2 昔日の西厄 壱
──四月二十六日。
春の陽気が眠気を誘う中、烈紅の背に跨がり揺られてのんびりと進んで行く。
後千八百年もすれば世界的温暖化により、季節感など崩壊してしまう。
それが“彼方”の未来。
この世界を同じ様な結末に到らせない為に出来る事は何だろうか。
…今からでも世界征服へと乗り出すべきだろうか。
……俺には似合わないな。
世界規模の環境問題だけを考えるのなら、人類自体を滅亡させる方が早い。
現状で言うなら曹魏以外の全人口を、だな。
そんな事は遣らないが。
戈壁沙漠の緑化も大変だが各地の自然を維持しつつ、繁栄する事も大変。
その辺りの事も考慮して、国土の保有権を国にした訳なんだけどな。
個人に土地を分け与えると何をするか判らない。
それは曹魏の国造りの意に反する事かもしれない。
そうならない為の先手。
まあ、この先千年程経ってどうなっているか。
その結果次第では有るが。
其処に到らせられる様に。
俺達は繋いで行かなくてはならない。
過去から未来へと。
その不断の意志を。
「愛紗って、此方に来るの初めてだっけ?」
「ああ、涼州に来る事さえ今回が初めてになる
生まれ育ちは司隷になるが西に行く事は先ず無い
商人でもない限りな」
「あ〜…確かにな〜…」
各々己が愛馬の背に跨がり会話する翠と愛紗。
その様子を二人に挟まれる格好で愛馬を進ませる螢が聞いている。
俺は三人の前に居る形だ。
今、この場に居るのは俺達四人と四頭のみ。
別に遠乗りに来た、という訳ではない。
…のんびりしている現状を客観的に見たなら否定する事は難しいとは思うが。
決して、遊びではない。
これもちゃんとした仕事の一部だったりする。
愛馬に乗る事が、ではない事を念を押しておく。
「翠も螢も此方の出身だが彼方には詳しいのか?」
「ん〜…どうだろうな
そりゃあ、旧漢王朝領内に住んでる者の中でだったら他の所の者よりかは多少は詳しいとは思うけど…
“その程度”だからな〜」
「…私も…同じです
…お母さんから本の少し…聞いている位です
…なので…翠さんと然程は違わないと思います」
昔と比べれば螢はよく話をする様になった。
喋り始めこそ、今も多少の間が有って小声になるが、一言一言の終わりは口調もはっきりしている。
まあ、癖だと思えば特には気にならない事。
寧ろ、可愛く思う。
狼狽える訳ではないしな。
「抑、言葉が通じないから判らない事が多いんだよ
“大宛”って国はさ」
大宛──フェルガナ。
今、俺達は其処に向かって進んでいたりする。
地味に馬を使うのは単純に相手を警戒させない為。
尤も、彼方は今国外からの渡来者に限った事ではなく警戒しているだろうが。
今回の旅の発端。
それは三日前に遡る。
━━四月二十三日。
大した事件も騒ぎも無く、穏やかな日常の昼下がり。
珍しく一人でのんびりと、私邸の家庭菜園で土弄りを楽しんでいた時の事。
其処へ珍しく緊張した顔で遣って来た隠密衆。
予定していた領地を得た為最近は大幅に仕事が減って内勤──俺が個人的に経営している店の店員等──に回って、皆も平穏な日常を送っていたりする。
それだけに俺も久し振りに緊張感を味わう事になる。
そして、告げられた内容に即座に決断を下す。
華琳達を至急に集めた。
各地に散っていた者も居て普通であれば集まるだけで数日を要する所。
しかし、氣を用いて走れば一時間程度で集合出来る。
軍事行動なら厳しい所だが今回の様に緊急時且つ単独という状況ならば問題無く本気で移動が出来るしな。
本当、氣って凄いよな。
「…余計な事を考えている時間が勿体無いわ
さっさと本題に入りなさい
貴男が緊急だと言う位だし余程の事なのは判るけれどその思考が明後日の方向に逸れている事で気が抜けてしまいそうなるのよ
真面目な話は真面目にね」
華琳から軽い御説教を貰い反省しながら一息吐く。
…まあ、あれです。
皆を待ってる間に準備とか一通り終わったんでね。
若干、緊張感が薄れていた事は事実なんで。
素直に受け入れます。
「隠密衆からの報せでな
大宛で内乱が起きた」
そう言うと半数は驚きから緊張感を持った表情になり気合いを入れた。
だが、華琳や軍師陣を含む残りの半数は眉根を顰めて明らかな疑懐を顕にする。
「…どういう事かしら?
