弐
──というのが一連の経緯だったりする。
その後は大宛に向けて俺に同行をする面子として螢・翠・愛紗を指名。
兵は一切連れて行かないが有事の際に援軍として直ぐ動ける様にと鈴萌と彩音に直属部隊と共に涼州西端の砦で待機して貰っている。
表向きには旅人を装う。
或いは、状況により新顔の商人の風体で行く予定だ。
とは言え、準備は出来ても直ぐには動けない。
組織で有るが故の緒事情も多少なりとも有るしな。
加えて、事前にある程度の“仕込み”を終えてから、という理由もだ。
三日という日数が掛かった理由は其処に有る訳だ。
まあ、今の本音としては、出来れば表立って目立たず事を片付けたい所だな。
西域を獲らなくて済むならその方が良い訳だし。
“仕込み”も使う事無く、無駄に終わればそれが一番良いとも思っている。
他の有力な勢力とは違う。
匈奴・鮮卑・高句麗・羌・柢などといった周辺勢力は何れも言語的には同じ。
識字率は文化の近いも有り仕方が無い事ではあったが日常的に会話に問題が無いという部分が統合と統治をスムーズに進ませた。
それに対して、西域諸国は元々の主用言語が違う。
俺達は兎も角、一般的には全く通じ合えない訳だから問題が起きて当然。
だからと言って西域の民に此方の言語を強制的に教え使用させる真似も出来れば遣りたくはない。
後々の反感や火種に繋がる可能性も高いからな。
そういった理由からしても“住み分け”が出来る方が良い事だと思っている。
結局は状況次第だけどさ。
今までとは事情が違う点が今回の厄介な所。
件の情報が少ない事よりも民族・風俗的な要因の方が難しい所になるからな。
…穏便に済ませたいなぁ。
「雷華様、雷華様は大宛の事は御存知なのですか?」
ぼんやりと地平線を眺めて考え事をしていたら愛紗に話し掛けられた。
まあ、距離も無いし状況も俺達だけだから、話し声は聞こえてくる訳で。
意図的に遮断しない限りは判る訳ですよ。
一応、どんな内容なのかは把握してます。
要するに件の大宛に対する考察なんだけどね。
「まあ、貿易商として直接大宛に足を運んでいた者を除けば、曹魏内では、一番詳しいだろうな」
そう返した瞬間だ。
“嘘を言わないの、貴男の方がずっと詳しいでしょう
裏表を含めて、ね”と笑む華琳の姿が浮かんだ。
…聞いていたら間違い無く言われてるだろうな。
今一緒に居る面子が素直で真っ直ぐだから、ただ単に言わないというだけで。
冥琳や泉里は絶対に言うと断言出来るしな。
皆、慣れたよなぁ…。
まあ、頼もしい事なんだし良い事なんだけどね。
「…雷華様?」
「ああ、悪い、ちょびっと気が逸れてた」
話が途切れてしまった事に愛紗が心配そうな声をして俺を呼んだ。
右後方へと振り返りながら苦笑を浮かべてみせる。
ただ、状況が状況だけに、性分が性分だけに愛紗達は少々勘違いをしてしまう。
俺が“無理をしている”と考えたんだろう。
一様に表情が曇る。
意地っ張りや照れ屋な面は有るにしても素直な三人。
嘘や演技は下手だ。
まあ、だからと言って別に普段から丸判りだという事でもない。
夫婦間・妻同士・母娘間に限っての話だ。
螢なんかは逆に普段の方がしっかりしている位だ。
身内だけになると昔の癖で口数が減り勝ちだしな。
それも愛嬌なんだけど。
「心配するな、本当に少し気が逸れてただけだから
…まあ、あれだ
さっきの俺の一言に対して他の面子が聞いたとしたら何かしら愚痴を言ってくるだろうな〜と…」
そう正直に言ってやると、“ああ、成る程…”と納得出来たらしく頷いている。
まあ、その納得した理由は俺に同情的な方向ではなく愚痴を言う面子に対しての同意なんだろうけどな。
素直だが、妄信している訳ではないからね。
そんな風に成りそうな時も有るには有ったが。
一歩間違うとストーカーにクラスチェンジだしな。
強い想いも善し悪しって事なんだよね。
「で、大宛の事だったな」
「はい、西域諸国が我々と違う言葉・文字を使う事、中小勢力の集まりでは有れ西涼の民の様な統制は無く盟主の様な者は居ない事、東西の交易の拠点としての利により栄えている事…
この位しか知りませんので詳しく御聞きしたいと」
これ、追加の説明要る?
