拾
小さく頭を左右に振って、浮かんだ記憶を散らす。
それは“現在の自分”には害悪となる物。
忘れる事など出来無いが、割り切る事は出来る。
今は、それは不要な時だ。
一つ息を吐き、切り替えた所へと別の者が近付く。
そして隊の状況等の報告を簡単に受けた。
被害は当然ながら無い。
ただ、急な事も有った為、何かしらの問題が起きても可笑しくはない。
その懸念も取り越し苦労に終わったので良かった。
「あの追い掛けられていた四人はどうしている?」
「はい、今、彼方に向かいモルノトフ様が直接お話をされていらっしゃいます
…不味かったですか?」
そう言ってから、少しだけ間を置いて不安を覗かせた部下に苦笑を浮かべる。
別に悪い事とは言わない。
彼女自身、被害者の無事を確認すると共に、心を苛む恐怖を和らげ様と考えての行動なのだろうから。
だが、彼女はその…少々、直情的な所が有る。
それが良い方に転んだなら問題無いのだが、悪い方に転んだ場合には…なぁ。
あまり思い出したくもない後始末の苦労が頭に過り、遣る気を大きく殺ぐ。
と言うか、今直ぐに彼女に任せて帰りたくなる。
我関せず、を貫きたい。
…現実には不可能だが。
「…はぁ…仕方が無い
俺も彼方に行ってくる
お前達は部隊を纏めながら引き続き周囲を警戒だ
…無事、問題無く帰る事が出来る様に祈ってくれ」
「…了解です」
その顔を引き釣らせながら答えるが申し訳無さそうな眼差しに此方も困る。
擦れ違い際に右手で右肩をポンポンッ…と叩く。
「お前が気にするな
問題が起きたら彼女自身の責任なんだしな」
…まあ、俺の責任問題にも為るんだけどな。
それは此処では言うまい。
酒の席で愚痴るのであれば別の話になるが。
余計に気を遣わせるだけで意味が無くなるからな。
…ああ…だが、問題になる可能性を考えただけで腹が痛くなってきた。
「…頼むから、余計な事は言わないでくれよ…」
今から向かう場所に向けて一人言の様に呟く。
彼女に、ではない。
先程まで追い回されていた四人に対して、だ。
一番良いのは此方の言葉が通じない場合だ。
だが、商人であるのならば誰か一人位は最低限の内で通じる事だろう。
それが逆に厄介でもある。
兎に角、一番はその者達が“大人”な対応をしてくれ彼女の機嫌を損ねない事。
それを何よりも願う。
彼女達の居る方へと向かう自身の脚は、先程の勢いが嘘の様に重くなる。
本当に、気が進まない。
だが、これも自分の仕事。
“気合いで耐え抜け!”と自らを鼓舞し、気持ちで、その歩を進める。
──side out
モルノトフside──
さっきの連中…間違い無く“渇く赤”だった。
嘗ては曲がり為りにも民に“英雄”と称えられていた誇り高い者達だ。
…賊徒に対して言う事では無いのでしょうけど。
しかし、今やその誇りすら忘れたのでしょうね。
近年──私自身の知る限り彼等による被害は他に比べ確かに少ない。
けれど、たった四人の者を執拗に追い回す様な真似を遣る様に為った辺りは所詮賊は賊、という事。
或いは、この四人が彼等に何かをしたのか。
理由に因っては、納得する事も出来るでしょう。
ただ、だからと言って私が彼等を肯定する事は無い。
悪は悪でしかない。
その事に間違いは無い。
まあ、その辺りの事情等も話してみれば判る事。
隊を離れ、まだ怯えている事でしょう、四人の元へと向かって行く。
ゆっくりと、ではあったが近付いて来る私を見ながら警戒する様子が窺える。
その反応を見て少なからず不満を覚えてしまうけれど仕方の無い事。
彼方にしてみれば現状では助かったからと言っても、私達が害を為さないという保証など全く無い。
助けた事に対して何かしら“見返り”を要求される、その可能性も十分に有ると考えられるでしょうから。
それに、そう考える事自体間違いでもない。
此方は此方の事情も有って彼方を助けている。
完全な慈善ではない。
利己的な行動なのだから。
私個人の気分的にはあまり面白くはないですが、態々口にする事でもない。
その辺りは弁えています。
遠目には判り難かった姿も近付くにつれてはっきりと見える様になった。
そして、素直に驚く。
(…まさか女性四人だけで此処まで来たのですか?)
