玖
ビュレエフside──
賊を追跡させていた兵達に合流し、その行き先の方に向かって速度を上げる。
同時に兵達から見た限りの情報を受け取る。
それによれば、賊徒の数は凡そ二十程。
そして、連中が追い掛ける対象は二人らしい。
性別等は不確かだが恐らく魏の者だろうな。
(…二人、か…旅人か?)
てっきり商隊を追い掛ける物だとばかり思っていた。
それだけに意外だった。
だが、最近は商隊の往来が減っている事は周知。
連中にとって隊の規模など大して関係無いだろう。
ただ獣の様に空腹を満たす獲物を得る。
その為に襲うのだからな。
だが、旅人というのも実に珍しい事だと思う。
そういった輩が全く居ないという訳ではないのだが、此の国から移住する決断を見せる者など殆んど居ないという事と同じ理由。
特に言語の壁が有る以上は気軽な旅など考えない。
実行したとしても、大抵は途中で諦めて引き返す。
此処まで来る事は少ない。
…まあ、大規模な商隊等に同行して旅をする、という方法を取る者も居ないとは言わないが。
そういう者も近年は殆んど見掛けなくなった。
自国──祖国の情勢自体が不安なのだから態々異国に向かって旅をしよう等とは先ず考えないだろうしな。
決死の覚悟で移住するなら話は違ってくるだろうが。
そういった意味で言うなら二人、というのも有り得る話なのかもしれない。
衰退・荒廃する祖国を捨て新天地で生きよう。
その様に考えたのならば。
ただ、時期的に疑問を抱く事も確かではある。
以前であれば考えられない話ではない。
しかし今、魏の台頭により安寧を取り戻しつつあると商人達の間でも聞く。
それなのに態々国を捨てる理由は少ないだろう。
そして、あまり良い理由は思い浮かばない。
国を捨てる、と考えれば、という前提でだが。
(…まあ、所謂駆け落ち、という線も有るか…)
権力階級構造が存在すれば当然の様に出て来る問題。
家の為の政略結婚だ。
如何に魏が旧・漢王朝領の大部分を占めてはいても、その辺りは簡単に変わると思えない。
寧ろ、そういった時だから故に多くなる事だろう。
“漸く戦乱の時代が終わり平和な世が…”と思う中、その手の類いの話の当事者となれば、色々と溜まった感情も有る事だろうから、反発したくも為ると思う。
自分だったら…可能性的に半々という所だろうか。
頭では理解しているのだが一応は反論・拒否の姿勢を見せると思う。
最終的には話を受け入れて相手と少しでも良い関係を築ける様に努めるだろうと思考の上では思う。
実際は、現実に直面しない限り判らない事だがな。
愛馬の手綱を扱き、砂漠を慣れた脚捌きで急ぐ。
一番最初に出た追跡の兵と合流し、最終的な判断から賊の目星も付いた。
「成る程…奴等か…」
サルーフ・アミニエフ。
それが連中──“渇く赤/テシュネァム・ゲルメズ”を率いる頭目の男の名だ。
他に数名だけが名と特徴が判っているだけで基本的に情報が少ない一党。
男達──恐らくは中心的な事は間違いないのだろうが──の名も本名なのか否か定かではない。
ただ、他の賊徒と違うのは可能な限り、人を殺す事を避けている、という点。
勿論、犠牲者は出ているし被害に遭った者達にすれば数の問題ではない。
賊は賊、その事に関しては何も変わらないのだから。
他に特徴的な点としては、連中は常に全身を覆い隠し素顔は殆んど晒さない事。
統一した格好でもないし、目撃される度に違う格好をしているという事。
唯一、全員が赤い布を必ず身体の何処かに巻いている事だけが共通点だろう。
ただ、連中の変わった点に自分達の格好の真似をして商人達を襲った連中に対し容赦無く報復をするという習慣を持っている。
まあ、遣ってもいない罪を押し付けられれば、賊でも腹は立つだろうからな。
以前、私腹を肥やそうとし彼等の格好を真似させて、商隊を襲わせた将が居たが見事に報復を受け、今まで遣っていた事を暴き出され処刑を言い渡されたという事件も起きている。
