意外と言うか当然と言うべきか。
質問された彼女ではなく、自分達の傍らに立っている二人の方だった。
その気持ちは理解出来る。
“此処で訊きますか?!”と叫びたいだろうな。
自分が二人の立場だったら絶対にそう思うだろう。
早過ぎる、そう自分自身も思うのだから。
だが、何故だろうな。
彼女を前にして彼是と話を続けていたとしても真実に辿り着ける気がしない。
彼女の信頼を疑っている訳ではない。
彼女が騙す訳ではなくて…上手く説明が出来ないが、率直に訊かない限りは何も判らない気がする。
そして、自分の質問により目の前に座る彼女の気配が変化した様に感じた。
これも上手くは言えないが“商人らしい”雰囲気。
油断してしまえば、容易く絡め取られてしまう様な、蛇や蜘蛛を思わせる印象を彼女に対して抱く。
自然と、呼吸が浅く為り、息と唾を飲む音が何よりも大きく聞こえてくる。
無意識に握り締めてしまう両手の拳、その掌には今も手汗が滲んでいる。
これ程の緊張感と存在感は今までに感じた事が無い。
国王陛下を前にしてもだ。
それはつまり、今目の前に座っている彼女の影響力が桁違いだと自分も本能的に察しているのだろう。
彼女は一体何者なのか?
訊きたくなってしまう。
だが、同時にそれは決して触れてはならない事だとも本能が叫んでいた。
緊張する我々三人に対し、当事者の彼女の方はとても落ち着いている。
まるで、気にもしていないというかの様に。
「…申し訳有りませんが、此処で詳細を説明する事は出来ません」
彼女は静かに、けれど全く動じる様子も無く告げる。
それを訊いた瞬間、傍らの二人が拳を握り締めたのを感じ取った。
心中を察する事が出来る為申し訳無く思う。
自然と場の空気が重くなり静かになってしまう。
「…ですが、国益の為、と申して置きましょう」
そんな中で、彼女は平然と変わらずに続けた。
それだけを言うと、静かに目蓋を閉じて僅かに俯く。
その姿は、この世の者ではないかの様に美しい。
何も考えず、ただただ只管見詰めていたくなる。
だが、今だけは考える事が何よりも大切だ。
彼女から視線を外し自分も少し俯いた姿勢で考える。
“国益の為”、と。
彼女は確かに言った。
商人としての利益ではなく国の利益の為に。
現状、魏国にとっての利は何になるのだろうか。
それも、態々フェルガナに赴く必要が有る事。
尚且つ、大部隊ではなくて十人にも満たない少人数で危険を冒してまで行う事。
武力ではなくて、対話──交渉による解決方法を選び行われている事。
順に考えるなら、目立たず事を成したいという事から少人数で赴き、交渉を行うという形が浮かび上がる。
そして、極秘裏に行われる以上先ず間違い無く国益に関わる事なのだとは思う。
しかしだ、往来する魏国の商人達の話から考えると、其処までして他国との国交に拘る理由が見えない。
魏国は豊かだと聞くしな。
態々行商を行わずとも──
「──っ!!」
そう考えた所で気付く。
いや、正確な事を言えば、“思い出した”だろう。
弾かれた様に顔を上げれば彼女と目が有った。
「我等が主も、民も、国も心から“より良い関係”を望んでいます」
そして、穏やかに微笑みにはっきりと言った。
それを聞き、自分の考えの矮小さが恥ずかしくなる。
「…必要と有れば何時でも御声を掛けて下さい
私は貴女方への協力は一切惜しみません」
「その御気持ち、確と私が受け取って置きます」
最初から決まっていた。
我々と、彼女達の国とでは見ている物が違う。
それを思い知らされた。
そして、今知る事が出来て心から良かったと思う。
──side out
事情聴取は無事に終了。
シャマラフさんが優秀で、話が早くて助かった。
長々、ダラダラと遠回しに遣り合うのは飽きるしな。
スパパパッ!、と話が進む方が気持ちも良い。
まあ、必要な会話、というのも確かに有るのだが。
「…貴女達の国は、とても広く、大きく国の在り方を見ているのね…」
そう呟いたのは隣に立ち、黄昏に染まる地平を眺めるモルノトフさん。
同様に黄昏に染まる横顔は物憂げな雰囲気も有って、素直に美しいと言える。
例の宿に直帰するつもりが何故だか彼女に連れられて外壁の上に着ていた。
いやまあ、思い詰めた顔の女性の誘いを“遅いので、遠慮します、すみません”なんて言って断れますか?
世の男性諸君、出来ます?
私には無理でした。
ああ、下心は無いですよ。
有ったら、“断る”なんて考えないでしょうし。
とは言え……重いです。
何がって、この空気が。
あと、“女の勘”が働いたみたいで奥様方の気配が。
…今夜は荒れそうだな。
「…私ね、この国を沢山の緑が溢れる国にしたいって子供の頃から思ってたの
だって、砂漠ばっかりだし仕方無いでしょ?」
“子供の発想よね”と言う様に苦笑を浮かべる。
自嘲とも取れる言動。
けれど、不思議と自嘲とは思わない。
理由は多分、彼女自身からそんな感じがしないから。
「成長して、色々知って…それは無理だと判った
結局ね、私の妄想は幻影でしかない…
そう理解したの…」
…何処かの誰かに爪の垢を飲ませて遣りたい。
効果は保証出来無いが。
「だけど、それは違った
正しい理想は現実に出来るって判ったの
だから、私は目指してみる
新しい未来を」
そう言い切った彼女の姿に自分が重なって見えた。
返す言葉は短く、簡単。
でも、それで十分。
そう知っているから。