一番長身である人物。
流石に、その身長からして男性だろうと思っていたが此方を見ている顔を見れば考えを改めざるを得ない。
他の三人との立ち位置等も踏まえたなら彼女が主格に間違い無いでしょう。
こう…他の三人が従う風な印象を受けるので。
ただまあ、その三人もまた女性である事には驚く。
大規模な商隊だったけれど彼等に襲撃され、混乱する最中を必死に逃げ延びて、散り散りとなった。
そんな考えも頭に浮かぶ。
寧ろ、四人だけで此処まで来たという可能性よりかは信憑性が高いと思う。
一つ疑問が有るとすれば、何故、彼等は必要なまでに彼女達を追ったのか。
その一点でしょう。
今まで、女子供を襲う様な真似をしていないだけに、その行動に疑問は残る。
或いは──彼女達は相当な“厄介事”か、でしょう。
そうでない事を願います。
彼女達の少し手前で愛馬の背から降り、その場に残し私だけで彼女達に近付く。
“敵意は有りませんから、お話をしましょう”という私成りの意思表示です。
すると、それを察したのか一番長身の女性が三人へと何かを話し掛けて、彼女も自身の跨がる馬を降りると私の方へと歩を進める。
まあ、普通に考えるのなら“自分に何か有った場合は構わず逃げなさい”という感じでしょうか。
現時点で完全に私を信頼し警戒を解く、という真似は先ず有り得ないでしょう。
そうなれば、警戒を解かず慎重になるのも当然。
商人──或いは商隊に参加している位です。
少なからず、この辺りへの知識は有るでしょうから。
此方の事を話せば、一応は理解を得られる筈です。
そう、考えながら前に進み彼女と同時に足を止める。
丁度、私の大股で一歩。
その距離で対峙する。
近くで見ると、彼女の背が女性としては珍しく物凄く高い事が判る。
ビュレエフ様より拳一つ程低い位でしょうか。
一般的な大人の男性の背と比べても高いですね。
それに…この方、遠目にも美人だと思いましたけど、間近で見ると一層綺麗だと判ります。
同性でも嫉妬を通り越して見惚れてしまう位に。
──と、彼女が小さく首を傾げながら私を見詰める。
「……?………──っ!?」
疑問に思い、釣られる様に私も小首を傾げてていたら──唐突に我に返る。
そして、気付く。
私が彼女に見惚れていて、遣るべき事すら忘れているという事実に。
それは厄介な物で、きっと今の私は顔が真っ赤になり動揺しているでしょう。
出来る事なら逃げたい。
あまりの恥ずかしさから、死にそうです。
でも、現実は非情です。
私に逃亡は赦されません。
「取り敢えず、大きく息を吸ってみましょうか?」
そんな状態の私に、彼女は優しく微笑みながら静かに声を掛けてくれた。
その気遣いが…痛い。
…これでは、一体何方らが助けたのか判りません。
しかし、今の私では説得力その物が欠けています。
と言うか、話をしようにも動揺するだけでしょうね。
兎に角、彼女の言った様に深呼吸をして落ち着く事に集中しましょう。
本題はそれからです。
何度か深呼吸をして、漸く落ち着く事が出来た。
一つ、咳払いをして改めて私は彼女を見詰める。
偶然とは言え、先程の事で彼女が此方の言葉を話せる事を確認出来ましたしね。
此処で“狙い通りです”と馬鹿な事は言いません。
その様な恥の上塗りをする気は有りませんから。
素直に己が非を認めます。
他の人は知りませんが。
「私はローラン国の戦士、第三番巡士部隊・副隊長のスミエラ・モルノトフです
先程は失礼しました」
「いえ、お気に為さらず
魏国で商人をしております“ヒエイ”と申します
危ない所を助けて頂き誠に感謝しております」
そう言って彼女は頭を下げ感謝の意を示す。
丁寧な言葉遣いは勿論の事流暢な話し方からしても、彼女が此方に来る事自体が初めてとは思えない。