確かに、隣国である大宛で内乱が起きている事は私達曹魏にとって好ましいとは言えない状況よ
だけど“その程度”の事で貴男が私達を“態々”呼び集めるとは思えないわ」
まあ、そう思うよな。
ただ、“その程度”なんて言ってやるな。
彼方にとっては、それだけ大事なんだからさ。
「“他人の不幸は蜜の味、それが国政に関わるのなら見逃す理由は何処にも無い
徹底的に突き抉れ”──と私達に教えたのは誰よ?」
…私で御座いますです。
ええ、そうですよ。
そういう観点から言ったら現状は絶好機なんです。
でもね、それは利を求める意志が此方に有れば、の話だったりする訳でして──あっ、はい、判りました。
話を先に進めます。
「元々、大宛国内の情勢が不安定だという事は皆にも話していたと思う」
「ええ、聞いているわ
曹魏としては現状彼方から攻撃されでもしない限りは一切関わらない──という方針に決めた筈よね?」
「ああ、間違い無い」
抑、曹魏──曹家としては泱州新設直後から大宛へのパイプ作りを開始していて傘下の商家を介して彼方と貿易を行っている。
それは単に将来的な国交を考慮しての事ではなくて、例の阿片の問題の件も裏に有っての事。
勿論、其方の話は華琳達に話してはいない。
言えば、それこそ世界征服一直線になるだろうから。
流石に世界規模で統治とか勘弁して貰いたいしな。
…話を戻して。
大宛に限らず、西域諸国は浮き沈みが激しい。
簡単に言えば、大国として君臨し得ないという事。
ただ、一時代を築く場合も決して少なくない。
そういった意味では西域は軽視出来無い存在。
少し前までは特に大月氏が東西交易によって繁栄し、西域諸国の中でも突出した影響力を誇っていた。
所が、東側に有る漢王朝の混乱・衰退によって交易の利益が激減、それに伴って急速に経済難に陥った。
更に、西域の他の諸国から攻撃を受けた事にもより、一気に荒廃した。
西域諸国と一纏めにしても実態としては中小勢力国が攻めぎ合っている。
利害が一致しているのなら手を取り合う。
しかし、利害が無くなればあっさりと掌を返す。
其処に情など介在しない。
まあ、国としては当然の事なんだけどね。
そういった関係に有る中で西域諸国間では大宛を含め四つの国が主導権を争って水面下で対立していた。
其処に宅から大宛に貿易を持ち掛けた事が四者の間の均衡を崩す一端になった。
端的に言えば将来性の有る貿易相手と繋がりを望んだ四強国以外の諸国が次々と大宛に付いたからだ。
その結果自体も宅としては全然構わない。
寧ろ、歓迎出来た。
だから、大宛の国内情勢が不安定になった事を知れば対応を考えるのが当然。
単純な内乱だったら無視し放置しているだろう。
それが貿易面での一時的な影響を生んだとしてもだ。
そう出来無くなった理由が確かに存在する。
「…“祓禍”が反応した」
『──っ!!!???』
俺の一言に華琳達は一様に息を飲み、声を詰まらせて驚きを顕にした。
その気持ちはよく判る。
有り得ない事ではない。
だが、予想外でも有る。
そんな複雑な心中だろう。
静寂に包まれる中、華琳が一つ深く息を吐く。
そして、皆を代表する様に口を開いた。
「……此処に来て、なんて言いたくは無いけれど…
思わず言いそうになるわ
…事実、なのよね?」
「残念ながらな」
「…そう…」
俺が肯定した事を受け入れ深々と溜め息を吐く。
別に俺が非常識だとか言う意味での物ではない。
“まあ、そうでしょうね…
こんな事、冗談でも貴男は言わないものね…”という心の何処かで冗談で有って欲しい等と思ってしまった自分自身への呆れから。
それは華琳だけではなく、他の皆にも見られた。