…いや、勉強熱心な姿勢は良い事なんだけどね。
「…それだけで十分な気もしないでもないけどな」
「そうですか?」
何と無く、言ってみた。
愛紗達は揃って小首を傾げ不思議そうにしている。
知ろうとする姿勢に対して反対する訳ではないが。
少々考えてもしまう訳で。
複雑なんですよ、色々と。
ただまあ、あれだな。
もし、此処に冥琳・泉里が居たとしたら珀花や灯璃に見倣えと言っているな。
或いは、そういった方向で愚痴っているか。
…まあ、気持ちは判るが。
あれはあれで二人の良さと言えなくはない。
度が過ぎない範疇ならば。
珀花も、引き際の見極めが良くなればなぁ…。
現状、改善しそうな兆しは見られないけど。
あれも天然だから厳しいのかもしれないな…うん。
気を取り直して、愛紗達の質問に答えるとしますか。
……何を教えようかね。
「んー……そうだな
西域諸国も西涼や匈奴等と同様に遊牧民族だって事は知ってるよな?」
「それは勿論、大宛の事は殆んど知らぬ者であってもそれだけは判ります」
「ん、自信満々な模範解答をありがとうな」
「い、いえっ、この位なら誰にでも判る事ですから」
──と、謙遜する様に言う愛紗さんですが、その頭と背後にピンッと立った耳とブンブンッと大きく左右に振れている尻尾を幻視してしまいます。
一生懸命に、キリッとした顔を作ろうとしているが、どうしようもなく嬉しさで口の端と頬が緩んでいる。
子供が頑張って大人振って格好良く見せようとして、出来ていない時みたいに。
うん、可愛いねー。
愛紗って本当に忠犬気質で可愛いんだよね。
黒柴って感じ。
その分、思春や葵達と同様“俺事”の沸点が低いのが困りものなんだが。
愛されるって大変だよ。
そんな愛紗の反応よりも、愛紗だけが褒められている様に思える状況には翠──と螢もらしいが、二人して不満そうに拗ね気味な顔を覗かせている。
何方らも構ってちゃんだし仕方無い反応だ。
ただ、羨ましいと思うのは此処までだと思うぞ?
確かに、愛紗の言っていた事は模範解答だ。
そう、判り易い位に出来た“フリ”である。
フフフッ…甘い、甘いな。
甘いのだよ、関雲長よ!
閨では甘える事を許しても時に鬼と成るのが漢だ。
「だがしかし、実は大宛の民は土地に根付く農耕民族であるという事実は殆んど知られてはいない」
「……………………え?」
キリッとしていた愛紗。
それが時間が止まったかの様にピシッ…と固まる。
それを見て──というより俺が浮かべている笑みから察したんだろう。
翠と螢が愛紗に対し同情の眼差しを向けている。
そして、そうこうしている間にも俺の言葉を理解した愛紗の顔が徐々に──否、薄い色から重ね塗りをするみたいに赤くなってゆく。
それはもう凄い早さで。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」
そして、駆け出す。
明後日の方向に向かって。
「──ちょっ、愛紗!?
何処行くんだーっ!?」
「探さないでくれーっ!!」
愛紗を追って反射的に翠が駆け出し叫ぶと愛紗も翠に叫び返す。
うん、無駄に律儀だね。
それを眺めていると右隣に進み出た螢に“…めっ”と御叱りを頂く。
…あの、螢さん?