その際、彼等を英雄視する民が少なからず居た事も、当時の国の内部の腐敗性を物語っていた。
勿論、今は厳しく精査され風通しも良くなっている。
面白い、と自分の立場上は公には言えない事なのだが彼等は英雄視をされる声に対して声明を出した。
“我等は英雄ではなく賊、悪を悪と知り、生きる為に悪を為す卑劣な獣である
人々よ、決して我等の事を正しく思ってはならない
我等は世の悪でしかない”──という物だ。
主義主張を掲げ、王に対し反意を煽る者も少なくない世の中で、珍しい存在。
それだけに、どうにかして説得して引き込めないかと先代の王が苦心していたが身体を病み退位してしまう結果に終わっている。
正直に言えば、当時の私も彼等を英雄と思い憧れた、幼い子供の一人だった。
故に先王と同じ事を思った数は数え切れない。
実現は不可能に近い。
だが、実現出来るならば、そう考えてしまう。
一度抱いた理想とは中々に厄介な物だな。
──とは言え、連中の言う言葉もまた正しい。
その所業は間違い無く悪で賊は賊なのだから。
如何なる理由が有ろうとも赦して良い事ではない。
だから、我等は戦う。
彼等の背負う悪に対しての我等成りの敬意を以て。
そう、心に誓う。
彼等と対峙する時には必ず行っている事。
決して心を鈍らせぬ様に。
自分に言い聞かせる為に。
──と、其処へ偵察に出た兵が帰って来た。
朗報、であれば良いが。
…この状況で期待の出来る朗報は滅多に無いがな。
「申し上げますっ!
新たに追い掛けられている二人と、それを追い掛ける一団を発見!
また、何方らも我々の追う者達と合流した模様!」
朗報、ではない。
だが、悪いとも言えない。
少なくとも、分かれていた方も無事なのだから。
──いや、正しく言うなら全滅はしていない可能性が有る為、だろう。
元々、追われている者達が何人だったのか、どれ位の規模だったのか。
そういった事は現時点では全く判らないのだから。
ただ、まだ生き残っている者達が目の前に居る。
その事だけは事実であり、それだけで理由は十分。
見捨てる訳にはいかない。
この国の、砂漠の、秩序を守る者の責務として。
「ビュレエフ様、どうやら両者共二手に分かれていたみたいですね…
如何致しますか?」
そう冷静に訊ねて来たのは自分の副官である少女──いや、小柄な女性。
スミエラ・モルノトフ。
歳は二十四になる筈だが、非常に背が低い。
女性だから、ではない。
何しろ、十二歳の子供より背が低いのだ。
いや、別に背が低いからと見下してはいない。
彼女は低い身長を活かして素早い動きを得意とする。
一対一も勿論強いのだが、一対多の乱戦に為れば更に強さを発揮する。
…まあ、一目見ただけでは大人とは思われないが。
今はまだ兵装を纏っている事も有ってらしく見えるが私服の時は少女そのもの。
大きく円らな濃灰色の瞳に幼い顔立ちも要因か。
腰まで伸ばしている黒髪が綺麗で、時折見せる憂いを帯びた表情は大人っぽいと言われてはいる様だがな。
その黒髪も今は外套の下に隠れていて見えない。
「…ビュレエフ様?」
「…っ…ああ、聞いている
少し、待ってくれ…」
スッ…と目を細め、此方を睨み付けてくるスミエラに考える振りをして誤魔化し然り気無く視線を外す。
…恐ろしいな、女の勘は。
こういう時、男は勝てない気がしてしまうが、それも仕方無いのだろうな。
訳が判らないからな。
さて、思考を切り替えて、目の前の事に集中しよう。
先ず、彼我の数だが此方と大差は無いだろう。
だが、装備の質という点で此方に分が有る。
単純な戦闘でならば此方が負ける可能性は低い。
絶対に無いとは言えない。
それが戦場という物だ。
次に彼我の距離。
まだ此方との距離は有る。
しかし、逃げる先を読めば最短距離を通り、追い付く事は可能だろう。