華琳以外の皆が知っているそれらの類いは黄巾の乱の“望映鏡書”のみ。
月や恋に至っては実物自体見た事が無かったりする。
まあ、追体験の模倣技にて俺の記憶を基にして造った映像を見せた事は有るが。
あの場に直に居た者ですら本の一握りだけ。
実感としては感じ難いのも仕方が無い事だろう。
「…まあ、貴男の事だから隠密衆への指示自体は既に出しているのでしょうし、曹魏の民の安全に関しては大丈夫でしょうけどね」
愚痴ではないが呆れ気味の口調で言う華琳。
それは信頼が有るからこそ理解出来て、言える事。
勿論、今華琳が言った様に両方共に問題無い。
「それで、元凶は何?」
「それに関しては現状では不明としか言えないな
何しろ、事前に予兆も無い突発的な物だからな」
──と、両肩を竦めながらお手上げだと格好で示す。
別に“打つ手無し”という意味では無い。
飽く迄も、今回に関しては完全に後手に回っていると示しているだけ。
その辺りは皆も理解して、納得した表情を見せる。
そんな中、一瞬だけだが、華琳と視線を交える。
“災厄との関わりは?”と訊いてきたので“現状では何とも言えない”と返す。
可能性、という点で見れば全く有り得ない事ではないだろうからな。
ただ、その場合の意図する部分が見えない。
隔壁を破る自信が無いから外に引き擦り出したい、と考えているなら浅慮。
陽動の線も無いだろう。
手駒を得る為、だとしても西域の兵力では微妙。
兵数はそれなりに獲られる事だろうが。
因って考えられるとすれば望映鏡書の様に人々の生む“負の氣”を糧にしようと目論んでいる場合か。
しかし、それは“単独”の可能性としても言える。
結局、推測の域を出る事は現状では不可能になる。
「放置は出来無いにしてもどうする気なのかしら?
大宛だけではなく西域諸国丸ごと手に入れるとか?」
「…考えたくはない事だが最悪の場合には、だな」
そう返すと、いつも通りに落ち着き余裕を見せていた華琳の顔が変わる。
鳩が豆鉄砲をくらった様に目を丸くして瞬きする。
他の皆も──特に軍師陣は同じ様な反応をしている。
華琳自身にしても、今のは軽い冗談のつもりで言った一言だったんだろうしな。
それを俺に肯定されるとは思っていなかった。
だからかその反応。
…くっ…今この瞬間の皆を映像としては残せないのが実に惜しい。
将来、子供達への良い話のネタになるのに。
──とか考えていたら皆に一斉に睨み付けられた。
程度差は有るが羞恥心から顔を赤くしながら。
はいはい、判ってます。
言いません言いません。
でも、忘れませんけど。
心のアルバムにしっかりと保存して置きますから。
「…はぁ…で、本題は?」
慣れているからこそ華琳も無駄に話を広げずに、一息吐いて話を戻す。
其処に痺れる憧れ──あ、はい、直ぐに続けます。
「“それ”を片付ける事は確定事項な訳だが…
事後がどうなるかによって西域の統治も考える
あまりに混乱・争乱が酷く拡大しそうなら特にだ」
「…西域は文化・習慣等は兎も角としても使用言語が問題になるでしょ?」
「ああ、だから今までとは違って長期的な統治計画になるだろうな
勿論、後々公用語としては此方に基準を置くが」
「…現状で、どの程度?」
「最長で五年、だな」
それを聞いて華琳は静かに目蓋を閉じて考え込む。
一つ一つは小勢力とは言え価値観に違いが有るが故に別々に在る西域諸国。
それを五年で統一出来ると考えれば…利は大きい。
ただ、国益として見た際に“火種”も一緒に抱え込む事も確か。
その辺りが焦点だな。
「…取り敢えず、今は先ず現地に行ってからね
貴男に全て任せるわ」
顔を上げた華琳の決断。
頷き返すと直ぐに指示し、行動へと移った。