もし初めてなのだとすれば凄い才能でしょう。
此処まで綺麗に、普通に、会話出来る人は珍しい。
「頭を上げて下さい
貴女方が無事で有る事を、私達も嬉しく思います」
そう私が返すと、ゆっくり彼女は姿勢を戻す。
その落ち着き振りを見て、先程の自身の失態も全くの恥ではなかったのではないでしょうかと思う。
…と言うより、“そうなら良いのに”という希望。
自ら蒸し返したいとは全く思いませんが。
「一先ず、我が国の都まで同行して頂きます
勿論、貴女方の身の安全は保証致します
どうぞ、安心して下さい」
「有難う御座います」
完全に、ではないのですが警戒を緩めてくれた。
その事に私も安堵する。
睨み合いはしたくないし、身長差も有り見上げるのは首が疲れますからね。
…出来る事ならば、彼女に“背が伸びる秘訣”などを訊いてみたいものです。
かなり個人的な事ですが。
背が高い人達には判らない悩みでしょうけど。
「一応、幾つか質問させて頂きたいのですが…
勿論、答えられない内容や事情は無理には訊きません
ですので、その際には遠慮無く言って下さい」
「…判りました
私で答えられる範疇の内容でしたら、お話します」
私の言葉に僅かながらも、答えるまでの間が有った。
商人である以上、利害的な内容も有るでしょうから、不思議とは思いません。
彼女にも色々と考える事が有るのでしょうから。
ただ…何と言いますか。
こう…妙な“胸騒ぎ”的な予感がしました。
それも、良くも悪くも。
こんな感覚は初めてなので正直、戸惑います。
ですから、どうか。
何事も無く無事に済む事を心から願います。
──side out
此方に近付いてきた一人の女性を前に、俺も歩み寄り話をしようとする。
愛紗達には“警戒している態度を崩すな”と伝えた。
此方の力量を隠すのも理由では有るが、他にも理由は存在したりする。
一々言わないけどな。
それよりも、今は目の前の遣るべき事を優先する。
(と言うか、実際に見ると驚かされるな…)
遊牧民族だから体格的には小柄な者が比較的多い。
そういう風に適応・進化を遂げている訳だろう。
しかし、目の前の女性には素直に驚いてしまう。
漢王朝領内では“歴史”に関わる者には、そういった“特殊な個性”が見られる場合が少なくない。
まあ、その殆んどが女性な事は今更だが。
小野寺の言葉的に言えば、“ゲーム上のキャラ付け”みたいな物だろう。
それが絶対的な理由だとは言わないが。
そんな存在を漢王朝領外で見るのは初めての事。
一応、彼女の事は商人達に聞いてはいた。
だが、それでも145cm位だろうと思っていた。
しかし、どう見ても彼女は140cmに届かない。
…訂正、底上げされた靴を脱いだら、だな。
うん、触れないで置こう。
コンプレックスみたいだし機嫌を損ねたくないしな。
いざ対面して話そうとした矢先に彼女の様子が奇妙で訊ねてみれば──真っ赤に為ってしまった。
(…これはアレか?
久々に勘違いされたか?)
ちょっとだけ懐かしい様に感じてしまう。
最近は男としてしっかりと見られていただけに。
いや、女に見られたいとは全く全然これっぽっちも!
思わないんだけど。
…まあ、今回は都合も良い事だし、勘違いされたなら利用させて貰いますかね。
「詳しい話は都に着いた後させて頂きますが…
その前に一つ、四人だけで貴女方は此方に?
それとも襲われて散り散りになったのでしょうか?」
「私達は四人だけです
他の者は居りません」
そういう答えると予想通り驚かれた。
普通に考えると有り得ない事だろうからな。
自殺志願者か馬鹿か。
“普通”なら、な。
さて、都に着いた後は一体どんな質問をされるのか。
少し楽しみだな。