確かに俺、年下ですけど…
その叱り方はどうなのかと思います。
関羽side──
雷華様と一緒にする旅。
…翠と螢も一緒だが。
雷華様と未知への冒険。
…翠と螢も一緒だが。
雷華様と暫くの間は殆んど一緒に居られる。
…翠と螢も一緒だが。
…まあ、要するに私的には二人きりが良かった。
勿論、その点は翠にしても同じだと思う。
螢は………正直、微妙だ。
いや、二人きりで居たいと思いはするだろうが。
ただ、ずっと二人きりで、とは考え難い性格。
何方らかと言えば皆と居る事を好んでいるしな。
まあ、螢の育った環境等を考えれば理解は出来る。
寧ろ、よく歪む事も人道を踏み外す事も無く、あれ程真っ直ぐに育ったと素直に感心してしまう。
本人の性格が大きいのだと思うが、彼女の母親もまた素晴らしい人物だった事も確かなのだろうな。
…私達は順風満帆で幸福な人生を歩んではいない。
何かしらの悲劇や苦悩等を経験し、抱えていた。
勿論、雷華様に出逢えた事によって現在では解決し、糧と出来てはいるが。
それでも私達は概ね家族に恵まれている。
…まあ、中には泉里や結の様に色々と複雑な家庭事情も有るには有るが。
ただ、皆に共通して母親に本当に恵まれていた訳で、心から尊敬している。
存命の華琳様達も含めて。
将来、自分にも子供が──ああ勿論、雷華様とのだが──出来て、ある程度まで育った時に私達と同じ様に尊敬してくれるだろうか。
…いや、そうではないな。
私達の母の様に心から尊敬出来る母親に成らなくてはいけない。
子供に尊敬しろと押し付け言わせるのではない。
その在り方で、生き様で、示し、語らなくては。
そうでなければ無意味。
尊敬とは誰かから言われて成立する物ではない。
それは理屈ではない。
己自身が感じる事によって裡から湧き起こる物。
感情の一つなのだから。
「…格好付けてるけどさ、現実見ようぜ?」
「う、煩いっ…」
雷華様に揶揄われた直後、あまりの恥ずかしさからか思わず逃げ出してしまい、それを翠に捕獲された。
やはり馬術に於いては翠が数段上手になるな。
鍛練上の試合でならば私が勝ち越しているのだが。
…別に悔しい訳ではない。
まあ、それは兎も角としてどの様な顔をして雷華様の元に戻れば良いのか。
今はそれが問題だ。
「俺が悪かった、愛紗」
彼是考えている間にも翠に連れられて進み、気付けば目の前に雷華様が居た。
そして、何を言うべきかと悩んでいる間に、雷華様が頭を下げて謝られる。
それを見て、余計な考えは吹き飛び、兎に角、焦る。
何かこう…罪悪感というか危機感というか…そういう類いの感情が胸に渦巻く。
それはまあ、確かに今回の件に関して言えば雷華様が悪いとは思う。
でも、自分のした行動にも非が無いとも言えない。
気持ち的には雷華様の方が悪い気がするが。
それはそれ、だとも思う。
取り敢えず、雷華様が頭を下げたままでは不味い。
何かこう色々とだ。
「い、いえっ、私の方こそ逃げ出すなどという真似をしてしまい要らぬ御心配を御掛けして──痛っ!?」
兎に角、雷華様は悪くないという事、私が悪いという事を言っていたら急に身を起こした雷華様に頭と肩を掴まれ頭突きをされた。
急な事に驚いてはいるが、痛み自体は大した事は無く気にする程ではない。
というよりも、無理だ。
頭突きをされた体勢のまま額と額が、鼻の頭と頭が、くっ付いた超至近距離から雷華様に見詰められている状態なのだから。
未だに近過ぎると無意識に距離を取ろうとしてしまうけれど雷華様にしっかりと掴まれていて動けない。
「心配して当然だろうが、お前は俺の妻なんだ」
「──ぁ……」
そして、止めにこれだ。
いえ、判ってはいますよ。
でも、その…あれです。
面と向かって言われると、嬉しくて仕方が無い訳で。
「はい…すみません…」
そのまま抱き締められたら余計な事は考えられない。
ただただ、その腕の中にて幸せに浸るのみ。
「──雷華様、絶対に態と遣ってるだろ?」
「…まあな、愛紗の反応が可愛いんだよなぁ…」
「判らないでもないけどさ
二人きりじゃないって事を愛紗、忘れてないか?」
「さて、どうだろうな…」
何か話し声が聞こえる様な気がするが…今は無視。
今は何よりも目の前に有る幸せを堪能するのみ。
それ以外は後回しにする。