この先は確か…そうだ。
北側から南に掛けて大きく傾斜している。
また西から東に向かっては僅かにでは有るが上り坂。
そして彼等の進路は西から東に為っている。
つまり、本の僅かとは言え脚が落ちる事になる。
それならば十分に追い付く事が出来るだろう。
加えて、彼方はまだ此方の存在に気付いてはいない。
それは大きな要因だ。
しかし、疑問にも思う。
偶然、とは考え難い。
彼等が周囲に無警戒な事は今までに無かった。
今の距離に近付けば普段は確実に気付かれていた。
それ程に彼等は用心深く、慎重に行動をする。
それは獲物を狙い定めて、気配も息も殺しながら音を立てず忍び寄る獣の様に。
そんな彼等が無防備。
一瞬、偽物かとも疑う。
だが、あの事件以降彼等の真似をする愚か者は一度も出てはいない。
とすれば、やはり本物。
ならば、気付いてはいない理由は逃げる相手側か。
余程上手く逃げ回っている可能性は高い。
ただ、だとすれば地理的に詳しいという事になる。
そうならば振り切っている可能性も有るだろう。
抑、地理的に詳しいのなら賊の多さも知っている筈。
それに対して無策とまでは言わないが、何かしら策を講じてはいるだろう。
当然、護衛の数も含めて。
そう考えると土地勘の無い者の可能性も高いか。
「…まあ、助けた後で話を聞けば判る事だな
よしっ、我々は砂丘沿いに東進し、一気に距離を詰め砂丘を利用し死角から敵に対して右後方からの奇襲を仕掛ける!
但し、深追いはするな!
追い散らせば十分だ!
対象の四名の保護を第一に考えて行うっ!」
そう、指示を出すと自らも先頭部隊へと加わる。
功を求めて、ではない。
奇襲を仕掛けた後、乱戦に為ってしまえば後方からは指示が届き難くなる。
連中が獲物に飢えていると考えるならば、我々もまた国の未来に対し抱く不安に苛立ちを覚えている。
“賊徒が居るから往来が減ったんだ!”等と考えて熱くなりそうな気もするしな。
手綱を握る為にも、自分が前に居るべきだろう。
一応だが此方の狙い通りに奇襲は成功した。
連中は狙った四名を諦めて退散していった。
ただ、流石というべきか。
連中は他の賊徒よりも速く此方に気付いた。
だが、気付いただけならば混乱している間に接近し、一気に叩く事が出来る。
それが出来無かった要因は偏に彼奴──アミニエフの判断と決断の速さだ。
勿論、それに即座に従った一党の結束力も凄いが。
その点に関しては以前から評価され、恐れられてきた事で有る為、それ程は驚く理由は無かった。
素直に感心はしたがな。
取り敢えず、終わった事に一息吐いていると駆け寄る兵の姿を見付ける。
追撃、ではないが此処から遠ざける為にも追う必要が有ったからな。
誰一人怪我も無く、無事に済んだ事は嬉しいがな。
…まあ、戦闘自体をせずに終わったら当然なんだが。
「敵影、完全に消えました
付近にも確認出来ません」
「…そうか、御苦労」
その報告を聞き当然の様に安堵する。
──だが、果たして、その安堵は何に対してなのか。
要救出・保護対象を無事に確保する事が出来た事?
部下が掠り傷すら負わずに事を片付けられた事?
無事に連中を追い払う事に成功した事?
──否、何れも、否だ。
今、安堵した理由は一つ。
“彼等”と戦わずに済み、自分が傷付けずに済み──殺さずに済んだ。
ただ、その事に対してだ。
(…全く、厄介な物だ…)
空を仰ぎ、目蓋を閉じれば今見たかの様に甦る。
黄昏の様に赤く染まる夜。
立ち込める黒煙の臭い。
谺していた悲鳴も遠退き、ただただ痛みだけが身体を蝕んでいる。
何が起きたのか。
子供に判る筈も無く。
迫る死を、感じていた。
「──大丈夫か、小僧?」
だが、そう言って手を延べ抱き抱えてくれた温もり。
それを、忘れはしない。
忘れる事など出来無い。
それは自分にとって唯一の英雄なのだ。
原初の理想を。
見失う事など無い。




